第11話 『邂逅』
高校生活の最初の1年を瀬川さんと共に穏やかに過ごし、私は2年生となった。
特に進級が危ういということもなく、時間経過に従って2年生となった感覚だ。
だから感慨なんてものはなかったし、入学時のような新鮮味も全く感じなかった。
それにクラス替えもなかったので、瀬川さんとは今年もクラスメイトでいられた。とっても喜ばしい。
しかし、何もかも今まで通りというのは多感な年頃の同級生には不満らしく、新学期の初めに席替えをすることとなった。
視力や身長を加味しつつ、その他の生徒の席順はくじ引きでランダムに決めた。
くじ引きの結果によって、様々な意味合いを含んだ声が教室内に飛び交う。騒がしい連中だ。
なんて思いつつ、かくいう私も心中で歓声を上げていた。やった! 瀬川さんの席の近くだ!
思わず彼女に視線を送ると、瀬川さんも嬉しそうに微笑んでくれた。まるで天使のようだった。
入学時に前の席に座っていた彼女は、その後、幾度かの席替えによって1年の終わりには少し離れた位置の席だった。
なので、今回の席の位置は私にとって僥倖以外の何物でもなく、喜び勇んで机を移動させたの、だが。
その先に鎮座している存在に気づいて、足を止めた。
私の隣に、彼がいる。
もちろん、体育祭の時に見つめ合った、彼である。
人の顔と名前が覚えられない私とて、ここまで近づけば識別は出来る。
もっとも、そんな鈍い私が気づけたのは彼と目が合ったからだ。
既に机を移動し終えて席に着いていた彼が、じっとこちらを見つめていた。
あの時のように、私を見ているようで、見ていないような、不思議な視線だ。
もう半年以上が経過している筈で、これまですっかり忘れていたその感覚が、蘇る。
そうだ。この目だ。この目を見て、私は彼に興味を抱いたのだ。
その時の感情や思いが、つい昨日のことのように思い出せた。
一度忘れたことがこうしてフラッシュバックするのは、私にとって極めて稀なことだった。
それだけ、頭の奥深くに印象深く残っていたのだろう。
そして思い出というのは不思議なもので、あの時抱いた屈辱や憤りなんかは綺麗さっぱり消え失せていた。
自分をフェイントに使われたことは覚えている。だが、それに対する怒りは消失している。
今この時、胸に宿っているのは、その視線と彼に対する好奇心のみだった。
あのとき気になった彼と、再びこうして巡り合えた偶然。まさに邂逅と呼ぶに相応しい、奇跡。
それは、ほんの少し……いや、かなり嬉しいことだと、素直に認めなければならないだろう。
だから私は、自然と頬をほころばせた……と、思う。
それを見た彼の目がまん丸になっていたので、ちゃんと笑えた筈だ。
そのまま、今度はもう交わした視線を逸らさないと決心して、口を開く。
「去年の体育祭の時、私のこと見てたでしょ?」
少々乱雑な物言いになってしまったが、この際、構うまい。
それは彼と話す機会があれば一番最初に尋ねようと決めていた、問いかけ。
間違いなく目が合った確信はある。それを、彼に認めさせたかった。
彼に対する興味は尽きないが、まずはこれを聞かなければ始まらないと思っていた。
もっとも、何が始まるのかは、知らないけど。
「ああ、見てたよ」
彼は動揺する素振りもなく、はっきりとそう答えた。
よし。これで互いの認識が共有出来た。それなら話は早い。
この時点で教室内は静まりかえっていたのだが、私はそのことに気づかず質問を続ける。
「どうして見てたの?」
「かわいかったから」
質問に即答する彼。台詞はちゃらいけど、その目は真剣だった。だから不快感は覚えない。
そこで私たちのやりとりに聞き耳を立てていた生徒たちが、ざわついた。
それでも私は注目を集めていることに気づかない。私は彼と話しているのだ。
他の生徒を全て認識外に追いやって、私は彼と2人っきりの感覚で会話をしていた。
かわいいと言われた。純粋に、嬉しく思った。だから、私も思ったまま口に出す。
「ありがとう。あなたも、格好良かった」
これには彼も面食らったようで、顔が赤くなった。
なんとなくしてやった気持ちになった私の顔も、たぶん赤くなっているだろう。
しかし、この一言が決め手となって、勝敗は決した。
「……さっさと机、持って来いよ」
「うん。そうする」
先に視線逸らしたのは、彼。根負けしたようだ。勝った。完全勝利である。
思わずスキップしたくなったが、机を抱えたままなので、それはできない。
粛々と机を彼の隣に運んで、椅子を下ろす。そして、着座したところで、ふと大事なことに気づいた。
「そういえば、名前はなんて言うの?」
その一言で、ざわついていたクラスメイトが一斉にずっこけた。中には噴き出す者も。
そんな騒がしいクラスメイトはもちろん認識外。彼らがずっこけた理由は今でもわからない。
人の名前を知ること。これは私にとって、大切な儀式のようなものだった。
名前を知ることで、それは他人ではなくなる。瀬川さんの時もそうだった。
そんな私の真剣さを察してくれたらしく、彼は真面目な顔と口調で、自分の名前を教えてくれた。
「俺の名前は、有村秋だ。季節の秋と書いて、『しゅう』と読む」
「季節の秋、か。良い名前ね」
思ったまま所感を述べると、今度は有村くんのほうから尋ねてきた。
「あんたの名前は?」
「私は神崎直。愚直の直と書いて、『なお』って読む」
我ながら、どんな説明だと思うが、この説明が自分に合っていると思っていた。
瀬川さんにも、そうして自分の名前の漢字を口頭で教えていた。
なぜわざわざ愚直という単語を選んだかと言えば、それが一番自分に相応しいから。
それには、中学の時にやらかした失敗に対する戒めの意味もあった。
ともあれ、それで彼には伝わったらしい。
「なお、か。よし、覚えた」
「改めて、よろしくね。有村くん」
「ああ、よろしく。神崎」
私はくん付けで、彼は呼び捨てだったが、そんなことは気にしない。
瀬川さんにも私はさん付けだし、どう呼ぼうが彼の勝手だ。
それでもむきになって呼び捨てしないのは、きっと私の中の女の部分がそうさせるのだろう。
これも一種の、女子アピールである。無意識に、女として認識させたかったのだと、思う。
余談だが、彼はとても良い声をしていて、ああ、と頷くその響きが印象的な男子だった。
そんなことはさておき、自己紹介を終えた私が前を向くと、沢山の野次馬の視線とぶつかった。
そこでようやく、自分が注目を集めてしまったことに気づき、少々反省する。
思ったことをズバズバと口に出す、完全に素の私の状態で、彼とやり取りをしていた。
高校入学時から築き上げてきた、無口で地味な大人しい女子の印象とは、あまりにかけ離れた一面。
そのことで、周囲を驚かせてしまったらしい。やれやれ、女子高生は大変だぜ。
辟易としつつ、嘆息すると、こちらを見ていた生徒たちがわざとらしく視線を逸らす。
それぞれ談笑に戻る彼らに一安心、するのはまだ早い。強烈な視線を感じて、そちらを見る。
前方の位置に座る、昔の私のように髪を後ろで1本に束ねた、女の子。
オレンジ色のカーディガンを着た彼女が、こちらを凝視していた。
見つめられた、というよりは、睨みつけられたと表現するべきだろう。
そのくらい刺激的で、怒気、もしくは恨みを孕んだ目つきだった。
彼女は暫くそのままこちらを睨んでから、ぷいっと前に向き直った。
それに伴い、ポニテが怒ったようにプリプリ揺れた。ちょっと可愛い。
後ろから見ると、少々長さが足りないように思える。まるでちょんまげみたいだ。
座っているので確信はないが、座高から察するに、とても小柄な女子生徒と思われる。
全体的にミニマムで、可愛らしい女の子。そんな彼女に何故か睨まれた。
もちろん、心当たりはない。刺激的なキナ臭さが鼻をつく。面倒事の匂いだ。
ちなみに私は高校生になったのを機にポニテをやめて、髪を下ろしていた。
髪を結うのは運動する時か、夕飯の支度の際のみだ。体育祭の時も、ポニテだった。
髪を下ろしたのは、身体が成長して大人になった証のつもりだった。もう子供ではないのだ。
だからオレンジ色のカーディガンの小さな女子に対して、少しばかり優越感を感じたことは否めない。
なんとなく、一人で勝った気になっていると、不意に有村くんが口を開いた。
「今日の放課後、なんか予定あるか?」
「特に予定はないけど、夕飯の支度があるから5時には帰らないといけない」
「神崎って部活はやってないのか?」
「やってない」
部活動にはさして興味はなかった。
瀬川さんとは家が正反対なので、誠に残念ながら一緒に下校できない。
なので、学校帰りは一人で直帰が常だった。
さっさと帰って、家事を済ませてからラノベに耽る女子高生。それが私だ。
強いて言うなら、帰宅部とか、自宅警備部なんて呼び方が当て嵌まるだろう。
「それなら、時間まで俺が入ってる部活に顔出してみないか?」
「有村くんって何部なの?」
「遊戯部だ」
あれだけバスケが上手いのだから、てっきりバスケ部かと思っていた。
少々意外に思いつつ、聞き覚えのないその部に興味が湧いた。
もっとも、彼が所属している部活だからこそ、気になったわけだが。
「遊戯部? 聞いたことない部活ね」
「正確には室内遊戯研究会、だけどな」
「ん。わかった。行く」
やり取りを終えて、会話は終了。放課後に予定が出来た。
私は今日、偶然彼の隣の席になって、彼の名前を知り、自分の名前を告げた。
そうして私たちは、お互いを認識し合ったのだ。
とはいえ、まだ友達と呼べる関係には至ってはいない。
これから時間をかけて彼のことを知り、自分のことも知って貰う必要がある。
だから、放課後に彼と関わることは、むしろ望むところだった。
瀬川さんと友達になったように、有村くんとも友達になれたらいいなと、思った。
しかしながら、前途は多難だ。つい先ほど睨まれたのが、いい証拠だろう。
体育祭で活躍した有村くんは、一時期、とても人気があった。
あれから半年ほど経って、少しは落ち着いたように見えるが、根強いファンがいるらしい。
というか、彼女だって居てもおかしくはない。ま、私には関係ないけど。
こうして思いがけず、再び互いに認識し合えたのだ。また繋がりが途絶えるのは、嫌だ。
そもそも、人気者になった彼と関わればこうなることは目に見えていた。
揉め事はなんとしても避けたいが、それでも、私はこの機を逃したくなかった。
せっかく、隣の席になれたのだもの。だが、中学時代のような失敗は、もう二度とごめんだ。
だからこそ、今度は上手くやろう。
よし、負けないぞっ!と思ってから、はて、自分は一体全体、何と戦うつもりなのだろうと首を傾げて、よくわからないまま、私はその日、学業に取り組んだのだった。




