四話 待ち伏せ
昨日、最早フードを被っていないフードさんを何とか追い払った私は、家へ帰宅していつも通りの時間を過ごした。
それは、屋上での出来事が嘘のように思える一時だった。
そして、今日もまたいつも通りの日常が始まる。登校の準備が整った私は最後に、制服に身を包んだ女子高生の姿を鏡で確認した。美人と称するには少し華が足りない顔立ちは、いつもと変わらない。背が高いのですらりとした体型に見えるが、そろそろ危なくなり始めたお腹まわりも、変わらない……。
肩につく位の長さの髪を最後に整えて、鏡の前から立ち去った。
「行ってきまーす」
母の返事も待たず、私は速やかにドアを閉めた。別に家族仲が悪い、みたいな大した理由は無い。
ここはどこにでもあるような、アパートの三階。学校のことを考えると気は重いが、重力の助けもあって足取りだけは軽やかに階段を下りた。
「おはよう、汐梨」
階段をもう下り切る、という時に、いきなり聞き覚えのある声がした。
「え、フードさっ……」
彼のあだ名を呼ぼうとしたところで、階段を思いっきり踏み外していることに気付く。残りは五段程しか無いが、着地出来ないのであれば危険であることは変わらない。
だが、無様に転げ落ちることもなく、フードさんが昨日のように受け止めてくれた。
「よっ、と。汐梨自ら俺の胸に飛び込んでくれるなんて……汐梨、やっぱり結婚の話は認めて……」
「認めません。それと、落っこちただけです。貴方の声に驚いて」
フードさんの言葉を遮って、私はすぐ彼から距離を取った。
やはり今日もフードを被っていないフードさんはもうフードさんでは無くなってしまっているが、フードの付いた上着を着ているので、フードさんはなんだかんだフードさん……あれ、訳わからなくなってきた。
「あ、そうそう。俺の名前は、フードじゃなくてジークヴァルトだ。ジーク、と呼んでくれ」
あだ名について考えていた時に言われたので、心臓が跳ね上がった。心を読まれているんじゃないだろうか。
「ジークさん……ってことは、やっぱり外国から来たんですか?」
フードを被っていた時はまるで気付かなかったが、彼は神秘的な銀髪の持ち主だ。切れ長の瞳は今まで見たことがない程の綺麗な碧を宿している。そこに色白の肌も合わさって、整った顔立ちをより一層引き立てていた。
「まあ、日本人ではないな……」
彼は曖昧に答えた。多分、育ちは日本なのかな。
そう予想してみたものの、彼が曖昧に答えることは殆ど無いので、どうしたのだろうと彼を見た。身長はクラスの成長期真っ盛りな高校生男子よりも頭一つ分ほど大きいため、平均身長の女子ならば近くで彼を見上げることは楽では無いだろう。
「そうだったんですか。フード被ってる時は気付きませんでした。日本語お上手ですね」
しかし日本育ちであろうとあるまいと、やはり外国人が流暢な日本語を喋っていると尊敬してしまう。私、英語下手ですから。
「あー……まあ、かなり長いこと日本に居るからな……。あ、それより、学校は間に合うか?」
またもや曖昧になりがちな彼だっただが、思い出した、という感じで別の話題を振ってきた。
「もし間に合わないなら、いっそサボって今から俺と……」
「ああ、それなら大丈夫です。余裕を持って登校しているので。私と会うのでしたら、放課後に漫画喫茶でお願いします。それ以外は受け付けません」
真面目な女子高生にそう言ってきた彼を遮り、お誘いをスパッと切り落とした。高校は義務教育じゃないから、勉強を怠っていると卒業出来ません。
シュンと落ち込むジークさんだったがそれも束の間、彼は私の右手を取って言う。
「それなら、俺と一緒に登校しよう」
「お断りし……」
お断りします、と言おうとした口を思わず閉じた。
つい先ほどまでの紳士的な雰囲気はどこへやら、目をキラキラと輝かせているジークさん。幻の耳とパタパタと振られている尻尾が見えた気がして、目を擦った。
……こ、子犬みたいです。
そんな目で見つめたって、決して彼は子犬ではないのだ、了承する訳……。
「いいか?」
「……わかりました」
…………これって一体、何の嫌がらせですか。
頼まれると断れない私は、結局押しに負け手を繋いで登校する、という何の羞恥プレイかと聞きたくなるような事態に陥ってしまった。
まあ頼みというかなんと言うか……どちらかと言うと、気付いた時にはどう足掻いても繋がれた手を放すことは出来なくなっていた訳なのだが。最初に手を取られた時、振り払えば良かったな。
まあ何はともあれ、今は普通に会話している。
「ところでジークさんって、高校生なんかに……こ、こ、こくはく、し、してますけど、お幾つなんですか?」
学校が見え始めた頃、私はそう尋ねた。
告白の部分でついどもってしまったが、ふと疑問に思ったのだ。場合によっては犯罪と訴えて良いのではないだろうか。
「え……。あ、あー……まあ、23だ」
何故だか口ごもるジークさんだが、それより今は年齢が問題だ。
「やっぱり、成人男性が女子高生をストーカーしていたら、訴えていいんですよね……」
半分冗談、実は半分本気で言ってみる。しかし、所詮十六かそこらの小娘が大人に叶う筈はなく、
「何を言っている、俺達は知り合いじゃなくて夫婦だろう。……そんな目で見るな、訂正する。恋び……」
私を遥かに上回るボケが返って来たので、言い切らせる事なく遮って立ち止まった。
「だから、違いますって。大体、私は誰かとお付き合いする気もなければ、け、結婚する気もありません。本気なのか知りませんが、諦めて下さい」
良い加減懲りない彼に苛立った私は早口にそう言って、何時の間にか握る力が弱まっていた彼の手を振りほどいた。右手が自由になって、ほっと息を吐く。
「なら、俺はどうすれば良いんだ? 俺は汐梨が居ないと駄目なんだ。何であれば良いんだ。俺はお前を愛して、君は俺を愛する。それの何が不満なんだ?」
言って私の顔を覗き込んできた彼の、昨日と同じ真摯な目にまたたじろいでしまう。が、今回は平手打ちではなく、私も言葉を返した。
「私は貴方を好きになれません。だから無理です」
ここはハッキリ言わなければ、とそう答えたが、あまりに悲しげな目をした彼を直視できず、こう付け加えた。
「……でも、友達なら良いですよ」
独り言と間違う程小さな声で呟いたが、彼にはしっかり聞こえたらしい。
一瞬目を丸くしたジークだが、すぐに今日一番の笑顔を浮かべて、言った。
「ずっと前から、もう友達だろう?」
優しい笑顔で言う彼に、私も思わず笑みを溢した。フードさんの頃から、そう思ってくれていたのだろうか。
暫くは、気まずいような心地よいような、よくわからない沈黙を味わいながら歩くことを再開していた。しかし、その沈黙は彼の言葉で終わりを告げる。
「じゃあ、漫画喫茶で会おう」
そう言われてハッとする。もう学校だ。まだぎりぎり遅刻では無いが、多くの生徒はもう教室に居るのだろう。あまりに登校している者が見られない。
「はい、また放課後……」
挨拶を返そうと学校から彼の方へ視線を向けたが、何時の間にかジークさんは居なくなっていた。
さっきは振り払ってしまった手の温もりが、少しだけ恋しく感じた。
ジークさん、只のストーカーフード野郎から良き友ジークへ昇格しました! おめでとう(笑)
ジークさんはまだまだ謎多しですが、ゆっくり解き明かして行きます