一章 パート4
ページを開いて下さりありがとうございます。
今回は少し長くなりました。
ようやく、舞台となる桜花崎学園へ到着しました。
襖の隙間から射す蛍光灯の光で秋久は目を開ける。
布団から立ち上がり光の指す方へ歩み寄り、光の先を覗きみる。
そこには、母親と双子の兄の勇人が向かい合う形でテーブルを挟んで座っている。
『勇人!あなたに兄弟なんて、弟なんて居ないのよ!』
母親の鋭い怒声が響く。
『さあ、勇人。あなたは立派な人間になるのよ。だって……』
そこから先はなぜか声が途絶えた。
しかし、それでも母親が何を言っているのか理解できた。
あなたはあたしのたった一人の子供なんだから。
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とっさに体を起こし辺りを見渡す。時計は現在午前三時五十分を指している。
よく見る夢なのですっかり慣れてしまい、今では目覚まし代わりになっている有様だ。
「さてと、そろそろ行かねぇとな」
(しかし、朝五時とは随分と早いな)
スーツに着替えながらそんなことを考える。
二〇一〇年四月二日金曜日、桜花崎学園では始業式がある日らしい。
おかしな話である。始業式当日にいきなり教師になる訳だから。面接や履歴書などいった資料選考を一切行っていない。ただ、資格については大学生の時に教員免許は取っているから問題は無いだろう。
(考えても仕方ない。とりあえず行ってみないとな)
素早く支度を済ませると学園に向かった。
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まだあたりは薄暗く人通りが少ない。とりあえず学園のある西区画に向けて歩く。
ふと、目の前に地図片手にキャリーケースを引く一三歳程の中性的な顔立ちをした小柄の癖毛の少年がこちらに向かって歩いて来た。
「あのぉ、桜花崎学園ってどちらに行けばあるか分かりませんか?」
目が合うと同時に道を尋ねて来た。
どうやらこの少年も桜花崎学園に用があるらしい。
「桜花崎学園はあっちだぞ」
そう言って少年が歩いて来た方向を指さす。
「あれーおかしいなぁ? 地図は間違ってない筈やけど。どないなってんのや?」
関西弁を言いながら癖毛を片方の手で押さえながら少年は悩む。
「おかしいのは地図の見方の方だよ」
とりあえずツッコミを入れ、地図の見方を教える。
「いいか、お前の向いてる方角の先にコンビニがある交差点があるだろ?」
秋久の指した方に二車線の交差点があった。
「後ろは、ほとんど片側二車線の道路ばかりだろ。何かを目印にしながら地図を見ろ」
少年は言われたとおり地図を確認する。
「あっ、地図の右側、東に向かってました」
少年は恥ずかしそうにうつむく。
「気が付いて良かったな。俺も丁度そこに用があるから一緒に行くか」
少年の肩にポンと手を置き、再び歩き始める。
「あ、ありがとうございます」
「気にすんな、目的地が同じだからな」
「……」
「ん、どうした?」
「いえ……なんでもないです……」
控え目に返事をすると少年はキャリーケースを引きながら秋久についていった。
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桜花崎学園の前まで来た。時刻は午前四時四十五分、朝日が町を照らす。正確には学園のある西区画とを隔てる人工の川を渡るための唯一の橋の前に二人は立っている。
「さて、四時五十分か。ここまで来たら一人で行けるだろ」
秋久は少年の方を見る。
「はい。ありがとう御座いました。学生寮に行かなければいけないので失礼致します」
癖毛の少年は律儀に礼をするとキャリーケースを引きながら去っていく。
(礼儀正しい子だな、良い家柄の子なんだろう。そんじゃとっとと行くか)
秋久も理事長の待つ部屋へと向かった。
理事長室の前に立っている。
さすがにこの時間帯は生徒も教員もほとんど居ない。
扉をノックしようと手を出したところで中から老人の枯れた声が聞こえた。
「入りなさい」
突然の声に秋久は少し驚くが、すぐに我に戻り扉をノックして開けた。
「失礼します」
頭を下げ扉を閉める。
部屋の奥に理事長らしき老紳士が立派な卓についている。
「駿介が言う通り中々頼もしい若者だな」
「秋久雅人ですよろしくお願いします」
秋久は扉の横で深くお辞儀をする。
「椅子が無くて申し訳ない。私は桜花崎学園の理事長を務めている夜代耕介だ。そして、君の後ろに居るのが私の子の結だ」
振り返ると難しそうな分厚い本を読んでいる淡いベージュのブレザー姿の人形と見間違えるほど色白の肌をした無愛想な目をした少年が一人いた。
少年はこちらに全く興味が無い様で見向きもしない。
「さて、これが当学園の資料だ」
手渡された資料を確認しながら秋久は気になる記載について確認する。
「理事長、一つ尋ねたいことがあるんですが?」
「ん、何かね?」
「資料には清掃員を雇ってないと書いてあるけど。どういうことですか?」
秋久の疑問に理事長は苦笑する。
「人件費の削減のためだよ。他にも警備員も三名しか雇っていない。売店も私が空き時間を使って運営している」
切り盛りするのは大変なんだなと心の中で呟いた。
「ただ、その分浮いた経費は子供たちの教育のために使うようにしているよ」
理事長は窓を見ながら語る。
「私の様な老いぼれには夢はないが将来に託せるモノはある。幼い時、駿介と一緒に描いた夢も大体叶った後はそれを維持し、さらに後の世代の為に最善を尽くすのが老い先短い者が担う役目だと思う、私の代の父母たちが行って来たように次は私たちの番だ」
そう言って理事長は振り返る。
「話は変わるが、結はわたしの実の子ではない。結は路地に捨てられた過去があってな。だからか他人には心を許していない」
結は何も言わず部屋を出る。
「彼も悪気はないんだ。私も注意をしているだが、どうにも根底にある何かが原因みたいなんだ」
理事長が結の代わりに非礼をわびる。
「いえ、ところで俺は具体的にこの学園で何をすればいいんですか?」
「君には本学園の正規の教員になって貰おうと思ってね。君は国語科の教員免許を持っているそうだな。中等部三年二組の担任をやって貰いたいのだよ」
突然教師になれと言われても何したら良いかわからない。秋久は困惑する。
「行き成り教師として教卓に立つんですか?」
副担任からだと考えていたので突如不安になる秋久に理事長は息子を諭すように穏やかな口調で語りかける。
「心配は要らない、私もサポートする」
長い人生の中で多くのことを経験して来た者の言葉は言い表せられないほどの心強さがあった。
「わかりました。どこまで期待に応えられるか分かりませんけど、出来る限りやってみます」
秋久の言葉を聞いて理事長は表情を緩めた。
「秋久君、君は教育とは何だと思う?」
「自分は人に知識や道徳を教えるのが教育だと考えてます」
夜代の問いを間を開けず返した。
「そうか、君はそう考えるか。ならば私の見解を聞いて参考にして欲しい」
そう言って立ち上がった。
「その道徳を具体的に言えば、悪しき習慣を絶ち良き習慣を残し、資料を公平に調べ最も信憑性のある事柄から歴史を伝え、古来より何を大切に現代まで歩んで来たかを教えて後の世代がそこからより良い国を築いて行けるように導くことだ」
「国の品格とは長い歴史の中で築かれると言う訳ですか」
「そうだ、先人が苦楽を経験し乗り越えたからこそ私たちがこうして今を豊かに暮らしている。それを受け継いで最善を尽くす義務がある」
理事長の言葉は人生の歩み以上の深い何かが感じられた。
「『受け継いで最善を尽くす義務』ですか、自分も何を伝え残せるか考えてみます」
「君のような聡明な若者が多ければ良いのだが。私が期待を寄せていた一人も社会に揉まれて自身を殺してしまった」
少し悲しげ表情を浮かべながら椅子に座る。
「そろそろ職員室に行く時間だろう? 行くといい、何か困ったことがあれば、私が相談に乗ろう」
「分かりました。その時が来ましたら是非宜しくお願いします。それでは失礼しました」
秋久は深く一礼してから退室した。
「結、これでいいのか?」
夜代理事長は職員室側の扉に向かって話しかける。
「問題ない役者は揃った。後は俺が裏から手を回すから心配いらない。人手が何人か必要になるがな」
言葉と共に結が部屋に入る。その表情は先程の無愛想なものと違いどこか和らいだ表情だった。
次回は修正次第上げて行きます。
間隔を空けないよう頑張ります。