ユメノセカイノユメ
「サキ、最近あかるくなった?」
級友の言葉に、そうかな?と首を傾げながら笑う。
いつも通り、曖昧に。
「もしかして、休んでた間に彼氏でも?」
そんなんじゃないよーと否定しつつ苦笑する。
「調子悪かったのにそれは無いってば」
このあいだまで数日間、わたしは体調不良を理由に学校を休んでいた。
でも本当は、普段と変わらない、むしろ気分は良いくらいの体調だった。
「じゃー何が?」
「テストの点メッチャ良かったとかとか?」
「サキはいつも良いから。アンタとは違うの」
うぐっと胸元を押さえる級友、ミサはすぐに「あ、そろそろ行かなきゃ」と、教室を駆け出ていく。部活動の開始時間が迫っていた。それを見送り、他の3人の顔がわたしの方へと向く。
わたしを含めてこの5人は、高校に入ってから親しくなった、良く行動を共にするメンバーだった。
何もないってばーっと、教科書類を詰め終わった鞄を手に立ち上がる。
「アタシはみんな置き勉なのに」
サキはマジメだなーっと、アオが呟く。
玄関へ向かって廊下を歩く。
「家で復習しないと、取り戻せないから」
偉いなーあんたはと、他薦により級長も務めるアオがわたしの髪をかき混ぜる。
「そんなこと言いつつこないだのもクラス1番でしょ?」
そんなことないよ、と振り向くと、じゃぁ何番よ?とアオに返される。
「総合は3番。」
「ちなみに国語だけはいつも私が1番」
細い黒フレームのメガネにおさげの、ついでに前髪を眉の上でまっすぐ切りそろえている、お堅い委員長像を現実にしたような外見のユウが告げると、それはまぁ知ってるけどさ、とアオがつまらなそうにする。
「ユウには聞いてないのに」
玄関で外履きにはきかえて、電車組と自転車組で別れてまた明日と手を振りあう。わたしは前者で、無口なマイと一緒に駅まで数分の距離を歩く。
寒いねーと話しかければ、今日の最高気温は8度らしいよ。と返ってくるけれど、それを発するマイの首や頬は外気にさらされていて寒々しい。
駅に着くと、逆方向だからそれぞれのホームに別れる。
+ + +
「ただいまー」
おかえり、とお母さんの声がする。
リビングに寄らないで自分の部屋に入って、着替えをして、今日出された課題を片づける。
終わった頃に伸びをして、気づけばもう日は暮れていることをカーテンの向こうから感じる。
晩御飯を食べないと。
リビングをのぞくと、電気がついている。
冷蔵庫の中に入っている作り置きのおかずを好きに選んで温めて、一人で食べる。
きっとお母さんは、知らないうちに仕事に出ていったんだ。お父さんは仕事が忙しいのか、あんまり帰ってこないから、一人で食べるご飯には慣れてる。
食べ終わったら食器を洗って、棚に入れて、お風呂に入ったら、もう眠る時間。
いい夢が見られるように、暖かい布団の中で。
* * *
目を開いて少しすると、天井の壁紙に焦点が合う。
ぼんやりとしていた頭が、はっきりとする。
誰の声もしない。
まだ時間が早かったのかなと、時計をみる。
お母さんが帰ってきていてもおかしくない時間。
でも、帰っていないことも多い時間。
ああ、学校へ行こう。そうして、みんなと会うんだ。
朝早くから部活をがんばっているミサの姿を見て、いつも一番に教室にいるマイにおはようを言って、ユウがきて、部活を終えたミサがいつもぎりぎりに登校してくるアオと一緒に教室に駆け込んできて、授業を受けて、みんなとお昼ご飯を食べて、午後の授業を受けて別れる。
それがわたしの、日常なんだ。
でも、どうしてかな。
おなかが痛いんだ。
いつもは平気なのに、今日だけは、我慢できそうにないの。
鎮痛剤、棚にあったかな。
見に行こうと思って、いつものように体を起こそうと思って、バランスを崩す。
手が痛いんだ。
上半身の重さを支えられなくて、ベッドにぼふんと倒れ込む。
何かあっただろうかと思いだそうとして手を見ると、ぐちゃぐちゃに巻いてある包帯の一部が鉄錆色をして、パリパリだった。
おかしいな。昨日、きれいなのに変えたはずなんだけど。
そういえば、足も痛いような気がする。
尺取り虫みたいに背中を曲げて、布団の中をさわったら、じめじめしてる。足に触ろうと手を動かしたら、なにか柔らかいものに当たって、どこかが痛んだ。
布団を這い出て、低いベッドの縁に腰掛けて足をのばす。手の痛みは、少しなら我慢できた。足の表面には粉っぽいものがついていたけれど、どこにもいつもと違うものはない。
足の痛みは、たぶん気のせいだったんだ。
今日は早めに、学校へ行こう。そこで、みんなに会いたい。
朝早くから部活をがんばっているミサの姿を見て、いつも一番に教室にいるマイにおはようを言って、ユウがきて、部活を終えたミサがアオと一緒に教室に駆け込んできて、授業を受けて、みんなとお昼ご飯を食べて、午後の授業を受けて別れる。
そこに行けさえすれば、日常がある。
シャワーを浴びて汚れを落として、ちゃんと真っ白な包帯に変えて。長袖の制服を着て、厚手のタイツをはいて。お弁当の準備をして朝御飯を食べて、鎮痛剤を飲んで。
「いってきます」と言うと、お母さんの行ってらっしゃいが聞こえる。
駅で電車に乗る。
いつもの時間は押し出されて線路に落ちるんじゃないかってくらいに混むことも多いけれど、早い時間だから、あんまり混んでない。
低い位置にある太陽に照らされて、ミサが走っている。練習の最初にするウォーミングアップだったかな。
教室についても、マイはまだいなかった。
自分の席について、鞄から用具を出して机に入れる。
窓際の席で、太陽に照らされていると眠くなってきた。
うとうと、うとうと……──。
* * *
「今日は午後練休みなんだけどさ、サキ、空いてる?」
お昼休み、他愛もないおしゃべり。
ミサがサンドイッチを頬張りながら言葉を発して、いつも通り、アオに注意される。
「ちなみに私は予定ある」
「ユウには聞いてないってば」
ミサは口の中身を飲み込んでから応じた。
「サキ、休みあけてから変わったかなー?と」
級友の言葉に、そう?と首を傾げながら笑う。
「なんか良い事あったー?」
「もしかして、カレシ氏!?」
そんなんじゃないよーと否定しつつ苦笑する。
「じゃー何があったの?」
何もないってばーっと、中身を食べ終えたお弁当箱を風呂敷に包みながら答える。
「その辺聞きたくってさー。放課後時間あったらじっくりと思ったんだけどけど?」
「ごめんね、今日は用事があるの」
わたしはいつもどおり、放課後の誘いをこの言葉で断る。
「その答えはいつも通りだけどさー……」
「内容もいつも通りかはわからないね~」
ミサの言葉に、ユウが続けた。
「詮索は、ダメ。」
無口なマイが珍しく口を開く。
3人の視線が、わたしに向く。
そこで、予鈴が鳴った。
午後の授業は別段何もなく、放課後を迎える。
「サキ、やっぱり空けられない?」
先生が教室を出るなりわたしのところに駆けつけてきたミサに、ごめんねと苦笑を返す。
玄関で外履きにはきかえて、電車組と自転車組で別れて「また明日」と手を振りあう。マイと2人で駅まで数分の距離を歩くはずが今日はいつもと違って、ミサが「駅まで」と言って自転車を引いてついてきていた。
「何があったか、話してくれない?」
そう言われてもわたしは、何もないよといつも通りに答えるだけ。
駅について、じゃあここでと手を振ろうとしたら、ミサに引き留められる。「自転車おいてくるから、それまで待っててね」と彼女は駐輪場の方へ向かった。
先に行っててと別れを告げると、マイは頷いて階段を上っていく。
ミサはすぐに戻ってきたのだけれど、マイの姿がホームに現れるまで何も言わなかった。
「サキさ、本当に、何があったの?」
何もないよと、また答える。
「お母さんたち……家の人、と、何かあったんじゃないの?」
何もないってば。いつもどおりだよ。と、そう返すことしかできない。
「いつも──いつもどおりって、どういうこと……?」
そんなことを言われても。
わたしはいつも、同じようにしていたいだけなのに。
「いつもどおりは、いつもどおりだよ。」
なんだか今日のミサは、いつもと違う。
「サキさ、いつも、長袖だよね。」
「今は冬でしょう?」
「足もタイツはいてるけどさ、わかるよ。」
「わかるって、何が?」
「何かあるんだよね。……時々、腫れてるよね。」
腕も、足も。
首元にも、痣が見えるよ。
「体育のときとか、動きぎこちない。
痛いの、我慢してるみたいに。」
そう、サキは続ける。
「隠そうとしてるんじゃないの?」
わたしは何も言わない。
自分の足を見下ろす。
膝の下までくる、みんなよりも長いけれど校則どおりのスカート丈。
「タイツの下、包帯とか巻いてるの? テーピングってこともあるかもだけどさ」
意識すれば、すぐにわかる。
「気づいてる人は、気づいてると思うよ」
顔を上げれば、そこにミサの顔がある。
わたしよりも整った、よく動く顔が。
「何かあったなら、知りたい。
力になれるなら、なりたい。」
アタシは、友達だと思ってるから。
そうミサは言って、わたしの手をつかんだ。
わたしよりも綺麗で、力強い手が。
とっさのことで、避けることができなかった。
痛みがあった。顔に出たのかな。ミサがごめんと言って、わたしの袖をめくる。長袖のシャツが隠しているわたしの腕。それもめくられて、包帯に隠されているわたしの腕。
ミサと違って形の悪い、醜い腕。
「これ、病院で見てもらってないんじゃない?」
包帯の巻き方がおかしい。とミサは言う。
包帯越しでもわかるように、わたしの腕には凹凸がある。
ミサはそれをお天道様から隠すように、シャツと制服の袖をそっと戻した。
「ごめん」
ミサは繰り返す。
よく笑うその顔をゆがめて。
「でも、力になれるなら、なりたい。頼ってほしい。」
いつも通りに、苦笑して、曖昧に首をかしげることが、できなかった。
「ごめん」
わたしは鸚鵡返しに、そう呟くだけだった。
* * *
「ただいまー」
お母さんの声はない。
リビングに寄ってから自分の部屋に入って、着替えをして、今日出された課題を片づける。
終わった頃に伸びをして、カーテンの向こうに夜を感じる。
殆ど使われないわたしの携帯電話。机の上に置いてあるそれがタイミング良く震えた。
確認すると、メールが届いていた。3件。
一番新しいものは、マイからだった。
晩御飯を食べないと。
リビングに行って冷蔵庫の中に入っている作り置きのおかずを好きに選んで温めて、一人で食べる。
お母さんは、今日も仕事に出ていったんだ。お父さんもまだ仕事中かな。
食べ終わったら食器を洗って、棚に入れて、お風呂に入ったら、眠ろう。
悪い夢を見ることがないように、暖かい布団に包まれて。
* * *
目を開くと入ってくる見慣れた机。
ああ、学校で、眠ってしまったんだっけ。
いつも一番に教室にいるマイは、ちゃんとマイの席に座って読書していた。おはようを言うと、顔を上げて、返してくれる。
何か、夢を見ていた気がする。
「良い夢は見られた?」
ユウが出入り口から教室に入ってきて、開口一番そう口にする。
「見てたの?」
「寝起きっぽい顔してるから」
隣の席に座って、寝癖ついてるぞとわたしの頭に手を伸ばす。ぼんやりしていて避けることを忘れていて、わたしの頭に触れそうなその手をマイがつかんだ。
「サキは自分で、直せるから。」
これはユウに。
「鏡見て、くれば?」
これはわたしに、マイが言った。
それに従うようにして教室を出たけれど、鏡はいつも持ち歩いているから本当はその必要はなかった。寝癖を直して教室へ戻ると、いつもと違ってアオもそこにいた。
「おはよ、サキ」
「おはよう。早いねアオ」
人が増えていく教室。他愛もないおしゃべりが、そこここから聞こえる。
部活を終えたミサたち運動部組がいつも通り教室に駆け込んできて、授業を受けて、みんなとお昼ご飯を食べて、午後の授業を受けて別れる。
それがわたしの、日常なんだ。
* * *
いつものメンバーに囲まれて、教科書類を鞄に詰める。
鞄を手に教室を出る。
校門の前で電車組と自転車組で別れ、「また明日」と手を振りあう。わたしはマイと一緒に駅まで数分の距離を歩く。
今日は何も話しかける気にならなかった。
「……サキ、えらくない?」
珍しく、マイの方から話しかけてくる。
この言葉は大変じゃない?と心配しているのだと、きちんと受け取れる。どこかの方言なのか、マイの独特な言い回しかは未だ判断できてない。
「変わりないよ?」
こんなやりとりを、別の人ともした気がする。
「うち、来ない?」
こんな誘いは初めて。
「どうして急に?」
マイは首を傾げる。
「なんと、なく?」
「お家の方に悪いよ」
「私の他には、いない」
「でも……」
なんやかんやと、わたしは言い訳をした。長くない駅までの道。結局それはうやむやのまま、駅に着いてしまった。
* * *
駅に着くと、逆方向だからそれぞれのホームに別れる。電車を待つ少しの間だけれど、手持ちぶさたになってふと顔を上げると、線路を挟んで向こう側のマイの姿が見える。小さく手を振ると、電車が滑り込んできたから、振り返してくれたかどうかはわからなかった。
なんとなく、その電車を見送る。
そこにはまだ、マイの姿があった。
マイの目は、わたしを見ていた。
その顔は、微笑んでいるように見える。
どうしたんだろう。
時刻表を見る。次の電車まで、少し間があった。
反対方向の時刻表も確認する。マイが乗るらしい電車まで、数分。
またマイの方へ視線を向けると、マイは立ったまま読書に耽っていた。さっきのは気のせいだったのかな。そう思っても、記憶にははっきりとあの笑顔が焼き付いている。
歩道橋を急いでわたって、反対のホームに降りる。マイのそばに行くと、どうしたの?と、先に気づいて声をかけてくれる。
「さっき、わたしのこと見てた気がして。
言いたいことでもあったのかと思って」
そう言うと、気づいてたの。と、つぶやかれた気がした。
「来て、ほしくて」
「ここに?」
それにマイは首を振った。
「私の、うちに」
「……どうして?」
「話したい、ことがある」
「ここでは話せないの?」と言いかけて、マイの言葉が続いているのに気づく。
「見せたい、ものも。」
こう言うからには、学校に持ってくることのできないものなのだろうと思って、頭の中の予定帳を開く。
「……明後日は、だめ? 用意するから」
「今日、しかない」
「どうして?」
「それも、うちで話したいこと」
電車がホームに滑り込む。
「一旦家に帰ってからでもいい?」
「泊まりじゃなければ、何も要らない」
言い訳を並べているうちに、電車はホームから滑り出ていった。
反対ホームに、わたしの帰る方向の電車が入れ違いに滑り込んでくる。
「あれに、乗って帰るか、次の電車で私のうちに、来るか、どっちか」
迷っているともちろん、電車はホームから滑り出ていく。
数分停車するはずだから、迷っていた時間はそれ以上ということになる。
「私のうちに、来てくれる?」
そうしてわたしは、マイの家に行くことになった。
すいている電車の中で二人並んで立って、何も話すことはなかった。
「料金は、足りてる?」
改札を通る前にそう聞かれて頷いたのだけが、会話らしい会話だったかもしれない。
駅から15分ほど歩いたマンションに、マイの住居はあった。
核家族が住んでいそうな広さのそこに、マイは一人暮らしをしていると言う。どうしてだろう。
エレベーターを使わないで非常用っぽい階段を上って、3階。扉を開けて階段室を出たすぐそこの部屋が、マイの住居らしい。鍵を開け、わたしを中に通す。マイも後から入って、後ろ手に鍵を閉める。チェーンをかける。
室内は、外と同じくらい寒かった。
どこかの部屋の換気扇が回っている。
玄関を入ってすぐに横に延びている廊下の壁は、所々凹んでいた。野球ボールよりも大きい何かがぶつかったようなところもあった。その周りには、鉄錆色のシミが広がっていたり、飛び散っていたりする。
まるで、わたしの家と同じように。
「何か、あったの?」
「わかるかなと、思って」
「なにを?」
「サキならここで、何があったか、なんとなくでも、わかるかなと、思って」
そう言ってから、「こっち。」と、マイは部屋に入っていった。
そこはリビング。廊下と同じような状態の壁。棚のガラスはヒビが入っていたり、割れたりして。ベランダに繋がる窓には半ばほど段ボールがガムテープで張り付けてあった。足下には絨毯かラグの日焼け跡のようなものと、それに重なる黒いシミ。
「これって、何が……」
ぼんやりとした頭で考える。
「サキなら、わかるよね」
わたしなら、どうして、この光景の理由がわかるのか。
「同じはずだから」
何が、同じなのか。
「私はいつもここに、いたの」
マイは、対面式キッチンの奥に立っていた。キッチンのこちら側からは見えない。
そこは一番奥。突き当たり。
どこにも、逃げ道はない。
回り込んでマイの足下をのぞくと、暗くてわかりづらいけれど、凹みと、小さな傷跡が集まっていた。
「ここで膝を抱えて、静かになるのを待ってた。」
静かになる。
何が?
音。
──それは、「声」。
ここではないどこか、わたしの目の前に広がる闇。
お父さん、どうしたの? お母さん、どうして?
「頭を抱えて、耳を塞いで。聞こえないふりをするの」
何かが壊れる音も、硬いものがぶつかる音も。
自分に言い聞かせる。思いこむ。それが真実だと。
お母さんは怒鳴ってない。お父さんは泣いてない。
「そして静かになると、今度はわたし。」
泣いても笑っても叫んでも黙っても、変わらない。
気づけば時間が、過ぎていた。何も起こってない。
家の中が汚いのは、ちょっと掃除が苦手なだけで。
体中が痛くても、きっと転んだか、寝違えたんだ。
「現実から少しでも目をそらすために、私は感覚を手放した。」
マイはリビングの端にある障子を開けた。
「でも私のお母さんにとっては、ここは夢の中だったみたい。」
障子の向こう、隣の部屋にあるものを、わたしは認識しない。でも、何かがすとんと腑に落ちた気がした。
わたしの家にも似たようなものがあるなと、それだけは確かで。
「お母さんはお父さんと、夢から醒めることにしたの。」
本当は私も一緒にって言ってたけど、私の現実は、ここだから。
その言葉の真意を、わたしは汲み取らない。
「サキもここが、現実なんでしょう?」
これは夢だ。
そう気づく、不思議な感覚。
でも、まだ醒めない。
醒めるのは、もう少し先。
それがなぜか、わかるんだ。
わたしは駆け出そうとした。
マイがわたしの腕をつかんだ。
「今日、泊まっていかない?」
+ + +
ぼんやりとしていたみたいで、頭がガクンと揺れたことに気づいて目が覚める。
夢を見ていた。
あまり、気分の良くない夢。
でも、どこからが、夢だったんだろう?
どこまでが、夢なんだろう?
今は、学校に行く途中。家の最寄り駅で電車を待つ少しの間だけれど、手持ちぶさたになってふと顔を上げると、線路を挟んで向こう側にマイの姿が見えた気がする。
いつも通りの人ごみの中、急に足下が不安定になった気もする。
マイの顔が、笑っている。
これは、夢だ。
だって、マイがここにいるはずがないんだから。
この世界は、夢なんだ。
だって、お父さんも、お母さんも、笑って、行ってらっしゃいと言ってくれるはずなんだから。
今は、夢の中にいるんだ。
だって、あんなことが本当なら、わたしはもう、いつも通りにできないじゃないか。
夢の中で夢を見てたって、なんだか不思議。
夢が醒めたら、いつも通り学校に行って、わたしの日常を過ごすんだ。
早く醒めないかな。
夢の中で死んだら夢から醒めるなんてこともあるっけ。
そうか。
試してみればいいのかな。
相変わらず、向かいのホームの人ごみを背に、マイは笑ってる。
マイ、どうして笑っているの?
今から、訊きにいくね。
わたしはマイに向けて、見えない道への一歩を踏み出した。
ここは夢なんだから、何が起こっても、不思議じゃない。
ここは夢の中。道が見えなくったって、向こうまで歩いていけるんだ。きっと。
きっと。
ああ、そういえばもう、電車が来る時間だったっけ。
なんだか耳障りな音がする。
早く目を覚まさないと。
朝ご飯を食べて、学校に行くんだ。
そこに行けば、わたしの日常があるんだから。