◆その4 ~わたしのスキルはなんですか
◆
それからは来訪者もなく、ゆっくりと部屋で時間を過ごし、運ばれてきた食事を食べただけでその日は過ぎた。
童話に出てきそうな天蓋付きのベッドに入ったものの、絵里はなかなか寝付かれなかった。
静かすぎる夜。広すぎる部屋。
何度寝返りしても馴染まないベッド。
不安ばかりが膨らんで、胸がざわざわする。同じ考えばかりが堂々巡りして息苦しい。
絵里は横になったままそっと胸に手を当てた。
(鎮まれ、鎮まれ……)
今はいろいろ考えても結論なんか出ないから、うずまく不安は考えないようにして、必要なところに意識を向けよう。
胸を押さえて深呼吸をするうち、絵里は眠りの中に引き込まれていった。
あまりよく眠れなかったから、翌日の目覚めもよいものとはいえなかった。けれど絵里はこちらを窺っているメイド服の少女と目が合うと、笑顔を作った。
ひくっと少女が竦んだが、気にせずゆったりと身を起こす。
実際は笑うどころかしかめっ面でのしたいくらいだけれど、いずれ逃げる時のことを考えれば、ここで明らかに対立の構図を作るのはまずい。
まずは相手を警戒させないことだ。
「どうぞ朝のお仕度を……」
絵里を椅子へと導くと、少女の1人が絵里のお腹あたりで桶を支え、もう1人が壺のようなものを掲げる。
何をしようと言うのか分からず絵里がきょとんとしていると、ヨランデが厳しい声をかけた。
「救世主様は言葉が分からないのですから、それでは伝わりませんよ」
「は、はい、申し訳ありません」
少女は何度も頭を下げると、絵里に身振り手振りで手をこすり合わせ、自分の顔をこすってみせる。
(あ、ああ。顔と手を洗うのね。で、水を受ける桶と水差しか。水道とかってないのかな?)
手を出すと少女が水差しから水を注いでくれる。手や顔を洗うだけでも面倒なものだ。薬草っぽい水で口を漱いだあとは髪をとかれ、着替えをさせられる。
こうして人の手を借りて身支度するのは一部の人々だけなのだろうけれど、絵里がいた世界と比べ、いろいろと手がかかりそうだ。
生活関連の技術が進んでいないのか、それとも高貴な人への敬意としてこういう形式を選択しているのかの判別はつかないが、最新の技術に翻弄されるよりは良しとすべきなのだろう。
身支度が終わると朝食だ。
ばっさばさでぺったんこのパンもどきと、ぼんやりした味の野菜のスープ煮。食べられないほどではないけれど、食べて嬉しい味ではない。けれど食べずに体力を落としたら逃げるに逃げられないから、絵里は文句も言わずに黙々と咀嚼した。
食事のあとは、やってきた女性2人に全身の採寸をされた。頭や足まで測られたから、帽子や靴なども準備してくれるのだろうか。
(できればドレスとかじゃなくて、逃げるときに着られそうな動きやすい服がほしいな。そもそも普通の人がどんな服を着ているのかも分からないんだよね……)
一般人の服装を知りそれを手に入れておくこと、と絵里はやることの脳内リストに1つ付け加えておいた。
結構長くかかった採寸が終わって一休憩、と思ったところにまた来訪者があった。
ヨランデに先導されて入ってきたのはハイラムだ。
入ってくるなり、ハイラムはじっと絵里に視線を注ぐ。他の人々ができるだけ目を合わせないようにしているのと対照的だ。だがそれはこちらを静かに観察しているような視線に思われて、絵里にとってはあまり嬉しいものではなかった。
そんな絵里の気持ちを知ってか知らずか、ハイラムは深々と膝を折って礼を取る。
「救世主様にはご機嫌うるわしく」
うるわしいはずがない、というかそうでないことを十分承知しているだろうに、しゃあしゃあと言う態度が気に障ったが、絵里は黙ったまま知らん顔でいる。言葉がわからないふりをしているのだから、反応してはいけない。
「出立前に整えなければならない大切な準備がございますので、お越しいただけますでしょうか」
「え?」
出立? 大切な準備?
気になるフレーズに絵里はハイラムを見上げた。
「お分かりにならないかと存じますが、大切な用がございます。どうかこちらへ」
ハイラムの手が絵里の手を掬い上げ、エスコートするように引く。慣れたそのしぐさに絵里は自然と立ち上がり、ハイラムに連れられて部屋を出た。
廊下は相変わらず薄暗い。もっと窓を大きくとって外光を入れれば良いのに、なぜ小さな窓にしているのか不思議だ。
歩き出してすぐ、足早に女性が寄ってきた。
「ハイラム様、これは一体どういうことなのですか!」
明らかに責める口調の女性に、ハイラムは眉を顰める。
「お静かに。救世主様の御前ですよ」
女性ははっとしたように絵里に一礼し、さきほどより少し控えた声でハイラムに言う。
「教会は神への祈りの場。そこにあんなものを持ち込まれては困ります」
詰め寄られたハイラムは、いかにも申し訳なさそうに目を伏せる。
「お気持ちは分かります。ええ、こちらとしても大変心苦しいのです。ですが、現状を鑑みるにゆっくりと手順を踏んで進めていては、手遅れになりかねないかと」
「ですがそれは王城へ移られてからでも……」
何の話なんだろう。2人の視線がちらちらと自分に向けられているのを感じつつも、絵里は気づかぬふりで聞き耳を立てる。
「王城へ到着し次第式典を行い、すぐ出立となります。今は無駄にできる時間はないのです。教会の皆さまには申し訳ないのですが、これも世界のため。ご容赦ください」
「そうおっしゃいましても……」
なおも女性は言い募るが、ハイラムは顔をあげて廊下の先を見た。と、そこから騎士が何人も駆けてきて、ハイラムから女性を引きはがした。
「どうか曲げてご理解ください」
あくまでも丁寧にハイラムは女性に言葉をかけ、絵里を促して廊下を進んだ。
やがてハイラムは扉の前で足を止めた。
無骨な飾り気のない扉だけれど、その前で警備をしている騎士たちの姿が物々しい。
扉を入ると、そこはがらんとした部屋だった。小さな窓からさす光で部屋の様子は見て取れるが、家具などはなく、湿った空気が漂っているだけの何もない部屋だ。
中にも騎士が多くいる。木箱を運び込んでいるようだ。
絵里が部屋の中に入ると、騎士たちがさっと周囲を取り囲んだ。不穏な動きに絵里が身をすくめると、ハイラムの手がなだめるように背をぽんぽんと叩いてくる。
「気にしないでください、と言っても無理かもしれませんが、ただの安全の確保です。何も心配されなくて良いのですよ」
そう言われたからといって、はいそうですかと不安が消えるはずもない。
別に、元いた部屋が安全というわけではないのだけれど、全然来たことのない場所はそれだけで怖い。
「今後必要になると思われるのですが、救世主様の使われるものが何かわかりませんので、代表的なものをいくつかお持ちしました。好みもあるかと存じますので、まずは種類を選んだあと、細かな部分の要望を教えていただくということになるかと」
一体何が必要で、何を選ぶのか。
ハイラムの合図で、騎士が木箱の1つを開ける。中には細長いものが収められている。
そこから1本慎重に取り出されたものは……剣だった。
捧げるようにして剣が差し出されると、絵里を囲む兵士たちに緊張が走る。
(そっか……騎士さんたちとしても、得体のしれないわたしに武器を渡すのはリスクがあることなんだよね)
受け取るべきかどうか迷ったが、絵里は手を伸ばした。
本当なら、自分が何か武器を使えるようになっているのかは、この世界の人々に知られないよう調べたかった。けれど実際、武器をこっそりと手に入れる方法などないだろう。
それだったらここで使えそうかどうか試せるのはありがたい。もし使えそうでも、それを演技で隠せばいい。
「あっ……」
受け取った剣は想像以上に重く、取り落としそうになって慌てて腕に力を入れる。
「そちらは一般的な片手剣ですが、両手剣、あるいは太さや長さを指定していただけれぼ、お好みのもの調達することも可能です」
ハイラムはそう言うけれど、片手で持つなんて無理だ。おっかなびっくり鞘から抜いてみると、鞘の分だけ軽くはなったが、片手で持とうとするとバランスがうまくとれずに手首がくにゃりと曲がる。剣を支えなおそうとしたが余計な動作は逆効果にしかならず、すべり落ちた剣が床で耳障りな音を立てた。
持っているだけで筋肉痛になりそうなものを振るって戦うなんて、到底無理だ。
「重いですか。失礼しました。短剣もありますが、殺傷能力という点でどうしても劣りますからね」
ハイラムが剣を拾い上げ、もう片手を絵里に伸ばした。その意味を捉えられずに絵里が固まっていると、お預かりします、と鞘を手振りで示す。
「あ……」
絵里が鞘から手を放すと、ハイラムは剣を鞘に納めて騎士に渡した。男性にしては細いハイラムだけれど、剣を扱う様子はまったく重そうではない。筋力の差なのか、それとも慣れればそこまで持ちにくいものではないのだろうか。
「剣が重いのでしたら、斧なども無理ですね。槍はいかがですか。それとも弓のほうがお好みでしょうか」
槍を振ってみたが、絵里の手には太くて握りにくい上にバランスを取るのも難しい。弓ならもしやと期待したのだが、射た矢はまったく的とは違う方向へ力なく飛び、近くにいた騎士を怯えさせるだけに終わった。
(ダメだ……。そもそも筋力に関する能力を持ってない時点で、武器を扱うなんて無理ってことだよね)
絵里はそもそも完全なる文化系、運動も苦手。となれば、特別に力をもらっていない限り物理で戦うなんてできっこない。
「ではやはり……こちらでしょうか」
思わせぶりにハイラムが取り出したのは、杖だった。上部に淡青色の石がはめ込まれた杖は、それまでの武器の物々しさとはまったく違い、飾り物のようだ。打撃武器、ではないだろうからこれはやはり。
(魔法武器、だよね)
異世界と言えばファンタジー、ファンタジーといえば剣と魔法。
これなら体力のない絵里にだって扱えそうだし、剣で何かを斬るよりも抵抗なく使えそうだ。
ハイラムはじっと絵里の目を覗き込みながら、杖を渡してくる。
絵里は杖を両手で受け取り、握りしめた。
(で、どうすればいいの?)
魔法のイメージだと、呪文を唱えるとか、意識を集中させるとかだけれど、呪文なんて浮かばないし、集中といってもどうやればいいのか見当もつかない。
「えーっと……ファイアー?」
それらしい技名を口にしてみるが、かなり恥ずかしい上に何も起こらない。
「杖でなく宝玉や指輪などの形状のものもありますが」
ハイラムは箱の中身を示してくれるが、アイテムを変えたところで事態が変わるようには思えない。魔法の使い方が分かれば試すことも出来るかもしれないが、今の絵里には無理だ。
「ふむ……この中にはお使いになる武器はないということでしょうか。救世主様特有の武器があるのか、それとも思いも寄らないものをお使いになるのか……こうなるとご本人から聞けないのがもどかしいですね」
ハイラムは残念そうに言うと、手を振って騎士たちに武器を片付けるよう指示した。
が、そこでふと顎に手をやった。
「いや、考えようによってはこれが神の示したもうた指針であるとも……そうか、ならば説明がつけられる。とすれば……」
考えながら絵里に視線を当て、ハイラムははっとしたように物思いから戻る。
「失礼しました。お部屋に帰りましょう」
ハイラムは考えの内容を明かすことなく、絵里を元いた部屋へと連れ帰った。
部屋に戻ると絵里は自分の手をじっと見た。
小さめの手は頼りなく、武器を持つのに適していない。
けれどハイラムは、必要になると思われるもの、と言っていた。
(戦わされるってこと?)
少なくとも、武器が必要になるかもしれない状況に置かれる恐れがある、ということか。
(身を守ることさえできそうにないのに?)
別世界から助けを喚ぶくらいなのだから、この世界には何か良くない事態が起きているのは間違いない。
絵里はそれを解決することを期待されている。だが、そうする力があるかどうかさえ絵里には分からない。
(魔法の使い方を知る方法ってないのかな……)
本があれば読んでみたいし、教えてくれる人がいれば聞いてみたい。だが、言葉が分からないふりをしているのに、本が読みたいというのは変だろうし、そうしたいという意思さえ伝えられない状態では難しい。
(ゲームの世界だと、魔法を売っているお店があったり、経験値を貯めると覚えられたりするんだけどな)
まずは魔法を使える人に会って観察してみなければと、絵里はまた1つやることリストにつけ加えた。