◆その33 ~やりたいことは……なに?
◆その33
翼の起こす風が、広場にあがった悲鳴をさらってゆく。
その風に負けぬはっきりとした声が広場に響いた。
「建物に入れ!」
ランバートの呼びかけに、すぐさまチャスが反応する。
「ホレス、ジェフ、グレン、皆を家に入れてくれ」
「ああ。皆、こっちだ!」
走り出した男たちに、村人が続いて走り出す。
「頭を上げるな。身を低くして移動しろ」
ランバートに言われ、村人たちは慌てて体勢を低くした。悲鳴すら飲み込んで、恐怖にあえぐような息を漏らしながら、皆一様に足を急がせている。
足がもつれて転んだ子どもが、大きな声で泣き出した。転んだ痛みよりも、襲い来る恐怖に耐えかねて、甲高い声を張り上げる。
その子をユエンが胸に抱きこんだ。ぎゅっと強く抱きしめたあと、腕を緩めてその子の手をしっかりと握りしめる。ユエンが目を合わせて手を小さく上下に振ると、子どもはこくりと頷いた。
泣き止んだ子どもを親の手に渡すと、ユエンは地面にひっくり返ったままでいた絵里のところに来て、手を貸して起こしてくれた。
「セスん家に」
チャスの指示にユエンは頷き、村人の逃げたのとは逆の方向へと絵里の手を引く。引かれるまま数歩進みながら絵里は背後を振り返った。
ランバートとチャスはこの場に留まり、他に数人残っている村人とともに迎撃の構えだ。
(討伐隊だったら、騎士も兵士もいたけれど……)
村人が戦闘に慣れているとは思えないから、おそらくランバートとチャス頼りになる。
以前、魔鳥が襲撃した際にランバートが負傷したことを思い出し、絵里の胸に不安がわきあがる。つい足が鈍ると、急いでというようにユエンが絵里の手を上下に揺らした。――そのとき。
「ユエン!」
チャスが叫んだ。
ユエンは絵里の頭を腕で抱え込むようにして、身を低くした。押されたはずみで絵里はまた膝を地面に打ち付けたが、痛いだなんて言ってはいられない。
頭を押さえられているから地面以外を見ることはできないが、息が詰まるような風となにかを削るような音で、魔鳥が間近にいるのは嫌というほどわかる。
狙われている。
今にも背中を爪でえぐられるのではないかと、絵里は身をすくめた。が、その直後、絵里は気づいてしまった。
(そう、狙われているんだ、わたしが……)
思わず跳ね起きそうになって、ユエンに押さえつけられる。
「でも、わた……」
口を開いた拍子に中に流れ込んできた土煙に、絵里はむせた。
押さえつけていたユエンの手が緩み、絵里は身を起こす。
まっさきに目に入ったのは、線を引いたようにえぐれた地面と、まだ収まらない土煙。埃で目が痛い。
ユエンは絵里を立ち上がらせると、また手を引いた。
絵里は引かれるままによたよたとユエンについていった。
広場を出てすぐの細い脇道を曲がり、3軒目の家に飛び込むと、ユエンはすぐに扉に閂をかけ、窓も閉じて同じように小さな閂をおろす。
そうするとまだ昼間なのに、家の中はかなり薄暗くなった。ガラスなどは使われていないから、扉や窓の隙間から細く差し込む光だけがかろうじて視界を確保する助けになるだけだ。
「あの鳥は……わたしを追って村に来たの?」
そう尋ねると、ユエンは一瞬目を伏せたあと、首を横に振るとも縦に振るともつかず動かした。よくわからない、けれど、そうかもしれない、そんな仕草だ。
「でも、そう思ったから……チャスさんはわたしを村の人のいる方向に行かせなかった……そうでしょ?」
絵里の問いかけに、ユエンはさっきと同じ動作で応えただけだった。
「イルゲさんが、黒の鳥は魔王の目だって言ってた。救世主を敵とみなして襲わせた、って。だったら村が襲われたのは、わたしの……」
外からわぁっという叫びが聞こえてきて、絵里は言葉を途切れさせた。
ずしん、と嫌な振動がしたが、この家ではない。
細い道に何軒か家が並ぶこの場所は、大きな鳥では狙いにくい場所だ。それもまた、チャスがこの家を指定した理由なのだろう。
(ハイラムも魔のものも、わたしを追ってる。はやくこの村をでないと迷惑がかかる。そんなの、考えておかないといけないことだったのに)
この騒ぎが収まったら、すぐにここを出よう。
世界を救わないのなら、討伐隊からは遠ざからなければならない。
ランバートやチャスたちが討伐隊に戻るかどうかはわからないけれど、救世主しない絵里を守る理由はないから、ここで別れることになるだろう。
(どこか、身を隠せそうな心当たりを教えてもらって……魔王が眠るまで時間を稼げば)
そうすれば、討伐隊からも魔のものからも追われる理由はなくなる。
(魔王が眠る……まで……)
ミュリエル姫が食べられるまで。それをハイラムが見届けるまで。
そう考えると、心がざわざわする。
それまで、皆は無事でいられるのだろうか。
ランバート、チャス、ユエン、ハナ、ベイジル、討伐隊の皆。
イルゲ、アーニャ、祭りで笑っていた子どもたち。
ガリガリガリ。
扉をひっかく音が聞こえ、絵里は物思いから覚めて後ずさった。
鳥じゃない。おそらくは獣型の魔のものだ。
「そっちだ」
入り乱れる足音の中に、ランバートの声が聞き取れる。
扉が鳴った。何かが打ち付けられたような音だ。
周囲を見回したユエンが、絵里を物陰に引っ張り込み、自分はその前に立ちふさがるように立った。
「おい!」
鋭い声にかぶさるように、喉を絞るような悲鳴が聞こえた。
(誰かが襲われた?)
知っている人の声かどうか、悲鳴からではわからない。
チャスは、ランバートは無事なのだろうか。
外の様子が知りたくて、絵里はユエンの陰から走り出ると窓の閂を外した。ほんの少しだけ隙間を作ると外をのぞく。
人が集まっているあのあたりだろうか。隙間からではよく見えない。
腕が後ろから何度も引かれる。ユエンにしては強いその引き方が、やめておけという警告なのはわかったが、それでも気になる。
(ごめん、でもあとちょっと……)
窓の端に顔を斜めにかたむけてくっつけて、それでも確認できなくてもう少しだけ隙間を押し開けた。
が、次の瞬間、視界が黒に塗りつぶされる。
ユエンの両手が背後から回され、絵里の身体を抱えて強く引いた。その勢いに、ユエンを背中の下敷きにして絵里は床に倒れた。
窓から伸びた黒がもぞりと探るように揺れる。自由自在に形を変えられるのではないようだが、身をくねらせて窓を押し上げ、ゆるゆると侵入スペースを確保してゆく。
あれが入ってきたらどうなるのだろう。
絵里には戦うすべがない。ユエンがどうなのかはわからないけれど、力を使うのに制限があるようだから、積極的に戦うイメージはない。
かたん、と全開になった窓が枠にあたって音を立てた。
隙間から、黒がふくれあがり、こちらへ……。
と思った矢先。
まるで逆回転のように魔のものは退き、窓が再び閉じる。ユエンはすぐさま窓に寄り、元通りに閂を下ろした。
(一体何が……)
考えかけてすぐに思い当たる。
ユエンが時を戻したのだ。自分の中の時を消費して。
「そんなこと……しなくて、いい……」
絵里は両手で顔を覆った。
「しなくていいの……だってわたし」
きりきりと感じるこの痛みは、意識から追い出そうとして追い出せない、重くよどんだ罪悪感。
心配そうに絵里の手に触れてくるユエンに強く首を横に振って、絵里は言葉を絞り出す。
「世界なんか……救わない、から」
自分が守らない世界の人に、守ってもらうことはできない。自分が見捨てた世界なんだから、自分も見捨てられるべきだ。
なのに実際は、絵里の所為で村の人を危険にさらし、その上自分は守ってもらっている。絵里は自分を犠牲にしないことを決めたのに、この世界の人を犠牲にしている。
「ごめんなさい……ごめん……」
覆った手の下から涙があふれ、それさえも卑怯なようで余計に泣けてきた。
ふっとユエンが息を吐く。ため息のような苦笑のような。
「わかってる。きっとチャスもランバートも」
「え、っ……」
「全部顔に出てたから」
「そんな……」
感情を隠すのは上手かった、というより感情をどうやって出したらいいのかわからなくて、それが悩みだったほどなのに。
(でも……)
考えてみればここしばらく、少なくともユエンたちといるとき、絵里は自分の感情の表し方について意識したことがなかった。なにも考えず、自然に自分でいられた。感情なんて、だだ洩れだっただろう。
「……救わなくてもいいんだよ」
ユエンの口調は静かなままだった。力の抜けた絵里の手を顔からはがし、膝の上に下ろす。
「世界を救わなくても、僕は君を守る。世界がどうとか関係なく、僕は守りたいと思った人を守るだけだから」
涙で濡れている絵里の手のひらの上に、ユエンはしゃらっと鎖をのせた。鎖の先には、淡いピンクの石がついている。ローズクォーツを思わせる石は、角のない丸みを帯びたハートのようなフォルムだ。
「約束。だから泣かないで」
そういうとユエンは、座り込んでいる絵里の前にまた、盾となるように立った。
手にのせられたペンダントをぼんやりと眺めていた絵里は、ふと気づいて焦った。
「これって、守護石……?」
自分にはこんなものをもらう資格なんかない。だってわたしは。
反射的にそう思って守護石を返そうと、絵里はもう片手でペンダントを握り……そのままの体勢で固まる。
(これを返して、卑屈に謝って、それがわたしのしたいこと?)
大切な大切な守護石。今それをくれたユエンの気持ち。
(なら、わたしの気持ちは……?)
見失いそうなそれを、絵里はぎゅっとペンダントを握って探る。
(世界なんか救わない。救いたくない。それを申し訳なくなんか思わない。でもわたしも……世界なんか関係なく、守りたい人がいる)
辛いのは、傷ついてほしくない人が傷つくこと。それ以外なんて、知らない。
絵里はユエンの守護石を見つめた。
これはやっぱりもらえない。けれど今は、自分の気持ちを見失わないためのお守りとして借りておこう。
絵里は今まで首にかけていた鎖を外し、代わりにユエンの守護石をかけ、服の中にしまい込んだ。
へたりこんでいた腰をあげドレスの埃を払うと、ユエンの横を通って扉へと向かった。
扉の閂に手をかける絵里を、ユエンは止めなかった。ただ、いつでもかばえるようにすぐ横に位置して、絵里の顔を見ている。
「ありがとう、ユエンさん。わたしも、わたしのやりたいこと、やってみる」
絵里は手に力をこめて閂を外すと、扉を押し開けた。




