第10話 『彼との出会い』
高1の体育際の時、私はバドミントンの種目に出場して初戦敗退していた。
シングルではなくペアでの試合で、相方は瀬川さんだった。
私は運動が苦手ではなかったけど、瀬川さんはあまり得意ではなかった。
きっとその豊かな胸が妨げとなってしまっているのだろう。仕方のないことだ。
私が半袖なのに対して、瀬川さんは胸を気にして長袖。汗だくで、見るからに辛そうだった。
彼女なりに全力を尽くしたことは明らかで、そんな彼女を責める気など毛頭なく、私はただ試合結果だけを受け入れたのだが、彼女は自分が足を引っ張ってしまったことを気にして、何度も謝ってきた。
もちろん先述した通り、私は全く気にしていない。たかが学校の行事なのだから。
しかし瀬川さんは、されど学校の行事だと思うタイプらしく、お詫びにジュースを奢ると言って校内の販売機へと駆けていった。引き留める間もなく取り残されてしまったが、ちゃんと代金は払うつもりだ。
そんなこんなで独り体育館の隅で彼女の帰りを待っていると、歓声が上がった。
体育館の半面はバドミントンの試合に使われていて、もう半面はバスケのコートとなっていた。
どうやらそちらが賑わっているらしい。私はコートとは反対側の壁に背を預けながら、向こう側のバスケの試合に目を向けた。そこで、我がクラスの男子が最上級生である3年生と死闘を演じていた。
体育館での競技は種類が多いこともあり、その時はバスケが優先して行われていた。
バドミントンは卓球の後だったので、つい先ほど1回戦が終わったばかりだが、バスケはすでに決勝戦となっていたらしい。コートに周囲にはクラスメイトと3年生たちが群がっていた。
1年生が決勝に残ったこともあって、クラスメイトたちは盛り上がっている。
対して3年生は現時点でそれなりに点差がリードしていることもあり、どこか侮っているような様子だ。
しかし、我がクラスの男子は、強かった。
平均的な体格は、3年生のほうに分がある。だが、高1と高3の彼らの身長にそこまでの差はない。
強いて言うならば、3年生のほうがよりがっしりとした印象だ。1年生はまだ線が細いように見えた。
それを差し引けば、あとはスピードとテクニックの勝負になる。
私はバスケについて造詣が深くはないので、テクニックのことはよくわからない。
加えて、年々改正されていくルールについても曖昧で、笛が鳴っても何が起こったのかさっぱりだ。
そんな無知蒙昧な私でも、自分のクラスの男子のほうがスピーディだということはわかった。
相手にシュートをされて、そのリバウンドを受け取る、あるいはゴールが決まってからの動きが俊敏で、あっという間に敵陣深くへと攻め込んでいった。これが速攻というものだろうか。
とにかく、そのスピードを生かして相手の防御態勢が固まる前に点を返していた。
そんなシーソーゲームが暫く続き、気がついたら僅差まで追いついた。
声援が大きくなる。人垣がどんどん増えていく。特に体育館の入り口は混雑していた。
熱気に包まれる体育館の中で、恐らく私だけが冷静だった。試合の行く末など、どうでもいい。
このとき私が気にしていたのは、ジュースを買いに行った瀬川さんのことだ。あの入り口の人垣の中を潜り抜けるのは大変だろうと心配していた。胸が大きい彼女があの混雑に巻き込まれたら、どこぞの不埒な下郎がどさくさに紛れてタッチしてもおかしくない。そう思うと、気が気ではなかった。
助けにいくべきだろうかとも思ったが、私とてあの人混みに飛び込むのは気が引けた。
もうツルペタの貧乳ではないので、身体を庇わなければいけない。誰も触ろうとはしないと思うけど。
そんなわけで、とりあえず試合が終わって応援客が散るのを待つことにした。
勝手に動いて、彼女と行き違いになるのも避けたかったという理由もある。
ともあれ、大人しくその場で待機しつつ、もしも万が一、瀬川さんの悲鳴が聞こえたならばいち早く駆けつけ、暴漢にドロップキックを食らわせてやろうとアキレス腱を伸ばしながら、早く終われと念じて試合に目を向けると。
そこに、彼がいた。
その時、彼はボールを保持しており、目の前には3年生が張り付いていた。
立ち止まっていたので、誰かにパスをしようとしているのだとわかる。
トラベリングにならないように、片足を軸に、身体の向きを変えている。
そんな彼が着ているのは、現在私も着ているクラスTシャツだ。
つまり、我がクラスの男子なのだろうけど、見覚えはない。
かなり背が高いので特徴的なほうだと思うが、私は彼を知らなかった。
名も顔も知らない彼は、自分に張り付く先輩からボールを庇いながら、コートの隅々に視線を巡らす。
どうやら誰にパスを回すべきか逡巡しているようだ。残り時間はあと僅か。
しかし、焦燥している様子はなく、その視線は静かで、冷静で、落ち着いていた。
必死さや真剣味は感じられない。ただ自分の役割を果たそうとする意志だけが宿っていた。
それはまるで、目に見えない何かを探しているような、不思議な目つき。
気がつくと、そんな彼をじっと見つめていた。不思議な引力に惹き寄せられるように、目が離せない。
なぜかと問われたら、気になったからと答える他ない。無論、試合の行方が、ではない。
彼が誰にパスをしようが、どうでもいい。私が気になったのは、彼の存在自体だった。
それ自体に特に意味があるわけでもない。その不思議な目つきになんとなく惹かれただけだ。
そんな私の視線に気づいたわけではもちろんないのだろうが、不意に、目が合った。
確証があるわけではないけれど、勘違いとか気のせいではなく、間違いなく目が合った実感があった。
ほんの1秒ほど、私は彼と見つめ合った……と、思う。
正確な時間は、わからない。試合中なので、そう長く見つめ合っていた筈はない。
それでも非常に長く、濃密な時間に感じられた。なぜそう感じたのかは、わからない。
これまで口を聞いたこともない、ただのクラスメイト同士。
そんな私たちが優勝を賭けた試合中にも関わらず見つめ合うなど、理解不能だ。
けれど、どうしても目を逸らせなかった。いや、逸らしたくないと、そう思った。
私は彼から視線を離せず、彼もまた、こちらを見つめたまま動きを止めている。
ここはバスケのコート外。無関係なバドミントンのコートである。
しかも最奥に佇み、壁に背を預けている私に視線を向ける意味があるとは思えない。
彼の意図は全く不明だったが、たしかなことは、私が嬉しかったことだ。
それは、自己顕示欲や虚栄心とも呼べる、邪な自己満足感。つまり、愉悦を感じたのだ。
そんな感情を抱いたのは初めてだ。人に見られて喜ぶような趣味は持ち合わせていない。
だが、この状況下ではそれは特別な意味を持っていた。
舞台は体育祭の決勝戦。当然、沢山の生徒が注目している。
たかが学校の行事とはいえ、そんな大舞台で現在ボールを保持している彼。
応援に駆けつけた我がクラスの女子たちも、コートのすぐ傍で彼に黄色い声援を送っている。
そんな中、彼はこんなに遠くで観戦している私を、見つめたのだ。
これが喜ばずにいられるか。
なんとなく、探し出してくれたような感覚になる。嬉しい。とっても、とっても、嬉しかった。
だから私はその視線を真正面から受け止めて、見つめ返した。絶対に目を逸らしてなるものか。
そんな子供じみた根比べを続けているうちに、なんだかふわふわした気持ちとなり、ずっとずっと、この一瞬が続けば良いとさえ思った。だが、永遠なんてものは、ありはしない。
この世は無常であり、時間は止まることなく、流れ続けている。
それを証明するかの如く、終わりは唐突に、訪れた。
「あっ」
思わず、声が漏れた。それは、ため息のような驚嘆。
切羽詰まった局面での貴重な1秒を私を見つめるのに費やした彼は、こちらに視線を向けたまま、予期せぬ方向にパスをした。
あまりの不意打ちで、咄嗟に放られたボールを目で追ってしまう。
つまり、私から視線を逸らした形だ。ちなみにボールは彼の味方がナイスキャッチ。
衝撃的だったのは、まるで意識を向けていない地点へのパスだったことだ。
彼は私を見ながら、全く別の場所に意識を向けていたらしい。そのことが、猛烈に不満だ。
抗議をしたくて、もう一度彼に目を向けると、既にそこには誰もいなかった。
どこに行ったかと思って探すと、彼はとっくに自分のポジションへと戻っていた。
こちらになど目もくれず、試合に集中しながらも、どこか冷めたようなプレイスタイル。
ただひたすら自分の役割を果たすように、彼はその後、自らシュート決めた。
結局それが決勝点となって勝利を収めることになったのだが、彼はちっとも嬉しそうではなかった。
恐らく、試合の結果に興味がないのだろう。そして、私のことにも興味がないのだろう。
そのことに拗ねたわけではないが、それっきり、私も彼に興味を失った。
なんとなく、興味を持っても無駄だと思った。気にしたところで、無意味に感じられた。
背が高く、特徴的な筈の彼は、再び私の認識外となった。
お互いに、顔も名も知れぬ、ただのクラスメイトへと戻ってしまった。
あれだけ強烈に引き寄せられた視線がこちらを見据えることは、もうない。
「遅くなってごめんね、なおちゃん。おまたせ」
「ありがとう。これ、お金」
「そんな、私のせいで試合に負けちゃったんだから……」
「気にしなくていいから、受け取って。それよりも、痴漢に遭わなかった?」
「へっ?」
「平気なら、いい」
試合が終わったあと、無事帰還した瀬川さんにジュースの代金を払って、体育館を出た。
優勝した男子バスケチームは表彰されて、クラスの皆から褒め称えられた。
瀬川さんも、すごいね~と感心していたので、そうだねと相づちを打って、それで終わり。
とはいえ、クラスの女子の熱は体育祭が終わったあとも冷めなかった。
決勝戦で活躍した彼は、かなりモテたらしいが、詳しくは知らない。
彼は顔も名前も知らないただのクラスメイトであり、認識外の存在だったから。
誤解のないように重ねて言うが、別に拗ねてなどいない。
ええ、そうですとも。これっぽっちも、怒っていませんとも。
もちろん自分がフェイントに利用されたことなんか、ちっとも気にしてない。
あんな奴、知るもんか。ふんっ! といった具合である。
というわけで、結局その体育祭によって何かが始まることはなかった。
高1の私は友達の瀬川さんと楽しく過ごして、結局彼氏は作れず終い。
けれど、これがのちのち長い付き合いとなる、有村秋との出会いだったのだ。
例によってルビを振るのが面倒なので、名前は『しゅう』と読むことを付け加えておく。




