◆その6 ~ちょっと、そんなのありですか?
◆
絵里の馬車にはヨランデともう1人、はじめて見る顔の少女が同乗した。
「この子はミラと申します。本日から救世主様の侍女としてお仕え致します」
ヨランデが紹介すると、ミラはおどおどと頭を下げ、小さな声でよろしくお願いいたします、とあいさつをした。
どうやら馬車の旅は、この3人でとなるらしい。それならヨランデかミラ、少なくともどちらかとは親しくなっておきたいところだけれど……と絵里は2人を窺った。
ミラは色白のおとなしい顔立ちをしていて、絵里と同じぐらいの歳に見える。馬車に乗ってからは落ち着きなく視線が泳いでいた。緊張しているのだろうか。
ヨランデは絵里の目からは母親より少し年上に見えるけれど、実際はどうなのだろう。そもそもこの世界では平均寿命がどのくらいで、何歳で成人として認められるのか。
きっちりと髪を結い上げ、背筋をのばして馬車に座るヨランデは無表情で、いっしょにいるだけでどことなく威圧感がある。
(うーん……ヨランデさんに力になってもらえたら心強いけど、かなりな難易度だよね。歳も近いし、ミラさんのほうが可能性ありそう。けどこの緊張がとけないと難しいか……)
どうすれば早く緊張をといてもらえるだろうかと考えながら、絵里は馬車の窓に視線を向けた。かかっているカーテンの端を少しだけ寄せて外を見る。
(うわ、人多い)
興味津々にこちらを見ている人々と目が合いそうで、絵里はすぐにカーテンをもとに戻した。これでは街の様子を窺うどころか、こちらが観察されてしまう。
(ほんとにもう、どうすればこの世界のことが分かるんだろ)
はぁ、と絵里は大きなため息をついた。
それからしばらく馬車はのろのろと進んだ。
歩きの人もいるため、進みはほんとうにゆっくりとしたものだ。
刺激のない退屈さに絵里がうつらうつらしかけたとき、号令がかかって馬車は止まった。
(休憩時間かな?)
それなら馬車から降りて身体を伸ばしたい。ずっと座っているのも疲れる。
外はがやがやとうるさくなったけれど、この馬車には一向に声はかからない。待ちきれなくなって絵里はカーテンを指で持ち上げた。
見えたのは城だった。
王城とは違う。青みを帯びた石で造られた瀟洒な雰囲気のある城が、森の緑の中に建っている。
城の前で出迎えているのが、城主だろうか。
(アダルバード王子だ。ブランドンさんもいる)
城主と笑顔で会話を交わしている。この城で休むのだろうか。外の空気に触れたくて、絵里は少し馬車の扉を開けた。
風が緑の匂いと話し声を運んでくる。
「田舎の城ではありますが、どうぞおくつろぎくださいませ」
頭を下げる城主に、アダルバード王子が片手をあげる。
「それではしばしの滞在となるが、よろしく頼む」
王子、ブランドン、ほかにも王城の舞台にいた人々が何人か。20人ほどの騎士が森の城の中に入ってゆく。
絵里が見るともなしにその背を見ていると。
がたん、と馬車は揺れ……進み始めた。
(どういうこと?)
休憩ではなかったのか。それならあれは一体?
訳が分からずにいる絵里の手を、ヨランデが馬車の扉から放させた。
「危のうございます」
馬車の扉を閉ざし、ヨランデは席に戻る。少なくとも彼女は、この事態にまったく動じていない。ではこれは予定通りの行動ということか。
「馬車を降りた人がいるけれど、どういうことですか?」
森の城のあった方向を手で示して尋ねる。言葉は通じなくとも、絵里が何を聞きたいのかは分かったのだろう。ヨランデは答えた。
「あの方々は今後はあの城に留まられます。この旅の帰路にはまた合流されますので、どうかご心配なく」
「え? 一緒に行くんじゃないんですか? 出発のとき、必ず使命を果たすとか言ってたのに? どうして?」
訳が分からず絵里は質問を重ねたが、ヨランデはもう何も話してくれる気はないようで、まっすぐ前を向いているばかりだ。
(偉い人たちは安全なお城の中で待っているだけ? それってずるくない?)
まったく関係のない絵里は巻き込んでおいて、この国を支えるべき人は高みの見物だなんてやってられない。
(ふざけてる。こうなったら、絶対絶対絶対にこの世界なんて救わない。うん、何があっても絶対に)
絵里の握りしめた手には力が入り過ぎて、ぶるぶると震えた。
その後馬車は走り続けて、夕方やっと停止した。
途端に外が騒がしくなったが、絵里はもう何も見る気にならなくて、ぼんやりと馬車の中に座り続けていた。
ややあって、馬車の扉が外からノックされた。
「夕食の準備が整いましたので、お降りください」
聞こえた声に、ミラが馬車の扉を開けて降りた。
「救世主様、どうぞ……」
消え入りそうな声で出されたミラの手に手を預け、絵里も馬車を降りる。
……と。
「わぁ……」
馬車の周囲には幾つもの天幕が立ち並んでいた。夕日に照らされるその光景は物珍しく絵里の興味を引いた。
きょろきょろとあたりを見回す絵里と対照的に、ミラはうつむき加減に目の前の天幕へと足を進める。もう少し見ていたいのにと思いつつ、絵里はミラについて天幕へと入った。
あまり広くはない天幕の中には絨毯と低いテーブルが置かれ、そこには食事の用意がすでにされていた。
食事をとり終えてからも絵里は天幕の外に出ることなく、中で寝ることになった。ヨランデとミラも一緒だ。
(って、旅の間中、馬車と天幕でこの2人と顔を突き合わせているだけ? 耐えられないよ、そんなの)
旅に期待していたわけではないけれど、そんな苦行には耐えられない。それに接するのがこの2人だけでは、逃亡に必要な情報だって集められないに違いない。
侍女を替えてほしいと言ったら通るだろうか、いや、そもそも言葉が通じない。喧嘩紛いのことをふっかければ……けれどそうすればヨランデとミラの立場を悪くしそうで、申し訳ない気がする。
(この状態でどうしろって?)
どこにもぶつけられない抗議を胸に、絵里は目を閉じた。