一章 パート2
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前回の続きです。
「なっ……いっ……なんだ」
痛みの原因はすぐに理解できた。
秋久は咄嗟に女の握る手を見る。
女の秋久の右手を握り締めている右手の血管と総指伸筋が浮き上がっていた。
至極普通の行為だが右手にかかっている握力が人並どころのはなしではないのだ。右手の骨がきしむような感覚がその握力の異常さを表していた。
秋久はようやく気づく。
この女も黒服たちと同じこちらを狙う敵なのだと。
「気づくのが遅かったようね。聞く話じゃ……高学歴と同格の学があるって聞いたけど、所詮はただの一般人と何一つ変わらない。あたしのような特異体質者にとっては」
秋久は音を上げそうになるのを堪えながら口を開き言葉を発する。
「……ミオスタチン関連筋肥大……か?」
その言葉を聞いて女は得意げに口を動かす。
「フーン、知ってるんだ。最近インターネットでも話題になってるし、格闘漫画好きとかだと良く耳にするし、ネタとしても面白いんだろうけど」
そこで一呼吸挟んで。
「本当にただ筋肉が自然に発達していくだけだと思ってるんでしょうね、大抵は」
その言葉の意味を秋久は知っている。
そもそもミオスタチン関連筋肥大の人がどうして筋肉が異常発達したり、異質な筋肉が出来たりするのか。
まず、そこを理解する必要がある。
この体質で良く見られるのは筋倍加突然変異と呼ばれる現象がある。
主な原因として遺伝子の変異がある。
そして、その体質を持つ者は骨格筋(体を動かすための筋肉)が著しく発達する……はず。
だが、彼女の体は到って普通の女性らしいものでその特徴と一致しない。
「そんな都合良く出来てないのよ」
女はウザそうな口調でさらに言う。
「代謝が早いからいくら食べたってすぐに筋肉の成長にまわされるし、それに筋肉ばかり発達しすぎて他の部分に栄養が行渡らないし、ホント良いことなんて常人より筋力が高いくらいなものよ」
秋久にとってもこの女の言うことが理解出来ない訳ではない。
(俺もこいつのように異質な体質があるしな。分かってやれない訳じゃなねぇけど、あまりに身勝手過ぎるな)
「そぉかよ!」
そう言い放つと素早く軸足を切り替え左手で掌底を女の側頭部に打ち込む、女の右手がこちらの左拳の方に注意を向けたその隙に掴まれた右手を外した。
「っう……やってくれるじゃない」
女は殺意を籠めた目で秋久を睨み付けるがそれで動じる秋久ではない。
「先に仕掛けたのはお前だろ。自分の体質で苦悩するのは分かるが……」
「黙れぇえ!」
突然の怒号に背筋が痺れる感覚がした。
「おまえに……おまえなんかに何がわかる、あたしの何がぁ!」
女の叫びから今まで味わってきた苦痛が伝わってきた。
「そうか、知ったような事言って悪かったな」
秋久はとりあえず彼女の感情を抑えるため謝って、でもな、と一言入れて「自分以外の誰かを否定して恨んで呪ったりしていい理由にはならねぇだろ」と真っ当なことを言ってみる。
(これで少しは落ち着いてくれりゃいいが)
そうね、と女は先ほどとは打って変わって落ち着いた様子で「アンタの言うとおりね、自分の不遇を人に押し付けるのは筋違いね」
ひとまず分かってくれたみたいだ。秋久は少し安堵した。
(本気で来られたら間違いなく勝てないし、そもそもこいつと危険を冒してまでやり合うのは余りにも無理益だし、とりあえず帰ってもらわねぇとな)
秋久はこのままお互い出会わなかったということにして見逃してもらえないか提案をしようとしたが、女の様子がおかしいのがそれをやめさせた。
「ふふ、本当にあなたってどこまでもマニュアル通りね。良くそんなんで生き残れたわね」
女は不敵な笑みを浮かべながら足元のゴミ袋に手を突っ込みそこから拳銃を取り出した。
デザートイーグル
銃身の先端部分が台形状が特徴的なフォルムでマグナム弾を撃ち出す恐ろしいオートマチック拳銃だ。
慌てて後ずさりどうしてこんなところにあるのか考えてところで気付いた。
「……ちっ、こいつも刺客の一人かよ!」
男たちの尾行し始めた時からすでに仕組まれていたのだろう。
おそらく、この女は彼らとは別の組織で、女はネットを使って男たちに誘拐か何かを依頼して秋久を尾行させた。俺が人気のない路地に逃げ込むこと計算入れ、自分は金を払う必要がなくなるように彼らも始末する算段なのだろう。
(助けを求めてきたのも突然態度を変えたりしたのは全部この状況を作るための芝居だったっていう訳か。……やってらんねぇな……)
何一つ見抜けなかった自分が悔しかった。
考えている間にデザートイーグルが秋久の眉間に向けられる。
「ねぇ、最後に一言だけ言い分を聞いてあげる」
不敵な笑みを浮かべながら女は告げる『死の宣告』を。
秋久は平静を保ちながらゆっくりと答える
「それじゃあ……せめて苦しまないように頭を撃ってくれ……」
その言葉に女はやさしく微笑みながら、ゆっくりとトリガー絞る。
(死のうなんて思ってない。一か八か、俺の体質に賭けるしかないな)
ゆっくりトリガーが絞られハンマーが下りていく。
(今だ!)
秋久は防ごうと眉間の前に右手をかざす。
それとほぼ同時にハンマーが撃針を叩く。
ドン、と低く重たい爆音が夜の商店街に響き、秋久は背面からダイブするようにゴミの山に倒れ込んだ。
『弾丸(死)』が右手を貫きそのまま眉間に風穴を開けた。
っと女は思っていた。
(なんとか、無事成功したな。撃たれると同時に眉間の前に手を持って来ないとなんないし、タイミングが早いと狙いを変えられたら終わっていた。やばい、安堵のあまりため息が出そうだ……) ため息を我慢しながら、腕を日光を遮る様に眉間に乗せているため、地面から伝わる足音で相手の位置を探る
(今、相手に生きてることを悟らるのは非っ常にまずい)
ひとりジョークで気持ちを落ち着かせ、タイミングをうかがう。
「一通り調べてみたけど、やっぱり普通は普通……これが限界か」
目標を『始末』したのに、女は残念そうにつぶやいた。
「こいつらも大変ね。同じ雇い主に足止めとして使われて捨てられる。さぞ報われないだろうね。まあ、あたしには関係ないし」
その言葉に相手を気遣う気持ちはない、あるのはやりがいのない仕事の不満だけだ。
(このままどっかに行くまで待とうと思ったが、やっぱなしだ。目の前の馬鹿を一発殴らないと気がすまねぇ)
女の人の命への無関心な態度が秋久の気に障った。
気に入らないのは、仕事だから仕方なくやっているのではなく、どうせならもっとやりがいのある仕事がしたいという考え方だ。
普通の仕事なら当然誰もが一度は思うことだが、人の命を奪うことを仕事と言いながらも、それをやりがいがないとか言っているそんな非人道的なことを目の前言っているのだ。
女が背を向け立ち去ろうとする。
「待てよ」
背後から突然聞こえた声に怒鳴られた生徒のように慌てて振り返る。
目の前に先ほど『始末』した筈の男が立っている。
男の服があちこちほこりを被っているが全くの無傷だ。
女が状況を把握するのに戸惑っているが、男は気にしない。
撃ってみろよ、男がそう言って両手を上げる
(外れた? なら当ててしまえばこっちのもんよ)
男の余裕な態度が気になったが、意識を集中させデザートイーグルを男の再び眉間に向け構え直す。
今度は外さないとトリガーを一気に引く。
ドン、と低い爆音が響き、『弾丸(死)』が秋久の眉間に目掛け飛んで行く。
しかし、今度は命中したと同時にガン、と硬い何かに『弾丸(死)』が弾きとばされ秋久は後方へ倒れ込んだ。
女はこの現象を分析しようとする。
(ったく、痛ってーな。よし、攻守交代だ)
秋久がこの隙を突き一気に間合い詰める。
女が慌てて構え直し撃とうとするが、それより先に右手で銃口を塞ぐ。
結果デザートイーグルは暴発し、女の手が破片で引き裂かれた。
「アァ……ック……ガァ」
女の悶絶など気にも留めず渾身の左ストレートを叩きこむ。女は呆気ないほど無抵抗にそして無様に尻もちをつく。その光景は殴ったというよりトンと押したようなどこか微笑ましく見えてしまうものだった。
(これでも全力で殴ったんだぞ。もっとオバーリアクションとってくれてもいいだろ。やっぱり重量差と筋量差から言ってこれが限界か。でもまあ鼻血は出てるからまだマシか)
スッキリしない手応えだが、精神的ダメージの方は手応えはあるだ。
秋久は悠然と相手を見下ろす。その様子が女にはまだ切り札を残している移り、意識が手の痛みより秋久への得体の知れない恐怖が上回ってただ茫然と見上げている。
それは、魔獣のようにオドロオドロしく、野獣のようにワイルドで、ケダモノのように卑しく、人間の姿にそれらを封じ込められているように映った。
(なんか余計な印象まで持たれて様な気がするが)
そこは気にしない。
(後は、適当に戦意を削ぎつつ帰ってもらうかな)
秋久はゆっくり口を開き言葉を発する。
「なあ、特異体質だとか言ったよなぁ」
相手を見下ろしながらゆっくりと続ける。
「お前がそうなら」そこまで言って一歩前に出て「俺のは『アノミー体質』だ!」そう言い放ち尻もちをついている女のすぐ足元に立つ。
(よし順調だな。恐怖させた後は考える間を与えず、選択肢を突き付けて思考の幅を狭めれば勝手に自滅すんだろ。後は逆上して向かって来ないよう注意するだけだな)
女は追い詰められた小動物のように身体を左右に小刻み震わしながら秋久を見上げる。
『アノミー体質』
現代の科学ではその仕組みを解明出来ていない。つまり、『存在しない』ものだ。とは言ってもその本質は漫画やアニメなどの創作物に出て来る『超能力』と類似点が多い。
ただ、厳密に言えば両者には決定的な違いがあるらしい。
『超能力』は『内的作用による外的効果及び影響』である。分かり易く言えば自身の体内から生じた何らかの力が身の回りに引き起こす現象だ。
例えば、電撃使いの超能力者がいたとすると彼らが能力使う場合、脳から指令が送られ体から電撃が生じるまでの一連の流れが『内的作用による外的効果及び影響』である。
一方、『アノミー体質』はそのほとんどの場合は『内的作用による内的効果及び影響』が主である。
簡単に例えるなら肉質などを変化させる能力がそれに当たる。
だが、秋久の体質の場合は前者で、主に大気中の原子や粒子を体表に収束及び圧縮させる能力である。制限として『脳が意識を集中できる範囲と時間、十分な強度にするには最低三秒必要』である。その制限内では能力は使えるが一度オーバーしてしまえば何度か呼吸を置く必要がある。
「俺の体質を知ったんだ。このまま返す訳にはいかねぇわな普通は。けど、俺はそこまで鬼じゃねぇよ。それでどうする玉砕覚悟で突っ込むか、大人しく尻尾撒いて無様に逃げるか、選べ!」
そう言うと秋久は拳を握り直す。
「ま……待って、今すぐ消えるから。だから勘弁して」
女は慌てて後ずさる。
命を狙って来て随分と都合の良い話だと内心思いながら秋久はさらに睨み付ける。
無言の圧力に押し飛ばされるように女は逃げて行く。
足音が完全に聞こえなくなったところで肩の力を抜きながら大きくため息を付き秋久は壁にもたれた。
次回は近日上げます。