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◆その17 ~わたしのいなくなった世界は今




 それからも魔のものの襲撃はあったが、魔王退治の旅は続けられた。

 町があれば町に泊まり、なければ天幕で泊まる。町に寄ったときに補充やら買い出しやらをしておき、それを消費しながら進む。

 歩くのにも慣れてきて、絵里はまるでずっとこうしてきたような気がしてきていた。


 最近はハナにくっついて、仕事をしてる様子を眺めたりもしていた。ハナは食事の支度や食材管理が担当で、大量の食材を切る手際は圧巻というしかない。

 ハナの担当は食事関連だが、自分の仕事以外でも下働きの人同士、互いに助け合っている様子で、別の仕事もちょこちょこと手伝っている。

 絵里もちょっと手伝わせてほしいと言ってみたが、救世主様に雑用なんてとんでもない、とこれは完全に拒否された。


「そんなことさせたら、あたしが怒られちまうよ」

「家ではたまに、ごはんも作ってたんですよ」

 絵里は包丁を使う動作をしてみせた。

 母親が料理が得意だから、絵里が作るのはほんとにごくまれでしかなかった。テレビでみたレシピを作ってみたくなったときや母の日に、ちょっと作ってみた程度だ。

(お母さんに料理、習っておけばよかったな)

 飾り切りを披露できたら、ハナの見る目も変わっただろうに。


(お母さん、どうしてるだろ)

 ふとよぎった思考に、絵里の胸がうずいた。

 もとの世界のことを思い出すと帰りたくてしかたがなくなるから、できるだけ考えないようにしていたけれど、ふとした拍子にどうしても考えてしまう。

(きっとみんな、心配してるよね。わたしが急にいなくなったら……)

 そこまで考えて、絵里はあれっと思う。

 元いた世界では絵里はどうなっているのだろう。


 まさか、舞台の上で倒れたまま消えてしまった、なんて世にも不思議な事態になっているのだろうか。だったら、急にいなくなって心配、なんてレベルではない衝撃だろう。

 人体消失。

 ミステリーすぎる。

 大騒ぎになって、家も学校も大混乱。それどころか世界的大事件になりそうだ。

 もしそうだったら、絵里が元の世界に戻ったら戻ったで、またまた大騒ぎになる。

 別世界に召喚されてました、なんて言ったらどうなるだろう。

 何も言わなくても、マスコミに追われ、周囲の人からは奇異の目で見られ、普通の生活など送れないに違いない。


(だったら、あのときで時間が止まっているとか)

 絵里が消えた瞬間に、すべてが停止している。そして絵里が戻ったとたん、すべては元通りになり、時間が流れ出す。

 これなら何も変わらない。舞台もめちゃくちゃにならず、大騒ぎにも、家族や周囲の人に心配をかけることもなんにもない。

 絵里にとっては一番都合の良い状況だ。

(でも……)

 だとすると、もし絵里が戻れなかったら?

 この世界で命を失う、あるいは帰還の方法が探せなかったら。

(すべての人の時間が止まったまま……永遠に時が凍り付いてしまう……)

 ぞっと背中を寒気が走った。

 城の人々とともに時が止まった茨姫は、王子が現れて時が流れ出したからこそ、物語となるのであって、止まったままでは永遠の牢獄でしかない。


(そんなのやだ)

 ほかの人の人生にまで影響しそうな事態を引き受ける勇気はない。

 絵里は元いた世界にできるだけ影響のない事態を考えようとした。

(何事もなく世界が続いていくとしたら……)

 向こうの世界では絵里は消えていなくて、何も変わらない毎日が……。

(ダメだ。これじゃあわたしが帰るところがない)

 なにか自分を納得させられる状況はないかと、絵里は必死で考える。

(これまでの時間が書き換わって、わたしがもともといなかったことになる、とか)

 それもなんだか寂しすぎる。

 けれど、自分を納得させられるような向こうの世界の状況を、想像することができない。


 召喚というものの危うさに、絵里は愕然とした。

(なにか、なにかあるはず)

 絵里が考えたからといってそうなるものでもないのに、なにか思いつかなければと焦燥感がつのる。


「おやまあ、どうしたんだい。真っ青だよ」

 絵里の様子がおかしいのに気づき、ハナが慌てて絵里をその場に座らせた。

 すぐにランバートがやってくる。


「どうした?」

 ランバートの問いかけに、絵里は力なく首を振った。

「なんでも、ない、です」

 元の世界の状況がどうであれ、絵里にできることはない。

 できることがあるとすれば。

(可能な限り早く、元の世界に戻ること、だよね)

 どんな影響があるにしろ、それを最小限にとどめるためには、一刻も早く帰還しなければならない。

 今は怖いことは考えないようにしようと、絵里は何回も深呼吸して気持ちを無理に落ち着けた。


「もう平気です」

 絵里が顔をあげたのと同時に、後方から鋭く指笛の音がした。魔のものの襲撃だ。


「動けるか?」

 ランバートの問いかけに頷いて、絵里はすぐに移動を始めた。

 あの日チャスに注意されてから、絵里は一度も避難に異を唱えたことはない。

 できるだけ速やかに安全な場所に避難する。それが戦いの局面で絵里がすべきことだから。


 列をどんどんさかのぼり、騎士の円陣を探す。

 敵の襲撃位置や地形によってずれることもあるが、たいていはミュリエル姫の馬車のすぐ脇に円陣が組まれる。

 今回も同じような位置に組まれていた円陣に、絵里は送り届けられた。


 ミュリエル姫、姫の侍女のステイシー、ヨランダ、ミラ、といつもの顔ぶれが中にいる。

「では頼む」

 踵を返すランバートに、ご苦労さん、と声がかけられた。その声が笑い含みで絵里は気になったが、ランバートはそのまま戻っていった。


「エリィ様」

 姫が微笑みかけてくるが、絵里の意識は背後の騎士たちのささやき声に向いている。


「騎士団長の息子が使い走りか……たな」

「まぁあれでは……不向きで……」

 ぼそぼそとした声は絵里の位置で届くか届かないか、というくらい。絵里には聞こえていないと思っているのか、届いても言葉がわからないから大丈夫だと思われているのか、小声での会話は続く。


 もったいない、と言いながらも言葉の端々ににじむのは、おそらくはエリートなのだろう騎士という位置から、兵士を見下げる優越感。それが騎士団長の息子となれば、さぞや気分も良いのだろう。


「……棒に振ってまで」

「半端な武器で……」

「しかしなぜ……」


 ひそめられると却って耳を澄ませてしまうが、内容はただ枠から外れた者を嗤うものでしかない。

 もう聞くまいと絵里輪の中ほどに足を進めたその背に、最後に届いたのは侮言というより純粋な疑問の言葉で、

「なぜ討伐隊の兵士に志願なんかしてきたんだろうな」

 騎士たちにどうみられるかわかりきっているのに、と。


(みんないろいろ理由があるんだろうけど……)

 絵里のように有無を言わさず参加させられている者もいれば、騎士たちのように上からの命令を受けている者もいる。ランバートは志願して雇われているようだし、ハナは求人に応募して採用されたと言っていた。ベイジルには、同行してもらえないかとの打診がきたらしい。


「エリィ様、どうかされましたか?」

 ミュリエル姫が心配そうに尋ねてくる。

 絵里はこわばっていた顔をゆるめた。関係ない姫に不愉快な表情を見せておくわけにもいかない。

「だいじょうぶです。きっとすぐに終わります」

 絵里が硬い表情なのは、魔のものの襲撃への不安からだと思ったのだろう。姫は絵里の手を両手でぎゅっと握りしめた。ほっそりと頼りない白い指なのに、そのぬくもりは絵里のささくれだった心を落ち着かせてくれた。


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