第17話 『飴と鞭の役割分担』
「よ、吉田くんっ!」
「ふぇっ?」
「この豚ぁっ!!」
場面は変わって、放課後。
遊戯部の部室に瀬川さんの耳当たりの良い罵声が響き渡った。
柔らかな彼女に声に似つかわしくない、その台詞には些か緊張が含まれている。
どうして優しくて温厚な彼女が出会い頭に吉田くんを豚呼ばわりしたのか。
それは私がそうすると彼は喜ぶと教えてあげたからだ。
この吉田貴広という男子は、奇特な持病を抱えていた。
俄には信じがたいのだが、彼は豚と罵られると喜ぶ性癖の持ち主なのだ。
そして、それは昨日私自身が実証済みの紛れもない事実である。
推察するに、彼は嗜虐趣味を持ち合わせていると思われる。
もちろん私には理解出来ない嗜好であるが、その存在は知っている。
たまに、ラノベの登場人物にそういった傾向が見受けられるのだ。
ヒロインに罵倒されたり暴力を振るわれて喜ぶキャラクターは、何人も見てきた。
だから、彼もそうなのだろうと結論付けて、瀬川さんに罵倒してみるよう勧めた。
しかしながら、よもや開口一番で罵倒するとは思わなんだ。
よっぽど瀬川さんは吉田くんとお近づきになりたいらしい。妬けちゃうぜ。
ともあれ、これで彼との関係が進展すればいいと、思っていたら。
「ぶ、豚に生まれてきて……ごめん、なさい……」
「えっ?」
吉田くんは真っ青な顔色で謝罪を呟いて、卒倒した。
「きゃああああっ!? よ、吉田くん、しっかり!?」
慌てて彼に駆け寄る瀬川さん。
予想外の事態に私が唖然としていると、有村くんがこちらにやって来て、小声で尋ねる。
「瀬川に何を吹き込んだんだ?」
「えっと、その……吉田くんは豚って呼ばれると喜ぶって……」
「アホ。瀬川はそんなキャラじゃないだろ」
「ど、どういう意味……?」
「お前とは違うってこと」
なんだそれは。ますますわからない。
瀬川さんは豚と口にするキャラじゃないというのは、なんとなくわかる。
温厚で優しげな彼女には少々刺激的すぎる台詞だ。
しかし、それが私には似合うとはどういう了見だ?
自分が周囲にどんな目で見られているのか、気になるところだ。
だが、今はそんなことより、この凄惨たる状況をなんとかしなければ。
善かれと思って授けた助言が裏目に出た。極めて遺憾であり、忸怩たる思いだ。
今にも泣き出しそうな表情で吉田くんの肩を揺する瀬川さんに駆け寄ろうとして。
「また神崎の仕業か。たくっ……面倒かけさせんなっつーの」
呆れた口調で割って入って来たのは、担任教師。
心底面倒臭そうに嘆息して、どけっと、私を追いやる。
そして倒れ伏している吉田くんの傍に歩み寄ると。
「おら、いつまで寝てんだ、この豚野郎っ!!」
「ぶぎゃっ!?」
しなやかな細足を振り上げ、見事なローキックを彼の背中に叩き込んだ。
肉を打つ鈍い打撃音と共に、苦悶げな呻き声をあげる吉田くん。
ともあれ、それで息を吹き返したようだが、完全に体罰だと思う。
「神崎、昨日あたしは言った筈だぜ?」
「な、何のことですか……?」
「この部の女王はあたしだって、そう言っただろう?」
突然そんなことを言われて、戸惑う。
たしかにこの暴力教師はそんなことを言っていた。
しかし、それがこの状況で何の関係があるというのか。
「瀬川もよく見とけ。女王様の振る舞いってやつをよ」
瀬川さんにも言い含めてから、早乙女先生は息も絶え絶えな吉田くんの傍にしゃがみ込む。
「はあ……はあ……」
「おい豚、呼吸音がうるさいから息すんな」
「ッ!?……!……!!」
命じられて即座に鼻と口を閉じる吉田くん。
しかし、このままでは昨日と同じ事になる。
呼吸を自主的にやめた吉田くんは、すぐに窒息してしまうだろう。
だが、この自称女王様は、驚くべき対処方法を見せつけた。
「よし、いい子だ。ご褒美に、靴下をやろう」
言いつけを守り、窒息寸前の彼を褒めてから、おもむろに靴下を脱ぎだす早乙女茜教諭。
一体何をするつもりなのか、想像もつかない。瀬川さんも困惑の眼差しで推移を見守る。
奇妙な緊張感に包まれる中、早乙女先生が靴下を脱ぎ終えた。
そして、可愛らしい猫のイラストが描かれたその靴下を、無造作に彼の顔の前に放り捨てて、言い放つ。
「嗅いでいいぞ」
「ふごっ!? ぶひ! ぶひぶひ! んごっ!」
その一言で窒息寸前だった吉田くんが呼吸を再開した。
それは嗅いでいいと言われた靴下を嗅ぐための、深呼吸。
一心不乱に靴下を嗅ぎまくる吉田くん。よもや、こんな手法があるとは。
絶句する私と瀬川さんに流し目を送り、女王たる早乙女茜は高らかに鼻を鳴らす。
「ふん。ま、あたしにかかれば、ざっとこんなもんだ」
勝ち誇られた。こんなことで勝ち誇られても、正直困る。
たぶん、彼女が言っている女王とは、そういうプレイの女王様のことなのだろう。
別にそんな女王様になりたいとは思わない。瀬川さんだってそうだろう。
しかし、そうした高度なテクニックを彼女が持っていることは理解した。
だからこそ、そんな技を持たない私たちを咎めたのだ。わきまえろと、言われた気がした。
女王は自分。お前らはただのガキだと、そう言外に伝わってくる。
それに対しては、一抹の悔しさがある。女の矜持というやつだ。
ちらりと瀬川さんを見やると、彼女も悔しそうだった。
このまま負けっぱなしでは、終われない。せめて一矢報いよう。
そんな私の視線に気づいた瀬川さんと目配せをして、反撃に打って出る。
まずは私が吉田くんの注意を引きつける。
有村くんは罵倒するのは私に向いているようなことを言っていた。
それを踏まえると、大変心底不本意ながら、恐らく、早乙女先生の靴下に夢中な彼を正気に戻せるのは、私の他にはいるまい。
だから私は、這いつくばって靴下を嗅いでいる吉田くんに厳しい言葉を投げかける。
「こら、豚。いつまで靴下を嗅いでいる。やめなさい」
「ひっ……ご、ごめんなさい……」
ぴしゃりと言ってやると、吉田くんは我に返った様子。
よし、これならいける。確信を持って瀬川さんに頷き、あとを任せる。
「大丈夫? 安心して。吉田くんは豚なんかじゃないよ」
「ふぇ……? で、でも、さっき……」
「さっきはごめんね。もう言わないから」
「うぅっ……ありがとう、ありがとう」
吉田くんをよしよしと慰める瀬川さん。完璧だ。完全に我が意を得てくれた。
伊達に1年の間一緒に過ごしたわけではない。私たちの呼吸はぴったりだ。
吉田くんを罵倒する私と、彼を慰める瀬川さん。それが、我々の答えである。
要するに、飴と鞭が重要なのだろう。そして、私たちにはそれができる。
それぞれの個性と適正を活かした配役。もちろん、私には加虐趣味はない。
しかし、これで瀬川さんと吉田くんの関係が進展するならば、本望だった。
そんな私たちのコンビネーションを見た担任は、つまらなそうに鼻を鳴らして。
「ま、ガキ共にはそんな温いやりとりがお似合いだな」
そう言い捨てて、部室の片隅に戻っていった。
偉そうに机に脚を乗せて、狂信的な部員から手厚い接待を受ける。
お疲れ様です!と言われて、おう。と答えながら、渡されたいちごミルクを美味そうに飲む。
完全にどっかの組の姐さんのような態度だが、あれでも教育者だ。
ちなみに担当科目は歴史だったりする。あれで歴女だというのだから、世も末だ。
しかしながらそれでも、どんなに破天荒であっても、彼女は大人だ。子供ではない。
たぶん、それなりに過保護な先生なのだろう。もう間違わないよう、目を光らせている。
そんな早乙女先生のことを、やはり食えない女だと思いつつも、一目を置かざるを得ない。
ともあれ、吉田くんと自然にスキンシップが出来ている瀬川さんを見て、胸を撫で下ろす。
しばらくはこのアプローチを続けていこう。ひとまず、上手くいって良かった。
助言が無駄にならずに済んで、ほっと安堵している私を見て、有村くんが何故か笑う。
「神崎、なんだか嬉しそうだな」
「えっ? そう?」
「顔がにやけてたぞ」
「……そっか。私、嬉しいのか」
視線の先の瀬川さんは、愛おしげに吉田くんの背を撫でている。
彼女は嬉しそうだ。だからきっと、私も嬉しいと感じるのだろう。
友達が嬉しそうだと、自分も嬉しくなる。そのことを、今日初めて実感した。
そしてこの日から、今回の吉田くんに対するやり取りは定番化するのだった。




