第47話 『馬鹿騒ぎの真意』
「まったく、神崎は本当に困った女だったぜ」
体育祭が終わり、一学期も残すところあと僅か。
期末試験が終われば夏休みが始まる、そんな頃。
うだるような暑さも校舎内に居れば耐えられないという程でもなく、私はなるべく運動を避け、静かに遊戯部の部室の片隅にて試験勉強にいそしんでいた。
しかしこの場所には存在するだけで不快指数を増加させる魔物が潜んでおり。
上機嫌のそのモンスターはペラペラと信者たちに向けて演説を聞かせていた。
「せんせー助けて! って言うから仕方なく相談に乗ってやったら、終始、なんで? どうして? ときたもんだ。この優しい菊花姫様が懇切丁寧にかみ砕いて説明してやってもあのわからんちんはくるくるパーだったから直接身体に教え込んでやったってわけ。そしたら、もっともっと! ってうるさくてよ。やれやれだぜ」
何度目か知れないその虚偽しか残っていない内容はツッコミどころ満載ではあるが、無視。
もう慣れた。相談前から懸念していた不安は的中し、早乙女茜はあることないこと吹聴していた。
しかしながら一応、守秘義務という概念は理解しているらしく、相談内容を暴露することはない。
耳障りなことこの上ないが、それならムキになることもないだろうと思っていたのだが、この女は。
「それでも心優しい菊花姫様はそんな赤ん坊みたいな神崎を嫌々ながら抱っこしてよちよちってあやしてやったんだが、それからなかなか膝から降りなくてよ。何度降りろっつっても、やだやだ! って喚かれてな。挙げ句の果てに、もっといぢめてくらはい! とか訳わかんないこと言いやがって……何が、くらはい! だっつーの」
馬鹿みたいな顔をして、くらはい! くらはい! と連呼する早乙女茜。
もしかしなくてもそれは私の物まねのつもりか? そうなのか? そうなんだな?
おーし、上等じゃんか。ヘラヘラとそこまで言われたなら黙ってられん。
勉強の手を止め、ゆらりと席を立ち、怒気を露わに背後まで接近して、バカ女の首根っこを掴み、怒鳴る。
「いい加減にしろっ!!」
すると、首根っこを掴まれた嘘つき先生はにやりと笑い、挑発してきた。
「お? なんだ神崎、生きてたのか。てっきり部室の隅で死んでんのかと思ってたぜ」
「お生憎様。この通りピンピンしてます。ボコボコにしてあげましょうか?」
「あん? なに苛ついてんだよ。ははーん……さては生理だな? 二日目だろ?」
「いいえ。先週終わったばかりですが、なにか?」
「それなら安全日じゃねーか。やらせろよ」
「なにを?」
「この前の続き」
「なんのことですか?」
「また抱っこして欲しいんだろ?」
「勘違いも甚だしいですね。先生が私を抱きたいだけでしょ?」
「素直じゃねーな。そんなんじゃ彼氏に嫌われちまうぞ」
「余計なお世話です」
こうなるとわかっていても、ついつい構ってしまった。
我々の刺激的な舌戦に部内の男子が歓喜。ただでさえ暑い部室が熱狂に包まれる。
それを受けて調子に乗りに乗ったアスタリスク姫の汚いお口は更に饒舌さをマシマシ。
次々と下品な言葉が乱射されるこの女の口はどんな構造になっているのか不思議で堪らない。
それを調べるついでに嘘ばかりつく悪い舌を引っこ抜いてやろうかと思ったら。
「そんで? 有村とはもうやったのか?」
「へっ? いや、その……」
不意に、そんな下世話なことを尋ねられて、返答に窮する。
すると性悪女教師は底意地悪く口角をつり上げ、ここぞとばかりに追求してきた。
「なんだよ、まさかまだやってねーの?」
「ま、まだって、交際が始まったのはついこの間ですし……」
「マジかよ信じらんねー」
「なんですかそのムカつく反応」
大げさなジェスチャーで外人みたいに首を振られた。
呆れられたことにむっとして睨んでも、早乙女茜はどこ吹く風。
「ちなみにキスくらいはしたのか?」
そう聞かれて、交際初日の出来事を思い出す。
間近に迫ったシュウの顔は、未だに目に焼き付いて離れない。
もっとも、あの日以来、迫られたことはない。適切な距離を取りながら我々は交際していた。
彼氏彼女という間柄になったとはいえ、その健全な距離感は友人だった頃と大差なく、心地良かった。
しかしながら、初日の事件が間一髪だったことには変わりなく、リフレインして赤面しつつ、しどろもどろになりながらも、ありったけの意地を掻き集めて、弱々しい反論を先生に言い返す。
「……せ、先生には関係ないでしょ」
「あるね。関係大ありだ」
動揺によって弱り切った私の拒絶など、この無神経教師に通用する筈もなく。
「おい有村、神崎に手を出すときには一言あたしに言えよー!」
大声で吉田くんとカードをしている有村くんにそんなことを言いつけると、彼は怪訝な顔をして聞き返す。
「なんでだよ」
「あたしが最初に唾つけといた女だから」
「はあ? なんだそりゃ」
「とにかく、初めては3人でパコんだよ」
「ふむ……3人、か。それはそれでありかも……」
「いやいやいや! ないから! 絶対におかしいから!!」
簡単に口車に乗ってしまったシュウを叱りつけ、先生にも釘を刺す。
「私たちの問題に首を突っ込まないでください!」
「別に何も突っ込まねーよ。むしろ突っ込まれる側だっての」
「どっちにしろ駄目に決まってるでしょ!?」
「うっせーな。せっかくあたしが好意で手ほどきしてやろうって言ってんのに……」
「全く有り難くありません。むしろただの迷惑です」
「いいから黙ってあたしにも印籠披露させろっ!!」
「だから印籠って何なんですかっ!?」
常人の理解をやすやすと超越した糞みたいな下ネタについていけない私の悲鳴も何のその。
耄碌したご老肛はすっかり肛門様気取りで椅子の上に立ち。
「この『門所』が目に入らぬかー! みたいな?」
こちらに尻を向けつつ、腰を捻ってウインクを飛ばす変態女。完全に『紋』違いである。
そんな目を覆いたくなるような醜態を見せられて、何故か沸き立つ変態部員一同。なんなんだこの集団は。
なんとしても認めたくないが、これが私の担任であり、部活の顧問だった。
とはいえ、そんな緩みきった空気の中でも真面目に活動している生徒も居るわけで。
「すみません。もう少し、静かにしてください」
響きは柔らかいながら、強い意志が籠もったその声の主は、瀬川灯。
ここ最近、彼女は熱心にカードの研究と対戦を続けていた。
それもその筈、そろそろカードの大会が近いのだ。夏休みに地区予選が行われる。
そして今年の大会には、重大な意味が含まれており、それを知る私は慌てて謝罪をした。
「ご、ごめん、瀬川さん」
「ん。平気だよ。気にしないで」
柔らかな微笑みを寄越して、机に並べた大量のカードに再び目を落とす瀬川さん。
ギリギリ機嫌を損ねることがなかったようで、ほっとしていると、先生が可愛いピンクのネクタイを緩めつつ、席を立った。
「まったく、これじゃあ息が詰まるな……おい、神崎。飲み物買いに行くぞ」
「私は勉強しているので、おひとりでどうぞ」
「いいから来いって、ほら、早く!」
「ちっ……わかりましたよ」
そんな感じで強引に同行を求められて、舌打ちしつつ渋々部室を出る。
前を歩く早乙女先生は、まるで競歩のような速さで廊下を進んでいくので、ついていくのが大変だ。
あっという間に自販機まで辿り着き、そこでようやく疑問を口にした。
「瀬川さんのことを聞くつもりじゃないんですか?」
「あん? 聞いたら話してくれんのか?」
てっきり瀬川さんのことについて聞き出す為に私を連れ出したのかと思って聞いてみたが、先生はそのつもりがなかったらしく、逆に聞き返されて返答に詰まってしまった。
もちろん話すつもりはないが、ちょっと頼りにしている自分も居て、困っていると。
「まあ、聞かなくても吉田絡みだってことはわかる」
あっさりと真相を言い当てられ、ぎょっとする私をよそに、早乙女茜は推測を口にする。
「たぶん、瀬川なりに補強してるんだろ」
「補強?」
「そう、重さとか厚みをな」
この間の授業で使用した言葉を用いて、的確に瀬川さんの心情を見透かす先生。
たしかに、現在彼女がしているのは補強と言えた。想いをより強固なものにする為の儀式のようなものだ。
それは私がシュウと付き合う際にもやっていたことであるので、それに必死になる気持ちはよくわかるが。
「あまり思い詰めなければいいですけど……」
どうしても不安がつきまとい、ついつい弱音を吐くと、先生は鼻で笑って種明かし。
「その為に騒いでやったろ」
「もしかして……あれは気を紛らしているつもりだったんですか?」
「ちげーよ。ただ単純に、からかってただけだ」
あの馬鹿騒ぎの真意について言及すると、早乙女先生はすぐに否定したが、天邪鬼なこの女は、恐らく。
「その結果、瀬川さんは蓄積したストレスを表に出せた、と」
「そうだ。あいつもそれがわかってるから、あんまり怒んなかっただろ?」
なんともはや、全ては計算ずくだったのか。
てっきりこの変態女教師は私とパコりたいだけかと思ったが、やはり侮れない。
それに敬意と打算の意味も込めて自前の財布を取り出し、自販機に硬貨を投入して、尋ねる。
「いちごミルクでいいですよね?」
「なんだ、奢ってくれんのか?」
「ついで、ですから」
「へっ。わかってんじゃん」
特に深い意味はないと断りつつ、いちごミルクを3つ購入。
内訳は先生の分と、自分の分と、そして瀬川さんの分。
本命はもちろん私の天使様たる柔花姫への差し入れだ。
言うまでもなく、先生の分はついでだが、それでも見返りを求めることに罰は当たるまい。
「先生」
「なんだよ?」
「奢ってあげたんだから、また抱っこしてください」
「やーだよ」
駄目元でおねだりしてみたが、あっかんべーで返されてしまった。
大人の癖に、その子供っぽい仕草が妙に似合うところが、この女のムカつくところだ。
とはいえ、その返答についてはわかりきっていたので、今更がっかりすることもなく。
踵を返して部室に戻ろうとする私の背中を早乙女茜がベチンとひっぱたいて、一言。
「暑いから、また今度な」
……やはりこの教師は、食えない女だ。
げんなりしつつも、その今度が待ち遠しくて。
叩かれてひりひりする背中に存在するブラのホックはまたしても外されており。
その犯人たる憎たらしくて糞ムカつくこの女のことを、どうしたって私は本気で嫌いにはなれないと、改めて実感するのだった。




