◆その15 ~えーっ! チャスさんって……
◆
戦闘の音と気配は隠れている荷車の陰まで届いた。
(近づいてる……?)
魔のものがこちらに来ているのか、それとも恐怖がそんな錯覚を引き起こしているだけなのか。
見ないでいると不安が膨れ上がってくる。
我慢できなくて、絵里はそっと荷車の陰から顔を出した。
さっき見たときは行列のあった場所と重なっていた戦場は、少し遠ざかっていた。けれど行列の後方側にずれてきているため、結果的に絵里のいる位置からは近くなっている。
だがすぐさま危険になる距離ではなく、絵里は少し安堵した。
敵の集団から数体ずつが飛び出して襲い掛かかり、こちら側はそれに対応しているようだ。あちこちに分かれて戦闘が行われている。
(あれが魔のもの?)
近づいた分、敵の姿もはっきり見えた。
四つ足の動物のようなフォルムをしているが、その色は黒一色だ。
チャスが言っていた通り、大きさは狼ほど。
だが狼とは違ってかなりずんぐりとしていた。
(狼というよりイノシシみたい。この世界にはイノシシはいるのかな)
息を殺して見ていると、敵は勢いよく走り出した。それを止めようと、兵士が盾を突き出す。
(今、形がゆがんだ……?)
盾に衝突したとき、敵の身体がぐにゃりとゆがんだように見えた。
勢いに負けて兵士は跳ね飛ばされたが、敵の突進も止まる。
再び走り出そうと身を沈めた魔のものに、狙いすましたように炎の球がさく裂した。
(どこから?)
絵里は炎の飛んできた方向を見やった。
短い杖を手にした小柄なローブ姿の人が立っている。ほかに該当しそうな人影はないので、おそらくこのローブ姿の人が魔法を放ったのではないかと思われるが、絵里の位置からでは性別も年齢もわからない。
(どうやって魔法を使うのかな)
絵里は必死に目を凝らし、その人物の動向を見守った。魔法行使の瞬間を見られるチャンスをのがすわけにはいかない。
その人物は両手を広げていた。
詠唱してるかどうかはわからないが、開いていた手を前方に突き出すと、そこから炎が飛び出した。敵に当たると、炎はどんっと弾けて飛び散る。
(あれがこの世界の魔法……)
使い方がわかれば、自分にも使えたりするのだろうか。
絵里はぐっと身を乗り出し、なにかヒントになることはないかと目を凝らした。
そのとき。
内容は聞き取れないが、切迫した響きの声がした。
敵の群れからあらたに2体が分かれたのだ。2体は戦闘と戦闘の間を抜け……ぐんぐんと絵里のいるほうへとやってくる。
離れているときは黒一色に見えていたそれが、近づいてくるにつれて、漆黒ではなく緑や灰の混じったよどんだ黒であることや、表面がぬらぬらと波打っていることがわかるようになった。
叫ぶつもりはなかったが、知らぬうちに声がでていたらしい。
「しっ、あんたを隠してるのがバレるじゃねぇか」
チャスは立てた指を口元にあてて絵里を制す。
「でも……」
言いかけた絵里の視界の端を、素早い影がよぎった。
(ランバートさんだ)
迷いなく敵に肉薄すると、1体目の前を横切りざま片手で浅く剣を振るう。その勢いを殺さず、今度は2体目の背に両手で剣を叩き込んだ。
魔のものは攻撃してきたランバートを優先すべき敵とみなしたのだろう。それまでの移動を中断し、ランバートに向かう。
ランバートは突進してきた1体を剣で押し返した。
跳躍した2体目がランバートに襲いかかるが、そのときはすでに後方に飛びのいている。
鮮やかな足さばきだが、1人で2体の相手をするなんて無理だ。
(誰か、早く来て)
ランバートが傷つき倒れる前に増援が来てくれるようにと、絵里は祈るしかない。
その耳に、ト、ト、トンと地面を踏み鳴らす音が届いた。
何かと見れば、チャスが足でリズムを刻んでいた。それだけではなく、身をしならせ、腕を広げ、かと思えば回転し。
(踊って……る?)
どうしてこんなときに。
不思議に思った次の瞬間。
チャスの右足が、左足が強く地面を踏み、そこから鋭く細い岩が突き出した。
目もむけずに両側の岩をそれぞれの側の手でつかむと、チャスは身をそらし、それを投擲した。
岩の槍は敵の1体に見事命中し、かき消える。
(え……えーっ! チャスさんって戦闘要員だったんだ!)
絵里はうっかり叫ばないよう両手で口を押えた。
ランバートはいつも剣を持っているから、それで戦うのだろうと絵里にも予測がついていた。けれどチャスが戦うというのは予想外だったし、ましてや魔法らしきものを使うとは考えたこともなかった。
そんな絵里の驚きをよそに、チャスは踊り続けている。足が地面を打つのが特徴的なダンスだ。
ざ、とチャスの足が地面を擦って高く跳ね上がる。
すると巻き起こった砂塵が、ランバートのすぐ前から2体へと吹き荒れた。無数の砂が2体の表面を削り取る。
砂がやむかやまないかのうちに、ランバートは敵の懐へ飛び込んだ。助走から踏み切って、全身で叩きつけた剣は敵の身体を深く斬り裂く。
その斬撃に敵の体はぐしゃっと形を失い地面に飛び散った。
(やった!)
だが渾身の一撃を放ったランバートが体勢を整える前に、もう1体が頭を下げ、猛スピードで向かってきた。
このままでは避けられない。
絵里がひやりとしたとき、敵は急にがくんと失速する。その隙にランバートは身をよじって突進をかわした。そのはずみでランバートはいったん地面に手をついたが、すぐ跳ね起きて残っていた1体を屠る。
倒し終えるとランバートはまだ残っている敵へと走り、絵里の視界から消えた。
「鼻先に石っころ飛ばしてやった」
チャスが得意げに教えてくれる。
「ああそれで失速したんですね」
小さな石でも、勢いよく走っている鼻先に命中したらたまらないだろうと、絵里は納得した。
敵がすべて倒れると、絵里はランバートとチャスに連れられて、列……といっても人の列は散り散りに無くなってしまっているため、目印のように残っている荷馬車などの横を過ぎ、馬車の列をたどりではあったが……の前方へと向かう。
まもなく、こちらに向かってきていたハイラムと行き合った。
「途中で戦闘があり、避難の地点まで連れていけなかった」
ランバートはハイラムにそう説明した。
戦闘があり、の後ろに正しくは『絵里が隠れていると主張したため』というのが入るのだが、とりあえず嘘はついていない。
「襲撃場所が場所でしたから仕方がありませんが、可能な限りは騎士のもとに避難させてください」
ハイラムとしても無理にとは言えなかったのだろうし、今は絵里だけにかかずらってはいられないのだろう。短い注意だけをランバートに与え、ハイラムは現状把握のために襲撃のあった場所へと速足で向かった。
ユエンの様子を見てくるというチャスといったん別れ、絵里はランバートとともに、元いた位置に戻った。
避難していた人も自分の位置に戻り始めており、列は再生されつつある。
襲撃の恐怖は色濃く影を落としていて、鳥がよぎるだけでもびくっと空を見上げたりはしていたけれど、今のところはそれ以上の混乱はないようだ。
「被害はどのくらいあったんですか?」
ランバートに聞いてみたが、身振り手振りを駆使しても質問の内容をわかってもらえなかった。ボディーランゲージで伝えられることにはかなり限りがある。
(みんな大丈夫だといいな)
知り合った人々の顔を浮かべながら、絵里はそう思った。




