共同戦線
「どォォォこオオオだアア! クズどもぉぉぉ!」
黄金の巨人は両腕を振り上げ、舞台を取り囲んでいる客席をもぐら叩きのように潰し回った。その巨体から繰り出される一撃は恐ろしい威力だったが、敵は一向に姿を現さない。ようやく捉えてもそれは囮役を買って出たタレス教団の信者たちばかり。持ち前の素早さで巨人を煽る男女と、それを一心不乱に叩き潰そうとするゴルギアスとのしらみつぶしの戦いが続く。
「いい加減にしろォォ。これ以上ちょこまか動き回るならぁ、人質を握りつぶしてやるゥゥ」
ゴルギアスが両目に向かって手を伸ばした時、遂に舞台上に哲夫たちが姿を現した。
「俺たちなら最初からここにいるぜ! お前の探し方が悪いだけだっ!」
「そぉぉくらぁぁ! 出てきたなあぁぁ。まぁずはお前からだぁぁぁ」
巨大な右腕が振り上げられ、仁王立ちする哲夫に向かって黄金の拳が飛んでくる。
だがその拳は、哲夫の前に立ち塞がった惇によって受け止められた。両腕を重ね合わせ足を踏ん張る彼の前面に、いくつもの三角形が連なり合って生まれた虹色の結界が発生する。
「残念だったな。ここから先は行き止まりだ!」
「なぁんだとぉおお!?」
「俺のダチを、舐めんじゃねぇ!」
「貴様あああ!」
今度は左腕のパンチが飛んできた。しかしこれも、颯爽と現れた万太郎が大剣で真正面から受け止める。
「私たちの存在も、忘れてもらっては困りますわ!」
万太郎の背後からぴょこんと姿を現したフィロが、懐から刃のないダガーを取り出した。
「先生!」
「フィロ様!」
「「ここはお任せください!」」
「よっしゃ、行くぞ金木!」
「覚悟はよろしいですね?」
哲夫の左手から、白い知の鞭が伸びる。フィロの握りしめたダガーから水の刃が噴き出す。
「ヴォおおおおおお!」
憎しみに満ちた巨大な顔が突風と爆音をぶつけて来る。が、二人の教祖は身じろぎもしない。惇と万太郎にがっちりと抑え込まれた巨腕に飛び乗ると、その上を全速力で駆け抜けていく。腕の表面から二人の行く手を阻む様に金塊や石像の破片が突き出してくるが、知の鞭と水の刃相手にはどんな妨害も通じない。鞭を振るい剣で薙ぎ払い、二人は遂に巨人の顔面へ到達した。
「フィロ様!」
「哲夫さん!」
囚われた二人の眼前で、白い閃光と青い水飛沫が交差する。次の瞬間、巨大な顔面の中心にそびえ立つ鼻に亀裂が走り、ボッコンと重々しい音をたてて削り落とされた。凄まじい砂埃と、巨人の悲痛なうめき声が会場内に響き渡る。
「ギャアアアア!」
鼻を削がれたゴルギアスは両腕を上げ、その痛みを必死で抑えようとした。ところが
「「うおおおおお!」」
惇と万太郎は単にパンチを受け止めていたのでは無かった。双方の刃が巨人の手の甲に深々と刺さり、その上から二人の渾身の力が加わって、もはや持ち上げることさえままならない。痛みに耐えかね頭を振り乱す巨人。哲夫とフィロはそこから振り落とされないように飛び回り、それぞれ仲間が捕らえられた眼孔へと辿り着いた。
「哲夫さん! ここのガラスはとても厚いんです。オルギャノンも使い物にならないし――」
テレスの叫びを制するかのように、哲夫は不敵な笑みを浮かべた。その笑みが意味するものを察した少年が慌てて奥へと退いた直後、正拳突きの体勢で哲夫が穴の中に飛び込んできた。
「おい少年よ、オルギャノンは持っているよな?」
「あ、はいもちろん。ありがとうございます」
「しっかり捕まっとけよ。惇と万太郎が時間稼ぎしてるが、あいつらもそろそろ体力の限界だ」
哲夫はテレスをおぶさると割れたガラスの外へと飛び出した。ふと横を見れば、同じようにガラスを叩き割ったフィロが芽音を連れ出してくるところだった。
「よう、そちらさんも無事みたいだな!」
「何とかね。今回ばかりはご協力に感謝します。ありがとう!」
その時、突如ゴルギアスが首を大きく縦に振り、四人は反動で頭頂部に乗り上げてしまった。
「痛ってぇ……あの野郎、ヤケになりやがって」
哲夫が舌打ちしながら肩にかかった埃を払った時だった。突如彼の背後からライオンの首が飛んできて、その右肩にガブリと食らいついた。
「て、哲夫さん!」
慌てて駆け寄るテレス。哲夫は肘打ちでライオンの首を粉々にすると、腹立たしげに周囲を見渡した。揺れ動く頭頂部の根元から、ライオンや蛇、鷹など様々な動物の頭が沸いて来る。
「往生際の悪いやっちゃなぁ!」
哲夫の言葉に反応したかのように、猛獣たちの背後からカールマン自身が湧いて出た。
「それはこちらの台詞だ。どこまでもどこまでも私の邪魔をしおって……」
「お前が素直にオルギャノンを渡さないからこんなことになったんだろうがよ」
「黙れ! これで勝ったと思うなよ。貴様らは私の崇高な頭の上で猛獣に噛み砕かれて死ぬ」
「あほ抜かせ。自分の死にざまぐらい自分で決める。こっちにはオルギャノンだってあるんだ」
哲夫がテレスの肩を叩いた。その仕草は襲ってくる敵に備えろという警告の合図でもあった。
「死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね!」
カールマンの言葉に合わせて、猛獣たちの頭があらゆる方向から飛んでくる。テレスを除く三人は咄嗟に彼を囲うようにして背中合わせになり、各々の武器で獣たちを駆逐していった。
哲夫の鞭が鷹の嘴を砕く。フィロの刃が蛇の腹を串刺しにする。芽音の刀がワニの顎を裂く。
「どうするの? このままじゃ埒が明かないわ」
「そうだな。こうなったら心臓を撃ちぬくしかあるまいよ」
不意に哲夫がテレスの首根っこを掴むと、ゴルギアスの耳元まで走っていく。
「貴様! 自分たちだけ逃げる気か」
「ちょっと時間を稼いでくれるだけでいいんだ。こいつと二人でバカ騒ぎを終わらせてくる」
追いかけようとした芽音をフィロが制する。
「今は彼らに任せましょう。正直私も癪だけれど、この中で一番強力な切り札が、あの少年の持つオルギャノンであることも事実です」
哲夫は知の鞭を巨大な右耳に結びつけると右腕でテレスを抱き抱え、勢いよく飛び降りた。残された美少女たちは猛獣どもを切り伏せながら、二人が消えた先を見つめていた。
「わぁ~あああぁ~!」
上と下での大決戦が繰り広げられる巨大な身体の前を、知の鞭をしっかり握ってターザンのように舞う二人。予想外のスリルに絶叫するテレスの叫び声が、ターザンらしさを際立たせている。暴れ狂う巨人の身体を縫って少しずつ降りて行った二人は、やがて左胸まで辿り着いた。人間の身体で言えばちょうど心臓のある辺りだ。
知の鞭をしっかりと握りしめたまま、哲夫はその胸に耳を近づけた。本物の人体と同様に、ドクンドクンと心臓の鼓動が聞こえてくる。テレスはこのどう見ても生物ではない人造の巨人に生命活動があることに驚愕したが、哲夫はどうやらそれ以上に重要なことに感づいたらしい。
「テレス、ここをオルギャノンで撃て」
「え?」
「いいから早く。俺がしっかり支えておいてやるから!」
「で、でも……」
「急がないとみんな死んじまう。さんざん言ってるだろ。その銃はお前にしか使えない」
テレスは黙ってオルギャノンを見つめた。青白い光を放ち、飼い主になつくペットのようにほんのりとした温かみを醸し出している。成り行きでこんなことになってしまったが、冷静に考えればこの銃の詳細をテレスだけが全く知らない。この場にいる他の人間は皆これについて何かしらの知識を持っているようだが、一方で正当な所有者は自分しかいないという……
「まったく…………」
テレスは覚悟を決め、銃を構えた。心臓の鼓動が最も聞こえてくる位置を、正確に狙って。
「何がオルギャノンだよっ!」
テレスが引き金を引くと同時に、眩い光の筋が巨人の心臓を貫いた。同時に荒れ狂っていたゴルギアスがこれまでとは明らかに異なる、断末魔のような叫びを上げる。オルギャノンから放たれた一撃は黄金の胸元に風穴を開け、中から白草カールマンが飛び出して来た。
「よっしゃあ!」
哲夫がガッツポーズを決めた途端、巨人の身体がボロンボロン、ガラガラと音を立てて崩れ始めた。心臓部を撃ちぬかれたことでゴルギアスに死が訪れたのだ。
「フィロ様! 芽音!」
「先生!」
惇と万太郎が崩れ落ちる瓦礫の中から仲間たちを救い出そうと飛び込んでいく。解体されるビルのように土煙が舞い、雪崩のような勢いで瓦礫が散乱した。その喧騒がようやく収まり、巨人が跡形もなく姿を消した時、場内は再び暗闇と静寂に包まれた…………
「ぅ……ぅうう……」
薄れていた意識が回復していくと共に、哲夫はゆっくりとまぶたを開いた。体中に激痛が走る。巨人の心臓を撃ちぬいた後、崩れゆく瓦礫に紛れて数メートルの高さから落下したのだ。全身打撲は間違いない。しかし、起き上がれるということは幸いにも骨折はしていないようだ。
周囲を見渡せば、意識を失って倒れているフィロ、芽音、万太郎、そして惇の姿があった。少女たちはともかく逃げられたはずの男二人が何故ここに転がっているのか。己の身も顧みずわざわざ瓦礫の中に飛び込んできたとしたら、大した忠誠心だ。
そこまで思い立ってようやく、テレスの姿が見当たらないことに気がついた。
たちまち哲夫の背筋に悪寒が走る。他の連中を気にかけている暇などなかったが、少なくとも彼の身だけは意識を失う寸前まで守り抜いていたはずだ。はずだ……
「テレス……おーい! テレース! いるんだろ? 返事してくれ!」
哲夫は周囲を見渡しながら、何度も少年の名を叫んだ。脳裏に浮かんだ不吉な予感を必死でかき消しながら。惇やフィロ、その他タレス教団の者達は自分の意思でこの戦いに乗り込んできた。たとえ死んでも、それは彼ら自身も覚悟の上だ。しかしテレスは違う。友達を救おうとして成り行きから戦いに巻き込まれてしまった一般人だ。彼にもしものことがあったら……
「お…………おぉお!?」
祈るように空を見上げた哲夫の顔が、驚愕の色に染まる。天井は再び黒い影に覆われていた。しかしそれは、タレス教団の雨雲でも、破壊された天井から差し込む夜の闇でもなかった。
月灯りに照らされた白く、巨大な一対の翼が、まるで崩れ落ちてくる瓦礫から哲夫達を庇うかのように彼らの頭上を覆っている。
「何だ、これ……」
哲夫の呟きは、奇しくも彼がゴルギアス教団と戦い始めた時のテレスと同じセリフだった。彼の視線はやがて、不思議な翼の根元に散らばった瓦礫に埋もれている少年の姿と重なった。
「…………テレス・ニコマコス。オルギャノンの、真の所有者……」
哲夫は半ば放心状態になりながら、テレスの元へ近づいて行った。瓦礫をかき分け、少年の身体を抱き起こした時、哲夫の口からは無意識のうちに、感嘆の溜息が漏れ出ていた。
翼は、少年の背中から生えていたのだ。