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◆その14 ~響く指笛の音





 その日の夜は天幕で……ヨランデとミラと一緒に泊まった。夜間は騎士に警護させるとハイラムが譲らなかったためだ。

 翌日、一行は町へと入ったため、絵里はそこで服と靴を手に入れることができた。

 町にショッピングに出かけられるという期待は、部屋に持ち込まれる品物の中から選ぶという方式だったために裏切られてしまった。これもハイラムからしたら、救世主が店に赴いて買い物など考えられないほど常軌を逸した行動らしい。

(常識とか感覚の違いって難しい……)

 そんなの知ったことじゃない、と言ってしまえればいいのだろうけれど、そう割り切れないから気になってしまう。


 希望通りとはいかなかったが、ドレスはかなり軽いものになった。その分のバランスを取るためか、旅装にはふさわしくないレースが増えたりはしているが、歩くのに支障がないから許容範囲としておこう。

 町の靴職人が調整してくれた靴は、やわらかい革で作られている。びっくりするほどピッタリのフィット感で、このまま日本に持ち帰りたいくらいだ。


 筋肉痛には苦しめられているものの、徒歩の旅は格段に楽になった。

 けれど歩きやすくなってからも、絵里は時々ユエンのところにおじゃまして、ちゃっかり隣に乗せてもらっていた。

 有事には騎士のもとに送り届けなければならないランバートは、荷馬車の位置が後方なのに難色を示していたが、荷馬車の位置を少し前に持っていくことで妥協してくれた。

 ただ、ハナは荷馬車には近づかなかったし、ほかの人々も明らかに荷馬車を……ではなくユエンを、なのだろうが……避けていた。

(セなんとかっていう力を持ってるせいって言ってたっけ)

 その力を見ることがあれば、なぜ疎まれるのかの理由がわかるだろうか。


 絵里としては、なにも話はしなくてもユエンの隣に座っているとくつろげたし、ほかの人々と歩くのも楽しかった。

 最初は救世主という触れ込みのせいか、遠巻きにされて誰も近寄ってこなかったが、ハナが普通に接しているうちにその警戒も解けたらしい。

 となると、有名人と会っちゃいましたの感覚で絵里に寄って来る。


「ね、りんご食べる?」

 特にこのベイジルは、なにかと絵里を構いにきた。

 彼は馬車組の人の無聊を紛らわすために雇われている楽士だ。そんなことのために人が雇われていることが、絵里にとっては驚きだ。

 実際、演奏の要請は多くない。だが手を傷つけたりする恐れがあるためほかの仕事は手伝えず。結果、時間にかなり余裕がある。

 絵里から弾き語りのネタでも引き出したいのか、よくこうして接触してくる。

「りんご?」

「り・ん・ご、り・ん・ご、りんごだよ。わかる? 食べて食べて」

 食べ物をくれたり、言葉を教えてくれたり、どうやら面白がられているようだ。


 英単語を覚えるのは苦手だったけれど、少しでも言葉を話せるようになっておきたいから、必死に記憶にとどめようとがんばっている。

(単語帳がほしい……)

 この世界にはごわごわした紙は存在しているが、手軽に持ち歩けるようなメモはない。耳で聞いて覚えておくしかないのが辛い。


「リノ、イ」

 覚えたばかりの『ありがとう』で答えて、絵里はりんごをかじった。絵里が知っているりんごと比べて、かなりこぶりで酸っぱい。

 食べ物に関しては、元の世界のほうがずっといい。

(ここのみんなに食べさせてあげたいな。やわらかいパンとか、甘いりんご、いろんな料理やお菓子)

 劇の途中でなくて登下校中に召喚されたんだったら、カバンにお菓子が入っていたのに、なんて思う。


(ベイジルさんだったら、お菓子がおいしい歌、とか作りそう)

 想像したらなんだかおかしくて、絵里はつい笑ってしまった。

「なになに? どうかした?」

 ベイジルが身を乗り出してきたそのとき。


 ――指笛が響き渡った。


 緊張が張り詰める。

 皆一様に、息を殺し周囲を見回して、危険はどこかと身構えた。


 わぁっという声が上がったのは、絵里のいる位置より前方側だ。

 普段は少し離れた位置をキープしているランバートが、即座に走り寄ってきて絵里の腕をつかむ。


 後方へと流れる人の波に逆らって、ランバートはじりじりと前へ進みはじめた。なにかあれば騎士のもとへ。ハイラムからの命令ではあるが、その途中に魔のものが出現する恐れがある。

「おーい、ランバート」

 前方から駆けてきたチャスが合流する。


「敵は?」

「ユエンの荷馬車と馬車の最後尾の中間ぐらい。向かって左に狼サイズ、十数体。まだ接触前」

「抜けられそうか?」

「いけると思うが運次第だな」

 チャスの返事にランバートは絵里の腕をチャスにゆだね、

「行くぞ。救世主は絶対に失えない」

 自分が先に立って走りだした。


 チャスに手を引かれ、絵里も走る。

 避難の人々は人の流れとは逆になる。ランバートとチャスが道を開けてくれたところを、絵里はただ必死に駆けた。


 怖いとは感じなかった。

 この事態をどう感じていいのかわからなかった。

 ただ、2人のお荷物になってはいけない、そのことだけが頭にあった。

 走れと言われれば走り、避けろと言われたら動きに逆らわず避ける。この場は絵里が判断できることはない。


 そして周囲の人々もまた、ひらすらに足を運んでいた。

 多くの人は少しでも戦場から遠ざかろうと、戦闘に参加する者は戦場に向かうために。


 その足取りを乱すような悲鳴が――響いた!

 悲痛な悲鳴。

 それにかぶさる恐怖の悲鳴。


 ランバートはやや身をかがめ、周囲を窺った。

 その視線の先をたどり、絵里は見た。こちらに近づいてくる黒っぽい塊がいくつもあるのを。

 一部はもう行列と到達し、兵士たちがそれを迎え撃っている。魔のものの進路がずれたのか、到達地点はチャスが言っていたのよりかなり後方寄りだ。

 そこから強硬に駆られた人々が、必死に逃げてくる。


「ちっ、こっちに来やがったか」

 チャスは舌打ちすると、後ろ手に絵里をかばった。

 悲鳴に追われ無我夢中で逃げる人々が、絵里をかすめてゆく。


「今のうちに前へ」

 敵が抑えられているうちに兵士たちの背後を通り過ぎようと、ランバートが誘導する。

 あくまで絵里を騎士のもとに送り届けようというのだろう。

(わたしが馬車を降りたから、貴重な戦力のランバートさんの手が割かれてしまってる)

 絵里を送り届け戦場へ戻るまでに、どのくらい時間をロスさせてしまうのか。そう思うと気が引けた。


「わたし、このへんに隠れてます。だからランバートさんは別のことしてください!」

 チャスの背からランバートに呼びかけ、自分と放置されている荷車の陰を交互に指さす。

「今なら十分に通り抜けられる」

 ランバートは尚も前方を示すが、絵里はチャスの手を振りほどき荷車の陰へと走り出した。


「危ねぇって。ここを抜けるのは怖いかもしれねぇけど、騎士んとこに行きな」

 チャスがすぐ追いついてきたが、絵里は首を振り、荷車の陰にしっかりと隠れる。

「しょうがねぇな。担いでくか」

 やれやれと絵里に手を伸ばすチャスにランバートが聞く。

「救世主って何をするんだ? 戦うんじゃないのか?」

「あんたが守れって言われて預かったんだろ。オレに聞くなよ」

「……」

 ランバートはしゃがみこんでいる絵里に鋭い視線をあてた。

「わかった、そこにいろ。チャスもだ」

「ランバート、オレは」

 チャスの抗議を片手を掲げて止め、ランバートはすでに戦いの場へと走り出している。


「……ったく。あとで文句言われても知らねぇからな」

 チャスは髪の中に手を入れてくしゃっと掻くと、

「おとなしくそこにいろよ」

 絵里に言い聞かせておいて荷車の前に出た。


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