第51話 『カーテンの向こう側』
「それでは、瀬川さんの勝利を祝って、乾杯!」
場面は変わって、いつもの公園にて。
決勝戦が終わり、表彰式を経て、我々は場所を変え、祝杯をあげていた。
音頭を取るのは吉田くん。そしてそれぞれの手には自販機で勝ったジュースが握られている。
全員が乾杯と声を合わせる中、鷹宮さんだけが不機嫌そうにそっぽを向いていた。
そんな彼女を見かねてコツンと杯を打ち鳴らしてやると、火花姫は余計に意地を張って憤然としながらグビグビとジュースを飲んだ。しかし、勢い余ったのか、その直後に盛大にむせていたのでなんともしまらない。
そんな意地っ張り娘はさておき、今日は実にめでたい日だ。
柔花姫こと瀬川さんの悲願であった地区予選突破が叶い、ついに本戦出場の切符を手に入れたのだ。
これで彼女の計画は大きく前進した。本戦で吉田くんと相まみえた暁には、必ずその恋は成就するだろう。
そう確信しつつ、兎にも角にも今日彼女が成し遂げた偉業を讃えるべく、改めて祝辞を述べる。
「おめでとう、瀬川さん」
「ありがとう、なおちゃん」
「勝てて、本当に良かったね」
「うん! 私、頑張った!」
「よく頑張ったね、偉い偉い」
「えへへ……なおちゃんは優しいなぁ」
シンプルに賞賛すると、瀬川さんは照れて、柔らかな笑みをこぼした。
そんな彼女の素敵な笑顔が鷹宮さんは気に入らないらしく、ふんっと鼻を鳴らして苛々している。
しかしながら勝利の達成感に酔いしれている柔花姫には聞こえていないらしく、ニコニコ楽しそうだ。
満足げな彼女を見ていると、私もとても嬉しくなった。しかし、気になることもある。
「瀬川さん、ひとつ聞いてもいい?」
「えっ? どうしたの?」
「決勝戦で吉田くんが小細工をしてきたこと、怒ってないの?」
目下最大の懸案事項は、それだった。
決勝戦において吉田くんは自らのデッキをシュウに預け、それを使わせた。
そんなあからさまな介入をされて、彼女が怒っていないのかが心配だったのだが。
「んーん。全然怒ってないよ」
「ほんと?」
「本当だよ。むしろ、嬉しかった」
「どうして?」
「吉田くんが私を思ってわざわざそこまでしてくれたことが、とっても嬉しいの」
はぁ……瀬川さんマジ天使。
そのあまりの聖人っぷりに思わず感嘆してしまう。
もっともそう感じたのは私だけではないらしく、仕掛けた張本人たる吉田くんもため息をついていた。
とはいえ、彼のそれには安心や安堵の意味も多分に含まれていると推察する。
要するにほっとしたようだ。胸を撫で下ろして、額を拭う仕草をする様子が横目で見て取れた。
初夏の陽気は日中それなりに大地を焼いたらしいが、夕方になると涼しい風も吹いてくる。
赤く染まった夕焼けを背景に、こうして祝杯をあげていることが、まるで夢のようにも思えた。
唯一の懸念であった柔花姫のご機嫌も大変麗しいようで、なによりである。
本来ならばどこかのお店で夕飯を食べながら盛大に打ち上げをしたいところではあるが、まだ早い。
本戦が終わって、瀬川さんの真の計画が成就するまで、お預けとしておこう。
もちろん、姫自身もそのつもりらしく、缶ジュースでの乾杯に不満な様子は一切見せない。
ただただ嬉しそうで、そして本戦への期待が充ち満ちているのが、ひしひしと伝わってくる。
しかしながら、この場に似つかわしくない、面白くなさそうな顔をしている者も若干名存在しており。
そのうちのひとりは先述した通り鷹宮玲奈であることは言うまでもないと思うが、もうひとりが問題だ。
立場的にどうしても放ってはおけないので、私は不機嫌そうな敗者に声をかけた。
「どうしたのよ、シュウ」
「……別に」
「ちゃんと言ってくれなきゃ、わからないわ」
まるで鷹宮さんのようにそっぽを向いてる彼に問いただすと、渋々説明してくれた。
「そもそも俺は、吉田のデッキを使うことが不本意だったんだ」
「やっぱり自分のデッキで戦いたかったってこと?」
「当たり前だろ。たとえそれで負けたとしても、悔いは残らないからな」
どうやら彼は、吉田くんのデッキで瀬川さんに負けてしまったことが腹に据えかねているらしい。
むくれている彼を見て、私は嘆息しつつ、その意外な子供っぽさに少しばかりときめいていると。
「おい、吉田。俺との約束を覚えてるだろうな?」
「も、もちろん覚えているけど、今はまだ早いというか……」
「うだうだ言ってないでさっさと話せよ! じゃないと、負けた俺が浮かばれないだろ!?」
ギロリと吉田くんを睨み、珍しく語気を荒げるシュウ。
八つ当たりだろうかと思って止めに入ろうとするも、なにやら込み入った事情があるらしい。
もう少し様子を伺うべきだと判断して、静観していると、瀬川さんが首を傾げて割って入った。
「どうかしたの?」
「えっ? いや、別に、なんでも……」
「いいから早く言っちまえ!」
「わ、わかったよ!」
口ごもる彼をシュウが一喝して、ようやく吉田くんは覚悟を決めたらしい。
瀬川さんへと向き直り、深呼吸をしてから、とんでもないことを口走った。
「実はもうホテルを取ってあるんだ」
「はあっ!? なにそれ、どういうこと!?」
真っ先に反応したのは、何を隠そうこの私。
瀬川さん大好きクラブの会長(自称)を努める私が、その戯言を聞き漏らすわけがない。
この男は今、なんて言った? ホテル? ホテルを取ってあると、そう言ったのか?
なんだそれは。私は聞いてないぞ。ホテルってなんだ。どうしてそうなった?
わけがわからず困惑しているのは私だけじゃないらしく、瀬川さんも硬直していた。
そんな我々の様子を見て、ようやく自分の発言の危うさを認識したらしい吉田くんが、慌てて補足する。
「いや、ホテルって言っても、もちろん部屋は別々だよ!」
「余計に意味がわからないわよ! ちゃんと説明して!」
「だ、だから、来週東京で開催される本戦を勝ち抜くための英気を養う意味も兼ねて早めに現地入りして、ついでに今日のお詫びがてら一緒に観光でもどうかと思って、ホテルを取っておいたんだよ!」
なるほど、言いたいことはわかった。そこまで説明されて、ようやく理解した。
つーか、それを言わなきゃ伝わらないだろうが。本当に、男ってやつはこれだから。
要するに、本戦の会場が東京だから一緒に過ごしませんかってお誘いらしい。
それをこうも遠回しに説明するなんて、本当に吉田くんはヘタレというか、何というか。
それでいて事前にホテルを取っておく当たり、変なところで度胸があるんだもんな。
これが器の違いってものなのかね。彼は絶対に瀬川さんが勝つと、確信していたのだ。
もしもシュウが勝っていたら、男2人で東京巡りをすることになっていたかも知れないのに。
そうなっていたら、逆に不安だ。間違いが起こっていたかもしれない。男同士はやめて頂きたい。
ともあれ、そういうことなら、私にだって異論はない。存分に楽しんで貰おうじゃないか。
なんて、どんな目線で物を言っているのかわからなくなっていると、瀬川さんが小さく頷いて。
「そ、そういうことなら……是非」
「ほ、本当っ!? 僕と一緒でいいの!?」
「うん……むしろ、こっちからお願いしたいくらいだよ」
「へっ? そ、それはどういう意味……?」
「もし吉田くんさえ良ければ、そばに居させて欲しい……」
「も、もちろんだよ! 絶対に東京観光で退屈な思いはさせないから、安心して!」
うーむ。やはり彼は、ちょっとズレているんだよな。
瀬川さんがここまで言っているのに、吉田くんの受け取り方は的外れもいいとこだ。
でもまあ、それでも柔花姫は嬉しそうだし、とやかく言う必要はないと思ったのだが。
「あのさ、そもそもの話、別にカップルでもないのに同じホテルに宿泊とかおかしくないか?」
まとまりかけていた話題に異を唱えたのは、私の彼氏。
有村秋が、持ち前の空気の読めなさを発揮して、こんな時だけ正論を振りかざす。
彼女たる私もこれにはびっくりして、唖然としていると、ちらりと目配せをしてきた。
「なあ、ナオもおかしいと思うだろ?」
そんな風に話を振られても困る。
吉田くんに好意を寄せている瀬川さんにとっては、これは願ってもない提案な筈。
たしかにシュウの言い分はもっともだが、だからといって水を差すのはどうかと思う。
せっかくの機会だから2人には親睦を深めて貰いたい。シュウだってそのくらいはわかっている筈。
それなのに、どうしてこんなことを? 思わずそう尋ねたくなるが、ぐっと堪えて、思案に耽る。
一応、彼がただ単に意地悪をしているわけではないということだけは、理解できた。
決勝戦で負けた腹いせにとか、そのようなことで異を唱えているようには見えない。
私の彼氏はそんなケチな男ではない。恐らく、これには深い意味があると推察する。
要点をまとめてみよう。
シュウは、カップルでもないのに同じホテルに泊まる違和感について、指摘している。
それは正論であり、捉えようによっては吉田くんの提案を潰そうとしているようにも感じられる。
だけど、私の彼氏はそんなことをする人ではない。彼女として、それは断言できる。
なので、それが目的ではないとするならば、逆に捉えることも出来よう。そう、逆転の発想だ。
「つまり、吉田くんと瀬川さんがカップルになれば問題ないってことね?」
「その通り。俺はそれが言いたかった」
我が意を得たりとシュウが肯定。
自分の導き出した結論が正答であったことに、ひと安心。
まったく、本当に、これだから、男ってやつは。苦笑しつつ、ちょっと惚れ直した。
今回のシュウの物言いは、吉田くん並に回りくどくて、面倒くさかった。
けれど、そこには彼の優しさが感じられて、敢えてこんな言い方をしたのだとわかる。
売り言葉に買い言葉のように、自分の提案に異を唱えられれば、吉田くんも黙ってはいられまい。
それを裏付けるように、彼はシュウを睨み、むっとした顔で。
「有村……どういうつもりだよ?」
「どうもこうもない。一緒に泊まりたいなら、カップルになるしかないってことだ」
「同じホテルって言っても、別に部屋が一緒なわけじゃないんだから、別にいいだろ」
「よくないな。それじゃあ、筋が通らない」
「……何が言いたいんだ?」
「わかってんだろ?」
「……わかってるよ」
「なら、ちゃんとしろ」
「……ああ」
「だったら、しっかりしろ……しっかりしろよ、吉田ぁ!!」
「ああ! わかってるよっ!!」
まるで喧嘩みたいなやり取りを終え、普段温厚な吉田くんに火が付いた。
「瀬川さん」
「な、なに……?」
「僕は、ずっと君に言わなくちゃいけないことがあって……」
「……うん」
「実は、その、初めて会った時から、僕は……」
「…………うん」
「せ、瀬川さんのことが……僕は、僕は……!」
吉田くんは必死に、その続きを口にしようとするも、なかなか声にならず。
それが言いたいという気持ちは伝わってくるのに、耳には届かず。
掠れた呼吸音が、やがて湿り気を帯びて、すすり泣きに変わってしまった。
「ぐすっ……わ、わかってるんだ……」
「……なにが?」
「僕みたいな豚に、君は高嶺の花だってことくらい……わかってるんだ」
志半ばで折れた勇気の代わりに、彼の弱音が表に出てしまう。
恐らく、自分の体型こそが、吉田くんにとって最大のコンプレックスなのだろう。
きっと彼は自分に自信が持てないのだ。同じような境遇の高校生はそこかしこに存在する筈。
私の視界を遮っていた、目に見えないカーテンのように、それが気持ちを覆い隠してしまう。
相手の気持ちと、そして自分自身の気持ちさえも、見えなくしてしまう、やっかいな代物だ。
それを払い除けるには大きな勇気が必要であり、それはみるみる消耗していく諸刃の剣でもある。
きっと吉田くんは、一枚一枚丁寧にそのカーテンを切り裂いていくタイプの人間だ。
それなのにこうしていきなり全部をぶった切るような真似をすれば、心が折れるのも当然と言えよう。
しかし、折れた剣とて、その切れ味が全くなくなるということはない。まだ、切れる。
彼を覆い隠すカーテンがあと何枚なのかは定かではないが、どれだけ刃こぼれしようとも。
どれだけ切れ味が鈍ろうとも、どれだけ折れて小さくなろうとも。
諦めずに目一杯の力を込めれば、引き裂くことは出来るのだ。
「それでも、僕は……君のことが……!」
「はむっ!」
「むぐっ!?」
吉田くんが最後の力を振り絞った瞬間、信じられないことが起こった。
煮え切らない吉田くんに痺れを切らした瀬川さんがカーテン越しに彼を襲撃。
予備動作なしで一気に距離を詰め、ヘットバット……ではなく、顔面を顔面に押しつけたのだ。
何を言ってるかわからないかもしてないが、私にだって何がなんだかわからない。
ありのままを描写するならば、彼らの顔面の位置関係はゼロ距離であり、すなわち接触していた。
それが鼻であれば、私とてここまで狼狽えたりはしない。そう、接触した場所が問題なのだ。
私が見る限り、瀬川さんは申し訳程度に首を傾けており、鼻と鼻が正面衝突しているようには見えない。
必然的におでこなども衝突を回避する結果となって、残るは鼻の下に存在するその部分以外にはない。
主に食事や発声において用いられるその器官には口という呼び名がついており。
そして口には唇という柔らかな部位が備え付けられていて。
詰まるところ、どのように否定しようとも、その唇がお互いに接触しているようにしか見えなかった。
唇の接触は、カタカナ二文字で簡潔に言い表すことができる。
これは、紛れもなく、キスと呼ばれる愛情表現と思われる。
しかしながら私にはその経験がなく、こうして実際に見るのは初めてなので、確証はない。
もしかしたらこれは違うのかもしれない。ほら、よく欧米では挨拶の代わりに用いられると聞くし。
けれど、どう考えてもおかしい。まず長い。あと、漏れ出る吐息が淫靡すぎる。こんな風に。
「ふむっ……あむっ……ふっ……はむっ」
吉田くんの顔を包み込むように固定して、瀬川さんは彼の唇を貪っていた。
そう、貪るという表現がしっくりきてしまう程に、熱烈な接吻をしていた。
これではいくら分厚い目に見えないカーテンとて、何も意味をなさない。
カーテンの向こう側から押し入って強引にキスをするなんて、もはや略奪や襲撃と大差あるまい。
私は一瞬、目の前に存在する男女が誰だったのかわからなくなり、ついでに自分自身を見失って。
「な、なにさらしとんじゃこらーっ!! もがっ!?」
「うるさい。お前は黙ってろ」
つい口汚く罵声をあげると、即座にシュウに黙らされた。
黙らせると言っても、同じようにキスをされたわけではない。大きな手のひらで口を塞がれたのだ。
公園についてすぐに律儀に手を洗っていた彼の手からは石鹸の香りがして、不意に我に返った。
しかしながら我に返ったとしても目の前で繰り広げられる情事は言語道断の不祥事に他ならず。
私の大天使が私以外の人間にそのような行為に及んだことが許せなくて、どす黒い嫉妬心が燃え上がる。
なんとかシュウの拘束をふりほどこうともがくが、背後から抱きすくめられて身動きが取れない。
幸い、鼻は塞がないように配慮してくれているので、窒息死する心配はないが、憤死寸前だ。
だって、考えてもみろ。
瀬川さんはこの物語のメインヒロインである。
それなのに、主人公である私以外とこんなことしちゃっていいわけ?
いや、否だ。断じて、否だ。絶対に認めない。
私が読んできたラノベの中にそのような胸糞展開は一度たりとも起きちゃいない。
それなのに、目の前のこれはなんだ? どうしてヒロインが他の男とキスしてんだよ! ガッデム!!
描写がやたら生々しくて、悪夢にしてはリアルすぎる。ていうか、シュウに抱かれてちょっと嬉しい。
なんて、喜んでいる場合じゃなくて、もうどうしようなくなった私は心がポッキリ。
抵抗を諦め、全身から力が抜けた私を、慌ててシュウが支えてくれた。そんな彼に、懇願する。
「うぅ……もう、殺して」
「何言ってんだよ、お前は」
「だって、私のメインヒロインが……」
「メインヒロインはお前だろうが」
「おっと、こりゃ失敬」
いつでも冷静な彼氏に窘められて、頭が冷えた。
いやだわ。ちょっとどうかしちゃってたみたい。取り乱してしまった。
マイナスな方にばかり考えるからいけないのだ。ポジティブを心がけよう。
吉田くんとキスをしている瀬川さんを見て狼狽したのは、それほど大切な友達だからと言えた。
ぼっちだった時には考えられない挙動である。私はそう捨てたものではない。ちゃんと成長している。
だからまずは、そのような気持ちにさせてくれる友達を得たことを、素直に喜ぼう。
なかなかここまで発狂されてくれる友人はおるまい。マブと言っても過言ではないだろう。
そのように勝手に瀬川さんをマブダチ認定してから、改めて彼女に視線を向ける。
うわ……まだやってんよ。即座に目を逸らして、深呼吸。この場に包丁とかなくて良かった。
鈍器のようなものでも、私は迷うことなくそれを逆手でひっ掴んで、下郎を滅多打ちにしていた。
周囲に凶器となり得る物がないことを確認してから、その下郎へと視線を向ける。
「むぐっ……もがっ……ぶひっ」
下郎たる吉田くんは、ほとんど白目を向いて瀬川さんに陵辱されていた。
かなり下品な表現で申し訳ないが、それがしっくりくるほど、好き放題啄まれている。
もしもこの関係性が逆だったら、私はすぐさま然るべき機関に通報していたというのに、現実はなんとも厳しい。
襲っているのが瀬川さんである以上、迂闊に行動を起こせない。彼女が罪を被ってしまう。
だからどうすることも出来ず、血の涙を流す他ない私に、意外な人物が助け船をよこした。
「ちょっと、子供も居るんだからもうやめなさいよ」
そう言って窘めるのは鷹宮さん。
彼女の言う通り、この場には子供が存在している。それはもちろん、弟の彼方くんである。
「ね、姉ちゃん! なんで目隠しすんだよ!?」
「あんたは見ちゃいけないものだから」
「なんだよそれ! 離せよ!!」
「いいから、大人しくしてなさい」
弟の背後に回り、彼方くんの両目を手のひらでしっかりと覆う姉。
彼女に言い分は至極ごもっともであり、今の状況は教育上よろしくないと言えた。
やはり、こうしたところが本物のお姉ちゃんなんだなと、感心するも、鷹宮さんの顔は真っ赤だった。
どうやら口では冷めたことを言いつつも、内心は興味津々らしい。めっちゃガン見している。
そんな彼女の様子を見て、ほっとした。どうやら取り乱しているのは私だけじゃなかったらしい。
ともあれ、ちょっとむっつりな鷹宮さんの正論によって、ようやく2人は接吻をやめた。
「ご、ごめんなさい……私、我慢出来なくて……」
「ぶひっ……ぼかぁ……幸せれふ」
反省している様子の瀬川さんと、完全に正気を失っている様子の吉田くん。
謝罪をした後、柔花姫は改めて魅了完了した従僕へと向き直り、彼に問いただす。
「吉田くん……嫌じゃなかった?」
「い、嫌なんてとんでもない! むしろご馳走様でした!」
「それなら良かった。あのね、吉田くん……」
「な、なんですか……?」
「決勝戦で私、頑張ったよね……?」
「あ、うん。もちろん! 素晴らしい試合だったよ!」
「じゃあ、ご褒美が欲しいの」
「ご、ご褒美……?」
「うん……ダメ、かな……?」
「だ、駄目じゃないよ! 何でも言って!」
「それじゃあ、私の質問に正直に答えてね?」
「はいれす!」
突然のおねだり攻撃に、吉田くんは何でもすると宣言。
あからさまな失言であり、明らかに軽率な約束である。これで彼は彼女の意のままだ。
本気になった瀬川さんの柔らかな髪が、ふわりと、静電気を帯びたかのように膨らむ。
柔花姫はその妖艶さを遺憾なく発揮して、想い人を詰ましにかかった。
「吉田くんは、私のこと……好き?」
「へっ?」
「私は好きだよ……吉田くんのこと」
「えっ? あっ……ぼ、僕も、好きでしゅ……」
「もう一回、ちゃんと言って?」
「僕も、瀬川さんのことが……好きだよ」
「嬉しい! ありがとう吉田くん!」
「ど、どういたしまして!?」
瀬川さんの怒濤の責めに、ついに吉田貴広は陥落した。
晴れて両思いとなった彼らは、その場で熱いハグ。
その程度なら見せても構わないと思ったらしい火花姫の拘束を逃れた彼方くんが、それを見て感激。
「すげー! あんなに綺麗な女の人と仲がいいなんて、さすがチャンピオンだ!」
キラキラした純粋な眼差しで賞賛された吉田くんは、目をパチクリして。
「へっ? 君は僕のことを知ってるの?」
「も、もちろんです! だから、その、お願いがあって……」
そう言えば、鷹宮さんが言っていた。
弟の彼方くんがチャンピオンである吉田くんのことをいつも口にしていると。
どうやら、彼方くんにとってこの王者は、憧れの存在らしい。
そんな雲の上の人と対面した少年は恐縮した様子で今更猛烈に照れつつ、何故かシュウの方を睨んで、文句を言う。
「シュウ兄ちゃん、約束守ってよ!」
「ん? ああ、そういやそうだったな」
なにやら約束を交わしていたらしい2人。
そんな機会があったとすれば、準決勝の際に対戦した時しかあるまい。
恐らく、シュウは敗北して泣き喚くショタに、何かしらの約束をしてあげたのだろう。
だが、今の反応から察するに、すっかり忘れていた様子。それも許し難いが、なによりも。
「シュウ、これはどういうこと?」
「なんだよ、ナオ。藪から棒に」
「今、シュウ兄ちゃんって聞こえたのだけど?」
「それがどうしたんだ?」
「なにそれ、ちょー羨ましい!」
「はあ? なに言ってんだよ」
「私もナオお姉ちゃんって呼ばれたい!」
「そんなことはどうでもいだろ! 話がややこしくなるから、ショタコンは自重しろ!!」
駄々を捏ねたら怒られた。
しょんぼり落ち込む私を見て彼はやれやれと首を振りつつ。
交わした約束とやらを果たす為に、吉田くんに事情を説明した。
「吉田、頼みがある」
「頼み?」
「ああ、ちょっとサインを書いてくれないか?」
「は? サインって、僕の?」
「そうだ。鷹宮の弟は、お前のファンなんだそうだ」
「ファン!?」
「だから、一筆書いてやってくれ」
なるほど。彼方くんは吉田くんのファンらしい。
どうりで口数が少ないと思った。きっと、照れていたのだろう。
今もシュウの大きな背中に隠れて、モジモジしている。くっそ可愛い!
是非ともその保護者的な役目を代わって頂きたいのは山々だが、自重しろと言われたばかりなので、我慢。
「あの、これにお願いします」
「あ、はい。わかりました」
大会出場者の名簿に記名する為に持って来ていた文房具とメモ用紙をおずおずと差し出す彼方くん。
吉田くんも吉田くんで、おっかなびっくりそれを受け取って、小学生相手に何故か敬語。
動揺を隠しきれない様子ながら、渡された紙に署名して、それを返す。
「こ、これでいいかな……?」
「ありがとうございます! 一生の宝物にします!」
大げさにも思えるリアクションに、困ったように笑う吉田くん。
気恥ずかしそうにポリポリと頬を掻きつつ、なにやら自分の鞄を物色して、数枚のカードを取り出した。
「もし良かったら、このカードも受け取って」
「これは……?」
「君と有村の対戦を見て、選んだんだ。このカードをデッキに組み込めば、もっと強くなれるよ」
「ほ、本当ですか!? 次はシュウ兄ちゃんに勝てるんですか!?」
「うん。それを使いこなせれば、きっと勝てる」
「やたー! ありがとうございます!!」
歓声をあげる彼方くんを見て、シュウはくしゃりと少年の髪を撫でた。
「良かったな」
「うん! ありがとうシュウ兄ちゃん! チャンピオンと友達って、本当だったんだ!」
「なんだよ、疑ってたのか? じゃあ、貰ったカードは没収だな」
「あっ! か、返してよ! それで次はシュウ兄ちゃんをぶっ倒すんだから!!」
「それなら尚のこと、返すわけにはいかないな」
「なんだよそれ! 負けるのが嫌なだけじゃんか!?」
大人げないシュウとじゃれ合いながら、彼方くんは楽しそうだ。
私には到底そのような振る舞いはできない。自らの才能のなさが口惜しい。
そんな悔しさを押し殺しつつ、せめてショタの可愛い姿を目に焼き付けようとガン見していると。
「用が済んだなら、さっさと帰るわよ、彼方」
「あっ! 待ってよ姉ちゃん! シュウ兄ちゃんがカード返してくれないんだよ!」
「まったく、いい加減にしなさい、有村秋」
ギロリと姉に睨まれて、シュウは渋々奪ったカードを返した。
「仕方ないな……わかった。ほら、返してやるよ」
「うぅ……覚えてろよ! 次は負けないからな!」
「ふん。せいぜい精進するこった」
まるで本物の姉弟のようなやり取りで、再戦の約束を交わしたシュウと彼方くん。
本当に羨ましすぎて、妬けちゃう。しかも男兄弟なんて、いやらしい。
とはいえ、いやらしいのはそんなおかしな妄想を繰り広げる私自身であり。
それを自覚してしまってはとやかく言うことも出来ずに、立ち去る2人を見送っていると。
「そう言えば、瀬川灯」
「えっ? どうしたの、玲奈ちゃん?」
ふと思い出したように立ち止まり、彼方くんの耳を塞いでから、火花姫は痛烈な言葉を口にした。
「あんたがあんなに淫乱だとは思わなかった」
そのあんまりな言い草に柔花姫は激怒して、食ってかかる。
「な、なにそれ! 玲奈ちゃん酷い!!」
「ふん。男にうつつを抜かして本戦でヘマしないように、せいぜい気をつけることね」
瀬川さんのことを淫乱呼ばわりした鷹宮さんは明らかに言い過ぎだ。
そもそも、女子だって生き物なので性欲は存在しており、それを中傷するのはナンセンスだろう。
だいたい、鷹宮さんだって、私に太ももを囓られた日の夜は寝れなかったと言っていたし。
もっとも、寝ないでナニをしていたかなんてことは考えるまでもなく明白であるので、深く追求したりはしないが、それを鑑みると、火花姫だってわりと淫乱と言えるし、もちろん私とて人のことをとやかく言えたものではない。
だけど、この素直じゃないお姫様の喧嘩腰な態度には、いつもの通り裏があることもまた明白であり。
それを察した様子の柔花姫は、それ以上やり合うことなく、矛を収めた。
そしてとどめと言わんばかりに、純粋な少年がペコリと頭を下げて。
「皆さん、どうか姉ちゃんのことをよろしくお願いします!」
「よ、余計なこと言わない! ほら、帰るわよ!!」
クールに立ち去るつもりだったらしい鷹宮さんが慌てて姉思いの健気な弟を引きずっていく。
手を振る彼方くんに手を振り返しながら、瀬川さんがくすりと微笑んで、呟く。
「あれが玲奈ちゃんなりの激励なんだね」
「うん。鷹宮さんは素直じゃないけど、良い子だよ」
「ん……知ってる」
鷹宮さんへの理解を深めた私たちは、顔を見合わせて、くすくす笑い合う。
男にうつつを抜かさずに、本戦に集中しろと、鷹宮さんは言っていた。
それは期待の表れであり、同時に激励でもあったのだ。そう考えれば、腹も立たない。
そして気合いも入ったらしく、瀬川さんは吉田くんと本戦においての戦略を練りながら、帰路についた。
「それじゃ、私たちも帰りましょ」
「ああ、そうだな」
吉田くんと瀬川さんを見送ってから、我々も公園を出た。
シュウは当然とばかりに、私を自宅まで送ってくれる。
そのことに感謝しつつ、私は今日の彼のファインプレーを褒めることにした。
「シュウ、今日は偉かったね」
「なんだよ、いきなり」
「ちゃんと瀬川さんに負けてくれた」
「あれはマジで勝つつもりだったんだよ」
「そうやって本気で戦って負けてくれたから、全部上手くいったんだよ」
「ふん。物は言い様ってやつだな」
「それに、機転を利かせて2人をくっつけてくれた」
「あれはただの腹いせだ。利用されて黙って引き下がりたくなかっただけだよ」
「本当に、あなたはお人好しね」
「ほっとけ」
「ほっとけないわ」
「……じゃあ、俺にもご褒美をよこせ」
「それなら、ちょっと耳を貸して」
これでもかと褒めまくり、すっかり赤くなった彼の耳に、心からの思いを込めて、囁く。
「そんな素敵な彼氏が、私は大好きです」
そう言ってやると、彼は盛大にため息を吐き、まるで観念したかのように私の言葉を受け入れた。
「……なら、負けた甲斐があったかもな」
悔し紛れにそんな負け惜しみを言う彼が、可愛くて、愛おしくて。
本日ようやく実った瀬川さんの吉田くんに対する想いと、吉田くんの瀬川さんに対する想いと同様に。
シュウに対する愛情がより重く、そして厚くなったことを実感した私は、もう居ても立ってもいられず、ぎゅっと腕にしがみついて、自宅までの道のりを心ゆくまで愉しんだのだった。




