いざ沼の奥地へ
イリヤは苦手な浮遊魔法の特訓をしている。まず頭に浮かびそうな物を想像して、その上に仲間を乗せて浮遊している姿をきっちりと映像で脳内に反映させ、現実のビジョンとして出す。地味な空想の映像化の繰り返しだ。
「防御魔法や攻撃魔法ならビジュアル的に、きらびやかだったり、カラフルだったりするよね。これはひたすら地味!だから嫌なの」
「必要なんだから練習練習」ガウンテの激が飛ぶ。
イリヤは集中するために、地面に敷物を置き、その上で胡坐をかいて、ビジョンに精神を投入している。本来はどんな状況でも、イメージできるようになるのが理想だが、まだ習得には時間がかかるようだ。
実験台になるのは、イリヤ一人。成功すれば、徐々に人数を増やして、最終的には三人ほど浮かべて移動させれば完成になる。まず自分が動かない様では話にならない。そこの所はラハトバッサで一、二を争うといわれただけのことはある。苦手ながらも、浮遊して移動するところまで、すぐに到達できた。
もちろん、沼の水面に移動できたとしても、そこで精神力が持たなければ沼に落ちる。イリヤは失敗が怖くて中々、水面に動き出せずにいた。
「イリヤ、早くこっち来いよ」シーラッカが叫ぶ。シーラッカは沼に膝までつかって、凶暴なカメと対決している。中型サイズのカメだが首が異様に長く、しつこくひと噛みしようと狙ってくる。指で背中の甲羅でも一突きするだけでいいのだが、長く伸びる首が、背中へ手を伸ばす行為の邪魔をする。
沼の底は滑るので、シーラッカは杖で身体を支えており、片手しか使えない。おまけに、水中での攻撃になるので、水の抵抗が邪魔をして、最小の攻撃をするはずが、ただ触れたような、攻撃以前の行動になってしまう。
「よし、もう大丈夫だろう。イリヤ、沼の奥まで飛んで行け」ガウンテが命令する。
「いや、もう少し精度を上げないと、フードとシューズが濡れたら嫌じゃない」
「一人乗りだし、ぐずぐずしてると、シーラッカのピンチだぞ」
「はいはい。わかりました」イリヤは嫌々ながら、浮遊して、シーラッカのいるあたりよりやや岸寄りに移動した。
浮遊のイメージを保ったまま、もう一つ魔法を使わなくてはならない。二種の魔法同時使用は、イリヤにとってもやや難しいレベルになる、イメージの保持が切れて、沼にドボンでは格好がつかない。脳内で二つのイメージを重ねたまま、出力することになる。複数魔法の同時出力が苦手な者は多い。
服が濡れるのが嫌なイリヤは、攻撃補助ではなく、攻撃魔法を唱えた。
「コールドブリザード」イリヤは気温を下げて、沼を凍らせた。薄氷が沼の表面を覆う。少し威力が弱かったようだ。浮遊状態の保持に気を取られたせいだ。
「冷たい!」沼の中にいたシーラッカは、悲鳴を上げた。
「ごめんね。沼が凍れば落ちても大丈夫だと思って」
水温が下がったことで、カメの動きが鈍くなった。
「シーラッカ、沼の泥を足でかき混ぜて」
「ひー冷たい」シーラッカが沼の泥をかき混ぜると、動きの止まったカメを巻き込んで渦潮のごとく回り始めた、丁度よく、ミニマム攻撃になってカメはひっくり返った。もちろん、沼の水温が低下したことによるダメージも、間接的に働いている。
その後、ガウンテの工房に戻って、今日の訓練の反省会をする三人。
「今回は使う魔法が大きすぎたようだな」とダメ出しをするガウンテ。
「コールドブリザードじゃダメなんですか?」と不満そうな表情のイリヤ。
「カメ相手に大げさすぎる。動きを止めるだけでいいだろう」
「僕もあれは良くないと思う。まだ足のしもやけが治らないや」シーラッカが膝のあたりをかきむしりながら話す。
「じゃあ今度から、かるーい魔法を使うわね」イリヤは目をつぶって吐き捨てるように答えた。
「イリヤ、少し反抗的すぎやしないか」とガウンテがたしなめた。
その一言がくすぶっていたイリヤの心に反応した。
「訓練に従ってるし、勉強もしてるわ!私のどこが反抗的なのよ!」
「よくやってるとは思うけど、うーん」シーラッカは続ける言葉が思いつかず押し黙ってしまった。
「もうあたし、帰る」イリヤは、工房のドアをわざと大きな音を立てて閉めた。
「彼女はプライドが高いな」ガウンテは、どうしたもんかといった表情で頭をかいている。
「痛いところを突かれたから、気に障っているんだろうな」シーラッカが付け加えた。
「泥をかき混ぜることがミニマムになるという発想は良かったんだが」ガウンテが珍しく褒めたが、もう当人はいない。
「やっぱりガウンテはいけ好かないわ」路地を抜けて、裏通りを歩き続ける最中、イリヤは独り言をつぶやきながら、そこいらの雑草や虫に小さな魔法をかけて、憂さを晴らしていた。まるで物に当たる幼児のように。「あたしだって努力はしてるわよ。それを何よ」イリヤの愚痴は、自宅である集合住宅の一室に着くまで続いた。