第8話 『ありきたりな青臭い話』
翌朝、月曜日。普段通りに制服に着替えて、髪を結う。きっちり一本に結べば、女子中学生モードだ。
普通に登校して、普通に教室の扉を開けた。すると、なぜか教室が静かになった。
なんとなく、不穏な気配を感じ取り、身構えながらも自席に座る。クラスメイトの視線が刺さる。
なんだろう。今日のポニテ、おかしいかな? そう思って、髪を気にしていると。
「神崎さん! 文化祭の日に告白されたって本当なの!?」
いきなり詰め寄ってきたリーダー格の女子。単刀直入すぎる質問にちょっとびっくり。
昇降口での出来事だったのでやっぱり誰かに聞かれていたようだ。まあ、仕方ない。
何はともあれ、済んだことだ。ラノベを読んで気分転換したので、そんなに気にしてなかった。
だから私は、ありのままを口にする。
「うん。本当だけど、それがどうしたの?」
「そ、それで、振ったって聞いたけど……?」
「うん。付き合えないって言ったよ」
ここまで広まってるなら、別に隠す必要はない。やましいことはなにもなかったし。
もちろん、自慢をするつもりはない。それは、告白した彼らにも失礼だろうし。
だから、ありのままの顛末だけを話すとリーダー格の女子は暫し絶句してから、何故か睨んできた。
「……ずるい」
「は?」
「ずるいずるいずるい! 神崎さんばっかり得してずるい!!」
ヒステリックにずるいと叫ぶリーダー格の女子。いつもの癇癪だろう。気にすることはない。……と、傍観者の立場ならば、そのように無関心でいられるのだけど、今回は私が当事者だった。どうしてこうなった?
考えてもわからない。なにもかも、さっぱりだ。そもそも、ずるいってなんだ?
困惑していると、伴奏の女子がこちらに歩み寄って来て、一言。
「私も、ずるいと思う」
「はい?」
まさかの追い打ち。いつも微笑みを絶やさない彼女が、今日はとても悲しそうな顔をしていた。
そしてその負の感情は、他の女子たちも抱いているらしく、敵意を孕んだ視線がいくつも刺さった。
ひそひそと、陰口が囁かれる。最初からこれが目的だったとか、男好きとか、独り占めとか。挙句の果てにビッチとまで呼ばれる始末。こんなツルペタな私がビッチとか、そんなわけあるか。
そこでようやく私は事の重大さに気づいた。すこぶる不味い状況だ。完全に悪者扱いだ。
どうする? 大声で身の潔白を主張するか? しかし、それで彼女たちは納得するだろうか。
だったらこの際、自分がビッチだと認めてしまおうか? いやいや、そもそもビッチじゃないし。
なんか、面倒臭いな。
ピリピリした、刺激臭を放つクラスの女子たち。どいつもこいつも煩わしいったらありゃしない。
ふっと、私は何もかもどうでもよくなった。もともと、顔も名前も知らない人たちだ。
血縁関係があるわけでもない、赤の他人。そんな彼女たちにどう思われようが、知らない。
「そう思うなら、そう思えばいい」
それだけ言って、クラスメイト全員を認識の外に追いやった。男も女も、関係ない。
そんな私の言い草に赤いカーディガンを着たしらない女子が喚いている。
それを黒いカーディガンを着た女子が宥めながら、私に何か言ってくる。
知らない。知らない人になにを言われても、どうでもいい。耳を塞いで、無視した。
「おい、お前らなにやってんだよっ!?」
そこで知らない男子が割って入る。今登校してきたらしい。誰かは知らない。
「神崎、大丈夫か?」
その男子と一緒に登校してきた別の男子が、私に声をかける。そのバリトンの声も、知らない声だ。
「どうして神崎さんを庇うの!?」
「お前らが囲んでるからだろ!!」
女子の金切り声。男子の怒声。どちらもうるさくて、耳障りだった。だから思ったことを言った。
「うるさい。もう私に構うな」
すると、言い争っていた二人がぎょっとしてこちらを見る。うっとうしい。こっちみんな。
「か、神崎さん、そんな言い方は……」
年上ぶった黒いカーディガンの女子が、私を窘める。同い年の癖に、偉そうな女だ。
「黙れ。上から物を言うな」
そう言ってやると、黒いカーディガンの女子は黙った。泣きそうな表情をしているが、どうでもいい。
水を打ったように、騒がしかった他の連中も静かになった。
そしてその静寂の中、低い声の男子生徒が、私の発言について確認した。
「俺たちはもうお前に関わらない、それでいいか?」
「くどい。何度も言わせないで」
「わかった……悪かったな」
短い謝罪を告げて、その男子はもう一人の男子を連れて自分の席に向かった。
もう一人の男子のほうはまだ何か喚いているが、強引に連行されていった。
黒いカーディガンの女子も、赤いカーディガンの女子を連れて自席に向かった。
赤いカーディガンの女子は泣き喚いていて、それを黒いカーディガンの女子が宥めていた。
そんなクラスの惨状なんて、どうでもいい。私は授業をこなして、家に帰るだけだ。
私の身分は女子中学生。勉強が義務だ。それだけをしていればいい。
家に帰ってからは自由なので、ラノベを読んだ。そして、自分なりに……反省会をした。
なにがいけなかったのだろう。その答えを本の中に求めた。そして考え続けた。
けれど、なかなか答えは見つからない。シャワーを浴びて、頭を冷やした。
そして身体を拭いていると、ふと胸にしこりのようなものを発見した。触ると痛くて、なんか怖かった。
怖かったので、それについてあまり考えないようにした。なるべく、触らないように心がけた。
それから暫くしてから、しこりの正体を知った。それは成長の兆しだったらしい。
平らだった胸が、徐々に膨らんできた。ようやく私はブラを身に着けるべき身体となった。
そしてほどなくして生理もきた。待ちに待った初潮。これが地獄だった。想像以上だった。
まず痛いし、血がやばい。感覚も気持ち悪かった。こんなものを待ち望んでいた自分は愚かだった。
そんなこんなで、私はこの事件がきっかけで、少し大人になったのだった。
時は流れて、かなり拗らせてしまった中学2年の暗黒時代も終わり、中3となった。
この頃には、かなり胸も育った。生理にも慣れた。完全な女の身体となっていた。
ちなみに体毛が薄いままなので、希望に沿った成長を遂げたと言えよう。我ながらあっぱれだ。
そして進級時にクラス替えがあったので、忌々しいクラスメイトとはおさらばした。
新しいクラスにも何人か混じってるのだろうが、知らん。顔も名前も覚えていない。
もちろん、新しいクラスメイトの顔や名前を覚えようとも思わない。
あれからラノベで研究した結果、あの事件の背景がなんとなくわかるようになった。
男子Aを好きだった女子Aと、男子Bを好きだった女子Bの嫉妬。それが結論だ。
その男子Aと男子Bの両方から私が告白されたもんだから、さあ大変。
女子Aと女子Bの不満は頂点に達した、ということだろう。なんともくだらない。
だが、くだらないと思う反面、やはり羨ましいとも思った。
身体が成長した結果、性欲のようなものを理解するに至った私は、恋がしたいと思った。
彼女らは私よりも1年も早く、恋をした。そのことが、純粋に羨ましかった。
とはいえ、恋愛は相手がいなければ成立しない。当たり前だ。
そして相手を見つけようと接近すると、また揉め事が起こるかもしれない。それは嫌だ。
だから中3の1年間、私はクラスメイトを認識外に置いて過ごした。
別に無視しているわけではないけど、極力関わらないようにした。
口は災いの元であると実感したので、基本的には発言も控えた。
こうして、新たな人格が形成されて高校生の私が出来上がったというわけだ。
たぶん、どこにでもある、ありきたりな青臭い話だと、思いたい。
さて、長い長いこの昔話の最後は、中学の卒業式で締めくくるとしよう。
卒業式が終わったら、父親と外食に行くことになっていたので足早に学校を立ち去ろうとした。
しかし、昇降口で赤いカーディガンを着た知らない女子に捕まってしまった。
「神崎直っ!」
フルネームで私の名を呼ぶ赤いカーディガンの女子。お怒りのご様子だ。
「なに?」
「あんたのせいで、好きな人から振られた!」
「そう。ご愁傷様」
どうやら私のせいで彼女は意中の男子から振られたらしい。知らんがな。
短く哀悼の意を告げて立ち去る私の背に、甲高い怒声が響く。
「絶対許さないからねっ! わかった!?」
逆恨みにも程がある。さっき見たところ、彼女は貧乳だった。たぶん、貧乳だから振られたのだろう。
「今度は貧乳好きを好きになれば? それじゃ、さよなら」
それだけ言って、私は帰った。そう言えるだけのバストを私は手に入れていたのだ。
性格的にも言われっ放しは癪なので、盛大に皮肉ってやった。ざまあみろ。
このマッチ棒のように燃えやすい小娘に対してどれだけ火に油を注ごうとも、どうせ春から高校生だ。もう会うこともないだろう。
「神崎直~~~~~~~っ!!!!」
3月の寒空に、貧乳女の憐れな慟哭が響き渡る。気にせず歩いていたので、その後の言葉を私は知らない。
「……ごめんね」
校門を出る際に囁いた懺悔が、どちらのものだったか、今はもう定かではない。
これにて序章は終わりです。
次回から本編が始まります。
これからも、よろしくお願いします!