一話
「ねえ、ごめん。ごめんね父さん? 私の聞き間違いであって欲しいから、もう一回、なんて言ったか聞かせて?」
姉は、煙草のライターを探す手を止めて、そう父に問いかけていた。
その日、僕が家に帰ると、玄関には姉の靴と、
平日の昼間というのに親父の靴が置いてあった。
まああの仕事人間にしては珍しい事もあるものだ。
体調でも崩して早引きしたのだろうか?
ちょっと心配して居間を覗けば、点いてもいないテレビを眺める父がいる。
暗いテレビの画面に僕の姿が写ったのか、父がこちらに振り向いた。
「ああ、お帰り。うん、うん。お前らに話があるんだ。
姉さんも呼んできなさい」
そこでちょうど姉が、火の点いてないタバコを咥えやって来た。
うちでは唯一の喫煙者のくせに、自分の部屋では決して喫煙しようとせずに、いつもこうして居間まで来て煙を吐きやがるのだ。
「あれー、どこやったかなー」なんて、何やらゴソゴソと棚を漁っているのはライターでも探しているんだろう。
「それで、話って何なのさ?僕は今日なんて、さっさと風呂に入って映画でも見たい気分なんだ」
コホンと咳払いをし、意を決したように顔をあげる親父。
でも、どこか視線が泳いでいる。
あー、ワーカーホリックな親父がこの時間から家に居て、この態度。
なんだか嫌な予感がした。
もしかすると仕事を辞めたとでも言いそうな雰囲気だ。
「父さんな。仕事、辞めてきた」
……それみたことか。