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一章

 齢十七にして国王を務める黒髪の少年――ロウ・アペレース・エレイネは心地のよい日差しを浴びながら城の中庭を歩いていた。

 ふう、と息を吐き、凝り固まった肩を回す。

 一国の王といえども、だからこそ業務というのが多忙にあった。書類、書類、書類――紙束に延々と判を押していくというのは、手慣れた日常業務であれどやはり疲れる。内容にしっかりと目を通さないといけないので流れ作業ともいかず、疲れ切った目を労わるように目頭を押さえた。伸びをし、雲のたゆたう空を見上げる。透き通った青い瞳は、しかし著しい疲労に陰りを灯している。

「まあ、でも――」

 言い聞かせるように。

「今日の仕事もひとまず終わりだ――他の国に比べたら、きっと、絶対、書類の量だって少ないほうだろうし」

 人員過多な他国のほうが圧倒的に国王の負担は減っているだろうけれど、と思いはすれど、頭を振って無理やり忘れる。父の代からの方針である。そして己の方針でもある。文句をいっても仕方がない。

 人件費の削減、というと正確ではないかもしれない。それはあくまで手段であって、過程であって、目的ではない。それに、それこそ父の代からの習わし――慣例である。もっというなら、政策だった。

 なるべく平等に富を行き渡らせるための政策。書類整理ごときを貴族諸侯の大臣に任せて余計な賃金を与えるよりも、働くに働けない民、ひいては孤児といったものの生活にあてる。むろん、他にも色々と幅広く、せせこましく無駄を省いている。城内だけでなく、国内全体で。

民衆は国の宝である――なればこそ、一粒も、一人も取りこぼすことのないように。国をあげての政策だった。

 それが功を奏して、今ではこの国にスラムといったものは存在しない。貧富の差はどうしても生まれてしまうけれど、誰しもが恵まれているとはいえないけれど、それでも路頭に迷うものはいない。それを許さないというのが、親子二代に渡る絶対的な命題だった。

「まあ、だからこそいつも火の車なんだけれど……」

 豊かとはいえない。食料に関しては肥沃な大地のおかげでそれほど困窮しているわけではないが備蓄があるわけでもなく、これといった名産品もないので他国との国交も疎らで国庫はあってないようなもの。強いて豊かといえるものをあげるなら、人々の心という抽象的なものしかない。

 でも、

「それだけは胸を張って言えることでもある」

 それで十分じゃないか、と憂いなく頷いた。

 平和ボケしている、なんて言われてしまえば否定はできないが。永久中立国である、平和でなにが悪い。

 そんなことを思いながら歩みを進めていると、わー、とか、きゃー、とか楽しそうな声が聞こえてくる。幼い子供特有の、甲高い声。

 今日も今日とて平和だなあ、なんて、その声だけでいろんなことがどうでもよくなってくる。

 日課、というほどルーチン的に規則正しくはないものの、それでもほとんど毎日顔を出す広場へと、若き王は軽い足取りで向かって行った。



 初めてエレイネ王国に訪れた少女、イリスは城下町をある程度見回ったところで、落胆とも取れるため息を吐いた。後ろで一つに結った長い黒髪を揺らし、再度、見渡せる範囲にその青紫色の瞳を向ける。

「平和、ね……」

 平和を謳う国、とは聞いていたものの。

 謳うというよりも――平和そのもの。

 印象としては、片田舎。それも国ひとつという、小国とはいえ、ずいぶんと大きな片田舎である。国全体をして、のほほんとしている。これを国と、しかし呼べるのだろうかと疑問に思うほどだった。少なくとも生まれてこのかた十八年、こんなにも和やかな国は見たことがない。国に入るときの検問だって、あれでは形だけのものである。ただの挨拶だった。

 血生臭さは欠片もなく、緊張感も霧散する。ありとあらゆる国々が覇権を巡って血みどろの戦を繰り広げているというのに、永久中立国というだけでこれほどまでに違うものなのか。否、こうまでなるともはや別世界のようですらある。

 なんにしても、

「歯応えのなさそうな国ね」

 というのが感想だった。

 まあ、歯応えなんてなくていいのだけれど。感触なんてなくていいのだけれど。いつの間にか溶けてしまっているような、そんなもので。

 剣呑な眼差しで遠く聳える城を――いや、そこまで遠くもなく、また聳えられるほど巨大でもない城を見据える。城、と言われなければそうとも思えない程度のそれを見据える。

「できるだけ手早くすませて帰りたい……」

 気だるげに呟く。

 この国に、長居したくなかった。こんな、穏やかで、平和な国には。

 まるで自身の罪深さを思い知らされるようで――反吐が出そうになる。

 太ももに結んだベルト、そこにある短剣に指先を這わせた。切れ味が良いとはいえないが、人ひとりの命を奪うには十分。それでいて目立たず、扱いやすい。いつも使っている、愛用の武器。

 イリスは暗殺を生業としていた。それ以外の生き方を知らないし、想像したこともない。

幼い頃に過ごしたスラムでの生活、そこから得られたものは盗みと殺しの腕。騙し嘲り意地汚く生き延びる術。

どこの国でも珍しくはない、スラム上がりのゴロツキ風情――それなのに。

「……平和、か」

 纏った外套を風になびかせ、消え入るような声で呟いた。

 もしも自分がこの国に生まれていれば、どんな人生を送っていたのだろう……、想像せずにはいられない。周囲にある人々の顔は一様に明るく、和気藹々としていて、誰も彼もが幸せそうで。その風景の一つに、私もなれていたのだろうか。

 羨ましいとも、妬ましいとも思わない。そう思えるほど、イリスはありふれた幸せがどんなものであるのかを知らない。おとぎ話でも読んでいるような、そんな感覚。

 そういえばこんな話があったな、とふと思い出す。スラムのゴミ溜めに捨てられていた絵本。勇敢な勇者が剣一本でドラゴンに立ち向かい、お城に囚われたお姫様を救い出す。あの話は幼いながらに憧れたものだった。ドラゴンも勇者も、この世界に存在していないけれど。囚われのお姫様みたいに、誰かが救ってくれないだろうかと。

 馬鹿らしい、と今なら思う。それでも憧れというのは消えてくれない。どこかで夢を見る自分に、涙が出そうになる。

 頭を振って、情けない思考を振り払う。平和ボケした国にやって来たせいか、不要な考えが頭を駆け巡ってしまう。

 今回の目的はそう、お城に囚われたお姫様ならぬ、お城でふんぞり返っているこの国の王を暗殺すること。それが与えられた任務。そのことだけを考えていればいいのだ。

 さて、では段取りをしないといけない。国に潜入するのは思いの外簡単だったが、城となるとそうもいかないだろう。隠れて潜り込むか、それとも宮仕えの女中にでも変装するか。それでも王に直接この短剣を刺し込むには、まだ足りない。確実に、かつ迅速に。自分は使い捨ての駒だ。他にもこの国に潜入させている暗殺者を用意しているはずだ。そいつらに先を越される前に任務を達成しなければ――

 歩を進め、地理を頭に叩き込みながら推考する。そうこうしていると、幼い子供の甲高い声が聞こえてきた。

 前を見据えてみれば、イリスと変わらないであろう歳の少年が小さな子供たちに引っ張られながらこちらに向いて歩いているのが確認できた。困ったような、それでも満更でもなさそうな表情。四、五人子供がいるが、皆彼の兄弟なのだろうか。仲睦まじい姿に、イリスは頬が綻んだ。

 スラム育ちのイリスにも、家族は居た。母と父、兄が居た。家族の温もり、その尊さを知っていた。だから、素直に喜ばしいものだと思うことができたのだ。

 しかし、

「おーじ、おーじ! ほらぁ、早く行かないと行商のおじちゃん帰っちゃうよ!」

「はいはい……それと僕は王子じゃなくて王だからね、一応」

「でもみんなおーじって呼んでるよ?」

「うぐっ……」

 そんな会話が耳に入り、イリスは唖然とした。



 城に設けられた孤児院、そこの子供たちの相手をするのがロウの日課だった。幼いというのは恐ろしい。興味の赴くままに突き進み、疲れたら容赦なくおんぶに抱っこを強請る。そのくせこうして、毎日のように城下町に繰り出してはその辺を練り歩こうとするのだから手に負えない。

 まあしかし、こうしていると自分自身楽しいわけで。癒されるような、そんな気分になる。平和だなぁ、と実感できる。だから明日も明後日もまた頑張れる。先のことを思うと、頭が痛くなりそうだけれど。

 ふと、視線を感じて顔を上げる。少し先にこちらを見て驚いたような表情を浮かべている少女を見付けて、首を傾げた。格好からして、他国の人間だろうか。

「……王子?」

 それは自分に向けて発せられたものなのだろうか、そう疑問する程度には上の空な発言に思われたが、ロウはあまり気に留めず、

「王子じゃなくて王です、一応」

 一応、と付けてしまうのは癖みたいなものだった。威厳が足りないという自覚はあるのだ。それでもまあ、威厳なんてあってもなくてもやることは変わらないのでいいのだけれど。

 ともあれ呆けた顔をしていた異国の少女はロウの言葉を聞き、それでもまだ信じられないとでも言うような表情。縋る子供たちも、不思議そうに首を傾げていた。

「おーじはおーじだよ?」

「おーさまじゃなくておーじだよ!」

「いや、だから王だって。陛下だって」

「えー」

「なんで不満そうなのかな……」

 子供たちの心底不満そうな顔に嘆息。確かに民はおろか臣下でさえも未だロウを王子と呼んで憚らない者も多い。それを咎めるつもりはないし、王という肩書きに思い入れもない。だが己から否定する理由もないので、いつも添える程度に抵抗はするのだった。

 と、訝しげな表情のまま少女が口を開く。

「……ロウ・アペレース・エレイネ陛下?」

「はい。見たところ異国の方のようですが、この国に来たのは初めてですか? これといって観光できるような場所はありませんが、どうかこの国の人々の心の豊かさを感じていってください」

 国王らしく慇懃に一礼してみせる。どうだ、礼儀作法は完璧だ。気品だってきっと、多少は、あったはずだ。王様に見えただろう。

 言い聞かせるように思い、少女の顔を見遣る。

 ……頭を抱えて、唸っていた。

「おかしい……あんまり若すぎるっていうのもそうだけど、一国の王が護衛も連れずに城下町を堂々と歩いてるなんて……やっぱり偽物――だけどそれらしい格好もしてるし……」

 あれ、何か間違っただろうか。

 ほんのりと、気恥ずかしいような気まずいような冷や汗が垂れる。

 ああ、いや、そうか――普通王族がフラフラ出歩いているのはおかしいのか。小さい頃からそうしてきたから、何の疑問も抱いていなかった。それが許されるような国であるから、疑問を抱く必要すらなかった。父さんもよく城下町の飲み屋梯子してたし。

 根本的な常識の違い。見知った行商人や旅人以外に異国の人間と接したことが殆どなかったが故の、経験不足。しかして改善するようなことでもなし、軽く説明すればいいだけか。

「この国は呑気なものでしてね。王侯貴族庶民は皆等しく、区別なく接するのが習わしなんですよ。まあ、もちろん全くの平等というわけにはいきませんが……出来得る限りはね。それを体現し示すのが王族の役目であり、父の代から続く教えでもあります」

 口から出まかせ、というのでもない。そういった経緯があるというのは事実だ。今では日常として慣れ親しんでいるので、普段は全く意識していないだけで。

 ここまでして、しかし異国の少女の顔は晴れない。複雑そうな表情でいて、計りかねている風でもある。

「まあ、この国に数日滞在していただければ追々慣れてくると思いますよ。国風と言いますか、そういったものは自然と感じられると思うので」

「は、はあ……そうでしょうか」

 苦笑。

 こればかりは口で説明できない。

「おーじ、おーじ! はやく行商のおじちゃんのとこにいこうよ!」

「今日はあまいお菓子買ってくれる約束でしょー?」

「はいはい、わかったよ。それじゃ、僕はこれで失礼します」

 幼く無邪気な少年少女に手に袖を引かれ、挨拶もそこそこにロウは歩き出した。

 傍目で見た異国の少女の最後の顔は、やはり怪訝そうだった。



 さて。

 どうしたものか。

 イリスはしかしこれといった思考もなく、浮かぶに浮かばない悩みに呻いていた。

 本当にあれがこの国の王なのか。そうだとすれば、どれほどこの国は平和ボケしているのだ。呑気なんてものではない、今まさにかの国王の首を狙う暗殺者と相対していたのだ。あまりにも拍子抜け、調子を崩され、信じ難く、ある意味では手も足も出なかったが。こんなことは初めてだ。事前に目標と接点を持つことはこれまで幾度もあったが、こんな、どうすればいいのか微塵も思い浮かばないような出会いは。

 彼を、殺す?

 ――出来るのか?

 イリスは自分を、一端の暗殺者であると自負していた。感情を押し殺し、闇に紛れ、音もなく命を絶つ。何度だってやって来た。失敗したことはない。失敗する予感さえしない。

 そうだというのに。

 かの国王、ロウ・アペレース・エレイネを殺すという想像が微かにも浮かばなかった。

 失敗がどうとか、そういう話ではない。そもそも彼に刃を向けられる気がしない。如何に暗殺家業を営んでいるとはいえ、それは食べるために仕方なくだ。殺しが好きなわけではない。それも相手は、どこにでもいるような純朴な少年。感情を押し殺したところで愛用の短剣を抜くことは出来ない。それをしてしまえばいよいよ人の道を外れてしまいそうだと躊躇する。

 これまでの暗殺対象者は多かれ少なかれ悪事を働いていた。殺すに値すると思えるだけの下衆だった。だから躊躇いはしなかった。

 止まっていた足をおもむろに動かし、歩を進める。当て所もなく、過ぎ去った少年の行った方向とは逆方向に。

「どうしたら良いのかな……」

 零れた弱音は誰に聞こえるものでもなく。

 誰かに向けたものでもなく。

 ただ――それだけの声だった。


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