第48話 『一学期の思い出』
「見て見て、神崎直! 100点!!」
期末テストが終わり、採点された答案用紙が手元に戻ってきた。
一喜一憂する同級生の悲鳴が響く教室内で、一際大きな歓声と共にこちらに駆け寄ってきた火花姫。
100点を獲得したことがよほど嬉しいらしく、褒めて褒めてと言わんばかりに眼前に突きつけてくる。
彼女は良くも悪くも感情を全面に表に出すタイプなので、わかりやすいことこの上ない。
きっと鷹宮さんに尻尾が生えていたら、ブンブンと左右に振っていることだろう。とても可愛い。
だが、しかし。
ここで望み通り褒めてあげるほど、鉄花姫たる私は甘くない。
つい今しがた返却された自分の答案をバンッと机の上に叩きつけ、そこに書かれた点数を見せつける。
「私も、100点」
椅子に座ったまま、顎を上げ、ふんぞり返り、目が点になっている鷹宮さんに自分の点数を告げる。
すると、ぎょっとした様子で彼女は喚いた。
「な、なんであんたも100点取ってんのよ!?」
「おりこうさんだから」
「わ、私だっておりこうさんだし!」
「それなら、お揃いね」
「お、お揃いとか、冗談じゃないし!」
「じゃあ、鷹宮さんはお馬鹿さんでいい?」
「どーしてそーなるのよ!? 神崎直のバカー!!」
ふっ……他愛もない。
やはり、勉強はしておくに越したことはない。
尻尾を丸めて逃げ帰る火花姫に冷笑を浴びせつつ、瀬川さんの様子を伺う。
見目麗しき柔花姫も、大層おりこうさんだった筈なので、同じく100点かしらと思ったのだが。
彼女は返却された答案になど目もくれず、机にカードを並べて研究中。没収されないか心配だ。
あの様子だと、テストの点数もよろしくなかっただろう。それどころではないように見える。
一学期の最後のイベントである期末テストが終わり、学校は夏期休業へと入る。
その夏休みの間に開催されるカードゲームの大会に向け、瀬川さんは集中していた。
その集中力は凄まじく、授業中はもとより、昼休みでさえもご覧の有様だ。
「瀬川さん、最近パンばっかりだね」
昼食時、近頃パン食が多い彼女に声をかけても、返事はない。
一口囓っただけの、つぶあんとマーガリンが挟まったコッペパンを片手に持ちながら、視線は机に並べられたカードに向けられている。
どうやら私の声は耳に入ってないらしく、並べたカードを入れ替えたり、枚数を変えたり、忙しそうだ。
カードゲームの知識がない私には、現在彼女が思案している内容を理解することは出来ず、その代わりにただただ心配のみが募る。
だって、この頃瀬川さんが昼食を完食する姿を見た覚えがない。大抵パンを半分以上残していた。
そのせいか、ちょっと痩せたようにも見えるし、目の下のクマも尋常じゃない。
恐らく、ろくに寝ていないのだろう。体調を崩しては大会どころではないのに。
そしてなにより、口数が減っていることが、一番の問題だった。
瀬川さんがどうしてここまで根を詰めているのかは、重々承知している。
全ては吉田くんに想いを告げる為。そのためだけに彼女はここまで必死になっていた。
しかし、だ。
いまはお昼休み。昼食の時間である。
いつも通り、私たちは固まって、お昼ごはんを食べている。
私の隣にはシュウが居て、そして瀬川さんの隣には吉田貴広が座っている。
だが、瀬川さんが大会に向けて集中していることを知っている故に、彼からその邪魔をすることはない。
持参した大きなお弁当を食べながら、迷惑をかけぬよう、小声でシュウと吉田くんは雑談していた。
つまり、せっかく想い人が隣にいる状況なのにも関わらず、一切会話がない状況が続いているのだ。
これはいくらなんでも、如何なものだろうか。
吉田くんの為に頑張っているのに、瀬川さんは彼との関わりを断絶してしまっている。
もちろんそれで彼が彼女を嫌うことはないだろうが、かといって距離が縮まる筈もなく。
このままでは本末転倒になりかねないので、この間、意を決して、いっそチャンピオンである吉田くんに大会攻略の助言を求めてみてはどうかと具申したところ、それでは意味がないとの返答をされてしまい、私も口を出すことができなくなってしまっていた。
とはいえ、瀬川さんの主張はもっともであり、今回の大会は瀬川さんの成長と強さを示す場でもあるので、それに際して追いつきたい存在から助言を得ることなど、受け入れられないのは当然と言えよう。
吉田くんも彼なりに思うところがあるらしく、あまり余計なことは言わないように気をつけているらしい。
その心配りが状況を悪化させてしまうだから、やはり恋愛とは一筋縄ではいかないものだとつくづく思う。
そんな現状を憂う私と同じく、隣の席の恋人たるシュウも心配はしているものの、基本的には無関心だ。
まあ、なにか口出ししたところで良い結果が得られる保証がない以上、それが最善だろう。
というわけで、私もこれまで出来得る限り干渉しないように努めてきたのだが、そろそろ限界だ。
だってほら、瀬川さんったらまた食べこぼして、机に落ちたそれを拾って口に運ぶ途中でまた落としてを繰り返している。そんな有様の天使様の姿をこれ以上見ていられない。なんとかしなければ。
焦燥感に駆られた私の脳裏に、先日変態教師と繰り広げた部室内でのやりとりがよぎる。
あの時は上手い具合に瀬川さんを現実に引き戻すことが出来た。
あれと同じように騒げば、きっと悩める天使様の気も紛れる筈。
とはいえ、かなり品性に欠けるので、あの女のような下品で下劣な発言を口に出すことは出来ない。
というわけで、ここはそんな汚い会話をしていても何ら問題ない男子を利用することにした。
「シュウ」
「ん? どうした、ナオ」
「折り入って聞きたいことがあるのだけど」
「なんだよ改まって。遠慮はいらないから、なんでも聞いてみろ」
きょとんとした恋人に、尋ねる。
「ロリコンのあなたは、大きな胸に興味ないのよね?」
「当たり前だろ。俺は膨らみかけが好きだ」
「それなら、瀬川さんの胸ならどう?」
「瀬川の?」
「うん。最近、また大きくなったみたいよ」
持ちかけたのは、卑猥な話題。
しかも名指しで瀬川さんを指名して、所感を聞いてみた。
するとシュウはふむと顎に手をやって暫し黙考してから。
「あれは別格だな」
「なんで?」
「だって、あれで背中とか流して貰ったら最高だろ」
「は? 背中?」
「そうだよ。身体に泡付けて、胸で背中を流すんだ」
「ごめん、ちょっと意味わかんない」
なんかおかしなことを言われて、動揺が隠せない。
ちょっと瀬川さんの胸のお話をしようとしただけなのに、どうしてこうなった?
今更ながら男子高校生のぶっ飛んだ脳みそにびっくりしていると、なにやら吉田くんが憤慨して。
「有村は神崎さんに流して貰えばいいだろ!」
「いや、流さないから」
即座に拒否しておく。
胸で背中を流すとか、普通に嫌だし。
しかし、吉田くんの怒りは収まることなく。
「だいたいロリコンの癖になんで大きな胸に背中流して貰いたいんだよ!」
「それが男の夢だからだ」
「むぅ……それなら仕方ないか」
えっ? 納得するの?
もはや完全に私は置き去りに、猥談は加速。
「たしかに有村の言うとおり、瀬川さんの胸は別格だからね」
「胸はある一定の大きさを越えると、信仰の対象に変わるからな」
「そうそう偶像崇拝みたいな。ただそこにそれがあるだけで、神秘的だよ」
隣にその偶像が座っているのにも関わらず、吉田くんは虚空を見つめて拝むような仕草。
なに馬鹿なことを言ってるんだと、ほとほと呆れかえっていたのだが、その祈りが功を奏したようで。
彼の賞賛を受けた瀬川さんの顔がみるみる赤く染まり、柔花姫は恐縮しつつも謝意を述べた。
「……ほ、褒めてくれて、ありがとう」
「へっ? あ、いや、こちらこそ生まれてきてくれてありがとう、ございます……」
彼女の存在をすっかり忘れていたらしい吉田くんは虚をつかれた様子で、妄言を口にした。
生まれてきてくれてありがとうとか、それは結婚して嫁ぐ娘に父親が送る言葉だろうに。
ともあれ、そんな彼のおかしな台詞にも瀬川さんは喜びを感じたらしく、柔花姫の名の通り、柔らかな微笑みを浮かべてはにかんだ。
同性の私でも思わずときめきを感じざるを得ないその眩い笑顔は、当然ながら至近距離に座る吉田貴弘の心を深く、たやすく居抜き、このまま告白すれば成功率100%に決まっているのだが、そうはならない。
2人して困ったように笑い合う友人に呆れつつも、カードと睨めっこばかりしていた先程よりは遙かにマシに思われたので、とりあえず自分の恋人のアシストに感謝する。
「シュウ、ナイスアシスト」
「まったく、焦れったい奴らだな」
「まあ、2人ともマイペースな性格だもんね」
「ああいうのに限って、付き合ったらすぐに子供作って中退するんだよな」
「やめてよ、縁起でもない」
せっかく褒めてあげたのに、唐突に不吉なことを言われて、ぷんぷん怒りつつ、話題を変更。
「そう言えば、さっき吉田くんと話してたことだけど」
「ん? 巨乳が信仰の対象って話か?」
「そう。あれは本心なの?」
「まあ、半分はな」
「半分?」
「ある一定の大きさに達した巨乳に対しては一種の造形美のようなものを感じるから敬意を払うが、だからってどうこうするつもりはない」
「要するに、美しいとは思うけど、欲しくはないってこと?」
「そうだ。より簡潔に一言で言えば、尊いと言えるな」
ロリコンの癖に、巨乳が尊いなんて。
意外と浮気性なのかしらと白い目を向けつつ、彼女としての意地を見せる。
「ほらほら、私の胸だって捨てたものじゃないですよ」
そう言って、見せつけるように自分のそれなりの胸を持ち上げて、アピール。
するとシュウはおもむろに手を伸ばしてきて。
「ちょっ……今、何しようとした?」
「えっ? 揉めってことかと思って」
「信仰の対象を躊躇無く揉もうとするな」
身を引いて魔の手を交わして、ジロリと半眼を向けると、彼は鼻で笑った。
「はあ? ナオの胸が信仰の対象? ないない、ありえない」
「あ? なによそれ、どういう意味?」
「さっきも言っただろ。ある一定の大きさ以上じゃないと偶像にはなれないんだよ」
「でもあなた、さっき思いっきり私の胸を揉もうとしてきたじゃないの」
「それはあれだ、据え膳は食わないと男が廃るからだ」
駄目だこいつ。わりと雑食すぎる。
まあ、男子高校生なんて猿だからそんなものかも知れないけど、それが自分の彼氏だと思うとぞっとする。
「少しは節操を持ちなさいよ」
「節操ならもう持ってる」
「どの口がそんな自信満々なこと言うのよ。膨らみかけが好きだったんじゃないの?」
「それは趣味の話だろ。巨乳信仰とは別物だ」
「それじゃあ、そのどちらにも当て嵌まらない私の胸は、どうでもいいってこと?」
少しばかり険悪な空気が流れ始めた私たちの異変に気づき、瀬川さんと吉田くんが不安げな目を向ける。
だが、眉根を寄せる私とは裏腹に、シュウは至って平然と。
「ナオは俺の彼女だから、その胸も当然特別に決まってるだろ?」
こいつは本当に……急にデレるからびっくりするなあ、もう。
彼女だから特別とか言われて、嬉しくないわけはない。だが、焦るな。
彼の突然の変貌ぶりに動揺しつつ、それを何とか押し殺して、もうちょっと追求してみる。
「彼女だから特別って、どういう意味?」
「彼女の胸ならどんな憐れ乳でも好きってこと」
「それだと私が憐れな胸をしてるみたいだから訂正して」
「ナオが好きだから胸も好きだ」
「ん……嬉しい」
よしよし、これでいい。
無理矢理言わせた感が半端ないが、お望みの台詞を言って貰えた嬉しさについ舞い上がる。
要するに、どんな胸でも私だから好きってことだよね。なにそれ、嬉しい嬉しい!
途端にあっつくなった両頬を押さえつつ、喜びを隠し切れず身悶えしていると、吉田くんが更に煽てる。
「それに神崎さんは脚も綺麗だよね」
「ああ、言われてみればそうかもな」
「うんうん。なおちゃんは背も高くてバランスがいいよね」
ちゃっかり瀬川さんまでも脚を褒めてきた。
やだもう。皆して褒め殺し? いや~困っちゃったなぁ。ちょっと脚を組んでみようかしら?
などと盛大に浮かれて照れつつも、もっと褒めてと期待に胸を膨らませる。
今日はとっても良い日だと幸福感に包まれていたのだが、やはりオチはつきものらしく。
「ま、言ってみればナオは中途半端なんだよな。そこが長所でもあり、欠点ってわけだ」
そんな身も蓋もない物言いで乱雑に締めくくったのは、こともあろうに私のかれぴっぴ。
吉田くんと瀬川さんが信じられないといった眼差しを送るが、この無神経男は気づかない。
「胸は瀬川に圧倒的大差で負けてるし、尻だって顧問に一歩及ばず、脚に関しては長さはともかく鷹宮なんかもそれなりに……あっ! おい! なんだよナオ! 胸ぐらから手を離せって!!」
「もう許さん! 一発ぶん殴ってやる!!」
乱心した私がシュウの胸ぐらを掴んで暴力に訴えようとすると、慌てて吉田くんが話題をすり替えた。
「ま、まあまあ! たしかに火花姫の脚も綺麗だよね!」
そう言われてしまえば、頷くしかなく、異論はなかった。
「……どうせ私は誰にも勝てないですよ」
自らの魅力の乏しさを認めて、いじけていると、優しい2人が励ましてくれた。
「いやいや、長さは神崎さんの勝ちだよ!」
「そうそう、なおちゃんは脚が長くてとっても素敵だよ?」
「おいおい、あんまり俺の彼女を甘やかすなよな」
「有村は黙ってろよ、もう!」
「ちょっとは女心を学んで!」
「お、おう……なんかすまん」
すかさず余計な茶々をいれようとした彼氏はフルボッコ。すぐさま封殺された。
ようやく自分のデリカシーのなさを自覚したらしきシュウは大人しく反省中。
そんな彼を見て少しは溜飲が下がった。その隙に、吉田くんはさっき変更を試みた話題を展開。
「なにはともあれ、僕としてはやっぱり鷹宮さんの脚は素晴らしいと思うね」
「む……吉田くんったら、そんなに玲奈ちゃんの脚が好きなの?」
よほど慌てていたらしく、瀬川さんの反感を買ってしまった吉田貴広。さあ、どうする?
「い、いや、もちろん瀬川さんの脚も素敵だよ!」
「でも私はなおちゃんみたく長いわけじゃないよ?」
「それでも、その……柔らかそうだから」
「……そっか。そんな目で見てくれてたんだ」
「な、なんかごめんね……」
「いいの。嬉しい」
上手く切り抜け、瀬川さんの機嫌は回復。やるじゃん。
もしかしたら一学期においてもっともコミュ力を上昇させたのは吉田くんかもしれない。
九死に一生を得た彼は、先程鷹宮さんの脚を褒めた理由について、柔花姫のフォローもしつつ解説した。
「鷹宮さんの脚の魅力は、別に見た目うんぬんじゃない理由があるんだ」
「どういうこと?」
「わかりやすく言えば、瀬川さんは脚は足裏まで柔らかそうで、踏まれてもきっと痛くないと思うんだけど、鷹宮さんはちょっと痛くしてくれそうだから、そこがいいんだよね」
「それはなおちゃんの脚じゃ駄目なの?」
急に私の脚についての話題になって、ちょっと戸惑う。
文脈的に足で踏む際に痛くしそうかどうかの話だったので、私は瀬川さんから見て、そんなに痛くしそうに思われているのだろうか……もしも暴力女みたいに思われているのならば、とても悲しい。
そう思って困惑していると、シュウが割り込み、知ったようなことをほざく。
「ナオは加減を知らないからな」
「うんうん。きっと使い物にならなくなるくらい、踏みつぶされる気がする」
「はいはい、どうせ私は加減を知りませんですよ」
何を踏みつぶすのかは定かではないが、とりあえず軽く流しておく。
強く否定出来ないのは、自分でもやりかねないと思っているから。
つーか、絶対潰してやる。そんな機会があるとは思えないが、覚えてやがれよ。
そんな風に憤慨しつつ、ふと視線を感じて教室の前方に目を向けると、鷹宮さんと目が合った。
だいぶ騒いでしまったので、うるさかったのかもしれない。
というか、いつの間にかクラス中の注目を集めてしまった。
そんな衆人環視の中、彼女の脚について話題にしているのだから、気になるのも無理はない。
とはいえ、件の火花姫の席とはかなり離れているため、詳しい内容については聞こえていないらしい。
私と目が合って、鷹宮さんは慌てて目を逸らしたものの、やはり気になるらしく、何度もチラ見してくる。
耳を大きくして聳たせる彼女がどうにも不憫になり、陰口を言っているわけではないことを証明するべく、ちょいちょいと手招きして呼んでみた。
すると、プライドが高い火花姫は高飛車にぷいっと前に向き直ってから、暫し逡巡して、小走りでこちらにやってきた。やれやれ、本当にチョロいな、この子は。
「な、何の話をしてんのよ、あんた達は……!」
「知りたい?」
くすりとほくそ笑んで、尋ねると、鷹宮さんは苦い顔をしてから、こくんと小さく頷いた。
最近わりと素直になってきたことは成長の証なのか、それとも諦めているだけなのか。
定かではないが、どっちにしろ私としては御し易い方が楽なので、更に過激な要求を突きつけてみた。
「鷹宮さん、ここにおいで」
「へっ?」
ポンポンと、椅子に座ったまま、自分の膝を叩く。
すると火花姫は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、小首を傾げた。
くっそ可愛いな……やっぱりこうした素の表情は、弟の彼方くんにそっくりである。
姉である彼女の性別が男でないことを悔やみつつ、もっともらしい理由を私は口にした
「私、皆から虐められてちょっと傷ついてるから、癒やして欲しいのよ」
「だ、だからって、なんで膝の上に座らないといけないのよ!?」
「座ってくれたら、さっきまで何を話してたか教えてあげる」
これは別に取って付けたというわけではなく、わりと本心からの要請だった。
現在の私は、彼氏と友人の集中砲火を浴びてメンタルが瀕死となっている。
だから、この簡単に言うことを聞いてくれそうなチョロい姫君を駄目元でナンパしたのだが。
「うぅ……ちょっとだけだからねっ!」
その火花姫の返答に、教室内がざわめく。
ついに火花姫が鉄花姫の手に落ちたとか、眼福眼福といって拝む者も続出している。
それもその筈、クラスの連中からすれば敵対関係だった我々の関係の変化についていけないだろう。
それにしても本当に、意外とすんなり受け入れてくれた。本当に最近の鷹宮さんは素直すぎて逆に心配だ。
こんなに押しに弱くて、悪い男に騙されたりしないかしら?
なんて憂慮しながら、悪い私は彼女を膝の上にお招きして、鷹宮さんの柔らかくて小さなお尻の感触に感激しつつ、その若干朱が差した耳にこしょこしょ耳打ち。
「まずは胸で背中を流して……」
「はあっ!? なんで胸で背中を流すのよ!?」
「それでね、鷹宮さんの足裏でね……」
「はわわ……! あ、足裏で、そんな……!」
「ちょっと痛いくらいが良いらしくてね……」
「な、なんで痛いのがいいの……?」
ふむ、どうして痛いのがいいのか、か。そんなのは知らん。
私にわかるのは目の前に存在する鷹宮さんの耳がとっても美味しそうだということだけだ。
なので、痛みと心地よさの関係性について説明するついでに、自らに芽生えた欲望を満たすことにした。
「それはたぶん、こんな風に……はむっ!」
「ひゃうっ!?」
本能の赴くままにガブリと耳を囓ると、鷹宮さんは嬌声をあげた。
それを受けて、教室内の盛り上がりは最高潮。
良いものが見れたと、感動して涙を流している者もいる。
皆に喜んで貰えた上に、私自身も嬉しい。これぞ、最高のエンターテイメント。
とはいえ、囓られた火花姫は堪ったものではなく、気炎を吐いて喚き散らした。
「ど、どどどうして耳を噛んだの!?」
「美味しそうだったから、つい」
「やめなさいよ! 彼氏持ちの癖に!!」
「こりゃ失敬」
説教されてもヘラヘラしている私を見て、埒があかないと思ったらしく、鷹宮さんは彼氏に直訴した。
「有村秋も見てないで何とか言ってよ!」
「ん? 別にいいんじゃないか? 今のナオ、かわいいし」
「な、なにそれ! 惚気てるつもり!? ばっかじゃないの!?」
残念ながら彼女の訴えが立件されることはない。何故ならば、私の彼氏は頭がおかしいから。
自分の彼女がクラスの女子を膝に乗せてあまつさえ耳を囓ったのにも関わらず、彼は爽やかな笑顔で、私のことをかわいいと言ってくれた。
本当に突然デレる男だ。また嬉しくなってしまって、感謝を述べる。
「ありがと、シュウ」
「気にするな。見たままを口にしただけなんだから」
「それなら、是非とも写真に収めておきたいわね」
「撮ってやろうか?」
「いいの?」
「ああ、最近のスマホのカメラは優秀なんだぜ?」
そう言ってスマートフォンを取り出してこちらにカメラのレンズを向けるシュウ。
彼曰く、性能はいいらしい。私はその方面には疎いので、彼氏の言葉を信じる他ない。
とりあえずなるべく可愛く写ろうとするものの、写真撮影と聞いて鷹宮さんが大暴れ。
「しゃ、写真なんて、冗談じゃないわよ!?」
「いいから、じっとして」
「もう撮っていいのか?」
「やだやだ! せっかく神崎直と写るのに、こんな格好恥ずかしい!!」
シュウが撮影の最終確認をすると、いやいやと首を振って顔を両手で覆い、断固拒否の構えの鷹宮さん。
とはいえ、それは写真撮影に対する反発ではなく、私の膝に乗った現在の体勢がご不満らしい。
しかしながら、どんなに文句を言われようとも今更解放するつもりはない。このままがいい。
だから私はこの往生際の悪いお姫様をその気にさせるべく、甘言を耳元で囁いた。
「大丈夫。鷹宮さんはどんな時でも可愛いわ」
「ほ、ほんと……?」
「もちろん。だから、ほら、笑って?」
優しく諭すと、途端に大人しくなった火花姫。
よし、好機到来。
今しかないとシュウに目配せして、ニッコリ笑顔。
「我ながら、よく撮れた」
シャッター音が響き、シュウは満足げに撮った写真を見せつけてきた。
そこには、私に抱っこされて顔を真っ赤にして俯きながらも、上目遣いでカメラに目線を向けてほんの少しだけはにかんだ、気の強い聖女様みたくとっても可愛い火花姫と、鉄火姫の象徴たる鉄仮面が溶け落ちて、魔王が垣間見せる素顔の如く満足げに満面の笑みで写る私が、綺麗に表示されていた。
本当に、良い写真だった。これはなんとしても手元に残したいと思い、シュウに聞いてみる。
「これって現像できるの?」
「そりゃあプリントアウトするだけだから簡単だけど、欲しいのか?」
「うん、欲しい」
「わかった。楽しみにしててくれ」
プリントアウトとやらが何なのかさっぱりだが、簡単に写真に出来るらしい。
即座に欲しいと言うと、彼はくすりと笑って快諾してくれた。それにつられて、私も微笑む。
そんな私たちのやり取りの最中も、食い入るようにシュウのスマホの画面を見つめていた火花姫が、とても小さな声でシュウにおねだりとも取れる発言をした。
「わ、私にも、あとで送って……」
「なら、連絡先を教えてくれ」
「うぅ……背に腹は代えられないか……わかった」
散々迷ってから、渋々自分の携帯電話を取り出して、シュウと連絡先を交換する鷹宮さん。
送るとか言っていたので、あとで写真を送信して貰うつもりらしい。すげーな、最近の携帯。
そんなことが出来るのかと驚愕して、完全に文明からおいてけぼりを食らった私に、これまで静観していた瀬川さんが可愛く頬を膨らませながら、恨めしげな文句を口にした。
「むむむっ……また玲奈ちゃんばっかり甘やかして」
そんな大変光栄なジェラシーを賜って、私がフォローするよりも早く、鷹宮玲奈がせせら笑った。
「瀬川灯は重くて膝に乗れないでしょ?」
「う、うるさい! それならこっちにも考えがあるんだから!!」
またしても体重のことを持ち出された瀬川さんはぷんすか怒りつつ、傍観をやめ、攻勢に打って出た。
「なおちゃん、今度は私の膝に座って」
「へっ? 瀬川さんの膝に……?」
「うん。嫌、かな……?」
「い、嫌じゃないよ! ごめんね、鷹宮さん。ちょっと退いててね」
瀬川さんにおいでと言われたならば、たとえ地球の裏側でもはせ参じねばなるまい。
そんな強力な使命感に突き動かされて、私はすぐさま鷹宮さんを膝から下ろし、彼女に文句を言われる前に速やかに天使様のお側へと急行。恭しく一礼して、最敬礼。すると柔花姫は柔らかな微笑みをくれた。
こんないち使用人に過ぎない私めにそのような笑顔をくださるなんて……恐悦至極の極みである。
恐縮しつつ、失礼のないように、敬語で着座の許可を求める。
「それじゃあ、失礼致します」
「はい、どうぞ」
「重かったら言ってね?」
「気にしなくて平気だよ~。うわ~! なおちゃん柔らかい!」
「瀬川さんも、柔らかくて……温かい」
恐る恐る腰を下ろすと、歓声をあげられた。
一応、誤解のないように言っておくが、当然向かい合わせではない。
こんな衆人環視の中でそんなことをすれば、瀬川さんにも迷惑を掛けてしまうだろう。
早乙女茜に相談した時のように密室であれば私とてやぶさかではないのだが、それはそれで歯止めが利かなくなる可能性があり、お互いにノーマルを公言出来なくなりそうなので、むしろこれで良かったやも知れぬ。
というわけで、私は自分の天使にお尻を向けてしまったのだが、瀬川さんは全然気にした様子はなく、むしろとても喜んでくれた。彼女に私のお尻が気に入って貰えたようで、なによりだ。果報者なお尻である。
そして兎にも角にも背中に伝わる弾力がすごい。それで私は悟った。
なるほど、これはたしかに、胸で背中を流して貰いたくなる気持ちもわかる。
もしこの場が浴室だったら、迷わず実行に移していたことだろう。本当に、教室でよかった。
背中を流してしまったら、最後。せっかく彼氏が出来たばかりなのに、私は天使に純潔を捧げなければならいないところだった。
そんなギリギリの攻防をしつつ、なんとか平静を保っている私を見て、今度は鷹宮さんがぷんすか怒った。
「あ、あたしに可愛いって言った癖に……なんて節操のない女なの! 有村秋! あれでいいわけ!?」
「いいんじゃないか? かわいいし」
「ぐっ……たしかに、瀬川灯に抱かれていつもより可愛く見えるのが、余計にムカつく……!」
昼休み前半は散々貶されて自信を喪失していたが、どうやら私は可愛いらしい。
ようやくメンタルが全快して上機嫌で膝に乗っていると、今度は瀬川さんが写真撮影を提案した。
「じゃあ今度は吉田くんが撮ってくれる?」
「もちろん喜んで! 有り難き幸せ!!」
心酔する姫君におねだりされた従者は、二つ返事で快諾して、スマホのカメラをこちらに向ける。
「それじゃあ、撮るよー!」
撮影の最終確認をされて、今更ながら少々緊張している私に、瀬川さんは柔らかな声音で囁いた。
「なおちゃん」
「えっ?」
「いろいろ気を遣ってくれてありがとね……大好き」
「あっ……わ、私も……大好きでふ」
突然の愛の告白に動揺して語尾がおかしなことになってしまった。
そのような有様では当然自分の表情をコントロールすることなど出来ず、そのまま無常にシャッターを切られてしまうこととなった。
白目とか向いてないか心配だ。不安で堪らない私に吉田くんが撮った画像を見せてくれた。
「どうかな?」
「すっごく良く撮れてるね。さすが吉田くん」
私が感想を述べるよりも先に、瀬川さんが彼を賞賛した。
幸い、私はおかしな表情はしてなくて、瀬川さんに抱かれて恥ずかしそうに顔を赤らめ、ちゃんと微笑んでいた。奇しくもそれは、先程撮った鷹宮さんの表情とそっくりで、とても恥ずかしくなる。
そして瀬川さんもまた、さっきの私みたく満足げに微笑んでいて、その笑顔を見るだけで、温かな気持ちになれた。そんな彼女が写っているだけで、これは歴史的な重要文化財のように思え、保存することを即断。
「うん。ちょっと恥ずかしいけど……これも現像して欲しい」
「じゃあ、有村が撮った分も含めて、まとめてプリントアウトしておくよ」
もじもじしつつお願いすると、頼もしい返事が返ってきた。
どうやら吉田くんは機械には強いらしい。とても頼りになる男子生徒だ。
そうして彼のことを改めて見直していると、私の席に腰掛けた鷹宮さんがつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふんっ……女同士でデレデレして、ばっかみたい」
なんともわかりやすい、いじけっぷりだ。
もちろんそんな彼女を放っておける筈もなく、私は瀬川さんに抱かれたまま、手招きをして誘う。
「鷹宮さんも、一緒に撮ろ?」
「わ、私はさっき撮ったから……」
渋る鷹宮さんに、瀬川さんがもう一押し。
「私も玲奈ちゃんと一緒に写りたいな」
「そ、そこまで言われたなら、仕方ないわね」
どうやら双方のわだかまりはゆっくりと氷解しているらしく、3人で写真を撮ることに決定。
その瞬間、教室内のあちらこちらから歓喜の声があがった。
生きてて良かったとか、もう死んでもいいとか、そんな大げさな絶叫がちらほら聞こえて苦笑。
しかし、苦笑いなどしている場合ではない。2人の美姫に負けないように、可愛く写らなければ。
「それじゃあ撮るぞ」
「次はこっちにも目線くださーい!」
この日最後の一枚は、シュウと吉田くんがそれぞれ違うアングルで撮影してくれた。
三大美姫がひとつのフレームに収まったこの空前絶後な写真はプリントアウト後、厳重にラミネート加工されて、私の勉強机に大事に置かれることになる。
高校2年の一学期の締めくくりに相応しい、とても良い思い出となった。
そしていよいよ、我々にとって忘れることの出来ない、夏休みが始まった。




