第33話 『規格違いの歯車』
「瀬川さん、昨日はごめんね」
「ううん! 全然へーきだよ~」
翌日、登校してすぐに瀬川さんに謝罪した。
もしも落ち込んでいたらどうしようかと思ったが、彼女は満面の笑みで許してくれた。
どうやら、有村くんの言うとおり、悪い方向には転ばなかったらしい。
「実はね、あれから回復した吉田くんと連絡先を交換してさ……」
「ええっ!? それ本当!?」
「うん! 私、頑張った! なおちゃん褒めて~!」
「よしよし、瀬川さん偉い! よく頑張ったね!」
これは嬉しい誤算だ。よもや、あの地獄絵図を乗り越えて、連絡先を交換出来るとは思わなかった。
「本当に良かったね、瀬川さん」
「えへへ、なおちゃんのおかげだよ~!」
「いや、私は余計なお節介をしただけで……」
「でも、私はとっても嬉しかったよ」
そう言って、にっこり微笑んでくれた、私の天使。もう可愛くて堪らない。食べちゃいたいくらいだ。
しかし、連絡先を交換したということは、近いうちに彼女は吉田くんの天使になってしまうだろう。
もはや、秒読み段階と言える。瀬川さんが私の天使でいるのも、あと僅か。
そのことに、一抹の寂しさを感じつつも、それでもやっぱり、良かったと思った。
2人の仲が進展したからこそ、私は天使の微笑みを拝むことが出来て、幸せな気持ちになれたから。
「瀬川、うまくやったらしいな」
「そうみたい。本当に良かった」
「吉田も浮かれまくって、嬉しそうだ」
昼休み、いつも通り4人で弁当をつつきながら、私と有村くんは安堵の息を漏らしていた。
なにせ、今日の昼食時間は、いつもとひと味違う。劇的な変化が見て取れた。
「はい、吉田くん。お弁当作ってきたよ~!」
「あ、ありがとう……本当に、ありがとう瀬川さん……!」
「ふふふっ……吉田くんは大げさだね」
手ぶらの吉田くんに瀬川さんがお弁当を手渡す。所謂、手作りお弁当というやつだ。
それをとても大事そうに受け取った吉田くんは、感激の余り、男泣き。
私と有村くんのことなど視界に入っていない様子で、そのまま食事が始まる。
当然のように瀬川さんがおかずやご飯を吉田くんの口元に運び、それを食べさせる。
「くぅ~……! ぼかぁ……幸せだ。生きてて良かった!!」
「だから、大げさだってば。ねぇ、なおちゃん?」
「へっ?」
ぼけっと熱々な2人を眺めていたら、突然話を振られて、キョドる。
慌てて、当たり障りのない返事をしようとして、思いとどまる。待て、焦るな。
こちらに視線を送る瀬川さんの目を見ろ。なんだか小悪魔めいた目つきだ。めっちゃ可愛い。
つまり、彼女は何かしら悪戯を画策しているらしい。そしてこれまでの我々の役割を鑑みると、自ずと思惑が見えてきた。オーケー。わかった。私に任せろ。
「鳴き声がうるさいわ、豚」
「ぶひんっ!? お耳を汚してしまい、申し訳ありませんでふ!!」
努めて冷静を装って、吉田くんを叱責する。すると、彼は豚になった。いつものやり取り。
だがまさか、この幸せな空気感の中でそれを要求されるなんて。柔花姫、恐ろしい子。
瀬川さんの抜け目なさに戦慄していると、彼女はこっそりこちらにウインクを飛ばして。
「大丈夫。吉田くんの鳴き声は、とっても可愛いよ~」
いつも通り、よしよしと彼を慰める小悪魔大天使。
もう小さい悪魔なのか、大きな天使なのかわからない。
わかるのは、彼女が誰よりも愛らしくて、そして破滅的な魅力を備えていることだけ。それで充分だ。
それを裏付けるように、吉田くんは骨抜きの豚さんと化した。
「もう僕、壺でも何でも買うから、どうにでもして……」
そんなわけのわからない妄言を吐く吉田くんに、珍しく有村くんが小言を漏らす。
「ちぇっ……吉田のやつ、デレデレしやがって」
つまらなそうに呟いたその言葉は、幸せいっぱいの彼らの耳には届かない。
けれど、その子供じみた苛立ちは傍観者たる私の耳にはしっかり届いていて、ちょっと面白かった。
なので、失礼にならないようにくすりとほくそ笑んでから、彼を窘める。
「有村くんったら、男の癖に嫉妬?」
「別に……ただ不愉快なだけだ」
「それを嫉妬と呼ぶのよ」
「ふん……神崎は、嫉妬しないのかよ?」
子供みたいな彼をあやしていると、逆に質問をされた。私は思ったままの所感を述べる。
「もちろん、この上なく、妬ましくて憎たらしいわ」
「そ、そこまでか……」
自分で聞いた癖にドン引きする有村くん。そんな失礼な彼だけど、私は放って置けなかった。
「だから、私たちも仲良くしましょ」
そう言って、自分のお弁当のおかずを彼の口元へ差し出す。すると、有村くんは嫌そうに顔を顰めて。
「なんだそれ、全然意味がわからんぞ」
「意味なんてないわ。強いて言うなら、負け犬同士の馴れ合いね」
「俺は負け犬なんかになりたくない」
「それもそうね、だったら傷の舐め合いなんてどう?」
「それならまあ……卑猥な感じでわくわくするな」
「なにそれ……どんな感性をしてるのよ」
そんないつも通りのおかしな会話をしつつ、お互いにお弁当を食べさせ合う。
客観的に見れば、さぞ惨めに見えるやもしれないが、それでもわりと楽しかった。
少なくとも寂しさや悔しさや妬ましさや憎たらしさは薄れて、胸が温かくなった。
そうしてお互いの傷口を舐め合っていると、たしかに卑猥な感じがして、なかなか面白い。
これまでそういった不潔なものが嫌いだった私が、それを面白いと思えるなんて。
有村くんと知り合ってから、どんどん変質していく自分自身に戸惑ってしまうが、悪くない。
きっと、誰もがこうして大人へと近づいていくのだろう。目の前の2人にしてもそうだ。
昨日の瀬川さんの艶めいた表情が、瞼に焼き付いて、離れない。とっても、エッチだった。
将来、自分もあんな表情をするかもしれないと考えると、堪らなく恥ずかしいが、やはり楽しみで。
しかしながらその甘い未来の為には、現状を打破するしかないと思うと、とても気が重い。憂鬱だ。
瀬川さんは、相手を見つけた。そう、相手がいなければ、始まらない。それなのに。
「はあ……どこかに可愛い男の子いないかな」
ぼんやりと独りごちながら、隣の席の友達の男子にご飯を食べさせると。
「神崎、諦めも肝心だと思うぞ」
そんな弱気なアドバイスと共に、私の口におかずが放り込まれる。それを咀嚼して、返答。
「まだ諦めるには早いと思うの」
「そんなことを言ってると、取り残されちまうぜ」
「なによ、有村くんだって彼女居ない癖に」
「俺は作らないだけだ」
「なんで作らないのよ」
「俺の趣味で彼女を作ったら捕まるだろ」
「じゃあ、あなたこそ諦めなさいよ」
「まだ諦めるのは早い」
「だったら、私にとやかく言わないで」
「意地っ張り」
「分からず屋」
やれやれ。どうも彼と話していると噛み合わなくて、最終的には言い争いになってしまう。
たぶん、我々は似すぎているのだろう。だから、お互いに相容れないのだ。
まるで、規格の違う歯車みたいに……しっくりくることはない。
しかし、歯車であることは変わらないので、ぎこちないながらも、こうしてゆっくりと回転する。
変なところでお互いに通じ合っているところもあって……完全に嫌い合うことも出来ないのだ。
我ながら、おかしな関係を築いてしまったと思う。それでも、やっぱり、悪くはない。
決して良い関係とは言えないけれど、彼はいい人だし、こんな私に優しくしてくれる。
今日だって、ほら、こんな風に。
「ま、意地っ張りは嫌いじゃないけどな」
まったく……本当にずるい男だ。そう言われてしまっては、こう返すしかないではないか。
「私も、分からず屋は嫌いじゃないけどね」
どうにも噛み合わず、そしてどこか噛み合ってしまうところが……本当に困りものだ。




