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◆その7 ~なにか来ましたけど、なにもしなくていいですか



 腹が立って眠れない。


 そう思っていたけれど、旅の疲れが怒りに勝ったらしく、絵里はいつの間にかぐっすり寝ていた。それを覚ましたのは鋭く鳴らされた指笛の音だった。

 反射的に身を起こすと、天幕を透かして明かりが動いているのが見えた。

 次の瞬間、天幕の入り口が引き上げられて、絵里は息をのんだ。


「失礼いたします。魔のものの襲撃がございました。救世主様はどうされますか?」

 顔を出したのは騎士の1人だった。


(魔のもの……?)

 絵里の脳裏に、旅の出発のとき空をよぎった黒い影が浮かんだ。

(どうするって……まさかそれと戦えってこと? それとも逃げろってこと? ここに隠れているんじゃダメなの?)


 動けずにいる絵里の腕を、ヨランデがつかんだ。食い込む指の痛みに、絵里はぐるぐるした思案から覚めた。

 ヨランデに腕を引かれるままに立ち上がり、天幕の入り口へと連れて行かれた。ミラが慌てて起き上がり、おろおろと絵里とヨランデを見比べる。

 見えるのは天幕と、その間に見え隠れする人々だけ。

 けれどピリピリした空気が、絵里の心拍数を跳ね上げる。

 魔のものの襲撃があったことを知らされていなくとも、何かがあったことは誰でも察するに違いない。


「戦われますか?」

 尋ねてくる騎士の顔を、絵里は呆けたように見上げた。

 戦う。そんな言葉が自分と関係あるはずがない……のに。


「救世主様はこちらの世界の言葉を解しません。説明している余裕もありませんので、今は避難を」

 絵里が呆けている間に、ヨランデが騎士に答えた。

「そうですか……」

 騎士は幾分落胆した様子だったが、ではこちらにと絵里を促した。

 走りだそうとしたそのとき、

 天幕の間から飛び出してきた人と絵里はぶつかりそうになる。


「!」


「うわっ、ととと……」

 絵里は反応できずに固まったが、相手が脇にあった天幕めがけてジャンプしてくれたため、衝突は回避された。

「ごめんなさ……」

 言いかけた絵里の言葉は、

「気を付けろ! 救世主様に何かあったらただではすまないぞ」

 騎士が相手にかけた言葉に打ち消された。

「あー、はいはい。どうもここは人使いが荒くって、あっちを手伝え、向こうで戦え、って駆け回らされるんでね」

 男はぼやきなから、天幕に受け止められた身体を起こした。ほこりを払うような仕草をしながら、さりげなく絵里に視線を当ててくる。黒っぽい服装で、手には何も持っていないが、彼は戦闘要員なのだろうか。

「じゃ、きゅーせーしゅサマ、脅かして悪かったな」

 茶化すような呼び方で謝ると、彼はさっと身をひるがえして左のほうへと駆けて行った。


「申し訳ありませんでした。さ、こちらへ」

 先導する騎士に続いて、絵里たちは天幕の間を走る。

 左のほうからどよめきが聞こえてきたが、目をやっても立ち並ぶ天幕に遮られて何が起きているのか分からない。


「敵の数は少なく、それほど強くもなさそうとのことです。すぐに片がつくでしょうが、念のために」

 小声で説明しながら騎士は右のほうへ絵里たちを誘導した。

 そこには騎士で造られた輪があり、絵里たち3人はその中に案内された。

 輪の中心には。


(あ、あのお姫様はまだ残っていたんだ)


 てっきり森の城で待機しているのかと思っていた姫が、侍女と手を取り合って立っていた。ドレスの上にガウンを羽織っている。式典の際、結い上げられていた金の髪は今は垂らされ、ふわふわと肩にかかり、ゆるく束ねられていた。

 侍女は寝ていなかったのかと思うほどきちんとした格好で、姫の隣に立っている。

 自分の恰好はどうだったかと、絵里は焦りながら髪を手で撫でつけ、夜着がくしゃくしゃになっていないか確かめた。


 絵里を見た姫は、あっと思い当たったように目を見開いた。舞台の上で一緒だった絵里のことを覚えていたのだろう。さっとガウンの端をつまんで礼を取る。

「ご挨拶が遅れまして失礼致しました。わたくしはミュリエルと申します」

 姫の仕草で侍女も絵里が誰なのかを察したのだろう。姫に続いて深々と頭を下げた。


 絵里は自分の礼儀スキルの低さに冷や汗がでそうになった。それともこれも、受け取り損なったスキルなんだろうか。

「えーっと、あの……よ、よろしくお願いします」

 何がよろしくなのか分からないが、とにかく挨拶だとわかってもらえますようにと願いつつ、絵里はぺこりと頭を下げた。

 姫は笑顔でそれを受けてくれ、絵里はほっとした。


 普段は王城で何不自由なく暮らしているだろうに、こんな旅の中、夜遅くに起こされたにも関わらず、姫には不機嫌の欠片もない。

 不安そうに侍女の手を握りしめてはいるけれど、文句を言うでもなく静かにその場にたたずんでいる。侍女もそんな姫を気がかりそうに見つめながら、力づけるように握っていないもう片方の手で姫の背をやさしく叩いている。

 旅に連れ出すのが気の毒なほど、か弱そうな姫を見ながら絵里は不思議に思う。


(どうしてこんなお姫様が旅に同行しているんだろう)

 戦闘に役立つとは思えない。特に理由がないなら、アダルバード王子と共に森の城に残るだろうから、この旅には姫の果たす役割があるということか。

 交渉? あるいは姫をどこかに送り届けることこそが旅の目的であるとか?

(それならわたしに求められているのは、どんな役割なんだろう)

 姫と救世主、両方が必要になる状況……姫を守る救世主、というのが絵里的にはしっくりくるが、今の自分に果たせる役割ではない。必要なスキルが与えられていたら、今とは立ち位置もかなり変わってくるのかもしれないけれど。


 ふと目をあげた姫は、絵里が自分を見ているのに気づいてまばたいた。

 絵里はぎくりとした。うっかり姫をじろじろ見てしまっていた。

(まさか、不敬罪とか言われないよね……)

 この世界の常識に、身分の高い人を真向から見てはいけない、なんてあったらどうしよう。絵里は視線を泳がせる。

 姫は絵里のほうに1歩踏み出すと、

「ミュリエル」

 自分の胸を手のひらで示した。その後、隣にいる侍女を同様に、

「ステイシー」

 と示す。そして今後は指をきれいにそろえた手を絵里に向け、軽く小首と傾げた。

(お姫様には、わたしに言葉が通じないという情報が伝わっているんだ……)

 呼びに来た騎士はそのことを知らなかったが、姫にはもう少し事情が知らされているのだろう。絵里は自分を指すと、

「絵里」

 と名乗った。言葉が通じなくても、名前という概念のある世界ならばこの動作は伝わるだろう。

「エリィ様、ですね」

 ミュリエル姫の淡い水色の瞳が、まっすぐに絵里に向けられている。

 この世界に来てから、こんな自然な視線を向けられたのははじめてだ。救世主様、ではなく名前を呼ばれたのも。

「このたびは……」

 ミュリエルが言いかけたとき、ひときわ大きなわぁという声が上がり会話は断ち切られた。

 ざわめきににじむ歓喜。襲撃してきた魔のものが退治されたのだろうか。

 そう考えたのは絵里だけではないようで、取り囲んでいる騎士たちもしきりに左の方向を窺い見ている。


「姫と救世主様は?」

 輪の外から聞こえてきた声に、姫の身体がびくりと震えた。

「中に。どちらもご無事です」

 騎士が答え、輪が割れる。

 そこから見えた顔に、絵里はあれっと思った。

(ハイラムさん?)

 ブランドンと共に森の城に残ったのではなかったのか。ハイラムも同行組だったとは意外だった。

 ハイラムは輪の中にいた姫と絵里に目を走らせると、軽く頷いた。

「こちらの処理は終わりました。お二方にはもう戻っていただいて構いません。念のため誰かが付き添って送り届けるようにしてください」

 そう言い置くと、ハイラムは身をひるがえして去ってゆく。


(どういうこと?)


 明らかに指示を出していたハイラムに、絵里の中に違和感がわきあがった。

 この中で二十歳ほどのハイラムはかなり若い部類に入る。もちろんここにいる騎士にもハイラムより年下の者はいるが、全般的に見れば若輩者。指示を出す立場と考えるには若すぎるように感じられる。

 けれど実際に騎士はハイラムの言葉に従い、絵里たちを天幕へと送り届けるために動き始めている。

(若いけど身分がすごく上、とか? それにしては服装がシンプルな気もするんだよね)

 まあ、服装が身分を表しているというのも絵里の予想に過ぎないから、判断基準とすることはできないのだけれど。

 絵里はハイラムがこの旅の一行の中でなんらかの権力を持っていそうだということのみを、心に留めておくことにした。


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