第3話 『可愛い馬の尻尾』
「今日は各パートごとに音を覚えて、最後に合わせてみましょう」
あれから4日ほど経った。参加人数は徐々に増えていった。3分の2ほどの男子が参加している。
バリトンの彼の協力によって、練習もかなり捗っていた。その分、休憩は減ったが、今のところ文句は挙がっていない。
そもそもたった1時間程度の練習である。ぶっ通しでやっても、なんら問題はあるまい。
最初の30分ほど使って、これまでやった箇所を復習して、後半は全体で合わせてみた。
完成度としては、ようやく50%といったところか。とはいえ、当初の想定より遙かに早い進捗である。
存外、我がクラスの男子は優秀ではないか。これならば、文化祭に間に合うかもしれない。
もちろん、まだまだ克服すべき点は多い。目下の問題は、テノールだ。
バスはバリトンの彼が率先して鍛えてくれているおかげで、しっかりとした土台が形成された。
しかし、土台がしっかりしてる分、テナーの頼りなさが目立つ結果となっていた。
主旋律を担当することの多い彼らには、もう少し頑張って欲しい。明らかに声量不足である。
そうは言っても、無理に声を張ってしまって音程がズレたら本末転倒。そんな頑張りは無意味だ。
バリトンの彼のように、誰かが周囲を引っ張ってくれたら良いのだけど、適任者が見当たらない。
ここに来て暗礁に乗り上げてしまった、そんな折、一人の男子生徒が理科室を訪れた。
「まだやってんのかよ。お前らいつから合唱好きになったんだ?」
呆れたような口調で、小馬鹿にする男子側のリーダー格。
一応毎日参加は呼びかけていたのだが、彼とその取り巻きは頑なに参加を拒否し続けていた。
たぶん、合唱が嫌いというよりは、一度不参加を表明してしまった為、今更撤回出来ないのだろう。
そんな意地っ張りな彼の、意地悪な問いかけに、私は思ったまま返答した。
「別に好きではないけど、学校の行事だから仕方ないでしょ」
我ながら酷い言い草だったと思う。男子生徒たちがぎょっとしたような顔でこちらを見つめる。
きっと彼らは、私が合唱を成功させたくて尽力しているのだと信じていたのだろう。
どう思おうがそれは彼らの自由だが、私はそんな決意を述べたことなど一度もない。
合唱が成功しようがしまいが、どうでもいい。そのスタンスは、一貫していた。
現状でも、形にはなっている。だから、私はこのままでもいいと思っていた。
なので、情に訴えかけるような真似はせずに、淡々と行事だからと言い切った。
バリトンの彼は、あまり驚いていないようだった。もしかすると、同感なのかも知れない。
そして私に言い返されたリーダー格の男子は、暫しポカンとしてから、唐突に笑い出した。
「あははっ! なんだよそれ! えっと……神崎、だっけ? お前、冷めてんな~」
「たかが行事に熱くなれるほうが、私には不思議だわ」
「まあ、そりゃそうだな。お前の言う通りだ」
持ち前の性格を発揮してズバズバ思ったことを言うと、何故か彼は納得した。
たかが行事に真面目に取り組むつもりはない彼の共感を得てしまったようだ。
それならきっと彼はこのまま立ち去るのだろうと思ったら、違った。
「たかが行事に意地張ってたら、ダサいよな」
「は?」
「だから、俺も参加するよ。行事だから仕方なく、な」
そう言って、テナーに加わるリーダー格の男子。なんかちょっと可愛かった。
なんだろう、この素直じゃない感じ。声変わり前の彼は、背も低めだ。
そんな外見の子供っぽさも相まって、ほんの少しだけ、きゅんときた。
淡泊な性格の私でも、一応女だ。可愛いものは嫌いではなかった。
思えば、この時から持病が発症していたのだろう。そんなことはともかく、練習を再開しよう。
「じゃあ、周りの人の音を良く聞いて覚えてね」
「はいはい、わかったっての」
リーダー格の彼に言い含めてから、テナーのみで声を出させる。
彼はそれを聞いて、音程をなんとなく理解していった。
覚えは早いようで、それから休みを挟んで3日ほどでだいぶ歌えるようになった。
とはいえ、あやふやなところも多いようだが、彼の加入のメリットは大きかった。
取り巻きの生徒も参加したことにより、晴れて男子生徒が揃ったのだ。
彼らに音程を覚えさせる為に、昼休みも練習に費やすことになった。
さすがに悪いと思ったのか、リーダー格の男子は、こっそり私に謝ってきた。
「なんか、悪かったな」
「大丈夫。気にしてないから。どうでもいいし」
「ははっ。お前、マジで変な奴だな」
本当に気にしていないことは周知の事実なので、今更言葉を費やす必要はない。
そんな淡泊な私をどうやら彼は気に入ったらしく、それから何故か懐かれた。
ピアノを準備しているときに周囲をうろちょろして、他愛のない話題を振ってくる。
それに思ったまま返すと、彼は嬉しそうに笑っていた。
血液型を聞かれた際にB型だと返答して笑われた時は、ちょっとむっとしたけど。
ちなみに彼はO型だそうだ。聞いてもないのに答えてくれた。無論、名前は知らない。
「なんか、神崎の髪って、馬の尻尾みたいだな」
O型の彼はマイペースで、揉め事を起こすことも多かった。
今日も今日とて電子ピアノを設置していると寄ってきて、おもむろに私の髪を掴んだ。
中学の時、私は彼が言う通り、馬の尻尾のような髪型をしていた。つまり、ポニーテールである。
この時の髪の長さは肩甲骨くらいで、それを一本に束ねて学校に通っていた。
きちっと束ねると、顔の皮膚が引っ張られて、良い感じに眠気覚ましになるのだ。
それに、学生としての義務を果たしにいくぞっ!と、気合いが入るので気に入っていた。
癖が付かないように、きちんと毎晩リンスをすり込んで手入れもしていたのだ。可愛がっていた。
そんな私の大事なポニテを、無造作に触られた瞬間、不快感がわき上がった。
「触らないで」
「なんだよ、馬の尻尾呼ばわりが気に入らなかったのか?」
「違う。とにかく、離して」
「別に減るもんじゃないだろ。ケチケチすんなっての」
馬の尻尾呼ばわりはどうでもよかった。馬の尻尾は可愛いので問題ない。
問題なのは、それに触れられたことだ。それが、とても、とても嫌だった。
考えてもみてくれ。この男子の手が清潔かどうかなんて、本人以外にはわからない。
もしかしたら、彼はトイレに行っても手を洗わないタイプかも知れない。
そうだとしたら最悪だ。今すぐ自宅に帰って髪を洗いたい。ていうか、いい加減離せ。
そんな心中を口にしようとした、その時。
「嫌がってんだろ。離せよ」
割って入って来たのは、バリトンの彼。唸るように、怒気を孕んだ声音で窘めた。
彼に腕を掴まれたリーダー格の男子は、ようやくポニテを解放した。
そのことにほっと安堵する暇もなく、理科室に不穏な空気が立ちこめる。
思わず顔をしかめてしまうような、刺激的で危険が香りが鼻腔をついた。
「あん? なんか文句あんのか?」
「人の嫌がるようなことはやめろと言ったんだ」
「偉そうに指図すんじゃねぇよ」
「じゃあ、指図されないようにしろ」
「喧嘩売ってんのか?」
「だったらどうする?」
なんだこの一触即発な空気。私の背後で喧嘩が勃発しそう。どうしてこうなった?
ちらりと振り返るとめっちゃ至近距離でガン飛ばし合ってるご様子。
正直、果てしなく帰りたかった。帰って、髪洗って寝たかった。
時計に視線を向けると、まだたっぷり50分ほど時間が残っている。仕方ない、練習を始めよう。
「それじゃあ、まずは初めの音で声出して」
電子ピアノを鳴らして促す私に、男子生徒の唖然とした視線が突き刺さる。
背後の言い争いは継続しているようだが、私には関係ない。電子音で何も聞こえない。
戸惑いつつも男子の声が重なっていく。時折、肉を打つような鈍い音が響いたが、きっと気のせいだ。