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ラブコメは刺激臭と共に  作者: 天秤
第1章 【高校時代】
44/60

第44話 『通りすがりの村人A』

「あちゃーまた負けちゃった」


 彼方くんとゲームを開始して、数十分が経った。

 この携帯ゲーム機の操作方法は、この間鷹宮さん宅で遊んだテレビゲームと大差ない。

 というか、私の記憶が正しければ、同じゲームだと思われた。

 好きなキャラクターで対戦する、格闘ゲームである。それのポータブル版といったところか。

 だが、二度目とはいえ、私はほとんど初心者であり、あの日から上達するための鍛錬は積んでない。

 それでも、少しは慣れてきたもので、前回よりは善戦する機会が増えた。

 ただ、やはり、チャンスがあっても、それに飛びつくことは出来ない。

 劣勢になると彼方くんは焦ってミスをすることが多々あった。そこを突けば、たやすく勝てる。

 それなのに、どうしても、この少年を負かすことは、出来なかった。


「本当に彼方くんは強いね」


 何度目とも知れぬ、敗北を経験してもなお、少しも悔しさはない。

 これは吉田くんにオセロで敗北するのとは、まるっきり違う感覚だ。

 勝とうとしていない時点で、ただの遊びと言えよう。そこに真剣さは存在しない。

 早乙女茜は、それをペットに対する愛情と評した。そのことを改めて実感していた。

 もちろん、彼方くんはペットなんかじゃない。人間であり、鷹宮さんの弟だ。

 彼は大変可愛らしくて、私はどうにも本気になれない。そう、本気になれないのだ。

 ショタコンたる私のショタに対する愛は、本物である。しかしそれゆえに、邪魔をしていた。

 本気でショタが好きだからこそ、ショタに対して本気になれない、そんなジレンマ。

 要するに、私にとってのショタは嗜好品だったのだ。

 それは言ってしまえば、癒しを求めて愛でるだけの、可愛いお人形のようなものだ。

 そのことを自覚すると、堪らなく胸が切なくなる。そんなの嫌だ。

 わかってはいても、自分がそういう薄っぺらな人間だと理解したくない。

 苦しくて、息をするのも辛いのに、この少年とこうして遊んでいると、とても楽しくて。


 そんな私を、少し離れた位置から鷹宮さんが見つめている。

 不満げに眉を顰めながらこちらを射貫くその視線には、いつもの熱さは含まれておらず。

 わざわざ彼女のほうを見ずとも、その身に宿した熱が、冷え切っていくのを肌で感じた。


 自分が今、現在進行形で彼女に失望されていることなど、重々承知だ。

 我ながら、駄目な女だと思う。本当に、どうしようもないショタコンだ。

 こんな状況になっても、ショタと接するのが楽しくて仕方ない。そんな自分に反吐が出る。

 駄目なショタコンの見本のような私は、それでも自分を貫き通す。これが私だと示す為に。

 だからこそ、どれだけ批難の視線に晒されようとも、いつまでも彼方くんと遊んでいたいと、そう思っていたのだが。


「……直さんは、本当に優しいですね」

「えっ?」


 ぽつりと、消え入りそうな少年の悲しげな声が、耳に届いた。

 思わず視線を声の方へと向けると、そこには楽しそうなショタの姿はなく、悲しそうな視線でこちらを見つめる彼方くんと目が合った。

 どうして、そんなに悲しそうな目をしているのだろう。胸が締め付けられる感覚になる。

 私は楽しくゲームをしようとしたのに。君を辛い目に遭わせたくないのに、どうして。

 困惑して、焦って、なんとかしようと思っても、結局なにも言えず。

 そんな駄目なショタコンに、理想のショタは決定的なとどめの一撃を、放った。


「俺、直さんにも勝って欲しくて、途中何度か手を抜いてたんですけど……気づきませんでしたか?」


 絶句した。

 どうやら彼は、手心を加えてくれていたらしい。

 愚かな私は、全然気づいてなかった。


「それなのに、直さんは勝ってくれなかった……本気になってくれなかった」


 悔しそうにそう言われて、私は彼を傷つけてしまったことを悟った。

 まるで泣きそうな顔で私を責める彼方くん。そんな顔をさせるつもりなどなかった。

 私はただ、喜んで欲しかった。嬉しそうな顔を見たかった。彼の笑顔が見たかった。

 そこでふと、昨日の早乙女先生の言葉が蘇る。


『ペットへの愛情は、自己満足なんだよ』


 ようやく、その言葉の意味を実感した。

 全部、先生の言う通りだった。

 私はショタコンでショタが好き。

 だからどれだけゲームで負けても平気。

 ショタが喜ぶ顔を見れたらそれで良かった。


 だが、そこには重さや厚みはなかった。


 私がどれだけショタを愛したところで、それが向こうに伝わるとは限らない。

 完全に一方通行なその愛情は、まさに早乙女茜に指摘された通りと言えよう。

 しかも彼方くんは言葉が通じる人間であり、全てが伝わらなかったわけではない。

 彼は私を優しいと言ってくれた。だからこそ、楽しんでいるふりをしてくれていたのだ。


 まるで、本当は大して美味しくなくても美味そうに餌を頬張り、尻尾を立てる健気な子猫のように。


 ついには、私がわざと負けていることを見抜き、そして彼もまた、私にわざと負けようとした。

 そのことに気づけなかった私は、本当に愚かでどうしようもない、鈍感女だ。

 先生は自覚的であれと言っていた。それがいい女の条件だと。

 つまり、気づけなかった私はいい女ではなかったということだ。だから、こんな状況を招いた。

 

 いい女になれないショタコンなど、ショタに好かれる筈はないのだから。


 そんな絶望的な結末を突きつけられて、思わず失笑しそうになる。

 もちろん、こうなることは初めからわかっていた。わかっていて、それを選んだのだ。

 昨日の早乙女先生の授業以前に、鷹宮さんに指摘された時点で、なんとなく予見していた。


 ああ、これは違うのだと。

 これは、間違っているのだと。

 これは、恋ではないのだと……わかっていた。

 だけど何が違うのか、どこが間違っているのか、どうして恋じゃないのかと、悩んで、もがいて、そして知った。


 ショタとは愛でるものであり、恋愛対象ではなかったのだ。


 導き出したその結論は残酷なもので、これまでの私を根底から覆す、破滅的な天変地異。

 バラバラと、身に纏った鋼の鎧が砕け散り、鉄花姫の素の顔が梅雨の湿った空気に晒された。

 その湿気は私の強ばった表情筋を即座にふやかして、涙腺を刺激する。

 ツンとしたものが鼻をついて、すんっと鼻をすすりつつ、乱暴にそんな鼻を錆びた手の甲で擦る。

 俯けば、頬に情けないものが伝ってしまう。それだけは御免だ。

 だから私は曇天の空を見上げ、ゆっくりと吐息を吐き出してから。


「ごめん、彼方くん。もう一回、挑戦させて」

「……わかりました」


 腑抜けた自分を見せてしまったことを謝罪して、コンテニューを押す。

 再び、対戦画面に目を向けると、もうなにも頬を伝うことはない。

 赤錆びが浮いた、血走った目で画面を睨みつけて、戸惑う彼方くんと再び対戦を始める。


 くそっ! このっ! 今度こそっ!


 ありったけの思いを自分の操作するキャラクターに込めて、ガチャガチャとボタンを連打。

 精細さには欠けていたものの、圧倒的優勢で、彼方くんのキャラの体力をガンガン減らす。

 そんな私の気迫を受けて、彼も必死に反撃してきた。


「くっ……直さん、強い……!」


 本気の彼方くんは流石に日頃からこのゲームをやっているだけあって、なかなかしぶとかった。

 しかし、それもこれまで。序盤に大きく開いていた体力差を覆すには至らない。

 あと一撃で蹴りが付く。私の勝ちだ。

 手を抜くことなく、確実に勝利するべく、相手の背後を取って、私は。


「っ……出来ないよっ!!」


 それ以上操作出来ずに、叫んだ。

 それは自分に対する苛立ちであり、同時に敗北宣言でもあった。

 集中していたらしい彼方くんが、びっくりしたような顔を向けてくる。

 そして、それを見守っていた鷹宮さんが、長い長い長嘆を吐いて。


「……こんな筈じゃなかったんだけど、仕方ないわね」


 そんな意味深なことを呟いてから、公園中に響き渡る大声で。


「有村秋! あとはあんた次第よ!!」

「ようやく出番か。待ちくたびれたぜ」


 呼び出したのは、なんと有村くん。

 公園のトイレの影から現れた彼に、驚きつつ、帰り際でのやり取りを思い出す。

 2人は教室内でなにやら密談を交わしていた。なるほど、それがこの場面を引き起こしたのだろう。

 要するに、どうやら鷹宮さんは初めからこの状況を想定して、事前に彼を呼びつけていたらしい。

 彼女は汚れた私を浄化して、孤立させるのが望みだった。ならば、この状況は打ってつけだ。

 もし最初から公園での出来事を目撃しているのであれば、彼の私に対する好感度は地に落ちた筈。

 ショタにデレデレして、あろうことか悲しませ、挙げ句の果てに打ちのめされたショタコン。

 本当に、我がことながら、心底情けない。格好悪すぎて、何も言えない。


「神崎、悪いが全部見させて貰った」

「……そう」


 やはり、一部始終を見られていたらしい。これで詰みだ。

 逃げ場はなく、情状酌量の余地もない。有罪は誰の目から見ても明らかである。

 それにしても、よもやこの場に彼を連れてくるとは……敵ながら見事としか言えない。

 鷹宮さんの戦術は、それほどまでに的確に私の急所を突いた。これにはどうすることもできない。

 有村くんへの対応を後回しにしたのが裏目に出たと言ってしまえばそれまでだが、そうするほかなかったというのが実情だ。全てを片付けたあとに、ちゃんと彼と向き合うつもりだった。

 そんな魔王たる鉄花姫の浅はかな計画は、聖女たる火花姫の聖なる炎によって打ち砕かれたのだ。


 不幸中の幸いとして、この場に瀬川さんと吉田くんは呼ばれていないらしい。

 それは火花姫の最後の温情なのかも知れない。だが、これまでのように接することは不可能だろう。

 いくら優しい柔花姫とて、こんな情けない私のことをいつまでも傍に置いてくれるとは思えない。

 そして被虐趣味を持つ吉田くんも、火花姫に惨敗した弱い私になどもう興味はないと思われた。

 目撃者たる有村くんとの離別をきっかけに、私は中学時代のぼっち生活へと逆戻りする。

 その筋書きをこうも綿密に計画していた鷹宮玲奈。それでも、彼女に対して今更憤る気すら起きない。

 ただただ、悲しくて、気持ちが落ち込む。本当に、自分自身にがっかりしていた。

 そんなしょぼくれて、しゅんとした私を見て、有村くんは鼻で笑って。


「まったく、これだからショタコンは」


 やれやれと、呆れられて、引っ込んだ涙がまた飛び出しそうになった。

 だけど、泣いてどうにかなるわけではない。むしろ、余計に惨めとなるだけだ。

 涙を利用して男の子の同情を買うなどまっぴらだし、こちらを睨む火花姫がそれを看過するとは思えない。

 だからせめてもの意地で、泣くことなく、ただひたすらに判決を待っていると。


「ほら、さっさと帰るぞ」


 有村くんはぶっきら棒にそう言って、私に手を差し伸べてくれた。

 それはまるで、聖女に追い詰められた瀕死の魔王を救う、通りすがりの村人Aのような気軽さだった。

 弱り切って俯いた私の目に飛び込んできたその大きな手のひらに唖然としていると、鷹宮さんが。


「ま、待ちなさい有村秋!」

「どうした、鷹宮?」

「どうして神崎直を甘やかすの!?」

「あとは俺次第だって言っただろ?」

「ふざけんな! ちゃんと叱りなさいよ!!」

「叱る? なんで?」

「じゃないと、その女はもっと駄目になるでしょ!?」

「駄目でもいいんだよ。神崎は神崎なんだから」


 駄目でもいいと言われた。

 私は私。それは、彼に自分の劣等複合を打ち明けた際にも言われた言葉だ。

 こんな駄目な私でも、有村くんは受け入れてくれるらしい。

 そのことが嬉しくて、感謝の気持ちがとめどなく沸き上がって、思わず胸を押さえる。

 出そうになっていた涙が引っ込み、凍り付いた心が、ポカポカ暖まる。

 やはり彼は優しい人だ。しかし、鷹宮さんはその優しさが気に入らないようで。


「ちゃんとケジメをつけなさいよ!! 男でしょ!?」


 ヒステリックにそう喚き散らされた有村くんは、ため息をひとつ。


「よし、わかった。ケジメをつければいいんだな?」


 鷹宮さんの文句を聞き入れた有村くんが、改めてこちらに向き直る。

 背の高い陪審員に見下ろされて、罪人たる私は思わず身を竦める。

 そんな私に、先程と同様に大きな手のひらを差し出した彼は、不思議なことを言った。


「神崎、そのゲームちょっと貸せ」

「えっ?」

「お前の代わりに俺がこのガキを負かしてやるから、貸せ」


 言うが早いか、私の持っていた赤いゲーム機を奪い取る有村くん。

 そしてどけっと言われたので慌ててベンチから立つと、そこに腰をかけてゲームをやり始めた。

 私はもちろん、いきなり対戦相手の変わった彼方くんも動揺して、鷹宮さんに至っては憤慨した。


「なによそれ!? どーしてそうなるのよ!?」

「このガキを負かせば認めてくれるんだろ?」

「た、たしかにそう言ったけど、それは神崎直がやるから意味があるわけで……」

「おい、鷹宮の弟。さっさとやるぞ」

「えっ? あ、はい」

「ひ、人の話を聞きなさいよー!!」


 手を振り上げて喚く鷹宮さんを完全に無視して、有村くんは彼方くんとゲームに興じた。

 その間ずっと不平不満を口にしていた火花姫であったが、諦めたらしく、私の隣に来て、小言を言う。


「まったく、何なのよあの男は」

「私にも、よくわからないわ」

「はあ? 本当にわかってないの?」


 そう聞かれると、ちょっと照れつつも、こう言うしかあるまい。


「……実は最近、なんとなく、わかってきたわ」


 たぶん、今の私のほっぺは赤くなっているのだろう。

 目とかも潤んで、口角などもだらしなく緩んでいる自覚があった。

 そんな私を見て、鷹宮さんはぷくっと頬を膨らませて。


「なによ……それじゃあ私は、本当に噛ませ犬みたいじゃないの」

「ありがとね、鷹宮さん」

「か、感謝なんてしないでよ!? 余計に惨めになるでしょ!!」


 彼に対する自分の気持ちに気づけたのは、彼女のおかげだ。

 だから感謝したのだが、なんか怒られた。

 なので、今度は方向性を変えて、鷹宮さんを賞賛することとする。


「でも、今日は本当に危なかった……完全に負けたわ」

「なにそれ……ピンピンしてる癖に、嫌味のつもり?」

「違うわ。鷹宮さんのことを認めているのよ」

「む……それなら、いい」


 この手法は上手くいったようで、火花姫は照れつつも、嬉しそうだ。

 ぷいっとそっぽを向いているあたりが、なんとも可愛らしい。

 そんな姫君に、敗者たる私は思ったままの所感を述べる。


「きっと、あなたはもう、私よりもずっと強いわ」

「そ、そんなことないし……結局、有村秋に邪魔されたし……」

「でも、私の弱さがよくわかったでしょう?」

「そうね、神崎直は本当に弱くて脆かった……でも」

「でも?」

「それでも、あんたは私の憧れなのよ。この先もずっと」


 自分の弱さや脆さを曝け出した私のことを、改めて憧れと言ってくれた鷹宮さん。

 てっきり失望され、嫌われてしまうかと思いきや、更に心酔されてしまったようだ。

 何がなんだかよくわからないけど、たぶんこれも、重さや厚みによるものなのだろう。

 今日の一件でその重さや厚みが増したのだとすれば、やはりそれは理屈じゃないと言えた。


 さて、そんな我々をさておき、少年と青年の対戦は随分と盛り上がっているらしく。


「くそっ! また負けた!」

「なんだ鷹宮の弟、その程度か?」

「うぅ……もっかい!!」


 容赦なく年下をコテンパンにする有村くんと、負かされても楽しそうな彼方くん。

 どうやら彼にも、兄としての天性の資質が備わっているらしい。

 羨ましいなと思って、そんな2人を眺めていると、頭上から水滴が落下してきたことに気づいた。


「あ……雨」


 ポタポタと降り始めた雨。

 そこで私は持参した赤い傘を取り出して、それを持ち主である鷹宮さんへと差し出す。

 何を隠そうこの赤い傘は、鷹宮さん宅にお邪魔した際に借りていたものである。

 返そうと思っても、あれ以来、口を利いてなかったので、返すに返せなかったのだ。

 せっかくの機会なので、今日返してしまうべきだろう。


「鷹宮さん、借りていた傘を返すわね」

「あんたはどうすんのよ?」

「敗者は濡れて帰るのがお似合いでしょ?」

「濡れて帰るって、もし風邪でも引いたら……」


 私のことを心配してくれる優しい鷹宮さん。

 そんな彼女の言葉が、突然の雨によってゲームを切り上げた有村くんの耳にも、届いたらしく。


「なんだ神崎、傘持ってないのか?」

「ええ、今鷹宮さんに借りてた傘を返してしまったから……」

「それなら、俺の傘に入ってけ」


 彼は持参した傘を広げて、それをこちらに傾けてくれた。

 むむ? もしかしてこれは、相合い傘というものだろうか。

 人生初のそのイベントに上手くリアクションが取れないでいると、彼は赤いゲーム機を彼方くんに手渡しつつ、ふと思い出したかのように少年に話しかけた。


「そうだ、鷹宮の弟」

「な、なんですか……?」

「ゲームで勝ったから、神崎は返して貰うぞ」

「へっ?」


 なんか勝手にゲームの景品にされていたらしい。

 勝者たる有村くんは、幼い少年が見てる前にも関わらず、我が物顔で私の肩を抱いて。


「いいか? この女は俺のもんだ」


 そんな宣言をされて、顔があっつくなった。

 明らかに子供の情操教育によろしくない発言だ。

 思わず苦言を呈そうにも、言葉が出てこない。

 彼の大きな手のひらからは、清潔な石鹸の匂いがしていて。

 きっと、出番を待つ間にトイレで手を洗っていてくれたのだと思うと、振り払うことも出来ず。

 ただ大人しく彼に抱かれる私を見て、彼方くんは呆然としながら、こくりと頷いた。


「……わかり、ました」

「わかったならいい。んじゃ、姉ちゃんと仲良くな」


 しょぼんとしたショタを置き去りに、私と有村くんは公園を去った。

 なんだか後ろ髪を引かれる思いで、立ち止まろうとするももの、有村くんがそれを許さない。

 肩を抱く力がいつもより強くて、ちょっと痛い。

 表情も、さっきとはちょっと違って強ばっているようにも見えた。

 もしかしたら怒っているのかもしれない……そんな刺激的な予感を抱きつつ、私は帰路についた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・


 その場に残された鷹宮姉弟は、それぞれ敗北感を噛みしめつつ、相合い傘をする2人を見送っていた。


「畜生……なんだよ、あいつ」


 涙目で有村秋の後ろ姿を睨むのは、鷹宮彼方。

 この幼い少年には有村秋の一方的な宣言の意味は伝わっていない。

 それでも、自分が負けたということはわかったらしく、悔しげに不満を口にした。

 そんな自分によく似た弟に、姉である鷹宮玲奈は小さく謝罪した。


「……悪かったわね、彼方」


 謝る玲奈の胸に去来するのは、こんな筈ではなかったという思い。

 計画としては、神崎直が弟に勝って年下好きに向いていることを示し、いずれ自分の義理の妹にしようと目論んでいた。

 ついでに弟が神崎直と親密になった姿を有村秋に見せつけ、彼と引き離そうとも画策していたのだが。

 蓋を開けてみれば、神崎直は弟の前では腑抜けと成り果ててしまい、これ以上そんな情けない姿を見たくなくて、バックアッププランを発動し、事前に呼びつけておいた有村秋を現場に急遽投入した。

 本来ならば、弟に勝てなかった神崎直を見て失望した有村秋が叱責して、あの女を孤立させる予備の計画。

 だが、忌々しいことにあの男はこちらの思い通りに動いてくれず、玲奈の野望は瓦解してしまった。

 しかしながら、そこまで悔しいわけではない。神崎直は玲奈を認めるような発言をしてくれた。

 それなりに追い詰めることが出来て、満足してしまっている自分がいる。

 そして、有村秋に肩を抱かれた神崎直を見て、正直ほっとしている自分もいた。


 しかしながら、そんな玲奈の複雑な気持ちなど、この日一番の被害者である弟の彼方にはまるで関係なく。


「や、優しくすんなよ! 泣きそうになるだろ!?」


 そう言いながら、既に泣きじゃくっている弟を見て、玲奈は日和った自分を戒める。

 満足なんかしている場合じゃない。追い詰めたとはいえ、踏み台にされたことには違いないのだ。

 そんな自分が許せなくて、清水の舞台から飛び降りるような覚悟を持って、玲奈は自分自身を罰した。


「今度、あんたが欲しがってたゲーム買ってあげるわ」

「ぐすん……ありがと、姉ちゃん」


 悔し涙を流しつつも、姉の好意を受け取る健気な弟。

 もちろん、姉である玲奈とて、悔しい。試合に勝って、勝負に負けた感覚だ。

 畜生。こんな筈じゃなかったのに……そう思うと沸々と怒り沸いてきた。


「うぅ……どうして私ばっかりこんな目に」


 よもや、大事に取っておいたお年玉の使い道が、こうなるとは。

 やはり、神崎直は私の天敵だ。

 改めて、憧れの女に対する敵意を認識しつつ、既に去った彼女に向け、傍らの弟が思わず耳を塞ぐような大音声で、怨嗟の咆哮をあげる。


「神崎直~~~~っ!!!!」


 その魂を奮わす怒声は、すぐに梅雨の雨に掻き消されて、思い人に届くことはなかった。

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