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◆その8 ~聞いてないよ。でも……。



 翌日。

 一行は何もなかったように出発した。


 誰か怪我をした人はいるのか、こちらの被害はあったのか、どんな魔物が出て、どんな風に倒されたのか。

 気にかかるけれど、絵里にそれを教えてくれる人はいない。


(戦う、って言ったらどうなっていたんだろう)


 戦場に連れて行かれれば、戦いの様子を見ることはできただろう。絵里が無事でいられたかとうかは別として。

(戦いの様子を見れば、魔法の使い方とかわかるかも。そしたらわたしにも使えるようにならないかな。でも魔法が使えるようになったら、戦わされるようになるんだよね……それは嫌だし……)

 戦うなんで無理だと反射的に思ったけれど、ほんとうにそうなんだろうか。

 昨晩、自分はどうするのが一番だったのだろう。


(騎士さんの口ぶりからして、魔物はそれほど強くはなかったみたいだし。勇気を出して一度戦いを見ておいたほうが良かったのかな)


 戦い方を知るチャンスを逃してしまった気もするけれど、そんな危険なところに行かなくて良かった、という気もする。

 また同じことが起きたら、今度はどうすべきか。

(分からないよ、そんなの)

 絵里はがくっと頭を垂れた。




 馬車はなだらかな、けれどあまり整えられていない道を進んでいた。

 たまに石にでも乗り上げるのか、カッと車輪が跳ねる。その動きにいらっとしてしまうのは、それだけ絵里の気分がささくれ立っているからだろう。

 窓から外を見てみると、草がぼうぼうと生えただだっ広い土地に、人が通ることによってできた道もどきが続いている。見通しはとても良いけれど、一行の他に動くものは目に入らず単調な景色が続くばかりだ。


(日本の田舎よりも、広々してるなぁ……)

 こんな場所には逃亡には不向きそうだ。見通しが良いから見つかりやすいし、逃げ込める場所がどこにあるのか見当をつけられない。


(食べられる野草とか、ありそうだけど……)

 教えを乞うには言葉の問題がある。馬車にはまっているガラスごしでは、絵里が知っている草があるのがどうかの判別も出来なかった。


(試しにかじるって手もあるけど、毒草だったら困るよね)

 サバイバル知識をつけておけばと絵里は後悔した。日本での絵里の暮らしにはそんな必要性をまったく感じなかったけれど、いつなんどき何があるのか分からない……異世界召喚なんてイレギュラーはそうそう起きないとしても……というのは考えておくべきだった。

(学校で教えてくれてもいいのにな)

 もし教えてくれるとしたら何が良いだろうか、と絵里は暇に任せて考える。


 野外で生き抜くためのサバイバル術。

 言葉が通じないときのコミュニケーションの取り方。

 見知らぬ場所での情報収集の仕方。

 逃走時に留意が必要なポイント。

 自分に適した戦闘方法。


(ダメだー。普通の生活してる限り、ぜんぜん必要なさそう)

 災害時の対処ならともかく、異世界で生き抜くための知識なんて、ごくごく、ごーくごーく一部にしか需要がない学科なんて、高校のカリキュラムにあったら笑ってしまいそうだ。

(そうしてみるとわたし、かなり異常な事態にあるってことだよね)

 なんとなく流されるだけしかできなくてこうしているけれど、本当にこれで良かったのか。何かしなくてはいけないことがあるんじゃないか。

 どうしてらいいか分からないから流された。それが言い訳として通用するのはいつまでなんだろう。このままでいたら、自分はどこに流れ着いてしまうのだろう。

 ぞわっとした感覚が背を走り、絵里は外の風景から目をそらした。




 夕方近くになり、外から伝わってくる気配が変わった。

 ぼんやりとした物思いから引き戻されて、絵里はカーテンを持ち上げた。


(町だ……)


 ベージュっぽい色合いの土壁の家が、少し間を空けながら立ち並んでいる。見える範囲では平屋か2階建てばかりだ。

 道の幅は絵里が乗っている馬車がぎりぎりすれ違えるかとうか、というくらい。むき出しの土だが、きれいにならされていて馬車もスムーズに走ることができる。

 歩いている人、荷車を引いている人、牛馬を引いている人。今のところ馬車は1台もすれ違っていない。

 この規模の一団の訪れは珍しいのだろう。町の人々は何事だろうと足を止め、馬車を見上げてくる。中には事情を知っているのか、こちらを指さしてまくしたてている人もいた。


(車も自転車もなさそうな感じ。となると、もし逃げたら追われるのは馬か何かかな。馬なら細い道とかも入れそうだし、スピードも出そうだし、厄介だなぁ……)

 騎士のほとんどは馬に乗っている。この町の規模では家と家の間も密集していないから、道を逃げていたらすぐにつかまってしまいそうだ。


(そもそもドレスなんか着ていたら逃げられないか)

 動きにくいかどうかという問題ではなく、目立つという点でも絵里の恰好は不利すぎた。

 町の人の服装は、シンプルな上着に、男性は膝丈パンツとブーツ、女性は長めのスカートに木靴。どちらも腰のところにサッシュベルトのように、鮮やかな布を巻いている。

 当然、ドレスなんか着ている人は皆無だ。

(黒髪の人もいない……)

 淡い髪色の人が大半で、時折濃茶の髪の人がいる、という程度。もしかしたら黒髪の人も存在するのかもしれないが、暗い髪色は目立ってしまう恐れがありそうだ。

 見れば見るほど逃げにくい状況だというのが分かってきて、絵里の気分はどんよりと沈んだ。


 がたんと揺れて馬車が止まる。

 これまでも、列の間が離れすぎると馬車を止めて後続の人々を待つことがあったから、今回のそれかと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 しばらくの後、馬車の扉が開けられた。

 降りるように促され、誘導されたのは建物の中だった。

 大きな建物だが、宿屋らしさはない。

 玄関ホールと通り抜け、案内されたのは応接室のような部屋だ。

 中にはすでに、ハイラム、ミュリエル姫、学者風の男、目つきの悪いがっしりした男、年配の厳めしい表情の男など何人かがソファに腰かけており、その背後には騎士、侍女や侍従と思われる人々が立っていた。

 絵里もソファに案内され、その背後にヨランデが立った。

 ミュリエル姫が笑顔を向けてくれたが、ハイラムは無表情を崩さずに絵里を迎え、それ以外の者たちは興味と警戒の視線をさりげなさを装って向けてくる。


 何の用で自分が呼ばれたのだろうかと絵里がいぶかしんでいると、1人の男が汗を拭き拭き応接室に現れた。

「リントの町へようこそ、救世主様。わたくしは町長のサルマンと申します。御一行様方をお迎えできること、望外の喜びに存じます」

 急いで衣類を整えてきたのだろう。慌てた様子は隠せないが、挨拶は丁寧だ。

「突然の来訪、失礼いたしました。館への滞在をお許しくださったこと、感謝いたします」

 それに対して返礼したのはハイラムだった。

「いえいえ、なにもない館ですが、野天よりは幾分休息いただけるのではないかと存じます。なにかございましたら遠慮なくお申し付けください」

 なんなら町の選りすぐりの娘たちにおもてなしを、そう付け加えるサルマンに、絵里は内心げんなりする。

(慰安旅行のおじさん接待みたいなノリだ……)

 それはそれはと目じりを下げている学者風の男に、つい冷たい視線を送ってしまう。

 が、ゆるみかけた場の雰囲気をハイラムはばっさりと切った。

「大事を控えている身ですので、そのようなお心遣いは辞退させていただきます」

 男たちから向けられる抗議の視線を、ハイラムはきっぱりとした態度で退ける。

「おお、これは失礼いたしました。魔王を倒しに行く大切なお役目中でございますのに、非礼をいたしました」

 卑屈に詫びるサルマンの言葉に、絵里は叫びそうになるのを堪える。


(ちょ、ちょっと待って。魔王? 倒しに行く? なにそれ)

 聞いてないよ。

 そう心の中で抗議しながらも、絵里はどこかで、ああやっぱり、と感じていた。

 教会で武器を見せられたときから、何か敵を倒しに行くんじゃないか、と予想していた。それも、少なくない犠牲を払って異世界から救世主を呼ぼうなんて考える相手となれば、大物に違いないとも。

 けれどずっと、そのことは考えないようにしていた。まさかね、そんなはずないよね、と目をそらしていたのだ。


「おや、救世主様。顔色がすぐれないご様子ですが、どうなさいましたか」

 血の気の引いた絵里に気づいたサルマンがのぞき込んでくる。絵里が何も言えずにいると、ハイラムが間に入った。

「救世主様はこの世界の理に根ざしていない方。言葉は通じません。――きっと慣れぬ旅にお疲れなのでしょう。休ませて差し上げたいのですがよろしいでしょうか」

「これは気が利かずに申し訳ございません。すぐにお部屋にご案内させましょう」

 サルマンは控えていたメイドに合図をし、一行を客室に案内するように命じた。



 通された客室は、お付きの者の控えの間もついた立派な部屋だった。

 ヨランデたちと顔を突き合わせていなくて良い分、今の絵里にはありがたい。

 お風呂もベッドも使えて、天幕での夜とは雲泥の差だが、絵里はベッドに入ることなく、窓辺に置かれたテーブルに両肘をついていた。


 流されていたらどこに流れ着くか。

 その答えが明らかにされた。

 正式に知らされるのではなく、油断しているときうっかり耳に入れちゃったよ、という軽さで知ったことに、苦笑がこぼれる。

(油断、してた……)

 ふとその言葉がひっかかる。

 それならもし、油断していなかったら?

(……聞かなかったのに)

 続いて出てきた言葉に、絵里の心臓がどきりと跳ねた。

(やだわたし、意味不明のこと考えてる。さっきの事実がよっぽどショックだったってことかなー)

 きっとそうだ、と絵里はおかしな考えを振り払おうとしたが、それはべとりと脳裏にしみついて離れない。

 この世界の言葉は、日本語に翻訳されて聞こえてくる。絵里の耳にはそのままの音は届いていない。

 翻訳されているのは受け取ることのできたスキルのおかげだろうけど、翻訳しているのは…?

(わたしは気を付けてた。油断しないように。だって油断してたら……)


 ――聞きたくないことを聞いてしまうかもしれないから。


 逃げたい。

 そう表面的には考えていたけど、ほんとうに逃げる気なんて実はなかった。だってそのほうが怖いから。

 でも逃げようとしない自分は受け入れられないから情報だけを集めて……逃げられないという情報ばかりを集めて……ほらちゃんと逃げようとしてるでしょうと、自分に言い訳をしていただけだ。

 うっかり決定的なことを聞いてしまわないように、翻訳に制限をかけて。

(だっておかしいよ。魔王退治に出発する式典で、魔王の話がでないなんてありえない)

 都合よく言葉を翻訳して、自分をだましていた。何もわからない、何ももっていない世界で生きていく自信がなかったから、ここにいて大丈夫なんだと思っていたかった。

 それでどうするつもりだったんだろう。

 自分になにも知らさずに、どうしようもないところまでただ流されて。

 いよいよというときになって、そうとは知らなかった、逃げようとしてたけど無理だったと最後の言い訳をして、なにかをしてきた気分になろうとでも?


「もうやだ……」

 自分のことが嫌で嫌で、涙がぼろぼろと後から後からあふれてきた。テーブルクロスの上にぼたぼたと涙のしみを作り、鼻水をすすりあげる自分のみっともなさに、また新たな涙がわきあがってくる。

(もうほんとにやだ、やだよ……)


 この世界にきてはじめて、絵里は声をあげて泣きじゃくった。


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