第7話 『焦って、もがいて、切なくて』
「神崎、お前付き合ってる奴いるのか?」
「えっ? いないけど?」
「じゃあ、俺と付き合えよ」
クラスメイトの成長を目撃してしまい、居た堪れなくなって、そそくさと帰ろうとした私は、昇降口で靴を履いてる最中に背後から声を掛けられ、その話の内容に硬直した。
まだ片足しか靴を履いていない。中腰で、酷く不格好な態勢だ。
交際を申し込んできたのは、リーダー格の男子。台詞はちゃらいけど、表情は真剣だ。
熱を帯びているその視線と目が合って、顔が熱くなるのを感じる。火が出そうだ。
そんな刺激的な目つきで、彼は過激な提案をしてきたのだ。間違いなく、これはマジなやつだ。
冗談ではなく、返事を貰うまで逃がさないという気迫に満ちていた。返事をしなければいけない。
「ごめん。付き合うとか、よくわかんないから、無理」
もう片方の靴を履こうとしたその姿勢のまま、返答した。我ながら、格好悪い。
でも靴を履いてから改めて、なんて余裕はなかった。一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
私の返事を聞いた彼は、悲しげに目を伏せて、暫し瞑目したのち、頷いた。
「……そっか。悪かったな、変なこと言って」
「い、いえ、お気になさらずに……それじゃあ、私はこれで」
「ああ、じゃあな」
混乱のあまり、おかしな口調になってしまった。それでもどうにか、別れを告げた。
そして思いのほか、彼は話が通じる人だったらしい。あっさりと踵を返して、立ち去った。
彼が去ったことによって、ようやく金縛りが解けて、私は両足に靴を履いた。
トントンと靴先を打ち付けると、その衝撃がドンドンと胸に響いた。高鳴っていた。
恐らく、いま私は告白された。勘違い、ということはあるまい。たぶん。
嬉しいとか、恥ずかしいよりも、びっくりした。そして、不可思議だった。
彼はどうして私を好きになったのだろう。こんなツルペタで、ツルツルな私を。
女としての魅力は正直、どこにも見当たらない。それなのに、なぜ。
こんなことをいくら考えても答えを見いだせないことはわかりきっている。
知りたければ本人に尋ねるしかないが、振ってしまった手前、それはおこがましいと思う。
だから、とりあえず意識しないようにして、私は昇降口を出たのだけど。
「ちょっと、話がある」
「へっ?」
校舎の陰に背を預けていたのは、バリトンの彼。声を掛けられて、思わず間抜けな声を漏らす。
二度目の金縛りに動けずにいると、彼はこちらに歩み寄り、3メートルくらい手前で立ち止まった。
高い位置から見下ろす彼の視線は、こちらを見ているようで、どこも見ていない気がした。
それを受けて、幾らか落ち着きを取り戻す。彼は冷静だ。ならば、私も冷静になろう。
ひょっとしてさっきのやりとりを聞かれたのではないかと思ったが、この分なら大丈夫だろう。
そんな希望的観測で自分自身を鼓舞しつつ、努めて平常を装って、尋ねる。
「話って、なに?」
「どうしてあいつを振ったんだ?」
「ぶっふぉっ!?」
思わず吹き出した。聞いてたのかよ。暫く咳き込むと、彼に心配された。
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫……ちょっと、びっくりしただけ」
手のひらを彼に向けて、問題ないと言いつつ、深呼吸。落ち着け、私。
別に聞かれても問題ない。場所も昇降口だったし、他の人にも聞かれているかも知れない。
だが、それがどうした。私が告白したわけではないのだ。照れたり恥ずかしがる必要はない。
そんな理論武装という名の自己暗示をして、落ち着きを取り戻す。こほんと咳をひとつして。
「それで、どうして振ったか、だっけ?」
「ああ、ちょっと気になってな」
「それがあなたに関係あるとは思えないけれど。これは私の問題よ」
「いや、俺にも一応、関係がある」
私がどうして振ったかなど、彼には関係ない話だ。だから思ったまま口にしたのだが、彼は食い下がった。
そんな彼の反応が意外で、少々面食らう。これは予期せぬ展開だ。完全に想定外だった。
彼は物わかりがいいと思っていたので、関係ないと言えば納得すると思ったのだ。
しかし、納得してくれなかった。どうしてそこまで、私の問題に口を出すのだろう。聞いてみた。
「どうしてあなたに関係あると言えるの?」
「俺もお前が好きだから」
絶句した。なるほど、それはたしかに関係者だ。というか、当事者だろう間違いなく。
納得、せざるを得ない。また、顔があっつくなる。心臓がうるさくて、胸を押さえる。
不意打ちとは、こういうことを言うのだろう。説明を求めたら、告られた。くそぅ……油断してた。
まんまと彼の策に嵌まってしまった。たぶん、狙ってやったわけではないと思うけど。
なにはともあれ、そっちがその気なら私も普通に返事はしてやらない。悔しいもん。
さらっと言うなら、私もさらっと流して、話題をすり替えてやる。そうしよう。そうしてやる。
「あ、そう。じゃあ、質問に答えるわ」
「……お前、わりと意地悪なんだな」
「あなたには言われたくない」
告白を流されたことにご立腹なバリトンの彼。
だが、文句は受け付けない。先に意地悪したのはそっちだ。
よって、私は取り合わず、彼の質問に対する返答のみを淡々と述べる。
「交際を断ったのは、その意味がわからないからよ」
「意味がわからない?」
「そう。人が人を好きになって、交際する。その過程が、理解できない」
「理解できないから、付き合えないってことか?」
「理解してないのに付き合うなんて、相手に失礼でしょ?」
「じゃあ聞くが、具体的に恋愛を理解するにはどうすればいいんだ?」
「そうね……論文でも書いて、それが自分にとっても相手にとっても納得できる内容ならば、及第点ね」
「……お前は恋愛博士にでもなるつもりなのか?」
率直に自分の考えを告げると、呆れられた。だって、仕方ないでしょ。わからないんだもの。
恋人たちがなにをするかについては、それなりに把握している。
一緒に登校したり、一緒にお弁当を食べたり、一緒に帰ったり。
そして、手をつないだり、たぶん……キスをしたりするのだろう。でも、なんの為に?
この人は自分のものだと証明する為? 自分はこの人のものだと実感を得たいから?
そうした理由で付き合うのならば、私には無理だ。そんな願望はない。
リーダー格の男子にせよ、このバリトンの彼にせよ、そうした思いは抱けない。
たぶん、それは、きっと。自分の中で導き出した結論を、そのまま口にする。
「私は彼を好きじゃなかった。だから、振った」
「……そうか」
「それじゃ、私は帰るから。さよなら」
これには彼も納得した様子。なので、帰ろうとすると通せんぼされた。
「まだ話は終わってない」
「なに?」
「俺の告白の返事を聞かせろ」
「なんのこと?」
私はしらばっくれることにした。あんな告白の仕方は、認めない。そんな彼は、嫌いだ。
「わかったよ……悪かった。じゃあ、改めて告白させてくれ。俺は、お前のことが……」
睨みつけると彼は根負けしたらしく、ため息をついて己の非を認めた。
殊勝なその態度に、私の溜飲はだいぶ下がったのでこれ以上意地悪はしないことにした。
というか、何度も告白されるのは流石に照れる。だから、二度目の告白を遮って、返事をした。
「ごめんなさい。私はあなたを好きではないので付き合えません」
「……お前さ、それは酷すぎるだろ」
「二度も告白させてから振るよりはマシでしょ?」
いい加減、心臓に悪い。血圧が上がるのも避けたい。顔があっつくなるのも、沢山だ。
というか、この手のイベントがこう何度も起こるなんて、ありえないだろう。
立て続けの告白なんて、聞いたこともない。これが所謂、モテ期というやつか?
とにかく、精神的な疲労が蓄積して、酷く疲れていた。だから私は彼に正論をぶつけて、今度こそ、その脇を通り過ぎた。さっさと帰ろう。
そんな私の背に、彼は深いバリトンで呟いた。
「いつか、わかるといいな」
それを聞いて、切なくなったのをよく覚えている。胸がぎゅっと締めつけられて、痛みを感じた。
泣きそうになったのは、そこに込められた彼の優しさを感じたから。そして、思い知らされたからだ。
彼らは人を好きになった。私より遙かに、ずっとずっと先を行く、刺激的な大人だ。
つい先ほども教室でわからされたばかりだが、それを改めて知って、悲しくなった。
私はその感情が知りたくなった。人を好きになって、恋をしてみたいと、初めて願った。そして思春期を満喫したかった。
そうすれば、胸だって大きくなるだろう。生理だって、来てくれる筈だ。体毛は、薄いままでいいけど。
とにかく、早く追いつきたいと、焦って、もがいて、家まで走って帰って、牛乳を飲んだ。
どれだけ牛乳を飲んでも、何度それでお腹を壊してトイレに籠もっても、成長の兆しは訪れない。
夜8時には早々と布団に潜って、目を閉じる。当然、眠気なんかちっとも来やしない。
告白された瞬間のことを何度も思い出して、そのたびに私は布団の中で悶えたのだった。
結局、ほとんど眠れずに朝になった。昨日の文化祭が遠い過去のように感じられた。
土曜日に開催された文化祭の次の日は、日曜日。当然、学校は休みだ。
不幸中の幸いだと思ったけれど、告白されたことは別に不幸でもなんでもなかった。
それだけをみれば、むしろ喜ぶべき出来事だった。素直に喜べないのは、自分の発育不全を自覚してしまったから。
しかし、そうは言ってもどうすることもできない。着替える為に服を脱いで姿見の前に立つ。
そこには貧相な私がいた。股間にアレが付いてないだけの、女の子。なんとも情けない姿だ。
貧乳なのでブラジャーは必要ない。キャミソールを着て、適当なTシャツを着て、その上からパーカーを羽織った。
そして黒のレギンスを穿いて、それからキュロットスカートを穿く。これが私の普段着だった。
パーカーの色は灰色。キュロットスカートはカーキ色。お洒落とは言えないけど、落ち着く。
お洒落をするのはもう少し発育してからと決めていた。今はまだ早い。機が熟すのを待とう。
その日はその格好で近所の書店に行って、本を買った。
漫画は父親が好きではないので、買う本は決まって小説だ。物語が好きだった。
現実ではないフィクションは、この世の厳しさを紛らわせてくれた。
読むジャンルは決まっていないが、この日は恋愛モノが読みたかった。
それっぽい一般文芸を店頭で流し読みしたけど、イマイチだった。もっとラフな話が読みたい。
そろそろ少女漫画でも読んだほうがいいのだろうかと、昨日のこともあってそちらに行ってみる。
全体的にピンク色の本棚に挟まれた通路を見て、無理だと悟った。ここは自分の場所じゃない。
戦略的撤退を決めて、書店をうろつく。そして私は見つけた。イラストがついた、小説を。
この書籍の種類はライトノベル。漫画と小説の中間みたいな扱いの文庫本だ。
ためしに中を覗いてみると、読みやすい文章と台詞の多さが気に入った。
とりあえず恋愛モノっぽいのを一冊買ってみることにした。中身は小説だ。父親も納得するだろう。
帰ってから読んでみると止まらなくなった。読み終えたら、既に窓の外は暗かった。
内容はありきたりなラブストーリー。一般文芸作品と違うのは、対象年齢だ。
中学生の男女の恋愛モノだったので、今の私にはドンピシャだった。
この日から、私はラノベを恋愛のバイブルにすることを決めた。大人になるために。
それは大間違いというわけではなかったけれど、のちのち弊害を及ぼすこととなる。
とはいえ、この時の私はそうなるとは露知らず、無警戒に買ったラノベを読み漁っていった。
夕飯を作って、お風呂に入って、ラノベの続きを読んで。日曜日は消化されていった。
珍しく、ついつい夜更かしをしてしまい、そろそろ10時になるところで布団に入った。
その日は面白い本を読んだので、告白のことを意識外へと追いやって、すんなりと眠りについた。