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◆その3 ~世界なんて救いません



 階段をいくつか下り、案内された部屋は華美ではないけれど、居心地よく整えられていた。

 床と壁は召喚された部屋と同じくざらついた石だけれど、床には絨毯が敷かれ、壁には大きな窓があり、厳めしい印象を和らげている。

 窓からは明るい光が差し込んでいて、まだこんな時間だったんだと絵里は意外に思った。最初の部屋の窓は小さく、そこからさしこむ光も弱弱しくて、ろうそくの明かりが頼りだったから、少なくとも夕方ぐらいにはなっているような気分だったのだけれど。この明るさなら完全に日中と言えそうだ。

「お掛け下さいませ」

 ヨランデに勧められるまま椅子に座り、絵里は小さくため息をついた。

 いつものように起きて、いつものように学校に行って。いつもと違うのは今日が文化祭だということぐらい……のはずだったのに、どうして自分はこんな訳の分からないところにいるんだろう。

 この世界がどんなところなのか知りたいけれど、言葉が通じないのではままならない。

 情報収集は基本のはずなのに、それができないとなれば何から手を付ければいいんだろう。

 何かしなくてはいけないという気持ちだけあって、でも実際にどうすればいいのかわからない。焦燥感ばかりが募ってくる。

 自分の存在を確かめるように絵里は両手をぐっと握り合わせた。


「準備が整いました」

「え?」

 物思いにふけっていた絵里はふいにヨランデからかけられた声に顔をあげた。

「なんの準備ですか?」

 聞き返したが、ヨランデには伝わらない。

「ご案内いたします」

 手振りをまじえてそう促され、絵里は仕方なく立ち上がり、部屋を出た。

 今度連れて行かれた部屋が何のためのものかはすぐわかった。部屋の真ん中にある楕円形の物体と、周辺に運ばれてくる湯気の上がった桶。

(どうみてもお風呂、だよね)

 血のりにまみれた絵里をそのままにしてはおけない、というのはあたりまえというものだ。

 けれど。

「では洗ってさしあげなさい」

 ヨランデの指示で、メイド服を着た2人の少女が絵里の服に手をかける。

「あのっ、お風呂ぐらい自分で入れますから」

 絵里は慌てて相手の手を遮り、自分で服に手をかける。

「……だから、出て行ってもらえますか」

 手をかけたものの人前で服を脱ぐこともできず、絵里は上目遣いで頼んだ。

 少女たちは迷うようにヨランデを見たが、ヨランデが軽くあごをしゃくると再び絵里の服を脱がせる作業に取り掛かった。

 言葉が通じないというのはこういうとき本当に困る。

(この子たちも、指示に従わなかったらヨランデに怒られたりするんだろうなぁ)

 となると強硬に逆らうこともはばかられる。

 結局、弱く抵抗しながらも服を脱がされてしまった絵里は浴槽に入れられた。といっても湯が張ってあるのではない空っぽの状態だ。そこに少女が2人、代わる代わる湯を絵里にかけ、その湯で絵里を洗ってくれる。

 もうどうにでもなれ。

 絵里は何も考えないようにして目を閉じた。


 洗われて拭かれて、着せられた服はおとなしい雰囲気のドレス。上質な生地でスカート部分はふわっと広がっているけれど、それほど豪華という感じはしない。長さも床に届く程はないから、歩くのにも支障はない。

 髪をどうするかで3人の間で意見が分かれたが、結局飾りピンをさしただけで、セミロングの髪はそのままおろして整えられた。丁寧に梳かれた髪はなんとなくごわついている。香草入りの油でつやは出されているけれど、日本で使っていたシャンプーやコンディショナーとは雲泥の差だ。

(この世界にいる限りは、このごわごわをがまんしなければいけないんだろうな……)

 そんな細かいことがいちいちひっかかるのは、絵里がナーバスになっているからだろうか。

 元の部屋に戻されて、出されたお茶を飲んでいると、現実感のなさもここに極まれり、というところ。

(というか、完全に逃避してるな、わたし)

 じわりと滲む疲労感。ぼんやりした思考停止。

 それではいけないのだろうと分かりつつも、この一杯を飲む間だけは、と絵里はカップを持ち上げた。

 レモングラスのような香りがするお茶は、少し癖はあるけれどすっきりして飲みやすい。温かいお茶を飲み下して、深呼吸。

(落ち着いて、落ち着いて。考えないと)

 自分が置かれている状況について。そしてどうすればいいか。

(まずは……)

 絵里は文化祭の舞台の途中で――信じたくはないが異世界に召喚されてしまった。もしかしたら夢だという可能性もあるけれど、とりあえず今はこの前提を受け入れて考えなければならないだろう。

 召喚される途中で、必要な知識や能力を得るはずが、できないうちに別世界に引っ張られてしまった。

 こちらの言葉は通じないけれど、向こうの言葉が理解できるのは、まさに中途半端に能力が与えられた象徴のような事態といえるだろう。

(他にもおじいちゃんがくれた能力があるはず。これは確認しておかないとね)

 すごく強いとか、魔法が使えるとか、この世界で役立つ何かの能力があれば助かる……いや、これからのことを考えるならば、ないと困る、というほうが正しい。

 元の世界に帰還する方法が見つかるまで、しばらくはこの世界に留まるしかなさそうだから、ここでどう生きてゆくかはかなり重要になる。

(けど……)

 絵里のこの世界への第一歩は大失敗間違いないの太鼓判。

 血まみれ衣装で登場し、言葉が通じなくて居並ぶ人々を落胆させた。

 よく、第一印象が大事と言われるけれど、ぶっちぎりの勢いで悪い印象を残してしまったときはどうすればいいのだろう。

(それに……)

 確かに絵里の印象は悪かっただろうけど、それに対する相手の反応もどうかと思う。

 最初はうやうやしく接しようとしていたのに、言葉が通じないとわかるとあの態度。何か理由があって召喚したのだろうから、役に立たなければ意味がないのだろうけれど、それにしても。

 と、そこにノックの音がして、絵里は現実に引き戻された。

 ヨランデがさっと扉に向かい、来訪者4人を部屋に招き入れた。4人とも見覚えがある。召喚された部屋で言い争っていたブランドンという男と主聖と呼ばれていた老女、さきほどブランドンに何か囁いていた青年、そして主聖を支えるように立つ女。

「さきほどは失礼いたしました。私はブランドン。王に代わりまして救世主様のおいでを歓迎いたします」

 言い争っていたときと比べれば、ブランドンの態度は丁寧だが、淡々とした言葉は棒読みに近い。

「わたくしはこの教会を統べる主聖、テレーゼと申します。世界の危機に際しまして救世主様を御召喚奉りました。ようこそおいで下さいました」

 言い争いの後遺症なのか、テレーゼの声はかすれているが、こちらのほうがブランドンと比べればまだしも腰の低い態度だ。

「……」

 絵里が黙っていたのはさきほどの一幕にまだ憤っていたから、というのではなく、どう答えればいいのかわからなかったからだ。ようこそと言われて、はい来ました、というのも変だし、かといって恨みごとを述べ立てても仕方がない。

(ここは無難に、こんにちはーとか、はじめましてーとか? それとも、よろしく?)

 せめて挨拶はすべきだろうと、絵里が発する言葉に悩んでいると。

「ハイラム、やはり通じない者に言葉をかけるなぞ、無駄ではないか」

 ブランドンが青年を振り返った。青年――ハイラムは首を振る。

「いいえ、通じているか否かではなく、形式を守っているかどうかが重要なのです。こちらは挨拶し、状況を説明した。無駄とも感じられるでしょうが、後々のために必要となるのです」

「そういうものか」

 まだ不服そうではあるが、ブランドンは再び絵里に向き直った。

「この世界には周期的に魔の者の力が強まる時期が訪れ、そのたびに大きな被害が出ます。毎回それを鎮めるために難渋しておるのですが、今回、どうすべきかという卜に救世主様を召喚すべきとの卦が出ましてな。教会の協力を得て、こうして降臨願ったという次第です。どうか世界を救っていただきたい」

 あきれるほどにあっさりと説明し、ブランドンはこれで良いだろうと言わんばかりにハイラムを見た。ハイラムが軽く頷くのを確認すると、やれやれと息を吐く。

「教会で少しお休みいただいたあと、救世主様には王城にお移りいただくことになります。その後のことはおいおい説明するとしましょう。――ヨランデ」

 ブランドンに呼ばれ、ヨランデが身をかがめて礼をとる。

「何か御用があればこの者が承ります。では」

 ブランドンが身をひるがえし部屋から出て行く。ハイラムもすぐにブランドンのあとを追い、やや遅れてテレーゼたちも退出していった。

(結局誰も、わたしのことなんか気にかけてくれてなかった……)

 半分以上残っているお茶を飲もうとしたけれど、カップを持ち上げるのさえだるく感じられて、ソーサーの上に戻す。

(誰がこんな世界のために……)

 何をやらされるのかわからない。でも、こんな世界のために何もしたくない。

 救世主になんてならない。絶対に。

 それが、この世界に来てから初めてたてた絵里の誓いだった。


 4人が部屋から出て行ったあと、絵里はこれからどうすればいいのかをずっと考え続けた。

 世界を救うというのが、具体的にどういうことなのかはわからない。けれど救わされる前に、逃げるべきだろう。

 立ち上がって窓に寄る。

 窓にはガラスがはまっているけれど、透明ではなく少し濁った淡い緑色だ。きれいな板状でもないらしく、外の風景はやや歪んで見えた。

 さっきの話からしてここは教会なのだろう。山にでも建っているのか、眼下に広がる景色を占める色は木々の緑と黒ずんだ岩。下のほうに家の集まりも見える。

 真下には小さな庭があるが、そこからこの窓までは5階ぐらいの高さがある。窓から逃げるのは無理だ。そもそも逃げ出してどうなるというのだろう。

 言葉も通じない、地理も習慣も何もわからない、生活に必要なものを手に入れることもできない。そんな状態では逃げ切ることは不可能だ。すぐに捕まるか、のたれ死ぬか。

 利用されるよりのたれ死んだほうが良いくらいだけれど、こんな世界で死ぬのだって願い下げだ。

 まずはこの世界で生き抜く知識と力を手に入れること。できれば通貨も手に入れておきたい。逃げ出すのはそれから。

 相手の裏をかくためにはこちらの手を知られないほうがいい。だから言葉はわからないふりをしていよう。世界のはざまで貰った能力が何かは気になるけれど、それを調べるのは人目がないところでしよう。

 そこまで考えると絵里はまた椅子に戻った。

 うかがうように見ているヨランデの視線には気づかぬふりで、絵里はさめたお茶をゆっくりと飲んだ。



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