第40話 『器の違い』
「彼方、入っていいわよ」
「俺はもう乾いたからいい」
「あっそ。またゲームばっかりして」
「姉ちゃんも風呂場で楽しそうだったじゃん」
「う、うるさい! 生意気なこと言わない!」
「それならゲームで勝負つけようぜ」
「ふんっ! 望むところよ!!」
お風呂から上がると、彼方くんはお部屋でピコピコテレビゲームをしていた。
言葉の通り、雨に濡れた髪は既に乾いており、着替えも済ませている。
ちなみにご両親は仕事で不在らしく、この家には彼女たち姉弟と私だけ。
我々のお風呂場での騒ぎは聞こえていたらしく、それを指摘された鷹宮さんが激怒。
そんな姉の怒りを上手く誘導して、ゲームに誘う話術は、さすが実の弟と言ったところか。
可愛らしい部屋着のパーカーを腕まくりしてゲームに望む鷹宮さんの方が妹に見えてしまう。
もちろん、彼女は彼女で姉として弟に付き合ってやっているのだろう、と思いきや。
「いえーい! また私の勝ちー!!」
「ぐっ……もう1回!!」
「ふん、あんたみたいな雑魚に構ってる暇はないの! 私はこれから、神崎直の制服を乾かさないといけないんだから!」
弟くんをボロクソに負かした挙げ句に勝ち逃げをする姉。これはいくらなんでも酷い。
あまりに彼方くんが憐れで、それにこの期に及んで雨に濡れた制服まで乾かして貰うのは忍びないと思い、私は口を挟む。
「制服は自分で乾かすから、鷹宮さんは彼方くんの相手をしてあげて」
「私が乾かすの! 神崎直はひっこんでて! べ、別にあんたの制服の匂いを嗅ぎたいわけじゃないんだからね!?」
そう怒鳴りながら強引に私の制服を乾かすべく、ドタバタと脱衣所に向かう火花姫。
別に嗅がれて困るわけではないけれど、恥ずかしいのであまり嗅がないで頂きたい。
とはいえ、今の私はもてなされている立場なので、とやかく言うべきではないだろう。
だから大人しく彼方くんと鷹宮さんの帰りを待つことにしたのだが、再び部屋の扉が開いて。
「そう言えば、もし退屈だったら彼方の遊び相手をしてあげて!」
「そう言われても、私はテレビゲームなんてしたことなんてないから……」
「あんなもん簡単よ! コテンパンにしていいから! 任せたわよ!!」
ついでに任務を与えられてしまった。
簡単と言われても、こっちはずぶの素人である。無茶ぶりにも程があるだろ。
なので、困った視線を彼方くんに送ると、さっと目を逸らされた。お姉ちゃん悲しい。
もしかしたら、まだ怒っているのかも知れない。そう思って、改めて彼方くんに謝ることにした。
「彼方くん、ごめんね」
「へっ? ど、どうして謝るんですか?」
「だって、まだ公園でのこと怒ってるんでしょ?」
「いや、怒ってませんよ! 全然気にしてません!!」
「そう? でも、あれからずっと私と目を合わせてくれないし……」
「そ、それは、ついさっき着替えを見ちゃったし……それに、その……おへそが……」
「おへそ?」
どうやら彼方くんはあの時のことを本当に気にしていないらしい。あー良かった。
これで豚箱にぶち込まれる心配はなくなったのだが、どうにも彼の様子がおかしい。
気にしてないというわりには、頑なにこちらを見ようとしないし、おへそがどうの言っている。
何だろうと思って、自分のおへそに目をやると、丸見えだった。
いや、まあ、着替えた時点でわかってたけどね。鷹宮さんの服、小さかったし。
胸もキツくてかなりパツパツ状態。念を押しておくが、別に太っているわけではない。胸がキツいだけだ。そんなあられもないTシャツ姿の私は、先述の通り、おへそ丸出しだった。
さっきはブラ丸出しで今度はおへそ丸出しとか、どんな痴女だと思うが、致し方あるまい。
もとより囚人としてこの家にやってきた手前、思いがけず優しく恩赦されてお風呂まで借して貰った私は当然出された服に文句など言える立場ではないし、着替えは鷹宮さんに乾かして貰っている最中だ。
なので一時の辛抱だと割り切っていたのだが、彼方くんはそれを気にしているらしい。
「私のおへそが気になるの?」
「はい……出来れば隠して貰えると……」
「そう言われても服のサイズが合ってなくて、隠せないんだよね」
「はあ……それは困りましたね」
「でも、さっきちゃんと洗ってきたから綺麗だよ?」
「そ、そういう問題じゃなくて……」
ほらほらと綺麗なおへそを見せるが、全然見てくれない。
不潔なおへそではないと証明すれば納得してくれると思ったが、どうも駄目らしい。
こんな純粋そうな幼い少年を惑わすなんで、なんていけないおへそなんだ。
ならば、そんな私のいけないおへそが視界に入らないように、意識を逸らしてあげよう。
「じゃあ、お姉ちゃんとゲームしよっか」
「えっ? でも、さっきやったことないって……」
「そうだよ。初めてやるから、優しく教えてね?」
「は、はい……わかり、ました」
さっき鷹宮さんとゲームしている時、彼は画面に夢中で私のおへそに気づいてなかった。
それなら、一緒にゲームをすれば私のいけないおへそは気にならなくなるだろう。
そう思って初めてのテレビゲームに興じる。結論から言えば、これは成功だった。
「あーまた負けちゃった」
「直さん、弱いですね」
「彼方くんが強すぎるんだよ」
一通り操作方法を教えて貰ったあと、プレイしたのだが、私は下手くそだった。
それでも彼方くんは楽しそうに相手をしてくれる。
ゲームの内容は、可愛いキャラクター同士が戦うもので、操作も比較的簡単だった。
負ける度にステージを変えて再戦して、また負ける。それでも全然悔しくなどない。
なんだか、夢みたいだった。自分好みの可愛い男の子と、こうして一緒に遊んでいる。
しかもその遊びがいかにも子供らしいテレビゲームときたもんだ。いやーショタコン冥利に尽きるね。
とはいえ、何度も敗戦を繰り返すと、いかに下手くそな私とて学習するもので、何度かチャンスが訪れる場面もあった。
彼方くんの隙を突こうと思えば、いくらでも出来るけど、私は大人なのでムキになったりしない。
あくまでも年上のお姉さんとして、楽しくゲームをしていると、だんだん上の空になってくる。
ぼーっとしながらキャラクターを操作していると、ふと有村くんのことが気になった。
彼は今、どうしているのかな? 寂しがったりしてないかしら?
有村くんが鷹宮さんと一緒に帰った時、私は寂しかった。彼も同じ様に思ってくれているだろうか。
そんな取り留めのないことをぼんやりと考えていたら、また負けてしまった。
「あーあ……私ってば本当に才能ないね」
「直さんは下手っぴですね」
「ひどーい! お姉ちゃんに言いつけてやる!」
「そ、それだけは勘弁してください!!」
そんな感じで仲良く一緒にゲームをする私たち。
彼方くんの笑顔や困った顔を見れて嬉しい。これぞ、ショタコンの醍醐味だ。
まるで夢のようなひとときだが、やっぱりどこか上の空で。
脳裏には有村くんのことばかりチラついて、それがどうしてなのか、自分自身にもわからない。
そんなちょっとおかしな私に、突然、耳をつんざくような怒声が浴びせられた。
「こらー!! 神崎直! 彼方なんかに負けて、悔しくないの!?」
バンッ!と勢いよく扉を開けて現れたのは、怒り狂った火花姫。
心ここにあらずだった上に、余りに心臓に悪すぎる登場の仕方だったので、思わず傍にいた彼方くんを抱きしめてしまった。
これは仕方ない。さっきとは状況が全然違う。不慮の事故なんだと自分に言い聞かせながら、ぎゅっとしてると、だんだん漲ってきて、鉄火姫からツヤツヤのテッカテッカ姫に進化しそうになったところで、お姉ちゃんたる鷹宮さんが更なる雷を落とした。
「どさくさに紛れて弟に抱きつくんじゃない!!」
「きゃー! 彼方くん、助けてー!」
「すご……姉ちゃんの何倍あるんだ、直さんの胸……」
引き離そうとする鷹宮さん。棒読みで助けを求める私。大人の魅力に驚愕している可愛い彼方くん。
もちろん、彼の呟きは姉である鷹宮さんに聞こえていたようで。
「私と比較すんな! このエロガキ!!」
「痛っ!? な、なにすんだよ!? 自分が小さいからって八つ当たりすんなよな!?」
「な、なんですって!? もういっぺん言ってみなさいよ!!」
「八当たりはすんな! ツルペタ!!」
「もうあったまきた! ギッタンギッタンにしてくれるわ!!」
「ぎゃあああっ!? か、間接技は卑怯だぞ!?」
怒りのゲンコツを受けた弟くんが涙ながらに反発。
それを受けて更にヒートアップした鷹宮さんが飛びかかる。
そのままくんずほぐれずの取っ組み合いの姉弟喧嘩が勃発。
あ、鷹宮さんが乾かしてくれた制服が床に落ちてた。
私はそれを拾って、脱衣所でお着替え。わざわざドライヤーで乾かしてくれたらしく、ポカポカだ。
着替え終えて、お礼を言うために再び部屋に戻ると。
「うりゃっ! どーだ! みたか!」
「だあー!! また負けた!!」
「ふっふっふっ……これでどっちが上かわかったでしょ?」
「うぅ……もっかい!!」
「何度やっても同じよ! あんたは一生私には勝てないの!!」
神崎さんと弟くんは再びテレビゲームで戦っていた。
リアルファイトが継続してなくてほっとしたが、状況はかなり一方的だ。
鷹宮さんは容赦なく彼方くんのキャラクターをボコボコにして、勝利の雄叫びを上げていた。
何度も負かされたらしき彼方くんは、完全に涙目であり、とっても可愛想だった。
それでも、鷹宮さんは手を緩めることはない。全力で、叩きつぶしていた。
その度に、彼方くんはもう一回と叫び、泣きながらまた負かされている。
その姿は気の毒であると同時に、とても楽しそうに見えた。
私と対戦している時よりも、何倍も元気が良くて、遙かに嬉しそうな彼方くん。
あんなに負けてるのに、どうして? やっぱり実の姉だから?
ひとりっ子の私には、わからない。ただわかることは、負けたということだけ。
なんとなく、お姉ちゃんとしての器の違いを見せつけられた気がして、なかなか部屋に入れないでいると。
「ん? 神崎直、そんなところで何してんのよ?」
「あ……制服、乾かしてくれて、ありがとう」
鷹宮玲奈に気づかれて、動揺を隠しながら、お礼を口にする。
「別に気にしなくていいわよ。もう帰るの?」
「うん。そろそろ夕飯の支度をしないといけないから……」
「それなら、玄関まで送るわ」
そろそろ4時半に差し掛かる頃合いだ。潮時だろう。
そう思って暇を告げると、鷹宮さんは立ち上がり、彼方くんは不満を口にした。
「姉ちゃん、また勝ち逃げするつもりかよ!?」
「神崎直を見送ったら、また相手してあげるわよ」
「約束だかんな!!」
「はいはい、わかったから、あんたも挨拶しなさい」
そう促されて、彼方くんは帰宅する私に声をかけてくれた。
「直さん、今日は楽しかったです」
「こっちこそ、楽しかったわ。またね、彼方くん」
「はい……あの、直さん」
「ん? どうしたの?」
「姉ちゃんのこと、これからもよろしくお願いします」
そんなことを言って、深々と頭を下げる、彼方くん。なんてよく出来た弟だ。
礼儀正しいし、とてもお姉ちゃん思い。ここまで素晴らしい弟は、なかなかいないだろう。
それなのに、姉である鷹宮さんは弟のおでこにデコピンをして。
「なに生意気なこと言ってんのよ!? 神崎直は私の宿敵なの! 余計なこと言うな!!」
プンプン怒って、一人で先に玄関に向かってしまった。
私はおでこを押さえてうずくまっている彼に、耳打ちをする。
「あなたのお姉さんは、とっても素敵な女の子だから、安心して」
「……本当ですか?」
「もちろん。きっと仲良くなってみせるわ」
「ありがとうございます。直さんは本当に優しいですね」
「私は思ったことを言っただけ。それじゃあね」
「はい、さようなら」
ただの決意表明になってしまったけど、彼方くんは嬉しそうな顔をしてくれた。
ばいばいと手を振って彼と別れて玄関に向かうと、待っていた鷹宮さんが傘を差し出してきた。
「傘、貸してあげる」
「何から何まで、本当にありがとう」
「ふんっ……今日の私は機嫌が良いから、気にしなくていい」
「どうして機嫌が良いの?」
「そりゃあ、神崎直と一緒にお風呂入れたから……って、そうじゃなくて、計画通りにことが進んだから!」
機嫌が良いらしい鷹宮さんにその理由を尋ねると、また計画とやらの話をされた。
この前から言ってるけど、何なんだろう。気になったので、尋ねてみる。
「計画って、何のこと?」
「今日、教室で話した通りよ」
「汚れた私の洗浄が望み?」
「そう、神崎直を孤高の存在に戻すの」
「なら、放課後の喧嘩はあなたの望み通りだったのね」
「その通り。とはいえ……ついつい、余計なことを言っちゃったけど、概ね計画通りよ」
なるほど。少々苦しい主張ではあるが、概ね計画通りになっているらしい。
たしかに、私の孤立を望むのならば、今日のような喧嘩は彼女の望むところだろう。
ただ、それについては私にも思うとことはある。有村くんが代弁してくれたとはいえ、念を押しておこう。
ちょっと怖い顔して、怯ませてから。
「鷹宮さん、これだけは言っておくわ」
「な、なによ?」
「私や有村くんに噛みつくのは構わない。でも、瀬川さんや吉田くんに噛みつくのはもうやめて」
「なにそれ。私に指図しようっての?」
「違うわ。これはお願いよ。約束して」
「約束しなかったら?」
「今度は有村くんじゃなくて私が怒る」
真剣な表情でそう告げると、鷹宮さんはバツが悪そうに顔を逸らして。
「ふんっ……わかったわよ。仕方ないから約束してあげる。これでいい?」
「うん。ありがとね、鷹宮さん」
「ただし、今日みたくあっちから喧嘩売ってきた時は別だから」
「わかった。瀬川さんにもそう伝えておく」
約束を交わしてから、傘を受け取って、外に出る。
まだ雨は降り続いていて、傘を広げると、ポツポツと雨音が響いて心地いい。
鷹宮さんから借りた傘は、鮮やかな赤色で、まるで火花姫に守って貰っているようだった。
どことなく嬉しくなって、帰りの挨拶がてら改めてお礼を言おうとしたら。
「そう言えばあんた、年下好きって言ってたわよね?」
「へっ? そうだけど、それがどうかしたの?」
「向いてないわ」
「えっ?」
「神崎直には年下は向いてないから、やめときなさい」
そんなことをいきなり言われて、呆然としていると、くすりと笑われて。
「それじゃあ、気を付けて帰りなさいね」
バタンと、扉を閉められた。
傘に打ちつける雨音が、どんどん強くなっていく。
さっきまで心地良かったその水滴の弾ける音が、今は私を盛大に嘲笑っているような気がして。
家の中から漏れ聞こえる、ゲームを再開して歓声をあげる仲睦まじき姉弟の声に、打ちひしがれる。
頭の中が真っ白で、なにも考えられぬまま、暫く、ただただ、その場に立ち尽くした。




