◆その23 ~わたしの手をなんだと思ってるんですか
◆
旅が進むにつれ、王都がらは遠ざかってゆく。
国が一番栄えているのは王都周辺なのだろう。だから、日が経つに従って周りの風景は辺鄙になっていった。
町の数は減り、規模が小さくなってゆく。
整備された街道だったものが、だんだんと細くなり、草に侵食されていたり、途切れていたりと整備が行き届かなくなってゆく。
今晩は町で夜を過ごす予定だったものが、急きょ天幕での野営に切り替えるとの連絡がきた。
先ぶれとして行った騎士が、町が魔のものに襲われて壊滅していたという情報を持ち帰ったためだ。
案の定、といってよいものか、町に寄らない進路を取ろうとした矢先、魔のものの襲撃を知らせる指笛が響いた。
「行ってきます」
隣のユエンに声をかけて、絵里は荷馬車からぴょんと飛び降りると、ランバートに連れられて前方の騎士のもとへと向かった、
荷馬車の位置が変えられただけでなく、途中に騎士が配置されるようになったから、ランバートはすぐに絵里を騎士に引き渡して敵へと向かい、絵里は騎士に守りの円陣へと誘導される。
けれど今回はその途中、ハイラムに呼び止められた。
「たいへん申し訳ないのですが、少々ご協力をお願いしたいことがございます」
ハイラムからのお願いというだけで、嫌な予感しかしない。
いったい何だろうと次の言葉を待っていると、ハイラムは絵里の手の甲を下側に、すくうように持ち上げた。
手相でも見るような恰好だけれど、もちろんそんなわけはなく。
絵里の手を支えていないほうのハイラムの手がさっと動いた。
「え」
手のひらに線が走り、そこから血があふれる。
「この血を魔のものに」
器に受けた血を騎士に渡すと、ハイラムは絵里の手を布でぎゅっと縛った。
「ご協力に感謝いたします。すぐに回復の者を遣わしますので、中でお待ちください」
態度こそ丁寧だが、絵里からしたら了承もなにもなく傷つけられた、としか言えない。
「どうして……」
「申し訳ありません、危急の際ですのでこれにて失礼いたします」
訊きかけた絵里を制し、ハイラムは襲撃のあった場所へ急ぎ向かった。
残された絵里はしばらくハイラムの背を見送った。せめて理由ぐらい説明すべきだと責めたいが、敵が襲撃しているときにそんなこともできない。
(前も血を採取されたけど、なにか関係あるのかな)
考えてみてもわからない。絵里は仕方なく、円陣の中に入った。
「エリィ様、お怪我を?」
ミュリエル姫が気がかりそうに声をかけてくる。
「ハイラムさんが……」
「え、それはどのような……」
ハイラムの名前は聞き取れたのだろう。姫の顔色が変わる。
けれどそこに回復に派遣された水魔法使いがやってきたため、姫との話もそこで切れた。
撃退完了の報せはすぐに来た。
迎えに来たランバートに訊いてみると、今回襲ってきたのは熊サイズの敵だったらしい。
「結構数はいたんだが、騎士の動きがめざましくてすぐ終わった」
ランバートの説明は短いが、その中に驚きの感情が入っていることが絵里にはわかる。
「あのスピードは何だったんだろうな。一撃で倒しでもしたのか?」
「そんなつわものはおらんだろう」
「だよなぁ」
そう受けながらチャスも不審げだ。
戦いに慣れてきたのかもしれないが、それにしては変化が急すぎる。
「最初から後方にいた騎士の動きは普段と同じだった。違ったのは少し遅れて駆け付けた騎士だけだ」
「わけわかんねぇな」
けれど、被害が少ないうちに敵を倒せたのはなによりなことで、襲撃で崩れた行列の立て直しも早い。散り散りになっていた人々は元の配置に戻り、行列の進行は再開された。
行列が魔のものに襲われることは一層増えていた。魔鳥ほど大型の敵はあれ以来襲ってきていないが、熊サイズの敵でも十分な脅威だ。
人々は当然恐怖を感じてはいる。だがそれとともに、またかという諦めをいだくようになっている。慣れと諦めが、命の危険という恐れに紗をかけ薄めているのだろう。
思いのほか、人々の歩みは滞っていない。
これまでに下働きの人の何人かが逃げたという話を聞いた。無理もない。
けれど、残った人々は内心はどうあれ、変わらず自分の仕事をしている。ハナもそうだ。
「今日こそは町に泊まれるそうだよ。たっぷりと仕入れをしとかないとね」
ハナはさきほどの襲撃のことには一切触れず、ここから先はもう寄れる町や村もほとんどないから、と食料のチェックに余念がない。
「ハナさんは怖くないんですか。えっと、あの」
魔のもの、こわい、とこちらの言葉で続けてみる。
「怖いかって? そりぁね」
当たり前だよとハナは笑う。
「あたしだけならともかく、あの子たちもいるからね。さっきだって、みんなで小さく集まって、ぶるぶる震えてたさ。どうか無事でいられますようにって」
それを明るい表情で言うハナが、絵里には不思議だ。
今度は、『逃げる、したい?』と聞いてみる。まだ文章を話せるようになっていないから、単語をぽつぽつつなぐのが精いっぱいだ。
「襲われてるときは逃げたいさ。だけどねぇ、あたしには魔王は退治できない。けど、あの子たちがこれからも生きていける国であってほしい。だったらできるのは、魔王を倒せる人を――あんたを送り届けるための手伝いをすることぐらいだしねぇ」
ハナの返事に、絵里の息が詰まった。
(これはわたしを送るための旅……)
絵里は救世主とされているのだから当たり前なのかもしれない。けれど、絵里の意思など関係なく旅に放り込まれて、なにをするのでもなく運ばれて。自分で選んだことではないからどこか他人事の気分だけれど。
(もしわたしが目的地まで行かなかったら、この旅は無駄になるのかな。それとも別の方法で魔王を倒すのかな)
前者だったらむなしけれど、後者だったらそれこそが正しい方法だろうと言ってやりたいくらいだ。
(町でほとんど補給せずにいけるのなら、目的地は近いのかな……)
だとすれば、タイムリミットが近づいている。
言葉はほんの少しだけしゃべれるようになった。
ハナやベイジルのおかげで、習わしや生活に必要な知識も少しだけわかった。
食料や衣類の保管されている荷馬車がどれで、どんなときに人目がなくなるのかもしっている。
これで逃げてもだいじょうぶ、だなんて決して言えない。
逃げるにもその後生活するにもお金は必要だが、今現在絵里は一文無し。仕入れの分のお金の管理をハナがしていることは知っているが、それを奪うことなんてできない。ランバートの目をかいくぐって逃げる方法も思いつかないし、魔のものに襲われたらどうしてよいかもわからない。
(でもきっとこれが、わたしに用意できる準備のすべて)
だから手持ちの状況だけで決めなければならない。
絵里は布が巻かれた手のひらを見つめ、考える。
――逃げるか、留まるか、を。




