◆その13 ~慎みがなくてすみません
◆
町から遠くないためか、街道は整備されていた。
アスファルトとは違い、馬車のわだちがでこほこしていたり、石が顔を出したりはしているが、道はおおむね平らで歩きにくさは感じない。
むきだしの土は学校の校庭と比べると少し赤っぽいが、それがこの世界における土の色なのかこの場所特有の土なのかは、歩き出したばかりの絵里には判断がつかなかった。
道には問題ないけれど、絵里の足取りは次第に重くなっていた。
布を巻いて調整してはいるけれど、無骨な靴は重く足にもあっていない。足の裏もふくらはぎも太ももも、ずきずきと痛みを訴えてくる。
肩や腰にも徐々にドレスの重みがこたえるようになってくる。スカート部分を手で持ち上げ、少しでも負担を分散させようとしたけれど、気休め程度にしかならなかった。
(早く夕方にならないかな)
夕方になれば行列は止まり、夕食と天幕の準備がされる。
天幕に入ってこの重い靴を脱ぎ、脚を投げ出して座りたい。ストレッチをしたら、疲れも痛みも少しはましになるだろう。
絵里の頭の中は、早く休みたい、という文字だけだ。
「かなりきつそうだな」
チャスに言われ、絵里は慌てて足取りを早めた。歩きの旅は無理だと判断されたらまずい。
「ちょっとぼんやりしてただけ。まだまだ大丈夫ですよ」
元気なのをアピールしようとさっさと歩いてみせたのだが、そんなことでチャスはごまかされてはくれなかった。
「合う靴を手に入れるまで馬車に戻ってる、ってのはどうだ?」
チャスが馬車のいる前方を指さすものだから、絵里は断固として首を横に振る。
戻ったらまた、無言でヨランデとミラと顔を突き合わせ、ただただ運ばれていくしかない。外の風に触れた今、馬車での旅は苦痛だ。
絵里の反応は予測済みだったのだろう。チャスは、だよなぁと息を吐くとランバートのところへ歩いて行った。
何を話しているのかは絵里には聞こえないが、チャスがなにかを提案し、それに対してランバートが首を振り、というのが何度も繰り返されている。内容はわからないが、ランバートはチャスの提案には反対のようだ。
しばらく話したあと、チャスは今度はハナのほうへと移動した。
チャスの声は聞こえないけれど、ハナの声は大きいから絵里のところまで届く。
「そうだねぇ…………でもそれは……本気かい? ……それはそうなんだけど……本当にいいのかねぇ……」
途切れ途切れに聞こえるハナの声からは、反対こそしていないが積極的に賛成してもいない様子がうかがえる。
(馬車に送り返そうっていう話じゃないみたいだけど……)
ランバートもハナも難色を示すような提案なのだから、あまり期待できそうにない。
ハナと話し終えるとチャスは再びランバートのところへ行った。ランバートはしぶしぶという態で頷き、チャスは絵里のところに戻ってきた。
何を言うのかと絵里が警戒していると、チャスは確認なんだが、と尋ねてきた。
「馬車には戻りたくねぇんだな?」
前方を指さしてから両手で×を作るチャスに、絵里は頷く。
「はい」
「乗ってた馬車以外、たとえば荷馬車に乗るのも嫌か?」
荷馬車? と絵里は首をかしげる。そういえばハナの孫が荷馬車で仕事をしていると言っていた。そこに乗るということだろうか。
そうだったらありがたいけれど、それならランバートとハナの反応が解せない。ハイラムだったら、一般人が下働きをしているところに救世主が乗るなんてと反対するだろうけれど。
(もしかして、守りにくいからダメ、とかかな)
下働きの乗る荷馬車となれば、そこは針や刃のついた道具を持っている人がいる、広くない囲まれた空間だ。外からの魔のものに警戒し、中にいる人も警戒し、というのは護衛役としては避けたいだろう。
「荷馬車と言っても通じねぇか。見てもらったほうが早いな。こっちだ」
チャスはちょいちょいと指を曲げて絵里を招くと、行列の後方へ歩いて行った。
「これこれ。この荷馬車に乗るってのはどうだ?」
チャスが指さしたのは幌のついた荷馬車だった。ぐるっと後ろに回り込むと、そこにはチャスと同じくらいの歳に見える青年が腰かけていた。
「ただし相乗りになっちまうんだが」
チャスの説明をよそに、絵里の目は青年にくぎ付けになっていた。
青年の瞳は深みのある紅色。この世界に来て様々な色合いの瞳を見たが、こんな色は初めてだ。ピンクゴールドの癖のない髪はひとつにまとめられ、さらりと肩から垂れている。
ゆったりとしたローブを着ているが、そこから見えている手足は華奢だ。
馬車に乗っている人は別として、このあたりにいる徒歩で旅をする人々は皆、健康そうな身体をしているから、青年の風体はかなり異色だった。
青年を見ていたせいで荷馬車から遅れそうになり、絵里は慌てて足を動かした。
歩きながらも目を見張っている絵里をどう思ったのか、チャスは口唇をゆがめた。
「……だよな。やっぱり驚くよな。こいつはユエン。オレの兄だ。ユエン、これが前話した救世主のエリィだ」
「兄……?」
絵里はさらなる驚きに、ユエンを見直した。
(どこにも似てるところがないよ?)
髪や瞳の色、体型、受ける印象、どこをとっても共通項がみつけられない。顔だちも、やんちゃな感じのするチャスに対して、ユエンは穏やかでやさしげだ。
絶句している絵里に、チャスは暗い目で言った。
「見ればわかるよな。ユエンは……なんだ」
「え?」
チャスの言葉が聞き取れなかった。正確に言えば、翻訳が働かない箇所があった。
意味がつかめず、絵里はチャスの顔を見る。
チャスは自嘲するようなゆがんだ笑みを浮かべた。そんな表情をするチャスを絵里ははじめて見る。
「……やっぱり一緒にいるのは抵抗あるよな。うん、悪かった。忘れてくれ。何か別の方法を考えるわ」
チャスは何かを振り捨てるように首を1回だけ横に振り、離れていこうとした。その腕にユエンの手がかけられる。
「なんだ?」
聞かれたユエンは口唇をわずかに動かした。声は出ていないが、それだけでチャスはわかったらしい。
「知らないって……?」
ユエンはチャスに頷いて、絵里の目をじっと覗き込んだ。
(きれいな紅……ザクロの紅だ)
ユエンの瞳の透き通る深紅はとてもきれいで、吸い込まれそうな気分になる。
どのくらいそうしていただろう。
ユエンは絵里から目をそらし、難しい顔でうつむいた。
「?」
なんだったんだろう。
ユエンが自分の思考に沈んでしまったので、絵里はチャスの顔を見上げた。
「あんたは知らなかったんだな。ユエンは人とは違う……の力を持ってるんだ」
翻訳されない部分が今度は少し聞き取れた。セヴァロン、あるいはサバロン、だろうか。
「疎まれることもあるから、あんたもそうじゃないかって思って、おかしな反応をしちまった。すまない」
そう言う顔はいつものチャスに戻っている。
「で、どうだ? ユエンと一緒に荷馬車に乗っていくか?」
ユエンの隣を指さして、チャスは絵里に尋ねた。
「わたしは助かりますけど……」
絵里はユエンを見たが、彼はさっきからずっと難しい顔で考え込んだままだ。ユエンのほうは気が進まないんじゃないだろうか。
絵里の視線をたどって、チャスは絵里が迷う理由を察したようだった。
「ああ、ユエンなら大丈夫だ。気にしなくていい」
あっさりとチャスはそう言う。まだ迷う部分はあったけれど、ユエンのことをよく知っているチャスが言うなら大丈夫なのだろう。絵里は頷いた。
「それなら、お願いします」
「ん、わかった」
チャスはそう言って絵里の後ろに回り込んだ。
「!?」
ふいに抱き上げられて、絵里は驚いた。強く吸い込んだ息が喉で音を立てる。
(え、これってお姫様抱っこ?)
絵里があたふたしていると、よっ、とチャスはかけ声をかけて、さらに絵里を持ち上げ……荷馬車に乗せた。
(お姫様抱っこじゃなくて、積み込みかー)
慌てた自分が恥ずかしくて、絵里はがくりと頭を垂れた。
乗せられた荷馬車の中には木箱や樽がびっしりと積まれていた。ユエン1人なら寝転がれるくらいのスペースは空いているが、荷物の圧迫感はかなりのものだ。いくらロープがかけられているとはいえ、崩れて来たら荷物の下敷きだ。
絵里はユエンと同じように脚を外に垂らして座った。
「1つ頼みがある。ユエンにはできるだけ話しかけねぇでもらえっかな。そっと静かに放っておいてほしんだ」
チャスはユエンを示し、次に顔の前で手をぱくぱくと動かしたあと、両手で×を作る。
わかったと頷いてみせながら絵里は思う。
(もしかしてユエンさんは喋れないのかな)
ここに来てから一度もユエンの声を聞いていない。
(あ、もしかして……)
ランバートが、絵里がこちらの世界の言葉を話せないと聞いて、チャスなら慣れているだろうと判断したのは、ユエンのことがあってなのかもしれない。
絵里はおとなしくユエンの隣に座って、脚を揺らした。
歩いてほてった脚に、風が当たって心地良い。
(靴も脱いじゃおう)
絵里はいったん脚を引き上げると、靴を脱ぎ、巻いてあった布も外した。
素足になって脚を垂らす。
締め付けられていた足が解放され、重い靴もなくなって、とても快適だ。
うれしくて脚をぱたぱた動かしていると、チャスが片手で顔を覆って横を向いた。あれ、と思って横を見れば、ユエンも宙を仰いで目をそらしていた。
「もしかして、靴を脱ぐのって失礼なことだったりします?」
絵里のいた日本では靴を脱いで過ごす時間が長いけれど、寝るとき以外はほとんど靴を履いて過ごしている国もある。日本の常識がこの世界では非常識、なんてことも当然あるだろう。
「あー、そのー……人前でいきなり脱ぐのはやめてもらえっかな。こう……慎みとか恥じらいとか、いろいろあるだろ?」
かなり言い辛そうにチャスが言う。
「つつしみ……あっ」
絵里は急いで脚を引き上げ、ドレスの下に隠した。
それを横目で確認し、チャスはほっとしたように顔を覆っていた手を外した。
チャスの反応からして、この世界では素足をさらすのは下着姿を見せる程度の恥ずかしい行為ではないかと推測される。
(ああ、それで)
絵里は1つ思い当った。
この世界に召喚されたとき、絵里は血のりつきの衣装に素足だった。
あの場にいた人々が目をそらしていたのは、血まみれ、かつ下着姿と同様な姿で出現した絵里を見ていられなかった、ということもあるのだろう。
(ほんっと最低の召喚だったってことね)
いまさらながらに絵里はそう実感したのだった。




