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ラブコメは刺激臭と共に  作者: 天秤
第1章 【高校時代】
31/60

第31話 『吉田貴広』

「なおちゃん終わったよ~」

「お疲れ様。また勝ったの?」

「うん! 最近調子良いんだ~」


 鷹宮さんとの一件が終わって、数週間後の部活動でのこと。

 瀬川さんは今日もカードバトルに勝利したらしく、すこぶる機嫌が良かった。

 私がこの部に入ってから、彼女が負けた姿をこれまで見たことがない。

 もとより全国レベルの実力があることは知っていたが、近頃は更に磨きがかかっている様子だ。

 とはいえ、彼女がやっているカードゲームに対する知識は、私にはない。

 ただ、負けなしということは、強いのだろう。その程度の認識だった。

 そして、我が部にはその上をいくと囁かれる強者が、もう一人在籍している。


 世界選手権を二連覇中の、王者。その名も、吉田貴広。


 彼は普段あまりカードはせずに、独りで将棋をしていることが多い。

 たまに、有村くんとカードバトルをしている姿を見かけるが、やはり彼も無敗だった。

 それでも他の部員と比較すると、あまり真剣味が感じられない。遊びでやっているイメージが強い。

 いや、ゲームなのだから、遊びで当然なのだが、雰囲気の問題だ。

 少なくとも、有村くんと談笑しながらカードに興じている彼は、年相応の少年でしかなかった。


 そこでふと、疑念が生じる。

 彼は本当に、瀬川さんより強いのだろうか?


 まだ遊戯部に入って日が浅いとはいえ、私は瀬川さんと吉田くんの対戦を一度も見たことがない。

 普段の様子を見る限り、両者にそこまでの差はないように感じられた。無論、素人目線ではあるが。

 それどころか、談笑しながらカードをする吉田くんよりも、完膚なきままに相手を叩きのめす瀬川さんの方が、なにか凄みのようなものが感じられる。きっと、ゲームに対する熱意が違うのだ。


 そんな風景を見ているうちに、私の中に疑念が生じたというわけだ。

 もしかしたら、瀬川さんの方が強いのでは、と。

 中学の時に対戦した際は、ボロ負けしたらしいが、あれから2年も経っている。

 調子が良いという今の瀬川さんならば、もしかしたら勝てるのではないだろうか?

 そう思った私は、何の気もなしに、そのまま口に出した。


「瀬川さんって、もう吉田くんより強くなったんじゃない?」


 すると、彼女は何やら慌てふためいて。


「わ、私が吉田くんより強いなんて、そんなことありえないよっ!」

「そう? ちなみに最近の彼との対戦成績はどうなの?」


 こういうところが、ズケズケと踏み込んでいるってことなのだろうと自覚しつつも、聞いてみると。


「た、対戦って、そんな……私のような格下がおいそれと対戦出来る相手じゃ……」

「えっ? 最近、彼と対戦してないの?」

「最近というか、その……入部してから、まだ一度も……」

「なにそれ!? せっかく同じ部活に入部したのに!?」


 これには流石に驚きを隠せなかった。入部してから、まだ一度も対戦してないなんて。

 そこで全て悟った。きっと、彼女にとって吉田くんは、既に偶像の域に達しているのだろう。

 神の如く崇める余り、恐れ多い存在になってしまったのだ。これも、一種の恋の病かも知れない。

 本当に瀬川さんはピュアな心の持ち主で、とても可愛らしいが、しかしながらこれは少々行き過ぎではないか?

 

 単なる野次馬的な目線からも、両者の実力の程を知りたいとも思うし、好機であるとも思った。

 もしも2人の実力が近づいているのであれば、それはより親密になれるチャンスに違いない。

 ライバル関係となっては拗れてしまうが、良き対戦相手となれれば、もっと仲良くなれる筈だ。


 だから私は、老婆心ながら、余計なお節介をしてみることにする。


「吉田くん、ちょっといい?」

「んあ? どうかしたの、鉄花姫?」

「ちょっと瀬川さんとカードで対戦してみてくれない?」

「柔花姫と? うん、いいよ」


 あっさりと、私の提案を承諾した吉田くん。これでよし。と、思ったら。


「な、なななおちゃんっ!? い、いいきなり対戦なんて……」

「ごめんね、瀬川さん。でも、どうしても見たいの。お願い」


 ガクブル状態の瀬川さんに、両手を合わせて、懇願。

 あくまでも、この対戦は私が見たいからセッティングしたと、押し通す。

 その結果、上手くいけばそれでよし。不都合があったら、私が責任を取る。

 どんな責め苦も受け入れる覚悟は、出来ている。彼女にはそれだけの恩があるのだ。

 こんな私と友達になってくれたお人好しな柔花姫に、その頼みが断れる筈もなく。


「……わ、わかった。やってみる」

「ありがとう、瀬川さん!」

「もう……本当に、なおちゃんはずるいんだから」

「あとで目一杯叱っていいから、頑張って」

「うん……ありがとね」


 私の目論見など、彼女にはお見通しなようで、ずるいと言われてしまった。

 しかしそれは、中学時代の時や、この間の騒動の時とは違い、照れ臭そうな口調だった。

 それが妙にくすぐったくて、今回ばかりは自分のずるさを自覚しつつ、彼女を送り出した。

 吉田くんと、瀬川さんが向かい合って座る。そこで、背後から声が掛けられた。


「また余計なことをしたのか?」

「余計なことじゃないわ、有村くん」


 苦言を呈したのは、有村くんだった。

 私が反論すると、彼は苦笑して。


「まったく……無知ってのは恐ろしいな」

「どういう意味?」

「まあ、見てればわかる」

「……私、失敗しちゃった?」

「いや、悪いようには転ばないさ。信じて、黙って見てろ」


 そう言われて、ほっと一息ついた瞬間。


「くおらっ!!」

「痛っ!? な、なにすんですか!?」

「まーた神崎の仕業だな!? どんだけ引っかき回せば気が済むんだお前は!!」


 スパーン!とお尻をぶっ叩かれ、振り向くと、そこにはあのセクハラクソ教師の姿が。

 思いっきり振り抜いた自分の手のひらに、ふっと息を吹き付けるその仕草が腹立だしい。

 しかも、引っかき回したとか言われた。完全に言いがかりである。


「私は別に、引っかき回しているつもりはありません」

「なにもわかってないガキが、いい気になんなっつってんだよ」


 その目つきの、なんとムカつくこと。どんだけ見下してんだって感じ。

 よーし、そっちがその気なら、やってやんよ。


「先生こそ、偉そうに上から見下すのはやめて下さい。チビの癖に」

「あーっ!! お前、今言っちゃいけないこと言ったー!!」

「何度でも言ってあげますよ、チビチビチビチビ」

「あたしはチビでも巨乳だからいいんだもん! ほら触れよ!! あたしの自慢の胸を触りやがれ!!」

「なっ!? ど、どうして人に胸を揉ませようとするんですか!?」

「うっわ……神崎の手つきエロすぎ……お前、そっち系かよ」

「わ、私はノーマルです!! 根も葉もないことを言うな! この淫乱教師!!」

「人の胸を揉んだ神崎の方が淫乱だもんね~なあ、お前ら?」


『ご馳走様です!!!!』


 早乙女先生の問いかけに、声を揃えて感謝を述べる狂信者共。悪質すぎて、反吐が出る。

 本当にこの極悪教師は、人に濡れ衣を着させて、それを周囲に認知させることに長けている。

 これ以上続けると、どんどん印象操作されてしまう。恐ろしい害獣である。

 ちなみに、マジで胸はデカい。チビの癖に、どんな身体してんだ。本当にムカつく。


 憤りつつも、やむを得ず、戦略的撤退しようとすると、彼女は私の隣をすり抜けて。


「ま、ガキの始めたことにケツ持つのは教師の勤めだからな。特別に、あたしが審判してやんよ」


 そんなことを言って、自ら審判を買って出るあたりが、余計にムカつく。

 苛々している私をよそに、有村くんは心底感心した様子で。


「あいつが審判か。だったら、ひと安心だな」

「あの女、審判なんか出来るの?」

「ああ、たしか公式戦の審判員の資格を持ってる筈だぞ」


 なんだそれ……だったら、初めから素直に審判するって言えばいいのに。

 どうしてあんな憎まれ口を叩く必要があるんだ。あれか、私に恩を売るつもりか?

 怪訝な視線を早乙女茜に送っても、彼女は完全に審判モードで取り合ってくれない。


 静かに腕時計を見つめて、両者の持ち時間を決めている横顔は、とても大人びていて、綺麗だった。

 それを眺めていると、次第に私も冷静になり、彼女の言動の裏側を探る余裕が出来た。

 もしかすると、あえて恩を売らないように、わざと憎まれ口を叩いたのかも知れない。逆転の発想だ。

 面倒ごとを起こした私のフォローをするのは、あの先生にとっては容易なことだろう。

 そしてそれによって私が恩を感じないように、配慮してくれたのだとしたら……いや、もうやめよう。


 そうやって何でも勘ぐって良い方に捉えるのは、あの女の信者の役目だ。

 なんとなく、私にそうなって欲しいようには、見えない。

 こうして早乙女先生と対立したり、喧嘩をするのが、私の役目なのだ。そう思うことにした。


 勝手に納得してると、先生が不意にこちらを見やり、中指を突き出してニッコリ。上等じゃん。

 私も笑顔でそれを受け止めて、親指で首をかっ切る仕草をしてから、ブーイングサイン。

 そんな我々をよそに、周囲にはワラワラと部員が群がり始めた。


 それも当然。なかなか実現しなかった、我が部最強の組み合わせである。見なければ、損だ。


「んじゃ、始めっか」


『よろしくお願いします』


 始まりは、あっさりしたものだった。

 両者、頭を下げて、挨拶をする。

 気楽な吉田くんとは対象的に、瀬川さんはガチガチに緊張している様子。

 しかし、先手である彼女はすぐに戦闘モードに突入した。


 彼女がカードを山札から引く、手札を見つめる、選び抜いたカードを場に置く。

 その一つ一つの所作が、強烈に印象に残った。得も言われぬ、迫力が、あった。

 とはいえ、まだ序盤。特になにも起きずに、吉田くんのターン。


「はい、どうぞ、瀬川さん」


 吉田くんはいつも通り、緊張感は一切なく、すぐにターン終了。

 そしてまた張り詰めた空気を纏う瀬川さんへと手番は移る。


 2ターン。

 3ターン。

 4ターン。

 5ターン。

 6ターン。


 比較的早いペースで、戦いは繰り広げられて、そして終わりを迎えつつあった。


 怒濤の勢いで責め立てる、瀬川さんの圧勝。


 そんな最終局面が間近に迫っている。

 無論、私には知識がないので、周囲の部員と有村くんの戦況判断によるものだ。

 このままのペースでいけば、というか、次のターンで彼女が勝つらしい。

 このカードゲームにはライフポイントという概念が存在しているらしく、それが尽きたら負け。

 要するに、吉田くんのライフポイントが尽きかけていた。対して、瀬川さんは無傷。


 その結末を受けて、周囲には弛緩した空気が漂い始めていた。

 無知な私にはさっぱりだが、この戦いは、すでに終わっているとのこと。

 だから、外野の集中力は途切れたのだろう。


 それでもなお集中し続けている者は、ごく僅か。


 まずは当事者である、瀬川さん。彼女は微塵も油断などしていなかった。

 額に汗すら滲ませて、真剣そのもの。それだけ、勝ちたいのだろう。

 そしてこれまで一切出番のない、早乙女先生。審判とはいえ、なにもせずに眺めているだけ。

 だが、その表情はこれまで見たことがないほど真面目なもので、少しばかり滑稽にも見えた。


 そして、私の隣に佇む有村くんもまた、食い入るように戦場を凝視している。


「有村くん」

「なんだ、神崎」

「皆はこの局面で勝負はついたと言っているけど、どうなの?」

「まあ、普通に考えれば、そうだろうな」


 声を掛けても彼はこちらに見向きもしない。しかし、質問には答えてくれたので、更に聞く。


「じゃあ、この勝負は瀬川さんの勝ち?」

「いや……残念ながら、吉田は普通じゃない」


 彼がそんな意味深なことを口にしたタイミングで、吉田くんに手番が移った。

 私は生涯、その瞬間のことを忘れないだろう。そのくらいの豹変だった。


 がらりと、雰囲気が一変した男の子の気配。


 一瞬、それが誰だかわからなかった。

 よく見ると、それは吉田くんであり、よく見なくとも、見知った肥満体型の男の子。

 だか、纏っている雰囲気が、異様なのだ。得体の知れない圧迫感があった。

 私の嗅覚センサーが、危険信号を送っている。間もなく、過去最大の刺激的な出来事が発生する、と。


 それを知覚した瞬間、恐怖に身が竦みそうになった私の手を握る、大きな手のひら。


「神崎、よく見とけよ」

「あ、有村くん……手、震えてるわよ?」

「当たり前だろ。あの吉田貴広が、本気になってんだからよ」


 彼の手は少し汗ばんでいて、清潔とはとても言えなかったけど、それでも、離すことは出来なかった。

 それはこの身を苛む恐怖心のせいでもあるし、震える有村くんの為でもあった。

 きっと、彼も怖いのだ。自分自身の親友である吉田くんが、怖くて堪らないのだ。

 だからこうして、私に助けを求めた。ならば、その手を振り払うことなど、出来ない。

 そもそも、言い出したのは私だ。引っかき回して、余計なことをしたのは、愚かなこの私だ。

 

 まさかこんなことになるとは、思っていなかった。もっと気楽な対戦になると思っていた。

 しかし、どんな誤算があろうと、全ての責任は私にある。私が責任を取ると決めた。

 だが、それはとんでもない思い違いであり、思い上がりだった。ガキの私には責任など、取れない。


 有村くんの大きな手のひらを固く握りしめながら、この手だけは離さないと、固く誓う。

 そして、それくらいしか出来ない自分に歯痒さを感じる。手の届く範囲しか、助けられない。

 一番の被害者は、対戦者である、瀬川さんだ。彼女は吉田くんのターンになってから、硬直している。

 額に滲んでいた汗は、顎に滴るようになり、それでも震えることが出来ない程の、金縛り状態。

 かろうじて呼吸はしているが、かなり苦しそうで、あのままでは過呼吸になってしまう。

 そんな彼女に対して、私は何もしてやることが出来ない。試合を止める権利すら、私にはないのだ。


 唯一その権利を持つのは、審判のみ。その役目は現在、早乙女先生が担っている。

 彼女は静かに、動じた様子なく、その場に佇んでいる。試合を止める気配はない。

 他の生徒も息を押し殺していて、その静謐な空気を壊して、中断を求めることは誰にも出来ない。

 普段の彼女ならば、ここで苛つく仕草の一つでもするのだろうが、今日はそれをしない。

 私が懇願の眼差しを送っていることには、気づいているだろう。

 しかし、それに取り合う余裕などないのだ。吉田くんが、呪文を唱え始めた。


 それは極めて奇妙で、複雑で、長い長い、不思議な詠唱。

 よく耳を澄ますと、どうやら自分が使用したカードの名前と効果の説明らしい。

 解読は困難だが、用途の異なるそれを複数枚、というか手札全部を彼は使用したようだ。

 これまで瀬川さんの猛攻に為す術なかったに見えた吉田くんの、狙い。それは温存だったのだ。

 彼はライフポイントを減らしながら、勝つ算段を立てていた。

 おくびにも出さずに、周到に、念入りに、ただこの時の為に、溜め込んでいた。


 そしてそれらを全て出し尽くしてなお、吉田くんの呪詛は、止まらない。


 カタカタと、キーを叩く音が響き渡る。いつの間にか、早乙女先生の手に電卓が握られていた。

 しかもただの電卓ではない。関数電卓だ。そのゴツい精密計算機で一体何をしているのか。

 周囲の生徒達も携帯電話を取り出し、電卓の機能を立ち上げ、何やら計算を始めた。


 なにもわからぬ状況の中で、唯一わかるのは、瀬川さんの顔色が刻一刻と青ざめていくことだけ。

 そんな彼女の様子に……まるで命が削られていくようなその雰囲気に、ただならぬ物を感じて、私は有村くんに尋ねた。


「有村くん、なにが起こっているの?」

「吉田が、コンボを発動した」

「コンボ?」

「カードの効果によって生じる、連鎖反応みたいなもんだ」


 どうやら、吉田くんの呪詛はその連鎖反応を解説していたらしい。

 では、それにどんな意味があるのか。


「そのコンボが、どうかしたの?」

「それによって瀬川のライフポイントがどんどん減って……たぶん、決着がついた」

「決着って、勝ち負けが決まったってこと?」

「そうだ。まだ計算結果が出てないからなんとも言えないけど……」

「ちょ、ちょっと待って。次の瀬川さんの手番はどうしたの?」

「瀬川の手番は……もう来ない」


 なんだそれは。意味がわからない。そんなの、おかしい。

 全くルールを知らないからこそ、その異常さがよくわかる。

 吉田くんの手番になってから、かれこれ10分以上が経過している。それなのに、終わる気配がない。

 彼はずっと自分のターンを続けている。そんな理不尽が、許されるわけがない。


「そ、そんなのおかしいわ! だって、これは交互にやり取りするゲームでしょう!?」

「神崎、もうゲームは終わったんだ」

「う、嘘よ!? だって、まだ審判は何も……」


 有村くんの言葉がどうしても信じられなくて、藁にもすがる思いで審判たる早乙女先生を見やると、丁度、そのタイミングでダメージ計算が終了したらしい。


「この勝負、吉田の勝ちだ」


 事務的に、勝敗だけを、審判は告げた。

 その瞬間、対戦は終わった。

 終わった……筈なのに。


 吉田くんの呪詛は、止まらない。

 まだコンボを続けている。

 瀬川さんのライフポイントは、もう尽きているのにも関わらず。


「瀬川さんに500ポイントのダメージ追加。瀬川さんに500ポイントのダメージ追加。瀬川さんに……」


 冷酷に、ダメージを追加しつづける、吉田くん。そんな彼が、とても恐ろしかった。

 たぶん、対戦が終わったことに、気づいていない。自分が勝ったことへの認識がまるでない。

 彼がしているのは、殺戮だ。殺して、殺して、殺し尽くして、相手が死んだことにも、気づかない。

 無機質でありながら、執拗で、生命を奪うことに対する強烈な執着心が垣間見えた。

 彼は殺戮者だった。そこには喜びなどなく、ただ相手を殺すことだけに、専念する。

 例えるならば、仕事人や、掃除人みたいな、そんな美学がそこにはあった。

 そう、美学だ。それに徹する彼は、まさに職人と言っても過言ではなく、ただひたすらに真摯的だった。


 決して妥協を許さず。絶対に好機を逃さない。

 完全に、完璧に、確実に、相手の息の根を止めて、殺しきる。

 そうした強い決意が、あの異様な雰囲気を生み出していたのだ。


 これが、王者。

 誰にも殺されず、誰であろうが、ぶっ殺す。

 だからこそ、彼は死なず、玉座に君臨している。

 これこそが、吉田貴広という人物の真髄であり、本気の姿。


 有村くんと繋いでいる手のひらが、酷く湿って、不快だった。

 それは彼の手汗でもあり、そして私の手汗でもあるのだろう。

 有村くんの手のひらを汚してしまったことが申し訳なくて、彼に汚された自身が、恥ずかしい。


 その羞恥は、吉田くんと瀬川さん、そして早乙女先生に対しても同様に感じていた。


 瀬川さんがどうして、入部してから吉田くんとの対戦を避けていたのか。

 そしてどうして、有村くんや早乙女先生が対戦をセッティングした私を咎めたのか。

 皆、こうなることがわかっていたのだ。だから、無知な私に呆れていたのだろう。

 すべてわかって、猛烈な恥ずかしさで穴があったら入りたい気持ちになった。


 そして何より、私は吉田貴広のことを、見誤っていた。いや、みくびっていたのだ。

 普段の彼は、私に罵られるのが大好きで、瀬川さんに甘やかされてデレデレする男の子だった。

 有村くんとも遊び半分でカードをやっていて、負けはしないが、そこまで強そうには見えなかった。


 しかし、この現状は、どうだ。

 自分の目の節穴さを、呪いたくなる。

 無論、超人であることは知っていた。

 オセロでも自分は完敗しているのだ。

 彼は強い。そんなことはわかりきっている。


 それでも、ここまでとは思わなんだ。


 吉田貴広は怪物であり、化け物である。

 まるでラノベに出てくる魔王のような……いや、それを越えた、魔神だった。

 そう、彼は魔神だ。そして、その魔神に、美しい姫君は、蹂躙された。


 放心状態の瀬川さんの真っ白な頬に、ひと雫の涙が、こぼれ落ちる。

 それを止めたいと思っても、どうすることも出来ない。

 吉田くんの攻撃は、現在も続いており、それをやめさせる権利を、私は持っていない。


 彼女の透明な涙には、どんな意味があるのか、それすらも、わからない。


 とにかく、取り返しのつかないことをしてしまった実感だけはひしひしと感じていて、人の涙を見て、自分も泣きそうになる、その感覚を生まれて初めて実感して、何でもいいから叫ぼうとするが、声を失った自身の喉は、何も発せず、ただただ、悔しかった。


 誰でもいい。どうか瀬川さんを……彼女を助けて下さい。

 まるで幼い子供がヒーローに救いを求めるような心境で、私は願った。

 そんな無力なガキを救ってくれたのは、大人の女性だった。


「いつまでやってんだ豚野郎っ!!」


 静寂を引き裂く、甲高い怒声。

 内容は、聞くに堪えない、罵詈雑言。

 その声の主は……我らが、女王だった。


「ふぇっ?」

「ふぇっじゃねーだろこの薄らトンカチ! もう勝負はとっくに終わってんだよ!!」

「あれっ? そうなの?」

「そうだって言ってんだろ! まったく、お前はスイッチが入るとこれだから……」

「す、すみません……」


 早乙女先生に怒鳴られて、肩を揺らされ、ようやく正気に戻った吉田くん。

 途端に威圧的な雰囲気と立ち込めていた刺激臭は霧散して、善良で気の弱い、いつもの彼に戻った。

 そしていつも通り、早乙女先生に怒られて興奮するのだろう。それを見越して、私は動く。


「せ、瀬川さ……」

「待て、神崎。これ以上引っかき回すのはあたしが許さん」


 瀬川さんに駆け寄ろうとした私に通せんぼしたのは、早乙女茜。

 こんな時にも意地悪してくるなんて。非常事態ってことがわからないのか。

 そんな私の憤りなど、どこ吹く風で、彼女はまるで教師のように諭した。


「黙って見てろ。お前の出る幕じゃねーよ」

「で、でも、瀬川さんが……!」

「うっせぇ。いいから、今度はあたしに胸を揉ませろ」


 言うが早いか、既に私の胸は鷲づかみにされていた。

 速過ぎて、全く防げなかった。当然、憤慨した。


「こ、こんな時に何考えてんですか!?」

「こんな時だからこそ、だ。さっきあたしの胸を揉んだんだから、文句言うな」

「だから、そんなこと今はどうでもいいでしょう!?」

「そう、どうでもいい。お前みたいにな」

「……どういう意味ですか?」

「野暮だって言ってんだよ。そのくらいわかれ」


 早乙女先生に胸を揉まれながら、頭を冷やす。すると、見えていなかったものが、見えてきた。


「せ、瀬川さん……あの、大丈夫……?」

「ぐすっ……大丈夫、だよ……吉田くん」


 勝負がついたことを知った彼は、真っ先に瀬川さんを労っていた。

 泣きじゃくる彼女を、懸命に慰めようとしている。なるほど……たしかに、野暮だ。

 今度こそ余計なことをしないように、大人しく、私は先生に胸を揉まれることにした。


「ごめんね……加減とか、出来る状況じゃなくて」

「お世辞でも、嬉しい……」

「お世辞なんかじゃなくて……その、本当に強くなったね」

「ぐすっ……よ、吉田くん……お、覚えて、くれてたんだ……?」

「いや、あの、その……なんか、偉そうなこと言って、ごめんなさい!?」


 彼の言葉を受けて、瀬川さんがわんわん泣き喚く。

 でも、この涙は、きっと。


「ううん……嬉しいの。吉田くんに負けて……私、嬉しかった」

「でも、僕は瀬川さんを泣かせてしまったから……」

「涙が出るくらい、嬉しかったの。だから、ありがとう」


 泣きながら、瀬川さんは微笑んでいた。とても嬉しそうに、そして、美しく。

 今、この部室にいる全ての者は、彼女に見惚れていることだろう。

 無論、私の胸を熱心に揉んでいる変態女教師は例外だが。


 そして、その中には当然、吉田くんも含まれており、彼は彼女の笑顔を独り占めしていた。

 たちまちそのツヤツヤした丸顔は真っ赤に染まり、サラサラの髪からは湯気が立ち上る。

 これで惚れてなければ、嘘だ。どんな男子だって、瀬川さんの魅了には抵抗出来ない。


 しかしながら、やはり例外は存在する。それは私の隣の席の、ロリコンの彼。


「吉田、男みせろよ」


 親友に茶々を入れる有村くん。そのくだけた態度は極めて自然で、そして優しかった。

 そんなナイスなアシストをされた吉田くんは、すでにゴールのど真ん中まで到達している。

 あとはほんのちょっとの勇気を出して、シュートを決めるだけ……なのだが。


「そ、そんなことを言われても、どうしたらいいかわかんないよ……」


 ここでヘタれる吉田貴広。さっきの王者の風格からは考えられない台詞だ。本当に同一人物か?

 こんな時にハッパをかける役目の先生は、上げたり、寄せたり、挟まったり。え? 何をしてるかって? さっきからずっと私の胸を揉んでるよ。つまり、全然頼りにならない。つーか、いい加減やめてくれ。痒い。

 そんな苛々と焦れったさで、ムカムカ、ムラムラしていると、ついに吉田くんが覚悟を決めた。


「よし、やってやるぞ……! せ、瀬川さん、ちょっと失礼します!」

「へっ? ふぁっ……よ、吉田くん……?」

「よ、よしよし……もう泣かないで?」


 たどたどしい手つきながら、彼は瀬川さんのふわふわな髪を梳いてあげた。

 緊張しているのか、髪に触れているのは指先だけではあるが、これが彼の精一杯なのだろう。

 いつも瀬川さんにされているように、優しく、心を込めて、頭を撫でる吉田くん。

 たちまち瀬川さんは泣き止んで、頬を染めつつ、身を任せている。幸せそうだ。

 

 これまでの彼女とは、また違った表情。恋する乙女から、女の艶っぽさへと変わっていく。

 それは爽やかなものではなく、もっと淫靡で、淫らな印象だ。見ていて、ドキドキする。

 私も好きな人に触られたら、あんな風になるのだろうか。そう考えると、妄想が止まらなくて。


「あん? なんだ、神崎。固くなってきてんぞ」

「ッ!?」

「ひっひっ……やっぱお前はド変態だな」


 またしても、不覚。こんな日に限って、ソフトブラを着けて来てしまった。

 何が固くなったとか、そんなことは割愛する。言いたくもないし、認めたくもない。

 ただ、言い訳をさせてもらうと、私とて健全な女子高生であり、仲の良い友人のあんなやらしい表情を見せつけられたらそんな気分にもなるというか自分自身に置き換えて妄想してみたくなるというか別に有村くんなんか全然関係なくてとりあえず言いたいのは断じてこの変態教師に胸を揉まれてそうなったわけではないのだよ、わかった!?


 そんな自分自身に対する弁明をしながら、クールダウン。心頭滅却。明鏡止水。

 執拗にコリコリしてくる変態のことなんか、気にしない。気にしたら負けだ。

 私は鉄花姫。鉄の心と身体を持つ、強靱無敵のお姫様だ。だから、胸だって鉄である。固くて当然。


「ちぇっ……なんだよ、面白くない奴」

「だったら、そろそろ揉むのをやめてください」

「さて、どーすっかな? たぶん、あたしの勘では……」


 それ以上反応を示さない私に飽きつつあるセクハラ教師をなんとか引き離そうとしてると、事件が起きた。


「吉田くん……私、もう我慢できないっ!!」

「どぉわっ!? せ、瀬川さん……!?」


 なんと、頭を撫でられていた瀬川さんが、突然吉田くんに飛びついた。

 あまりのことに、部室内が騒然となる。特に男子生徒の阿鼻叫喚がやばい。私も叫びたい。

 けれど、彼女の心中を思えば、当然の成り行きとも言えた。だって、彼女は彼のことが好きなのだ。

 好きな相手にああして頭を撫でられ続ければこうなってしまうのは明白だ。誰だってそうだろう。

 生殖本能に駆り立てられるのは、生きてる証であり、自然の摂理と言える。

 だからこそ、なるべく冷静になろうと努力したが、これが存外難しい。おい吉田、そこ代われ。

 そんなどうしようもない嫉妬心に苛まれた私が暴走するよりも、早く。


「ふわふわで……ふにふに……ぶひっ」

「きゃああああっ!? 吉田くん、しっかりして!?」


 瀬川さんに抱きしめられた吉田くんが、ぶっ倒れた。

 鼻から大量の出血をしており、早く介抱しないと手遅れになるかも知れない。いや、もはや手遅れか。

 このまま臨終かと思われたそのタイミングでようやく揉むのをやめたのは、この部の女王。


「ま、やっぱこうなったか」

「先生はどこまで読んでいたんですか?」

「全部に決まってんだろ。ガキのすることなんざ、お見通しなんだよ」


 そんな憎まれ口を叩きつつ、私の胸から手を離す直前、ぎゅっとつねってきた。


「痛いです」

「お仕置きだ」

「……ごめんなさい」

「なんだよ、いつもの威勢はどうした?」

「先生」

「あん?」

「助けてくれて……ありがとう、ございました」


 どんなことをされても、今日の私は文句を言える立場ではない。

 どんなに悔しくても、ムカついても、嫌いでも、早乙女先生は助けてくれた。

 だから、屈辱を噛みしめながら、謝って、お礼を言ったのだが。


「ちっ……生意気なんだよ、お前は。弁えろ」


 舌打ちされ、もう一度ぎゅっとつねられて、そんな捨て台詞を吐かれた。酷すぎる。畜生。

 泣いて堪るかと、歯を食いしばって、噛みしめる。すると、先生の言葉が、身に染みた。

 

 弁えろ。その言葉の意味は、明白だ。


 現在の私の立場は、女子高生であり、この部の部員

 そして早乙女茜の立場は、私の担任であり、この部の顧問。

 それを踏まえると、助けるのは、当たり前なのだ。

 それに対して生徒であり部員の私が謝罪をして、感謝を述べるなど、愚の骨頂。生意気の極みだ。


 だから、怒られた。その理屈は筋が通っていて、理に適っている。

 それが悔しくて堪らない。自分の愚かさが、幼稚さが、ちっぽけな自尊心が、全てが嫌になる。

 私はまだまだ子供だ。そして、早乙女茜はずっとずっと大人だ。


 先生は倒れ伏した吉田くんと取り乱す瀬川さんの元へと歩み寄る。教師としての責任を、果たす為に。


 ついつい、その小さな背中に抱きついて、甘えたくなる。もっともっと、怒って欲しかった。

 その為なら、どれだけお尻や胸を揉まれようとも構わないとさえ、思えた。

 そんなふしだらな自分が大嫌いだ。だからこそ意地っ張りは私は、素直に先生に甘えたりなどしない。

 それが、私のくだらないプライドだった。


「今日の部活はこれまで! 邪魔だから、さっさと帰れ!!」


 吉田くんを蹴り起こして、鼻にティッシュ詰めながら、野次馬を散らせる。

 私と有村君も帰り支度をして、そそくさと部室をあとにする。

 あとで瀬川さんに謝っておこう。そして、今日の先生の言葉を、忘れないようにしよう。


 それを心に誓いつつ、私は早乙女茜教諭の後ろ姿を、目に焼き付けたのだった。

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