第21話 『正しい接し方』
「神崎のせいで店員に怒られたぞ」
「人のせいにしないで」
「お前がうんこを漏らすから……」
「だから漏らしてないって言ってるでしょ!?」
逃げるように店を出てからも、不毛な言い争いは続いていた。
どうやらこの男は何がなんでも私が漏らしたことにしたいらしい。ふざけんな。
こうなったらもはや借りなんかどうでもいい。ただでは済まさない。
彼の助言や優しくされたことは今でも感謝しているが、到底この仕打ちとは釣り合いが取れない。
そう、これではバランスが取れない。私の損害のほうが遙かに大きいのは明白だ。
だから私は、彼に対して自分が受けたものと同じ代償を支払わせることにした。
「有村くん、私、今回のこと絶対に許さないから」
「そう睨むなよ。悪かったって言ってるだろ?」
「あなたは私が漏らしたことを前提に謝っているだけでしょ?」
「ああ、謝るべきところはそれしかないからな」
「だとしたら、尚更許せないわね」
面と向かって絶対許さないと通告すると、彼は困ったような表情を浮かべた。
しかし、現在進行形で勘違いを継続中の彼を許す気など、さらさらない。
せいぜい、混乱するがいい。一生足りない頭で悩み続けるがいい。
それで私の不快感が晴れることは一切ないが、いい気味だ。
このまま仲違いしたまま、決別する。それが、互いにとって一番の罰だと思った。
それは、自分の愚かさと、彼の非常識さに対する、厳罰だ。
もう二度と口を効くことなく、絶交する。それは、私にとっても……少し辛い。
瀬川さんとそうしたように、仲直り出来たらそれが一番だが、生憎彼は勘違い野郎だ。
そして私も相当な意地っ張り女という自覚があるので、仲直りなど出来る筈もない。
一抹の哀しみを押し殺して、黙ってその場を立ち去ろうとすると。
「待てって、神崎」
「なによ。許さないって言ったでしょ?」
「別に許してくれなくてもいい。それよりも、聞きたいことがある」
この男、言うに事欠いて、許してくれなくてもいいだと?
またかっと頭に血が上り、そこで気づく。自分が彼を許したいのだと。
こうしてまた引き留めて貰って、ほんの少し嬉しいとも感じていた。
だからこそ、無視することなくすぐに立ち止まったのだ。まるで待っていたかのように。
それなのに、彼は許してくれなくてもいいとほざいた。やっぱり、許せん。
だが、怒鳴り散らす前に、気になることもある。
私に許されることよりも優先して引き留めた、その理由だ。
許して欲しくて引き留めたのではないとすれば、どんな理由だろう。
激高しながらも、どこか冷静な私は、彼の話を聞くことにした。
どんなに嫌っていても、やはり彼は気になる存在だから。
「聞きたいことって、なに?」
尋ねながら、この先の展開を予想する。
恐らく、また人が漏らしたとかいう妄言関連だろう。いや、完全に虚言であると、念を押しておく。
もしそうだったら、今度は平手打ちを見舞ってやる。それで、終わりだ。
右手に力を溜めながら、彼の言葉を待つ。そして、拍子抜けした。
「なんかお前、隠してることあるだろ?」
「はい?」
「なんとなく、わかるんだよ。同類の匂いっていうか、そういうのがさ」
「ッ!?」
予想外のその指摘に、彼の頬を張ろうとしていた手で、咄嗟に自分の頬を押さえる。
たぶん、今の私は赤面している。まるで瞬間湯沸かし器のように、瞬時に、沸騰した。
なぜ赤面したかと言えば、恥ずかしいからだ。この上ない羞恥心に苛まれていた。
胸に去来するのは、自分の特殊な劣等複合のこと。それを彼は見透かした。見透かされて、しまった。
もちろん、その内容までは把握してないだろう。しかし、見抜かれたことが、猛烈に恥ずかしい。
反射的に目を逸らして、俯き、とうとう両手で頬を押さえる私に、彼は問いかけを重ねる。
「なんか悩みがあるなら、話してみろよ」
「ど、どうしてあなたなんかに……」
「お前が俺の話を聞いてくれたから」
「なにそれ……どういう意味?」
「だから今度はお前の話を聞いてやるってことだよ」
しどろもどろの私に、優しげにそう答える有村くん。
恥ずかしくて顔は見れないけど、きっと優しく微笑んでいるのだろう。
彼は自分の話を聞いてくれたから、私の話も聞きたいと言う。
それは、ロリコンの癖に理路整然としていて、とてもバランスが取れているように思えた。
ああ、どうして私は、彼を拒絶できないのだろう。
自分でも不思議に思う。つい先ほどまで、あれほど怒り狂っていたのに。
それでも、こんな風に優しくされると、怒れない。そんな自分に腹が立つ。
まるでラノベに出てくるチョロいヒロインのようではないか。そんなの困る。
たぶん、これからも私はこうして彼と喧嘩するたびにやり込められるのだろう。
そして、そんな自分が少しも嫌ではなくて……余計に困る。
決して癇癪持ちではない私だけど、時と場合によってはこうして怒ることもある。
そのたびに、こんな風に良いように扱われてしまっては、どうすることも出来ないではないか。
でもきっと、それでいいのだろう。
喧嘩して、勘違いされて、論点をずらされて……優しく誤魔化される。
たぶん、それが私と彼との正しい接し方なんだ。
そう思えば、なんとなく諦めもついた……気がした。
「……私の話、聞いてくれる?」
「ああ、もちろんだ」
長い逡巡のあと、私は自分の劣等複合を話す決断をした。
それは私の人生の中でも、特別に大きな決断だったと思う。
なにせ墓場まで持っていくつもりだった秘密だ。かなりの勇気が必要だった。
その胸中を恐らく理解していない有村くんは二つ返事で受け入れて、近くの公園まで私を誘う。
そんな彼に素直についていく自分自身がとてもふしだらな気がして……恥ずかしかった。




