◆その12 ~ハナさんの事情
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ミュリエル姫にお茶をごちそうになると、絵里はランバートに送られて行列の後方へと戻った。
姫が馬車に戻り行列は動き始めていたが、このあたりはまだ動き出す気配もない。
「チャスもハナもいないな」
元いた場所に戻ったが、2人とも姿が見えない。
待っていれば戻ってくるだろうが、早く靴を履き替えたかったこともあり、絵里は探しにいってみることにした。
後方での休憩は、もちろんお茶のテーブルなどなく、みな思い思いに立ち話をしたり、地面に敷物を敷いて足を伸ばしたりしていた。
10歳くらいの子供から40歳過ぎぐらいまで。男女の比率は同じくらいだが、男性は明らかに戦闘要員と思われる人が多く、女性は下働きと思われる人が目立つ。
(みんなが歩いて旅をしてるんだから、わたしもいけるよね)
まだ疲れてはいないけれど、やや足のむくみが気にかかる。歩くと言ったからには貫きたいから、つい足弱そうな人を目で探して安心しようとしてしまう。
(あの子たちは兄妹かな。小さいのに、魔物退治の旅に参加してるんだ……)
男の子が10歳ぐらい、女の子はそれより2つ下ぐらい。どちらも金茶の髪に青い瞳、頬にそばかすが散っているのが愛らしい。
逃げる男の子を女の子が追いかけて、2人はきゃっきゃと笑っている。
「ほら、そろそろ出発だよ」
「はーい」
呼びかけられた子供たちは素直に返事をし、声をかけた人のもとへと走っていった。
「ハナさん?」
子供が抱きついた相手は、絵里が探していたハナだった。
「おや、救世主様はお帰りだったのかい。待たせてしまって悪かったね」
「いいえ。その子たちはハナさんのお子さんですか?」
「え、なんだい? この子たちのことかい? あたしの孫だよ。ほら、ティム、ホリー、挨拶おし」
ハナに背中を押され、ティムがはにかみながら小声で、こんにちはと挨拶する。
「お兄ちゃん、もっと大きな声でごあいさつしなきゃだめだよー。あたしはホリー、こっちはお兄ちゃんのティム、よろしくね」
妹のホリーは人見知りする様子もなく、はきはきと挨拶した。
「エリィです。よろしくね」
絵里が挨拶を返すと、ホリーはきょとんとしてハナを見上げた。その頭をホリーがくしゃくしゃと撫でる。
「救世主様はあたしたちとは違う言葉を話すんだよ。でも言ってることはきっと同じさ。さあ、そろそろ戻らないと置いてかれちまうよ」
ハナは一度ずつティムとホリーを抱きしめると、列の後方へと促した。
「あの子たちは娘の忘れ形見なのさ」
2人が行ってしまうと、ハナはランバートに説明した。
「村が魔のものに襲われてね、娘も旦那もやられちまった。引き取ったものの、あたしはもうこの旅に雇われることになっててね。こんな危険な旅に連れてきたくはなかったんだけど……」
頼める人がいなくってね、とハナは肩を落とす。
村が襲撃されたと聞いた時点でなら、この仕事を断ることもできた。けれどまさか、その襲撃で娘夫婦が命を落としていただなんて、想像もしていなかった。
襲撃を受けたと聞き、何か手伝えることはないかと食べ物や日用品を抱えてついた村で悲報を知り、残された子どもをどうするかの算段、弔いや家の処分などをし、2人を連れてこちらに戻ってきたときには、仕事はもう断れない段階にきていた。
誰か預かってくれる人を、と探したのだが、魔王退治の旅となれば預かる側はハナが帰ってこられないのではないかと懸念する。
結局、預かってくれるという人は見つからず、ハナはティムとホリーも一緒に旅に出られるように交渉するのが精いっぱいだった。
「一緒に歩かないのか?」
「まだちょっと歩くのは大変そうだから、荷馬車の中の仕事を手伝ってるんだ。簡単な繕いものをしたり、まぐさを切ったり。それほど大したことはできないけど、あの子たちなりにがんばってるよ」
ハナはふっと息をつくと、気持ちを切り替えた。
「行列が動き出す前に、救世主様の靴を替えないとね。ランバート、服の件は聞いてくれたかい?」
ハナの問いに、絵里はあっと思う。
(すっかり忘れてた。きっとランバートさんは忘れちゃうだろうから、話を振ろうって思ってたのに)
これでまたしばらくはドレスで歩きになりそうだ。
絵里はそう覚悟した。けれど。
「ああ。『救世主様の品位を崩さない衣装に限ります。町娘の恰好などもってのほかですよ』だそうだ」
ランバートはハナからの依頼を覚えていて、絵里がお茶をしている間にハイラムに聞いておいてくれたようだ。とは言っても、
「品位を崩さないって、どんな衣装なんだい?」
とハナに聞かれると返事は短く。
「知らん」
絵里の服装になど興味ないランバートだから、ハイラムの返答をただ持ち帰ってきただけになってしまったのも、仕方ないことなのだろうけれど。
「やれやれ。お偉いさんの考える品位ってどんなもんなのかね」」
ハナは空を仰いだ。
服をどうするかはいったん保留して、絵里は靴だけを履き替えた。
さあまたがんばるぞと列について歩き出す。
このあたりは町も点在し、街道も整えられている。むきだしの土はアスファルトのように平坦ではなく、馬車のわだちのあとがでこぼこしていたり、石ころがあったりはするが、歩きにくくはない。
学校の校庭の色と比べると足元の土は赤っぽい。この世界の土自体がそうなのか、この馬車特有なのかは、歩き始めたばかりの絵里には判断できなかった。
「悪い、遅くなった」
歩き始めてしばらくすると、チャスが小走りに追いついてきた。
そういえば絵里が姫に呼ばれたとき、ユエンの様子を見てくると言っていた。
誰か知り合いが一行の中にいるのだろう。ハナと同じように、なにか訳あって別々で行動しているのだろうか。
聞いていいものかどうか判断つかず、絵里はおかえりなさいとだけ言ってチャスを迎えた。
「そっちはどうだった?」
「別に」
護衛をしにいって何事もなく戻ったのだから、ランバートにとってはそれがすべてだ。
「馬車を降りたことを知って、お姫様が心配してお茶にさそってくれたみたいです」
「大丈夫だったみたいだな」
ランバートと絵里からの返答はどちらも、チャスにとってはっきりと内容がわかるものではないが、大体の雰囲気でそう判断したらしい。
「あと、お姫様から少し言葉を教えてもらいました。伝わるかな……『タ・トフ』」
唯一覚えた言葉を口にしてみる。
「うーん、オレの飲みさしでよければあるけど、救世主様にそんなものを飲ま……」
荷物から水筒を取り出したあとで、チャスは気づく。
「おっ、こっちの言葉を覚えたのか?」
「はい、1つだけですけど」
指を1本立てて答えながら絵里はあれと思う。
姫のもとを辞してから、こちらの世界の言葉を意識することがなかった。あの副音声もどきはもう聞こえないのか。
絵里はチャスの口元に注意を払いながら耳を澄ませた。
(あ、聞こえる……)
話し声の裏で、小さくこちらの言葉が聞こえる。それはチャスの口の動きとあっていた。
簡単な単語ならともかく、普通に話している言葉は聞き取りが難しい。
少しでも聞き取れないかとがんばっていると。
目の前に水筒が突き出された。
「ほい。じゃあこれ」
「え?」
反射的に受け取ったけれど、チャスがどうして水筒を渡してくれたのかがわからない。
(チャスが話すのをずっと聞いていたのに……)
こちらの世界の言葉に集中しすぎたのだろうか。
「全部飲んでもいいからな」
ミュリエル姫のところでお茶を飲んできたばかりから、のどは乾いていない。けれど、いらないと返すのも悪い気がして、絵里は形ばかり口をつけた。
ピリッとスパイシーな風味がするが、後味はさわやかだ。
絵里はもう一度、話しかけてくるチャスの声の副音声を聞き取ろうとし……そして気づく。
こちらの世界の言葉を聞いているときは、翻訳された声は聞こえてくるけれどその意味が捉えられない。
翻訳の意味を捉えている間は、こちらの世界の言葉が聞こえない。
わかるのはどちらか片方のみ。
確かに、翻訳が機能していれば、こちらの世界の言語を聞き取る必要はないのだから、片方で十分なのだろう。
(ちゃんと機能していれば、ね)
絵里は強行された召喚を恨めしく思った。




