第2話 『初めての練習』
「放課後、理科室で男子だけ練習するから、もし良かったら来て」
翌日の昼休み、私はクラスの男子に参加を呼びかけて回った。
教壇に立って呼びかけるような真似はしない。恥ずかしいもの。地道に一人ずつ声をかける。
教室は女子が使うので使用不可。なので、朝のうちに職員室に出向いて理科室の使用許可を得た。
しかしながら、男子生徒の反応は芳しくない。皆、乗り気ではないようだった。
特に昨日不参加宣言をした、男子側のリーダー格の生徒は不満げだった。
「俺は行かない」
きっぱりと拒否されたので、わかったと返した。説得する気はさらさらなかった。
女子生徒を納得させる形を作っているだけだ。半数が参加すればいいほうだろう。
リーダー格の彼が参加しなければ、取り巻きを参加させることも難しいだろうし。
ともあれ、やる気の希薄な私と男子たちの初めての放課後練習が、その日理科室で行われた。
「この音が、最初の音だからこれに合わせて声を出して」
使われなくなった電子ピアノから出だしの音を鳴らす。
それに合わせて、男子生徒たちが声を出した。みんなの声が揃うまで、続ける。
だいたい揃ってきたので、最初のフレーズを弾いて聞かせる。
ちなみに人数は予想通り、クラスの男子全体のうちの半数に満たない程度である。まあ、そんなものだろう。
「それじゃあ、ここまで歌ってみて」
メトロノームを鳴らしてリズムを刻み、そこまで歌わせる。しかし、声が小さい。
音程に自信がないようだ。自信がつくまで繰り返し弾いて、音を覚えさせる。
徐々に良くなってきた。女子がいないこともあって、歌いやすいのかも知れない。
そしてこの辺で、違和感に気づいた。しっかり歌えている者と、そうでない者の差。
それは恐らく、声変わりの差だろうと思った。中2なので、当たり前といえばそれまでだが。
「バスとテノールに別れて、順番に練習しよう」
もともと、この楽曲は混声四部の構成だ。出だしこそ斉唱だが、あとはそれぞれ分かれる。
テノールの声音につられてしまうなら、同じ声質の生徒同士で一緒にやったほうがいい。
そう判断して、それぞれのパートに分けて代わる代わる練習をした。
その結果、だいぶ音は取りやすくなったようだ。片方が練習中、片方が休憩出来るメリットもあった。
彼らはやりやすそうではあったが、いかんせん効率が悪いやり方だ。
しかし、そうは言っても腕を四本生やしたりすることは不可能なので、やむを得まい。
「今日はここまで。お疲れさま」
結局、一曲の5分の1ほど進めたところで練習時間の1時間が経過して、お開きとなった。
文化祭まではあと二週間ほど。一曲を仕上げるのに間に合うのかどうか。
不安ではあるが、そんなことで私は頭を悩ませたりしない。完成度なんて、どうでもいいのだ。
淡々と電子ピアノのケーブルをまとめて帰り支度をしていると、一人の男子が声をかけてきた。
「俺、ピアノ弾けるから、明日は手伝うよ」
俯いて撤収作業をしていた私の頭上に降り注ぐ、心地よい、声変わりを終えた、綺麗なバリトン。
視線を向けると、彼の頭は私よりもずっと高い位置にあった。
中2の私は、すでに160㎝近くあったと記憶している。女子にすれば、高身長なほうだろう。
そんな私よりも、バリトンの彼はずっと背が高かった。その顔に見覚えはない。名前も知らない。
人の顔や名前を覚えるのは、苦手だ。だから、中学の同級生の名前を、私は知らない。
たぶん、他人のことなんてどうでも良かったのだと思う。まあ、今でもそうなのだけど。
そんな独白はさておき、願ってもないその提案に、返事をせねばなるまい。
勝手なイメージで申し訳ないのだが、こんなに背が高い彼がピアノを弾けることが、少々意外だった。
だから、面食らってしまった私に、彼はきょとんと首を傾げていた。
偏見で人を判断することは、よくないことだ。私は自分を恥じて、その申し出をありがたく受け入れた。
「ありがとう。それじゃあ、明日はよろしく」
「ああ、任せろ。それで、このピアノ、どこに返すんだ?」
頷いて、協力を確約してくれた彼は、おもむろに電子ピアノを持ち上げて尋ねてきた。
「運んでくれるの?」
「余計なお世話だったか?」
「そんなことはないけど……」
「なら、俺が運ぶよ」
彼は優しい人だった。せっかくの好意なので、返却をお願いすることにした。
「ありがとう。電子ピアノは音楽室から借りたから、そこに返却しておいて」
「わかった。なら、あんたは鍵を返しに行ってくれ」
「うん。それじゃあ、また明日」
職員室と音楽室は、真逆だ。彼はさっさと背を向けて歩き出す。
私はその大きな背中をしばらく見送って、職員室へと足を向けた。
なかなかどうして、我がクラスの男子も捨てたものではないと、そう思った。