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フィロ・タレス

哲夫の視線は、この場にいる誰よりも美しく、そして幼く見える一人の少女に注がれていた。レインコートとウエディングドレスを掛け合わせたような美麗かつ不思議な衣装に身を包み、両手には黒いレースの手袋をはめている。


身長は百五十センチほどで哲夫はおろかテレスより頭一つ小さい。雪のような純白のショートヘアの下には、これまたみずみずしく透き通った肌。

その小さな顔には天使のようなあどけない笑みが浮かんでいたが、やはり目だけはこれまで出くわした強者たちと同じく不相応なまでに鋭かった。


「よっ、教祖様」

 彼女の刺すような眼差しをものともせず、哲夫はカールマンの時と同様、友達に話しかけるような軽い口調で挨拶した。一方、馴れ馴れしく話しかけられた美少女は気分を害したのか、頬をぷくぅと膨らませてそっぽを向いた。


「あまり気安く話しかけないでください。あなたと私はあくまでも敵対関係にあります」

「そうツンツンむくれるなよ。キュートなお顔が台無しだぜ」

 場を和ませようとしたのか少女に向かってウインクを飛ばす哲夫――逆効果だったようだ。彼女は懐から二本のダガーを取り出すと、手袋を外すことなく両手に握りしめた。


「あれ?」

 テレスはふと、少女の持つ武器に違和感を覚えた。それもそのはず、彼女が手にしたダガーには持ち手の鍔より先が無く、一見すれば剣でも何でもないただの棒に過ぎなかった。

(正気かあの女の子? あんなもの両手に持ってどうするつもりなんだ……)


 テレスは思わず哲夫よりも彼女の身を心配していた。その視線に気づいたのか、少女は一瞬振り向くと、屈託のない微笑みをテレスの方に向けた。

「そこの方、ひょっとして私の身を案じて下さっていますの? ありがとう。でもご心配なく。このダガーは決して欠陥品ではありません。むしろ私の一族にしか扱えない特注品なのです」


 テレスに背を向けた少女は両腕をぎゅっと握りしめた。小さな身体に秘められた全神経が、両手に集中していく。その様子が、哲夫が知の鞭を取り出した動きと酷似しているとテレスが気づいた瞬間、噴水の水が噴き出すような音とともに、短剣のつばから青い刀身が姿を現した。刃渡りおよそ二十センチ。鋭利な刃物の形を保っているが、その表面からは向こう側が透けて見える。理屈は解らないが、少女は哲夫と同じように体内から水の刃を生成したのだ。


「おお出た出た! 教祖フィロ・タレス様の切り札が」

「笑っていられるのも今のうちですよ」

 水の刃を構えたまま、フィロが突然哲夫に突進してきた。これまで彼に襲いかかってきた、どんな敵よりも素早い。一瞬で彼の眼前に詰め寄ると、その刃で勢いよく切りつける。


「わぁお!」

 流石の哲夫もあまりのスピードに気圧されたらしい。すんでのところで致命傷は避けたが、かすった刃先が右頬をぱっくりと切り裂き、舞台上に真っ赤な鮮血が飛んだ。

「いっちち……」

 右手で頬を抑え、左手で鞭をしならせる。フィロが飛び退いたと同時に哲夫も距離を取った。


「だから言ったでしょう? 笑っていられるのも今のうちだと」

 フィロの勝ち誇った声が会場に響き渡る。彼女は息一つ上げることなく、悠然と哲夫の前に立っていた。対する哲夫は血に濡れた頬を抑え、膝を着いている。舞台の床をぶち抜き、黄金のライオンの首をへし折り、四方八方から襲い来る刀剣をいなした男。そんな奴に一撃で血を流させ、膝を着かせるとは。これが亜帝内あていないで最も影響力のある三大教団の一角、タレス教団の教祖の力だというのか。テレスの全身を、恐怖と畏敬の入り交じった震えが駆け抜ける。


「テレス、おいテレス! 何ぼさっとしてんだよ! 逃げるぞ早く!」

 執拗に肩を叩かれ、テレスははっと我に返った。見れば必死の形相を浮かべたアンディが、さっき自分に何をしようとしたのかも忘れて客席へ避難しようと袖を引っ張っている。


「あ、あぁごめん。そうだね、逃げよう」

 彼の手を取り舞台を駆け下りようとしたその時、混乱に乗じて一人逃げ出そうと石段の裏に隠されたエレベーターを降りるカールマンの姿が目に留まった。

その途端、テレスの胸にふと熱いものがこみ上げて来る。それが一人逃げ出そうとするカールマンの卑怯な姿に対する怒りなのか、窮地に立たされた恩人を救わなければという使命感なのかは彼自身にも解らなかった。

「おいテレスどこ行くんだ。おーい! ……ん? あれは先生! カールマン先生!」

 気づけば少年は、友の声も無視して走り出していた。全ての発端である男の背中に向かって。


「うわぁ来るな! ……なんだ脅かすなテレス・ニコマコス。これ以上私に干渉しないでくれ」

追いついて来たのがテレスと解るや否や、うるさい蠅を追い払うように杖を振るカールマン。そんな彼の姿を見た少年は迸る思いを両腕に込め、男の肩を激しく揺さぶった。

「あんたそれでも賢人ですか! 今ここで起こっていることの元凶は、あなたなんでしょう?」

「知ったことか。どちらも勝手に割り込んでショーをぶち壊した邪魔者に過ぎん。ああ、私がステインに君を殺させようとしたと逆恨みしているんだな。あれも元は彼が勝手に考えた事だ」


 あまりの白々しさに思わず肩を握る手が震えるが、その怒りをぐっと抑え、男に詰め寄った。逃げ出そうとする彼を捕まえたのはそんな小さな理由ではない。

「オルギャノンを、渡してください」

「はぁ!?」

「あなたが持っているオルギャノンを僕に渡してください。哲夫さんは確かに僕とアンディのいざこざに乱入して来た。でも彼の――そしてタレス教団の狙いはそうじゃない。彼らにとって僕やアンディ、そもそもゴルギアス教団のことは別にどうでも良かった。全てはカールマン、あなたがずっと持っているその銃の奪い合いなんでしょう? この不毛な争いを終わらせ哲夫さんの命を救うには、そのオルギャノンをタレス教団に引き渡すしかないんです」

「ふざけるな! 奴が死んだところで私には何の責任もない。むしろ敵が減って大助かりだよ」

「彼のことだけを思って言っているんじゃありません。タレス教団はあなたがオルギャノンを取り出した途端に現れた。その銃が誰の手にあるのか確かめるために。

タレス教団は本来なら真っ先にあなたを狙ってきたはずです。でも哲夫さんがその前に立ち塞がった。解りますか? 本人にその気が全くないとしても、結果的にあなたは哲夫さんに命を救われているんですよ」


 少年の説得が僅かでも心に響いたのか、黙って立ち尽くすカールマン。そんな彼に銃を渡すよう迫るテレスだったが、ふと背後に気配を感じた。振り返ると、一目散に逃げだしたはずのアンディが立っている。

「アンディ……」

「大丈夫か? カールマンも一緒みたいだな。さぁ、今のうちに早く逃げよう」

「哲夫さんは?」

「大丈夫、まだ生きてるよ。彼のことよりもほら早く、逃げよう」

「アンディ、悪いけど先に行っててくれ。僕にはまだやることがある」

「なに? 馬鹿なことを言うなよ。お前みたいな一般人が出て行ったところで何になる」

「彼らと戦うつもりはないよ。これを渡せば、命までは取らない筈だ」


 テレスはオルギャノンを持つカールマンの右手首を握り、アンディに見せた。本当なら自分が奪い取っておきたいところだったが、この教祖は死んでも銃を手放さないつもりだ。

「オルギャノン……」

「ここは僕に任せて、君は早く逃げるんだ」

「いや! 俺が行こう」


 テレスの予想に反し、アンディは食い下がった。その顔にはここまで散々醜い部分を露わにしてきた男と同一人物とは思えない、凛とした表情が浮かんでいる。

「俺は今夜、君を巻き込んでこんな目に遭わせてしまった。だからせめてこの身をもって、その償いをさせて欲しい。頼む! 友よ」


「……そうか、解ったよ」

 テレスはカールマンの右手をぐいと突き出すと、自分は二人の間に引き下がった。

「あ、おい何をする! お前達だけで勝手に話を進めるな。これは私の――」

「抵抗するなら、この杖であなたの頭蓋骨を砕きますよ」

 氷のような声でテレスはカールマンを脅しつけた。その手には銀の杖が握られている。

「き、貴様! 私の杖をいつの間に……」

 抵抗するカールマンを、テレスは眼差しだけで黙らせた。

「では、こちらに」

 カールマンが渋々アンディにオルギャノンを委ねようとした瞬間


「うりゃあ!」


 テレスは銀の杖を、脳天に向かって振り下ろした。カールマンではなく、アンディの。

 杖の先端が頭部に直撃した瞬間、そこからつま先に至るまで、全身をどろどろと流れ落ちるものがあった。血ではない。そもそも赤くない。水だ。滝に打たれたかのように大量の水が、アンディの肉体を覆い尽くし、同時にその顔を、服を、髪を、皮膚を剥ぎ落としていった。


 混乱するカールマンを尻目に、テレスの眼前でその人物は正体を現していた。あと一歩まで彼らを騙し通せていた化けの皮。その全てが剝がれ落ちた時、アンディが立っていた場所には頭を押さえてうずくまる女侍、穴櫛あなぐし芽音めねの姿があった。

「こ、こいつは……!」

「危なかった。もう少しで騙されるところだった。どういう理屈か知らないけど賢人たちが不思議な力を使いこなせるということは解りました。だからあなたがアンディそっくりに化けることができたとしても、特に驚きはしません。ただ、あなたは三つの過ちを犯した。それさえなければ、僕はとっくにオルギャノンを渡していたでしょう」

「三つの……過ち……?」


「一つ、あなたはカールマンのことを呼び捨てにした。本物のアンディは僕と逃げようとした最中にも、彼の姿を目にしたら先生と呼んでいました。変に律儀なとこがあるんですよ。彼は」


「二つ、僕がこの銃を見せるとあなたはオルギャノンと呼んだ。でもアンディは、哲夫さんとカールマンがやり取りしていた時、まだ意識を取り戻していなかった。だからこの銃の名前がオルギャノンだということは知っているはずがないんです」


「そして三つ、これは僕にしか解らないことなんですが、あなたにとって最大の失敗だった。アンディはあなたのように凛とした、まっすぐな目はしていない」


 テレスの言っている意味が解らなかったのだろう。前の二つまでは納得していたカールマン、自分の失敗を嚙みしめていた芽音めねが、三つ目を聞いた途端ほぼ同時に口をポカンと開けた。


「目の色が違うとか、そういう肉体的な問題じゃないんです。彼は自己犠牲なんて高尚な精神は持ち合わせていない。こういう場に直面したら、本物の彼なら全部僕に押しつけて逃げます。もちろん彼の良い部分もたくさん知ってる。でも少なくとも、アンディ・ステインという男は愛とか、友情とか、形の無いものの為に自分の身を危険に晒すことができるほど強くはない」


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