2(哲平視点)
当時俺は高三。そういえば、あの日も俺の誕生日だった。
家族揃っての晩餐。おかずは俺の好物ばかりだった。
夕食を食べ終え部屋に戻ろうとした俺を親父が呼び止めた。
いつになく真剣な表情の眉間には深い皺が刻まれていて、今考えるとあれは緊張していたからだろう。
お袋は泣きそうな顔をしていた。
何も知らない俺は訝りながらも親父の正面に腰を下ろした。
しばしの逡巡と沈黙の後、親父が口を開く。
――――そして。
………………………
告げられた言葉に俺は何と答えただろうか。激昂し親父を責め、お袋を罵ったと思う。
とにかくはっきりと覚えているのは、ひたすらショックで頭の中がぐるぐると訳がわからなくなってた事。
あれから五年。その間に俺も自分に対して責任を取らなければいけない年齢になったというのに俺はあの頃のままだ。
「もう五年も経つのに未だに整理がつかないんだよなぁ」
「うん」
「親父は親父でお袋はお袋だってのにな」
「うん」
「情けねえよなぁ」
「うん」
余計な口は挟まず、下手な慰めもせず。須美はただ聞いてくれる。
そう、俺は別に怒っても悲しんでもいなかったのに。
ただ混乱しただけなのに。それまで普通にあると思ってたものが、実は幻だったのだと言われたような気がして。おまえは独りなのだと突きつけられたような気がして。
家族を貶めたのは他ならぬ俺自身だった。
そして俺は大学進学を言い訳にして逃げるように家を出た。その後は知っての通り何か実のある事をするでもなくただこうしてロクでもない生活を送っている。
いつも俺は後悔ばかりしてる。
俺が家を出て一人暮らしをするという話を聞いた時の須美の顔は今でも忘れられない。
「………ごめんな、須美」
「うん?」
その頃、須美は十歳。
同年代の子に比べて随分大人びてはいたがやっぱりまだ子供だった。
でも須美は子供ながらに事情をなんとなく察したのか…………それとも単にその時の俺が見てられなかっただけなのかは分からないが、俺の側から片時も離れようとしなかった。
俺はそんな須美の優しさからすら目を背け、家を出るその日まで逃げ続けた。
怖くて、申し訳なくて、自信がなくて逃げたのだ。
まっすぐに向けられる須美の気持ちが重くて、恐ろしかった。何よりそんな事を須美に対して思ってしまう自分が憎らしかった。こんな自分に須美から想ってもらう資格はない、と。
今でもそんな気持ちが全くないと言えば嘘になる。
だが須美はそれでも俺を追い掛けてきた。なんの得にもならないのに俺の世話を焼いてくる。
そしてこんな自分は須美に想ってもらう資格はない――――この考えが大きな間違いだったとこの五年間で知ったから。
せめて須美からだけは背を向けずに向き合おう。いつしか、そう思ったから俺は今日もまた須美と一緒にいる。
申し訳ない気持ちが一番大きいが他にも色々な意味を込めて俺は須美に頭を下げた。
「なんで謝るの?」
「いや、なんか色々。須美には世話も心配も迷惑もかけてるからな」
「変なの」
須美は心底不思議そうに目を丸くした。
「世話は私が好きで焼いてる。むしろ、少しお節介すぎるかな、と思ってるし。心配は確かにしてるけど迷惑だと思った事はないよ」
当たり前の事のように言う。
「っていうかその事に関しては謝られるより生活改善するための努力を示して欲しい」
「あ~………善処します」
「そう答えて実際に努力した人を私は見たことないです」
はあ、と溜め息。
「まあ、あくまで善処だからな。それも致し方ない」
我ながら最低な答えだった。
「………まあ、いいけど。そうなったら実際に困るのは私じゃなくててっちゃんだし」
須美が拗ねた。こういうところはまだまだ年相応に子供っぽい。
まあ俺に言われたくはないだろうが。
「そーゆーこった。まあなんとかなるさ」
「何を自信満々に」
「何故なら俺には須美という強い味方がついてるからな」
「にゃ、にゃに」
噛んだ。
「っなに言ってるの」
「わはは」
「笑うな」
須美が照れた。
普段ドライな須美にしてみれば不覚だろう。
だがレアな表情が見れた俺は沈んだ気持ちが少し軽くなったのを感じていた。
「ぬうぅ」
「あ、ほらもう七時だぞ」
唸って睨んでくる須美。
誤魔化すように俺は話題をそらした。
「野球始まるぞ」
「永浜-巨神戦!」
すごい食いつきだった。
万年最下位の弱小チームである我らが永浜レインスターズのゲームは滅多にテレビ中継がない。
今日のように人気球団との対戦でもない限り、だ。
須美は俊敏な動きでテレビに飛び付いた。リモコン使えよ。
「あ、そういえばてっちゃん誕生日だからケーキ買ってきた。冷蔵庫に入ってるから出して食べて」
テレビを操作しながらついでみたいに言った。
「ちょ、もはや俺の誕生日すげえどうでもよさそうっすね。ケーキ一緒に食おうよ」
「ごめん。ちょっとうるさい」
「………いいもんね。一人でケーキ全部食っちまうから」
「だからうるさい」
「………あ、はい。スンマセンした」
「謝らなくていいから黙ってて」
「………………」
野球始まるとマジで性格変わるな、この娘は………。つーかご飯残ってるぞ、このやろう。もったいないだろうが。
俺は野球に熱中する須美の分までおかずを平らげ茶碗を空にすると冷蔵庫のケーキを取り出すべくキッチンに向かった。
「お、あったあった」
冷蔵庫を開くと真ん中に鎮座まします白く四角い箱。
手に取るとずっしりとした重量感が伝わってきた。
「………やたらデケー」
箱のサイズから予想されるケーキの直径はおよそ四十センチ。
これはいわゆるファミリーサイズではないですか?
しかもアメリカ水準の。
いや、アメリカ行った事ないから知らんけども。
箱からケーキを出してみる。
「おぉぉ………」
思わず声が漏れた。
現れたケーキはやっぱり想像していた通りデカかった。
とりあえず適当なサイズにカットして見たがまだ大量に残ってる。これを二人で食い切れと言うのか。
………………………。
うん、そういう事は後で考えよう。
俺は皿に盛ったケーキを両手に一つずつ持ってリビングへと戻った。
『さあ、0対0の四回裏。三回までノーヒットの巨神。このイニング、エラーと四球が絡みノーアウト満塁とこの試合初めての大きなチャンスを迎えています。マウンドには現在開幕八連勝中のエース真宮。そしてこの大歓声の中、四番の姫川。ゆっくりとバッターボックスに向かいます』
「…………………」
アナウンサーが大事な局面を迎えた試合の様子を伝え、須美がそれをテレビにかじりつくように見ている。
ふむ、今日の先発は真宮か。となると負けられない一戦だな、今日は。
「おい、須美。目ぇ悪くするからもっと離れて見ろよ」
「………………」
はい、無視来ましたー。
「ったく。ケーキ、テーブルに置いとくからな」
二人分のケーキを置いて座る。
「………………」
また無視。いや、もう慣れたけどね。いつもこんなだし。
『真宮、このピンチを凌げるか。第一球、投げた。――――ボール!』
画面の中では永浜のエース真宮がピンチを迎えていた。見入る須美の肩に力がこもっているのがわかる。
『今日の真宮は変化球の制球に苦しんでる感じがしますがどうでしょう、解説の中西さん』
『うーん。そうですねえ。彼はスライダーが生命線のピッチャーなんですが今日はそのスライダーがいいところに決まってませんね。このピンチには味方のエラーも絡んでますからこうなると苦しいですよ、真宮は。ここまでノーヒットピッチングですがいい当たりをされてるのを見ると決して調子は良くないんだと思います』
「山場だな」
「うん」
ようやく小さなリアクションを返してくれた。
須美は無類の野球好き。そして生粋の永浜ファンだ。が、須美は声を荒げて応援はしない。
いつも祈るように試合の行方を見つめ永浜が勝つと我が事のように喜ぶのだ。
まあ、球界のお荷物と揶揄される永浜の勝ちゲームはかなり稀だと言わざるを得ないのだが。
「しかし四回でエラー三つってなんだこりゃ。草野球じゃねえんだから………真宮が気の毒すぎる」
それは昨年のチーム勝利数の約半分は真宮が挙げたという事からもよくわかる。
「真宮さん、抑えるよね」
「そう願いたいね」
真宮栄治。
永浜レイクスターズの若きエースにして球界を代表するピッチャーの一人。
弱小永浜の中にあって正に孤軍奮闘。入団したその年には新人王、それから四年連続二桁勝利を記録し昨年にはついに最多勝のタイトルを獲得(最下位のチームでこのタイトルを取るのはある意味優勝するより難しい)。
特に夏場以降の成績は圧巻の一言で後半戦だけで十勝を挙げる大活躍だった。
今シーズンもここまで絶好調で昨年から続く連勝を十六まで伸ばし今なお更新中だ。
真宮自身は永浜に入団した事を決して悲観してはいない。
むしろ永浜のユニフォームを着てプレーする事を喜び誇りに思ってると言っていた。このチームをいつか優勝させて産まれ育ったこの街で優勝パレードがしたいらしい。
本人がそう言っていたのを俺がこの耳で聞いたんだから間違いない。つーか聞かされたし。
「実は小心者だからなあ、あいつ…………。今、あいつの心臓バックバク言ってるぞ、多分」
そう、なにを隠そう永浜レイクスターズのエースであり球界きってのスター選手でもある真宮栄治くんは実は俺の友人だったりもする。
すげえだろ。
俺にだって友達の一人や二人はいるんだよ。
ああ、うん、少ないけどね。本当に一人か二人くらいですけどね。
「お茶いれるけど須美もなんか飲むか?」
ケーキを一口食べてコーヒーが飲みたくなったので再度立ち上がって須美に尋ねた。
「ううん、あとでいい」
「そか」
須美の返事を確認すると俺はキッチンへ向かい、ヤカンに水を入れ火にかけた。
シンクに浸けっぱなしのマグカップをテキトーに洗い流しインスタントコーヒーを投入。
あとはしばしヤカンが沸騰するのを待つばかり。
ついでなので簡単に洗い物でもするかと思い立ったところで、
『あああー!?』
と唐突に隣室から悲鳴が上がった。須美にしては珍しい大声だ。
「おい、どうした?」
「真宮さん、打たれちゃった………」
「げ、マジか」
キッチンから顔だけ覗かせてテレビを見るとマウンドにしゃがみ込んでガックリとうなだれる真宮が映し出されていた。
かたや悠々とダイヤモンドを一周しているのは巨神の四番バッターだった。
って………
「え、嘘。ホームラン?」
「………うん」
須美は泣きそうになっている。
「あっちゃあ………」
真宮やっちまったなあ……。
『四番姫川の豪快な満塁弾で巨神が一気に四点を先制! 真宮、打たれました!』
『いやー……今のも悪い球じゃなかったんですがボール一個分だけ真ん中に入りましたね。やはり少しでも甘くなると姫川は確実に捉えて来ますよ。流石は巨神の四番です』
『失投ではない、という事ですね?』
『はい。今のは打ったバッターがあっぱれでした』
「………………」
アナウンサーと解説の中西さんが今のホームランについて解説しているが須美にはショックで聞こえていないらしい。
………………………
そのホームランを引きずったのかその後真宮は更に二点を奪われマウンドを降りた。
当然だが真宮が降板したあとの永浜投手陣に勢いづいた相手打線を食い止められるピッチャーなどいるわけもなく。
結局交代したピッチャーもボコボコに打たれまくり終わってみれば二十三対一の惨敗だった。




