2(須美視点)
多分、私が泣いていた理由は杏子の予想していた理由からそう遠くはなかったんだと思う。私が杏子に相談する内容にはてっちゃんが絡んでいることが多い。
「なるほどー………」
なので私が、今日てっちゃんの部屋であった事を話してもあんまり大きな反応はなかった。ただ、あんまり見たことないような渋い顔はしているけど。
「なんいうとか、てっちゃんさんって意外と残念というか、もっとしっかりしてる感じのイメージだったんだけど、かなりダメダメな人だったんだね……」
事情を把握した杏子がそんな感想を漏らす。
「え、と、そんなことないと思うけど」
確かにてっちゃんはちょっと情けないし、いろいろダメなところはあるけど残念というほどの事はないと思う。
でも私の言葉を杏子は困った顔で否定する。
「いや、話を聞いてる限りそれは幼馴染みの贔屓目と言わざるを得ないよ」
「むう」
きっぱりと言い切られた。
「でも間違ったこと言われた訳じゃないし……」
冷静になって考えてみれば、てっちゃんの言うとおりだと思う部分もある。前後の言葉も含めて突然言われてショックではあったけど、確かに私くらいの年で一人暮らしの男の人の家に泊まるっていうのはまずい事だと思う。のだけど。
「間違ってるとか間違ってないとか以前にその人の姿勢が気に食わない。それ、ただ逃げただけじゃん。そのためにすーみんを言い訳にして切り捨てようとしただけじゃん」
杏子はそんな妥協を許さず言い切った。
「そりゃねえ、人間誰でも欠点もあれば長所もあるからてっちゃんさんにもいいとこあるんだろーなとは思うけど。それに、すーみんにしてみたら昔からお世話になってる人だから悪いようには見れないのかもしれない。でも客観的に見たら大分マズイよ、てっちゃんさん」
「そんなこと………」
「あるってば。まあ、あたしは実際会ったことないから、こんな風に言うのも失礼な話だし、結局聞いた話から想像するしかないんだけどさあ。多分、あたしが今日、その場にいたら殴ってるよ、ぶっちゃけ」
「え」
物騒なセリフが聞こえて一瞬固まる。
な、殴るって。
「て、てっちゃんを殴るの?」
「うん。こう、グーで思いっきり。二、三発じゃ済まさないね。へへん」
「ええええぇ………」
あっさり頷かれた。
「っていうか、すーみんを泣かせるヤツはあたし的に万死に値する!」
胸を張って反応に困る事を言う。
杏子はたまにこういう過激なところがあって、驚かされる。
「でも、今日のは私も悪いし………」
「はあ!? どこが!? 向こうが勝手なだけで、すーみん全然悪くないじゃん!」
「勝手、かな」
悲しかったのは本当だけどてっちゃんに対して怒りとかそういう感情はそれほど沸いていなかった。でも、杏子はそれはおかしいと憤る。
「おまえ、いったい何様だーって感じだよ! っていうか、なんか段々本気で腹立って来たんだけど!!」
「杏子、声。声大きい」
「おおっとっと」
徐々にヒートアップしてさすがにこれ以上は家の人を起こしてしまう、という一歩手前くらいで口元で指を立てて杏子をなだめる。
「落ち着いた?」
「うん、ごめんよ………って、なんで当のすーみんがそんな落ち着いてるかなあ………」
「そんなこと言われても」
「だって、すっごい理不尽じゃん。もっと文句言ってもいいと思うんだけど。本当に一発や二発殴ってもバチ当たんないよ」
杏子はむん、と鼻息荒く、まだまだ怒りは収まってないらしい。
「あんまりワガママ言っててっちゃんを困らせたくないし」
「そんなの全然ワガママじゃないって。すーみんがそんないい子になってあげることないのに」
「……私、いい子なんかじゃないよ」
文句とは少し違うかもしれないけど、私にだっててっちゃんに対して思うところはある。仕事の事とか家の事とか。もちろん言った方がいいと思ったら出来るだけ言うようにはしてるけど、本当はもっとちゃんと話さないといけないと思う。
でも、それをしないのは私のそういう考えを伝えて、その結果距離を置かれたり煙たがられたりするのが怖いから。だから言いたい事を飲み込んでしまう。私はいい子なんじゃなくて、ただ臆病なだけだ。卑怯なだけだ。
本当はもっともっと言いたい事はある。分かってほしいことも、教えてほしいこともある。でも、それを口に出せないのは私の弱さとずるさが原因で、きっと人と人とが関わる時には言わなきゃ伝わらないことも聞かなきゃ分からないことも沢山ある。『言わなくても分かってほしい』『聞かなくても分かる』なんて甘えで、自惚れだ。それを私が理解してるようなふりをして、その実目を背けて見えないふりをしていたから今回みたいな事が起こったんだと思う。
比べる事に大した意味はないと思うけど、きっと私よりも杏子の方がずっといい子で、そして大人なんだろう。
「そりゃあさ、すーみんが納得しちゃってるならあたしが言うことはないんだけどさ」
「ごめんね」
「謝るようなこっちゃないよ。うん。最終的にはすーみんが思う通りにするのが一番だと思うからさー」
杏子は「こんな事言ったら無責任かもしれないけどね」と苦笑いした。
「そんなことない。杏子に話を聞いてもらえてすごく気が楽になった」
「それならよかった」
杏子は言うことはハッキリと言うタイプだけど自分の意見を無理矢理押し通したりはしない。善意からの助言だとしても、それが自分も相手も傷つける事があるから。
それを薄情だ、と言う人もいるかもしれないけど私はそう思わない。杏子はとても優しくて情の深い人だ。
「もし私が男だったら杏子みたいな人を好きになってた気がする」
「マジで!?」
「うん」
そんな例え話をするくらい私は杏子の事を頼りにしている。
「おおおお………なんで、すーみん、男に生まれなかったのさぁ~………」
「残念でした」
「いやもう、ホント残念だわー。でも女子のすーみんも可愛いからヨシ! むしろバッチコイ! すーみん好きだー!」
「お友達でお願いします」
「即行且つ丁重にお断りされた!?」
だって私にそんな趣味はない。もちろん冗談だって分かってるけど。
杏子とは高校に入ってからの付き合いで、まだ出会って数ヵ月しか経っていないのに数年来の親友みたいな間柄になれた。
どちらかというと人見知りで人付き合いの下手な私が、明るくて友達も多い杏子と仲良くなれたのはとても幸運な事だったと思う。
付き合いの長さと仲の深さは必ずしも比例しない、というのはきっと真実だろう。
・
「うお、もう二時じゃん。随分話し込んじゃったねえ」
「本当だ………」
「そろそろ寝ないとまずいね。親に見つかると面倒だから明日………っていうか今日か。朝イチで家出ないと」
「ごめん。迷惑かけて」
「なんのなんの気にしなさんな。こっちこそ慌ただしくてごめんよ。迷惑なんて思ってないからさー。あたしはいつ如何なる時もすーみんの味方だからね」
「ありがとう、杏子」
「んじゃ電気消すよー」
杏子は照明を落とす。
私は譲られたベッド(遠慮したけど杏子が譲らなかった)に杏子は布団でタオルケットを被った。
本当にそろそろ寝ないと朝が辛くなりそうだけど、まだピロートークが続く。
「そういや今更なんだけどすーみん、家に連絡しなくて大丈夫なのかい?」
「あ、うん。それは大丈夫。元々てっちゃんの所に泊まる予定だったから」
「おお、そーなんだ」
「それに、お父さんもお母さんも多分帰ってこないと思うし」
「すーみんとこは共働きだっけ?」
「そう」
私の両親は夫婦で会社を経営している。忙しくしているのは昔からだけど、最近はそれに輪をかけて仕事に没頭しているみたいで二人共滅多に家に帰ってこない。帰ってきても大体どちらか一人だけで、仮眠を取ってまたすぐに出掛けてしまう。ここ数年、家族が全員揃って食事した記憶がない。
「うちは母が専業主婦だからなあ。あんまし想像がつかないんだけど親が二人とも働いてて寂しかったりしないの?」
「うーん……どうかな」
寂しいか、と訊かれたらもちろん寂しかったんだと思う。
でも両親が家にいないのは私にとっては当たり前だったし。いつの間にか慣れた、というのとはちょっと違うのかもしれないけど、お隣―――てっちゃんの家族がとても良くしてくれていたので特に深く考えた事はなかった。
「寂しくなかった、って事はないんだけど……一人ぼっちで留守番してたわけじゃないからあんまり気にならなかった」
「うん? っていうと?」
「小さい頃は、てっちゃんの家によく預けられてたから」
「あー、そういう事かー」
得心いったようにうんうん、と頷く。
私は実の家族との繋がりが少し薄いかわりに家族がもう一つあるようなものだ。私にとっての団欒風景は佐隈家でのものが九割以上を占めている。
それでもあまり家にはいなくても両親が私を愛してくれてるのは分かるので、なんだかんだと言って私は周りの人に恵まれている。
「今は杏子もいるし」
「ちょ、照れるっ」
「杏子、顔赤い」
「すーみんはたまにいじわるだ!」
家族も友達も含めて。
……てっちゃんもそんな風に考えられる様になるといいんだけど。
「ふぁ」
欠伸を噛み殺す。話を聞いてもらって安心したせいか眠くなってきた。
「あ、眠い? ごめん、寝ようって時に話し出しちゃって」
「ううん。でも本当にもう寝よう?」
「そだね。……でもあたし、起きられるかな」
「そこは頑張って」
「頑張るよ。でも起きられなかったら、すーみん起こして?」
「ん、わかった」
「ありがとー。おやすみ、すーみん」
「おやすみなさい」
朝になったら始発に乗って一度家に戻ろう。お風呂に入りたいしライアンの世話もしないといけないし。お腹もすいた。
………あっ、鞄はどうしよう。
幸い財布と携帯は身につけていたから当面問題はないと思うけど。
………まあ、いいか。それも後で考えよう。今はとにかく眠い。
・
「それじゃまたー」
「お世話になりました。また連絡するね」
「了解。またいつでも泊まりに来てよ。歓迎するぜい」
「またいずれ機会があれば」
「ちょ、いや、あの、社交辞令じゃないからね? マジだからね?」
「冗談です」
「ったくもー………でも、ま、元気になったなら何よりさー」
「うん。ありがとう」
「んじゃ、本当に待ってるからね。バイバーイ」
「バイバイ」
駅まで見送ってくれた杏子にお礼を言って手を振って別れた。
案の定というかやっぱり自力では起きられなかった杏子は、駅までの道中「帰ったらがっつり二度寝するよー」と言っていた。私もすごく眠い。でも電車で寝ると乗り過ごしそうなので家まで我慢する。
家に着くと私がまずやったのはライアンの食事の準備。昨夜は私の都合でご飯をあげられなかったから専用の容器に心持ち多目にキャットフードをよそう。
生き物を飼ってるんだからもっとちゃんと責任をもたないといけないな、と反省しつつ粗相もせずいい子にして待っていたライアンの首を指で撫でる。
ミャア、と一声鳴いて気持ち良さそうに目を細める姿に癒される。
満足するまで撫で回した後はお風呂に向かう。色々あって昨日はお風呂に入れなかった。まだまだ真夏という程じゃないけど十分に暑くて汗をかいていた。お湯を張った後、体をしっかりと洗い流してから湯船に入る。
朝風呂って不思議と夜に入るより気持ちいい気がするのはなんでだろう? そうだ、せっかくだから前に百合さんにもらった入浴剤を試してみよう。
一旦湯船から上がり入浴剤を投入した。柑橘系の香りが立ち上るお湯をじゃぶじゃぶとかき混ぜ、再度湯船に体を沈めた。ふと思う。
……そういえば、てっちゃんはちゃんとお風呂に入ったかな。
あの人は食事もそうだけど放っておくと面倒くさがって何日も平気でお風呂にも入らないから心配だ。本人は「水道代とガス代の節約だ」って言ってたけど絶対にそういう問題じゃない。せめて必要最低限の生活は送って欲しい。
仕事をしていないからお金が入らない→お金がないから光熱費や公共料金が払えない。ご飯も食べられない。お風呂にも入らない。外出もしない→そのせいで痩せて不健康で不潔な体になる。そんな状態で仕事を探しても面接で落とされる。もし私が面接官でも今のてっちゃんを雇おうとは思わない→そして、その結果、収入源がない→以下、無限ループ。
―――という、とんでもない悪循環にてっちゃんはハマってしまっている。
私は昔のてっちゃんの姿を知ってるだけに、それがすごく勿体ないと思うし、もどかしい。やれば出来るはずなのに。
大学に入る前まで――正確には十八歳の誕生日迎えるまで――のてっちゃんは、それはもう凄かった。
どれくらい凄かったかと言うと、私はまだ小学生でよく分かっていなかったけど、当時のてっちゃんは全国模試で三桁の順位を取るくらい頭がよかったらしい。今は真宮さん達一部の人達以外は疎遠になってしまったみたいだけど友達も多かった。運動も出来ないわけじゃなくてどちらかというと得意だったはず。周りに真宮さんとか陽己さんとか飛び抜けて凄い人がいたからあまり目立たなかっただけで。
それでいて、ずっと変わらず私の面倒を見てくれていて―――それに、あの頃は、てっちゃんも夢を持っていた。だからきっと、余計に輝いて見えた。
要するに私にとっててっちゃんはヒーローみたいな存在だったのだ。………今はもう見る影もないけど。
それまで普通に家族として暮らしていた人達から実は自分が天涯孤独だったんだと知らされたんだから無理もないのかもしれない。もちろん、それは血縁上の話であっておじさんもおばさんも血は繋がっていなくてもてっちゃんの事を本当の息子同様に思っていたのだけど、てっちゃんにはそれが上手く伝わらなかったみたいで、今もボタンを掛け違えたまま。
それはとても悲しい事だ。
さらにてっちゃんが第一志望の大学の受験に失敗した事が余計に拍車をかけた。高三の夏以降のてっちゃんの成績はかなり落ち込んでいたのだと後からてっちゃんのお母さんに聞いた。あの時にもう少しだけでも時間があればここまで拗れたりはしなかったんじゃないかと思う。
色々な事が重なって、てっちゃんは次第に堕落――これはもうはっきり堕落と言っていいと思う――していきギリギリ引っ掛かった滑り止めの大学も途中で辞めてしまった。その後は定職にも就かないまま日雇いや短期のアルバイトで食いつなぐ半ニートとなって現在に至る。杏子には擁護する様な事を言ったけど客観的事実だけを見ればてっちゃんがロクでもない人間だと言われても反論が難しいのは確かだ。それでも私をずっと側で見守り助けてくれた人に私は恩返しをしたくて私だけはこの先何があってもてっちゃんの味方でいようと決めた。だからてっちゃんが実家を出てしまってから今までずっとてっちゃんのアパートに通っている。
私の他に今でもてっちゃんと親しくしてくれているのは真宮さんに朋佳さん、あとは朋佳さんの弟の陽己さん。他にもいるのかもしれないけど私の知る限りはその三人くらいで他の近しかった人達は皆離れていってしまった。
これは完全にてっちゃんの自業自得だから、その人達を責めたりは出来ない。てっちゃんは真宮さん達にもっと感謝しないと駄目だ。あんなにいい友達はなかなかいない。
『もしかしたら、あいつはもうどうにもならないのかもしれない』―――誰かにそんな風に言われ、私自身そう考えた事もある。だけど、私はてっちゃんの現状をなんとかしたかった。絶対に、絶対に何とかなると信じていたかった。
彼にしてみたらお節介で余計なお世話でしかないのだろうけど。
「ふう……」
息が漏れた。
分かっていた事とはいえ堪える。やっぱり私のやっていた事はてっちゃんの重荷になっていたんだな……。
昨日の事を思い出し、またちょっと泣きそうになった。スン、と鼻を啜る音が浴室に響いた。




