第26話 『三大美姫』
「有村秋!」
「なんだ?」
「今日は私と一緒に帰りなさい!」
「ああ、わかった」
放課後になってすぐに鷹宮玲奈が有村くんの席へとやってきた。
あまりに直接的なそのお誘いを、二つ返事で承諾した有村くん。
別に聞き耳を立てていたわけではないが、鷹宮さんの声が大きくてばっちり聞こえてしまった。
もっとも、彼が誰と帰ろうが私には関係ないので、そのまま部活に向かおうとすると。
「神崎、今日は部活に行けないって顧問に伝えといてくれ」
「ん。わかった」
有村くんは部活に行かずにそのまま鷹宮玲奈と帰宅するらしい。
頼まれた言付けを引き受けると、彼は鷹宮さんを伴って、帰って行った。
その去り際に、鷹宮さんが意地の悪い表情を浮かべてきたが、それに対して特に何か思うことはない。
有村くんの友人としては、まあ、上手くいけばいいと、そう思うだけだ。
取り残された私は、残る部員である瀬川さんと吉田くんの二人と一緒に、部室に向かった。
「神崎さん、ちょっと聞いてもいいかい?」
「なに? 吉田くん」
「鉄花姫としては、火花姫が有村と帰って、悔しくないの?」
「は? てっか……何?」
「鉄の花の姫で、鉄花姫。僕が考えた、神崎さんのあだ名だよ」
瀬川さんが別の部員とカードバトルしている間、吉田くんとオセロをしていると、不意にそんなことを言われて困惑する。どうやら彼は、勝手に私のあだ名を付けたらしい。鉄花姫と書いて、てっかひめ、と読むことを、付け足しておく。
そんな奇天烈なあだ名について真っ先に思ったことを、そのまま述べる。
「なにそのあだ名。恥ずかしいからやめて」
「そうは言っても、だいぶ前からクラスに浸透しちゃってるからね」
なんということだ。知らぬ間にそんなことになっていたなんて。
仕方ない。撤回が困難ならば、前向きに受け入れる努力をしてみよう。
彼は、鉄花姫を、鉄の花の姫と説明した。しかし、響きが気に入らない。
「なんだか鉄火丼みたいで嫌なんだけど」
「あはは、怒った神崎さんはまさに鉄火姫だよね」
「怒った私はマグロのたたきだって言いたいの?」
「そうじゃなくて、溶けた鉄のように熱いって意味だよ」
ふむ。溶けた鉄、か。マグロのたたきよりはマシだが、どちらにせよ良い印象は感じられない。
というか、役割上、吉田くんを叱責することは多いが、本気で彼に激怒したことなど一度もない。
生まれてこの方、私がキレたのは、人をお漏らし呼ばわりした有村くんに対してのみである。
それなのに、わかったようなことを言う吉田くんにむっとして、睨むと、彼はひっ!と身を竦ませた。
「お、怒んないでよ……一応、敬意を表しているんだから」
「敬意?」
「そう、我がクラスの中でも一際美しい三人の姫君……三大美姫の一角への、尊称みたいなものさ」
「ふむふむ……ちなみに三大美姫って、他には誰がいるの?」
なにやら彼は、私以外の人物に対しても、勝手にあだ名を付けているらしい。
しかも、三大美姫とか。随分大仰であるが、美姫の一角と呼ばれるのは、まんざらでもなかった。
だから他の美姫とやらについて追求すると、吉田くんは得意げに残る二名のあだ名を口にした。
「他には、火花姫と、柔花姫がいるよ」
「ひばなひめと、やわらかひめ?」
「そう、火の花の姫と、柔の花の姫さ」
「……なんだか皆、私よりも可愛い気がするのだけど」
「いやいや! 神崎さんの鉄花姫は、美しさ重視だから!」
他と比べてとげとげしい自身のあだ名に不満を口にすると、彼は慌ててそんな言い訳をした。
しかし、鉄の花の姫、か。全然可愛くはないが、たしかに、美しくも感じられる。
単純な私はそれで気を良くして、二人の美姫の正体について迫る。
「それで、火花姫と柔花姫って、誰のことなの?」
「火花姫は今日の昼休みに神崎さんに喧嘩を売った、鷹宮玲奈」
「なるほど。鷹宮さんが、火花姫か」
言われてみると、しっくりきた。あの苛烈な言動や目つきから迸る印象は、まさに火花である。
「ということは、柔花姫は……」
「そう、我らが遊戯部の女神でもある、瀬川さんだよ!」
なんとなく、それは予想通りの答えだった。たしかに、瀬川さんに相応しい尊称だ。とても可愛い。
持ち前の大きな胸だけでなく、性格的にも柔らかな彼女にぴったりだ。そこでふと気づく。
「吉田くん、瀬川さんを柔花姫って呼びたかっただけじゃないの?」
「うっ……ま、まさか、僕は平等に名付けたつもりで……」
「こら豚、嘘をつくんじゃない」
「ご、ごめんなさい! 三大美姫ってことにしとけば呼びやすいと思った次第でございます!」
「ま、そんなことだと思ったわ」
詰問すると、あっさりとゲロった。つまり、私と鷹宮さんはついでだったのだ。
しかし、そのおかげで美姫の一人になれたのだから、悪い気はしない。
もちろん恥ずかしさはあるが、姫と呼ばれて嫌な女の子なんて、いないのだから。
「それで、神崎さん」
「なに?」
「さっきも聞いたけど、悔しくないの? 火花姫に有村を取られてさ」
あだ名についての追求も一段落して、話は冒頭へと立ち返った。
火花姫、つまり鷹宮玲奈に対して私が悔しさを覚えるかとの質問。
それに対して、私はありのままの所感を述べる。
「別に、悔しくないわ」
「本当に?」
「ええ、悔しそうに見える?」
「いや、そうは見えないけど……」
「じゃあ、この話はおしまい」
ばっさりと話を切り上げると、すでに盤上の駒は彼の色に染まっていた。
この吉田貴広という人物は、あらゆるゲームにおいて圧倒的な強さを誇る超人だった。
特に運の要素が絡まないものにかけては、無敵と言えよう。
いかに弱いと自覚のある私相手とはいえ、全ての駒を奪われるとは思っていなかった。
そこでようやく、瀬川さんの言葉の意味がわかった。
彼女が言った、負けても悔しいと感じさせない鮮やかさとは、このことか。
「なおちゃん、お待たせ。終わったよ」
「ああ、おかえり、瀬川さん。こっちも今終わったところ」
負けた癖にさっぱりとした気持ちで駒を片付けていると、瀬川さんが帰還した。
その愛らしい表情には充実感が見て取れて、快勝したのだとわかる。
ちらりと彼女の対戦相手だった遊戯部の男子生徒へと目を向けると、茫然自失としていた。
たぶん、圧倒的な大差で勝利したのだろう。それは、精神的なダメージを負う程の、蹂躙。
吉田くんが世界レベルだとしたら、きっと瀬川さんは全国レベルの実力者だ。
そんな強者である2人に対して、少々気後れしてしまうけれど、気にしないことにした。
私はそこまでゲームについては詳しくない。だからこそ、気軽に接することが出来た。
たぶん、それに熱中して、夢中になっている人ほど、彼らに負けて絶望するのだろう。
今日瀬川さんに負けた、名も知れぬ部員のように。
とはいえ、放心状態だった彼は早乙女教諭の信者だったらしく。
「おら、いつまでぼさっとしてんだ! 終わったならあたしの肩でも揉みやがれ!!」
「は、はいっ! 早乙女先生!」
ベシッと頭をひっぱたかれて、正気に戻った様子。
傷心の生徒に暴力を振るうなんて言語道断だとは思うが、あれも早乙女茜の優しさなのだろう。
同年代の仲間には出来ない、乱暴な慰め方。しかし、そうすべき時もある。
あの暴力教師はそれが一番自尊心を傷つけないと知っているのだ。
「それじゃあ、帰ろっか?」
「うん。帰ろう」
帰り支度を終えた瀬川さんが帰宅を提案して、それに頷く。
すると、吉田くんが鼻息を荒くして、なにやら張り切りだした。
「ふははっ! 今日は有村がいないから、僕は両手に花ってわけだ! よっしゃあ!!」
「私は家が逆方向だから、校門までだけどね」
「そ、そんなぁっ!?」
燃えたぎる吉田くんの野心に冷水を浴びせかけて、消火。両手に花など、許さん。
吉田くんと瀬川さんは家が同じ方向らしく、いつも一緒に帰っている。
今日彼が瀬川さんのことを遊戯部の女神と言っていたことからも、憧れの存在なのだろう。
だったら、柔花姫である瀬川さんのみを、大切にするべきだ。よそ見など、以ての外である。
というか、瀬川さんの好意に抱いているなら、さっさと告白すればいいのに。それで大団円だ。
とは思うものの、そんな無粋なことをわざわざ口に出したりはしない。それは野暮というものだ。
瀬川さんも、私と有村くんのことに対して何も口出しはしないのだ。ならば、それに習うべきだ。
まあ、口出しをされたところで私と彼には何もないのだけど……そんなこと考えていると、校門に着いた。
「じゃあ、また明日ね、なおちゃん」
「うん、さよなら、瀬川さん」
「か、神崎さん! 帰る前にもう一度だけ豚って呼んでくれると……」
「バイバイ、豚」
「ぶひいいいいいっ!!!!」
「よしよし、吉田くんは豚さんじゃないよ~」
お決まりとなったやり取りを終えて、独りで帰路につく。
ここ最近一緒に帰っていた有村くんは、今日は不在。鷹宮玲奈と帰ってしまった。
黙々と歩いていると、吉田くんの問いかけが頭の中に蘇った。
火花姫に対して、悔しいと思うか否か。
その質問に対する答えは、変わらない。誰と帰ろうが彼の勝手であり、どうでもいい。
しかし、いざこうして独りで歩いていると……なんだか、気持ちが沈む。その理由は、わからない。
今同じ質問をされたら……私は何と答えるだろうか。




