予期せぬ出来事
今回は落差の激しい一話と思われます。ので、お気楽に読んでいただければ幸いです。
目前に迫るは、手強い従兄弟のジィレイン。彼の実力を考えると、気を抜くことなど許されない状況で、ギィサリオンの意識は別のことにとらわれつつあった。背に当たるのは、思っていたよりずっと華奢でやわらかな身体。以前、腕をつかんだ時にも似たことを思ったが、衝撃はいまのほうがはるかに大きい。こんなに長い時間────まあ短時間でもほとんどなかったが────彼女と密着した覚えなどなかったから。
「おらおらっ どうした、ギィン!? お前の力はこんなもんかよっ!」
叫びと共に、放たれるカマイタチの刃。剣や盾で弾ききれなかった刃が、ギィサリオンの肩をかすった。
「ぐっ!」
無意識に後方に体重をかけてしまったらしく、彼女の細い身体が頼りなげに揺れたことに気付く。そうだ。自分がジィレインの攻撃を避けでもしたら、危険なのは自分の背後にいる彼女なのだ。彼女自身、別の相手と戦っているこんな時に、自分のために危険にさらすことはできない。そう結論を出して、心のどこかで名残惜しさを感じながらも、大地の剣を手に走り出す。
そのとたん、ジィレインの手から放たれた竜巻が、ギィサリオンに襲いかかる。ジィレインなりに、セレスティナを巻き添えにしないように配慮していたのだろう。根拠はなかったが、基本的に女性に優しい従兄弟の性格をギィサリオンはよく知っていたから、そのことに感謝しつつ、大地に手をついてより強い力を発動させる。
「出でよ…地龍!」
ギィサリオンの叫びに呼応するように、大地が急激にその姿を変え始め、まるで龍のような形状のそれとなって、大きな咆哮を上げながら口を開き、ジィレインの放った竜巻を一気に飲み込んだ! そしてそのまま、宙空に留まったままのジィレインをも飲み込もうとするが、ジィレインは素早く宙空を舞い、その牙から逃れる。
「ひゅう…やればできんじゃん」
その隙を逃さず、今度は大地から幾本もの細く長い槍状のものを生やして、まるで檻のようにジィレインを囲み込む。
「うおっ!?」
ジィレインのいる上空より更に高く伸ばしたそれは、ジィレインの身体がギリギリ通り抜けられないほどの隙間しかない。これから逃れるためには、もっと高く舞い上がるしかないが、この狭い範囲に閉じ込められた状態でただ上に昇ろうとすれば、下からギィサリオンに狙い撃ちされることはわかっているから、ジィレインも忌々しく思ったのだろう、舌打ちをする音が聞こえてきた。
「どうした? お前が見たいと言っていた俺の真の実力は、まだまだこんなものではないぞ?」
気のおけない彼が相手だからこその軽口をたたくと、ジィレインは露骨に顔をしかめて見せた。
「ああ、堅物なお前らしく、一族のじいさんたちが教える見本みたいなやり方だよ、こんちくしょうっ!」
まるで子どもがふてくされたように言う彼に思わず笑ってしまいそうになるが、ギィサリオンの顔の筋肉は一瞬にして硬直し、次の瞬間には緊迫感に満ちた叫び声を上げていた。
「ジィン、後ろだ!」
叫ぶと同時に、ジィレインを拘束していた大地の檻を一瞬にしておさめ、再び大地の剣を出現させて戦闘モードに入る。いままでもそうではあったが、今度は人を相手にする時とは段違いの緊張感をはらんだそれだ。
「!」
振り返ったジィレインと、少し離れた場所で同じように戦っていたセレスティナとサラスティアが見たもの、それは、一体二体どころではなく、四人全員に向かってくる魔物たちの群れ。
「な…何よ、あれっ!」
サラスティアが半ば混乱した声を上げる。それに答えるのは、セレスティナの冷静な声だった。
「…どうやら私たちの戦いが、魔物たちを刺激してしまったようね。滅多に人など訪れないであろうこんなところで、これだけ派手にやっていたら、魔物たちも気付くでしょう」
「そういうことだな」
より魔物の群れに近いセレスティナたちの横に並び、力を発動させる準備を整える。
「とにかく、あれを何とかしないことには、他には何ひとつできないってことだな。やったろーじゃんっ」
ジィレインも好戦的な笑顔を浮かべ、宙に浮いたまま手のひらに竜巻の前兆を出現させる。
不思議な気分だと、ギィサリオンは思った。四人のうちの誰かが誰かを殺さなくてはならない状況だというのに、魔物という共通の敵を認識して四人が一丸となって戦おうとしている、ただそれだけで、こんなにも心強く思えるようになるとは。いい知れぬ高揚感が心を支配して、まるで負ける気がしない。一人ずつとはいえ、四大部族の全員が揃ったこの状況では。
「それじゃあ……いっちょ、派手にやってやろうじゃないのさっ!」
サラスティアの叫びを合図に、四人が一斉にそれぞれの能力を発動させた…………。
* * *
「な…いったい何だというのだ、この状況は!?」
珍しくアナディノスが余裕のない声を上げるのを聞きながら、いつものようにそばに控えていたリオディウスは至極冷静に言葉を紡いだ。
「あの地はもともと人の住まない荒地でございますゆえ…魔物たちが闊歩しているのも当然のことと思われます」
「そういうことを言っているのではない! 私が見たいのは、戦士同士の戦いだ。決して魔物との戦いなどではないっ!」
魔導師たちが創りだした大きな幕に映し出される、四人のそれぞれの戦いぶりを見ながら、アナディノスが苛立ちもあらわに叫ぶ。それも、リオディウスの想定の範囲内だ。
「しかし、あの魔物たちを何とかしないことには、先ほど四人のうちの誰かが申したように他には何もできません」
まぎれもない正論であるがゆえに、アナディノスはギリ…と唇を噛んだ。それを見ていたリオディウスは、内心でそれでいいと思う。こんな風に何度も邪魔が入れば、四人のうちの誰かが命を落とす前に、アナディノスが癇癪を起こして、この戦いをやめさせるよう言い出すかも知れないから。だから…普段は忌々しさしか感じない魔物たちを相手に、リオディウスは深く感謝を捧げたい気持ちになった。
それよりも、強く思うのは、創造神ティリアへの願い。一刻も早く、アナディノスの気が変わって、四人が無事にこの国に還ってこれるように。祈るのは、ただ、四人の無事だけ。そのためならば、自分はどんなことでもやってみせるから。だから。
そんな思いを胸に、リオディウスはそっと、戦いがいまだ続く幕へと視線を向けた…………。
* * *
どのくらいの時間戦っていたのか、見当もつかなかったけれど。最後の一体を倒した時には、ギィサリオンは、肩で息をつくほどに疲弊しきっていた。男の自分でもそうなのだから、女性であるセレスティナやサラスティアの疲労は更に大きいものだろうと容易に想像がついた。
その証拠に、二人とも立っているのがやっとらしく、それぞれの水や炎の剣を杖代わりにして激しく肩を揺らしている。いくら四人がかりとはいえ、あれだけの数の魔物を相手に戦ったのだ、無理もない。ジィレインでさえも宙空に浮いている余裕すらないらしく、地面に降り立ってギィサリオンの横に立っている有様なのだから。
「これで…四人の中でまだ戦えなんて言われたら、いい加減逃げるぞ、俺は」
言葉にはしなかったが、ギィサリオンも同感だった。そこに、見計らったように宙空から降ってくる声。
『かなり残念ではあるが……今日は、ここまでとしておこう。諸君らには、また明日から私を楽しませてもらいたいものだな』
相当不機嫌らしいのを隠そうともせずに、王であるアナディノスが告げたとたん、四人は示し合わせた訳でもないのに、ほぼ同時に深いため息をついた。やはり、思いは同じだったのだろう。
そして、次の瞬間大きく鳴り響く銅鑼の音。その余韻もおさまらぬうち、再び降ってくる声。また王のそれかと思ったが、まったく同じ人物の声に聞こえるそれでも、その内面や宿る感情だけでこんなにも印象が違うのかと思えるような声だった。
『四人とも、今日はほんとうに御苦労であった。明日は何とか休みにしていただけるよう、私から陛下に進言してみるつもりだ。だから、今宵はゆっくり身体を休め、何も考えずに眠るがいい』
それは、王弟であるリオディウスの声に相違なくて……アナディノスの声の時には半ば刺々しくなりかけていた四人の発する空気が、一瞬にして穏やかなそれに変わったことを、ギィサリオンは敏感に感じ取っていた。
やはり、同じ兄弟でもリオディウスは違うと、ギィサリオンは思った。
「……お許しも出たことだし、とにかく仮初めの我が家に帰ろうぜえー」
ジィレインの言葉をしおに、皆の足がゆっくりと天幕に向かって動き始めた……。
天幕に戻ると同時に、ジィレインは布が敷かれた床に倒れ込んで、さっそく高いびきを上げて寝てしまった。よほど疲れたのだろうが、あの恰好のままでは床が汚れてしまうのではと思ったけれど、ギィサリオンも声をかける労力も惜しいほどに疲れていたので、とりあえず汚れた服の外側を脱いで、床の上に座り込む。布といってもギィサリオンが丁寧に大地を均した後でかなり厚手の、絨毯並のそれを敷いてあるから、硬さを覚えることもなくそれなりに快適であった。恐らくは、隣の天幕に戻った二人も同様だろう。
目を閉じると、脳裏をよぎるのはセレスティナとサラスティアの勇姿。二人とも、攻守の技をちゃんと習得してはいるようだったが、どちらかというとセレスティナは防御のそれを、サラスティアは攻撃のそれを得意としているように思えた。けれど、二人揃うと互いの得意分野をそれぞれ活かして、見事なコンビネーションを発揮するさまはさすがだと素直に思えた。女性だからといって、鍛錬を疎かにしていなかった証拠で、戦士としての自覚を十分持ち合わせているらしい二人に、内心で感嘆の拍手を贈りたくなったほどだ。
そして、そんなことを考えているうちに、いつの間にか自分も睡魔に飲み込まれていたらしく、しばらく経ってから気付くまで、床に横たわって眠ってしまっていた……。
次に気付いた時は、かなり夕刻に近くなっていたようで────太陽が赤く染まり、だいぶ西に傾いていたから────空腹を訴えるみずからの胃に催促されてから初めて、今日は昼食すら摂っていなかったことに気付いた。ジィレインはまだ起きる気配もなく、これでは鳥の捕獲は無理そうだと思い、他の動物────野兎や鹿などの大地に住まう野生動物を狩ろうと、新しい衣服を上にまとってから天幕を出ていく。
隣の天幕は静かであるから、二人はまだ休んでいるのかも知れない。そっとしておいてやろうと思い、とりあえず草むらへと向かう。川の近くなら、水を飲みに来た動物がいるかも知れないので、そちらへ足を向けたところで、聞こえてくるのは動物の上げる声や物音とはまた違う、何やら華やいだ声と水音。もしかして、女性陣二人が洗濯でもしているのかと思いながら、木々の間からそっと様子をうかがったギィサリオンは、そこに予想以上のものを見い出し、驚愕に全身を支配されてしまった。
「あー、やっぱ、気持ちいいよなあ。たまんねー」
「やあだ、サラ。おじさんみたいよ?」
気の抜けまくった声と、くすくす笑いの混じる楽しげな声。それに驚いたのではない。それに付随する、彼女たちの行為と姿に驚いたのだ。
そこにいたのは、確かにセレスティナとサラスティアだったけれど……彼女たちは何と衣服を身にまとっておらず、全裸そのものだったのだ! 二人の能力を合わせて簡易のそれを作りだしたらしく、川の一角の流れが止まり、そこからは信じられないことに湯気らしきものが上がっていた。確かに二人の能力を合わせれば可能であろうが…まさか、そんなことをしているとは思わなかったギィサリオンは、驚きのあまりその場から動けなくなってしまった。
サラスティアは湯船────と呼んでも差し支えないだろうそれに、肩から下を完全に浸していてほとんど見えないが、問題はセレスティナのほうだった。長い髪を洗っているらしく、ほとりに敷いた布の上に腰を下ろし、片側に寄せた髪を梳いたり湯をかけたりして、丁寧に手入れをしている。遠目でもあり、サラスティアのほうに斜めに向いているためにハッキリとは見えないが、その白く華奢な肩や背中、豊かな胸元、細くくびれた腰から下へと続くまろやかな曲線は、ギィサリオンの視線を釘付けにして離さなかった。失礼だと思う気持ちも確かに存在するのだが、それでも……どうしても、目をそらすことはできなくて…………。
「!? そこにいるのは、誰だっ!!」
そのうちに、サラスティアが気付いて大声を上げるまで、ギィサリオンは指一本動かすことすらできなくて。その声にようやくハッとして、反射的に声を上げていた。
「す、済まないっ! 水音がしたので、動物でもいるのかと思って…っ」
「ギ、ギィサリオンさまっ!?」
慌てふためいたようなセレスティナの声と、湯船に飛び込んだような大きな水音────どうして想定のような言い方になるかというと、謝罪の言葉を口にすると同時に、ギィサリオンは慌てて身をひるがえして後ろを向いてしまったからだった。
「とか言って、ティナの裸をじっくり見てたんじゃないだろうな、このむっつりスケベっ!!」
「やめて、サラっ ギィサリオンさまはそんな方じゃないわ!」
そこまで全幅の信頼を寄せてくれているセレスティナに、ギィサリオンの良心がズキズキと痛みを訴え、尋常ではない大きさの罪悪感が呼び覚まされる。けれどここで真実を話してしまったら、セレスティナの繊細な心を傷つけることになるから、というのは体のいい建前で、本心はセレスティナに幻滅されたくなかったから、という自分でも卑怯だと思う理由から、それ以上明かすことはやめた。
「とっさだったし、ろくに見てはいないっ とにかく、済まなかった!!」
それだけ言って、ギィサリオンは文字通りその場から逃げだした。とてもではないが、そのまま平然と留まってはいられなかったから。駆け込むようにして天幕に戻ると、目を覚ましたばかりらしいジィレインが、驚いたような顔をしてこちらを見るが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「な…何だよ、どうしたんだよ?」
訊かれても、答えることなどできはしない。ただ、顔を紅潮させたまま、ふるふると首を横に振るしかできなかった。
それからしばしの時をおいて、湯から上がってきたらしいサラスティアが、自分たちの天幕の布をボスっと音を立てて蹴りつけてきた時に共に発した言葉ですべて察したらしいジィレインが、まさに「にやり」としか表現のしようのない笑顔で迫ってきた時も、何も言えなくて……。
「こんの覗きヤローっ ホントはてめーのために協力なんかしたくないけど、ティナが必死に頼むからやってやったんだからなっ 感謝して入れよ!」
「……え? 何お前、彼女らの着替えか水浴びか、覗いたのか?」
「違うっ 偶然が重なって、うっかり近くに寄ってしまっただけだ!」
そうは言っても、自分でも止められないほどに赤くなった顔では、説得力はまるでないことはギィサリオン自身が一番わかっていて……。
「サラ、やめてっ」
懇願するような声が続いた後、再び天幕の外からかけられる声。
「あ、あの…サラに協力してもらって、先ほどの場所にそのまま新しい湯を用意してありますから…どうぞ、お使いください……。夕食用に、川の魚を獲ってきましたから、お支度が済んだらお声をかけてください。すぐ、ご用意致しますから…っ」
そこまで言ってから、羞恥に耐えられなくなったのだろう、セレスティナの声が少しずつ遠ざかっていく。続いて、隣の天幕に駆け込んでいく気配。
「へえ~。湯、ねえ…? てことは、裸、見たんか。どっちのを? それとも両方か? どっちのほうがいい身体してた?」
「るせえ、この軽薄ヤローっ ぶっ殺すぞっ!!」
天幕越しに聞こえてくる怒鳴り声に、ジィレインは「怖い怖い」と言いながら肩をすくめた。けれどその表情はまったく変わらないままだったので、反省はしていないのだろうが。
「とにかく、ほとんど見ていない! だから、俺は何も覚えていないっ!!」
ギィサリオンの必死の叫びが、暗くなり始めた空に響き渡った…………。
後半は、コメディパートと銘打ってもいいかも知れません。
それにしても。ギィさん、不憫(笑)