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愛のままにわがままに

思わずセレスティナを抱き締めてしまったギィサリオン。彼はいったい、何を語るのか……。



 自分は夢を見ているのかと、セレスティナは思った。


 こんな、都合のいい夢なら何度も見た。現実のほうが悪夢で、夢のほうが現実だったのだという、目を覚ましてから何度自嘲の笑みを浮かべたかわからない夢を──────。


 けれど、痛いぐらいに強く自分の身体を抱き締めているこの両腕の力強さは、夢じゃない。慈しむように、頭一つ分ほど背が低い自分の頭頂部に押し当てられた唇の温もりも……。



 日に日に殺伐としていく空気の中、あんなにも仲の良かった彼と従兄弟が喧嘩を始めた時には、もう終わりだと思った。けれど、顔を腫らしながらも、どこかすっきりしたような表情で戻ってきたのを見た時は、ホッとした。もう、いつ今生の別れとなってもおかしくないいま、せめて彼らだけは────自分にとっての支えとなっている従姉妹のように────仲の良いままでいてほしかったから。


 それでも悲しく思う心は止められず、以前から時折夜中に天幕を抜け出してそうしていたように、夜着のまま天幕から少し離れた場所で、乳母から教わった古い、平和を望む歌を小さな声で歌っていた。途中で涙に邪魔をされて、最後まで歌いきれないところまでは以前と同じだったけれど……。


 以前とひとつ違っていたのは、背後から歩み寄る存在があったということ。これまで、誰にも気付かれたことはなかったのに。思わず振り向いたそこに立っていたのは、他の誰でもないギィサリオン。痛々しさを思わせる瞳で、まっすぐにこちらを見ていたことに耐えきれず、思わず逃げようとしたところをすかさずとらえられて……何が何だかわからないうちに、その広い胸の中に引き込まれていた。もちろん抵抗はしたけれど、男性の力にかなうはずもなく…。初めて、親族以外の男性に抱き締められた。温もりも体躯の感触も力の強さも、親族の者と変わるはずがないのに。ただひとつ、ほのかに香る草花の香りだけが違っていて……それこそが、相手が誰でもない彼だということをセレスティナに存分に知らしめていた。


 夢でもいい。いっそ、永遠に醒めないで──────。


 そう思っていたのは決して自分だけではないことを、セレスティナは知らない。


「─────できることなら」


 低い、穏やかな声が頭上から響く。


「いっそ、ふたりでこのまま……」


「え…」


 『逃げよう』? それとも…『逝こう』? そのどちらでも構わない。彼と……ギィサリオンとふたりなら。永遠に、この温もりに包まれていられるのなら───────。


 けれど現実は残酷で。必ず、夢から醒める時がやってくる。望むと、望まざるとを別にして……。


 固く抱き締められていた腕が解かれ、温もりが離れていく。隙間などないと思うほどにぴたりと寄り添っていたふたりの身体を冷ますように、風が瞬時に熱を奪い去っていって…。


「……済まない」


 視線をそらした彼の唇から紡がれるのは、表情と同じように、多分に苦々しさを含んだ声。


 謝られる覚えなど、セレスティナにはない。むしろ、許されるならずっと彼の腕の中に包まれていたいぐらい……。


「貴女にふさわしい者は……きっと他に存在するのに──────」


 ギィサリオンがどうしてそんなことを言うのか、セレスティナには真剣にわからなかった。彼がそうでないというのなら、自分はきっとこの世で必要とされていないのではと思うほど、この世の中の誰よりも彼だけを想っているというのに……。


「今夜のことは、どうか…忘れてくれ…………」


 自嘲的な呟きを残し、ギィサリオンはその場から立ち去っていった。一度も、セレスティナを振り返ることもなく。


 忘れろ、と彼は言った。できることなら、この想い出を胸に黄泉路へ旅立ちたいとさえ思っているセレスティナに、何よりも残酷な言葉を。たとえこの戦いで勝利したとしても、ギィサリオンを喪うのならば、未来など要らない。幸せなど、欲しくない。傍らにあるのが彼でないのならば─────戦いが終わった瞬間に、みずからの命を絶つ覚悟は、セレスティナの中でとうに固まっている。彼を喪って、自分がどうして生きていけると思っているのだ? たとえ他の誰を悲しませようとも……その決意は変わらない。


 再び頬を伝った透明な雫を、風が優しく撫でていった…………。



 あの後、結局天幕に戻ってからもろくに眠れず、セレスティナは半ば朦朧とした意識で翌朝の戦いに赴くこととなった。


 ギィサリオンは忘れろと言ったが、昨夜の出来事はたやすく忘れられるようなものではなく、とてもギィサリオンに対して剣を向けられるような精神状態ではなかった。だから、どちらかというとサラスティアの援護や防御に主に力を注いでいたのだが、忘れるよう告げたギィサリオン本人もそうであったらしく、ジィレインの後方支援にすすんで回っているように見えた。



『いい加減、私を満足させるだけの戦いぶりを見せてもらいたいものだな』



 宙空から降ってくる王の声を聞きながら、行儀が悪いと思いながらもセレスティナは舌打ちをしたい気分になってしまった。少なくとも、この戦いが始まってから、自分は柄が悪くなってしまったという自覚はある。これもすべて、王のせいであろう。


 以前から思っていたことだが、王はいままで誰も愛したことがないのだろうと思う。もし一度でも誰かを本気で愛したことがあるなら、こんな茶番を思いつきはしないだろうから。そう思うと、可哀想に思う反面、苛立ちの増幅量も半端ない。


「火龍!!」


「風龍!」


 目前では、互いのイトコの創りだした盾を前にそれぞれの技を繰り出すサラスティアとジィレインの姿があった────蛇足ながら、それぞれが前にした盾は、敵の攻撃は防ぐものの守られている本人の技には何の支障もないものである。そしてジィレインの「風龍」とは、龍の形態をしたものではなく、まるで龍のように強力な攻撃力を持った竜巻であった。


 互いの攻撃を盾だけに頼ることなく難なくかわしてみせたふたりは、また別の技を繰り出すために距離をとった。セレスティナとギィサリオンもそれに合わせてみずからも移動する。相手の位置関係を確認するためにそちらを見たセレスティナは、まっすぐにギィサリオンと視線が合ってしまい、そんな場合ではないとわかってはいるもののつい慌てて目をそらしてしまった。


 そのせいで、サラスティアの進行方向にあった多少の段差に気付くのが遅れ、それを伝えるのが間に合わなかったせいでサラスティアがそこに足をとられ、バランスを崩した。


「わっ!?」


 そこに迫るのは、ジィレインの風の刃。


「サラ!!」


 危ないと思った時には、既に身体が勝手に動いていた。脚が勝手に走りだし、勝手に突き出した両腕がサラスティアの身体を突き飛ばして。そうして、水の盾を強化することを思い出した時には既に遅く、胸に走るのは熱い─────衝撃。


「あ……」


「ティナ!!」


 サラスティアの声も、遠いところから聞こえてくるような…感覚。


「ティナ! ティナ!!」


 自分の身に何が起こったのか、問おうとしても声が出ない。思わず胸元にやった手を眼前に持ってくると、視界に飛び込んでくるのは……まぎれもなく、みずからの鮮血で。自分は死ぬのか、と思ったその時、脳裏に浮かぶのはギィサリオンの優しい笑顔。


 ごめんなさい、サラ…貴女にすべて押し付けるような形にしてしまって。ごめんなさい、ジィレインさま…決して望んではいなかっただろうに、こんな、後味の悪い真似をさせてしまって…………。


 不思議と、ギィサリオンに対しては謝罪の気持ちは浮かばなかった。昨夜のことがあるとはいえ、彼に自分への特別な感情があるとは信じられなかったから。だから、どちらかというと彼が死ぬところを見ないで済む、という安堵のほうが大きかった。けれど、ホッとしたのも束の間だった。


「てめえっ よくもティナを!!」


 怒りのために激しい炎をその身にまとい、黒髪さえも炎の色に塗り替えて、大きさが段違いになった炎の剣を手に、サラスティアが目指しているのは宙空に浮いているジィレインではなく、ギィサリオンだった。何故?という思いがセレスティナの脳裏を埋め尽くす。


「あたしと同じ気持ちを味合わせてやるよっ!!」


 まさか、ジィレインにみずからと同じ気持ちを味合わせるために、ギィサリオンを傷つけようというのか!? 逃げて、と声にならない声が唇からほとばしる。けれど、ギィサリオンは心ここにあらずといった様子で、まるで動く気配もない。


「だ、め…!」


 ほとんど力の入らない身体を引きずるようにして、セレスティナはゆっくりと身を起こした……。





            *     *      *




 目前で何が起こったのか。ギィサリオンには、わからなかった。


「サラ!!」


 バランスを崩したサラスティアを突き飛ばし、その胸にジィレインのカマイタチの刃を受けたセレスティナが倒れるのも、それに逆上したサラスティアが憤怒の形相でみずからに迫ってくるのも、どこか違う次元で起こっていることのように感じていた。


 ショックを受けなかった訳ではない。むしろ、ショックが大き過ぎて現実と認識しきれなかったのだろうと、後でなら思えた。けれどこの時の自分には、もう何が何だかわからなくて……。


「あたしと同じ気持ちを味合わせてやるよっ!!」


 サラスティアの言葉に、ああそれもいいなと思う。セレスティナと同じところに送ってもらえるのなら──────。


「ギィン!」


「死、ねえええっ!!」


 切羽詰まったようなジィレインの声すら耳に届かず、炎の刃が、自分に向かって降り下ろされる直前、防御すら思いつかなかったギィサリオンは、紅い幕を見たと……思った。それはサラスティアも同様らしく、彼女の剣を食い止めたそれを、信じられないものを見る目で見ていた。


 それは、これまで見てきた水の盾と、よく似たモノ────けれど水のそれは、決してそんな色をしてはおらず……思わず同じ方向を向いた二人は、やはり同じように信じられないものを目の当たりにする。


「サ、ラ……」


 息も絶え絶えな、か細い声。付近の樹の幹に背をあずけるようにして、真っ青な顔と土気色の唇をしたセレスティナが、やっとの思いで立ち上がった様子でこちらを見ていた。


「おね、が…い……ギィ…サ、リオ…ンさまを……傷つけ…な、いで──────」


 それだけを口にすると同時に、セレスティナの身体がガクリと傾ぎ……そしてギィサリオンは気付く。たったいま、己を護った盾が、誰でもないセレスティナの鮮血から創り出されたものだということに!!


「ティナ…!」


「─────セレスティナっ!!」


 もう、何も考えられなかった。目に入っているのは、力を失って倒れたセレスティナの姿だけ。心の中を占めるのは、セレスティナへの想いのみ。戦いのことも、王のことも、自分自身のことすらも、既に頭にはなかった。


「セレスティナ!」


 彼女の身体を慎重に助け起こし、なるべく柔らかくした土の上に、みずからの上衣を敷いてから丁重に寝かせてやる。そして、全身の能力を発動する。すべて、セレスティナの治癒のみに意識を集中して。彼女は、己が命を賭けて自分を護ってくれた。今度は自分の番だった。たとえ、この命のすべてが尽きようとも……彼女だけは救いたいと。全身全霊の力を注ぎ、祈る。


 以前、「セレスティナを殺せるか」と自問したことがあった。深く考えることもなく、「できない」と答えを出したけれど……この究極の場面においても、「できない」と思う自分には、もう無理だと思う。彼女の生命の灯が消えるかも知れないと、実際に感じただけで、頭ではなく心が、身体が、それを阻止せんと動き始めていた。自分の命と引き換えでもいい、彼女だけは死なせたくないと…魂の域に達する部分で、それを望んでいるのだ。彼女を死なせることなど……もう、考えることすらできない。


「死ぬな…死ぬな、セレスティナ! もう一度…俺の名を呼んでくれ。その微笑みを……俺に見せてくれ!」


 たとえ、自分のものにならなくてもいい。ただ、生きていてくれればそれでいいから。そのためなら、自分はどんなことでもするから。もう決して、自分の想いから逃げたりはしないから、だから。


 額から、頬から、顎を伝って落ちるのが汗なのか涙なのか自分でもわからなくなってくると同時に、左右から差し出される二本ずつの腕が二人分……。


「ティナを死なせたくないのは自分だけだと思ってんの!? こちとらあんたなんかより、ずっと長くティナと付き合ってんだからね、このコを想う気持ちの強さなら負けないよっ!」


 こちらを見ようともせずに、ギィサリオンの右側で力────もちろん、治癒のそれだ────を発動させるのは、サラスティア。


「サラちゃん、いまはそんなこと張り合ってる場合じゃないだろー」


 ギィサリオンの左側から力を発動させるのは、苦笑いを浮かべたジィレイン。


「うっさいよ、そもそもティナを傷つけたのはあんたの力じゃないよっ あんたには、意見する資格なんかないからね、ジィレイン! ティナの代わりにおっ死ぬくらいの覚悟で助けなきゃ、絶対許さないからね!!」


 セリフこそは勇ましいが、サラスティアの声はほとんど涙声だ。それに気付いているらしいジィレインも、表情を普段滅多に見せない優しい微笑みに変えて、更に強く力を発動させる。


「はいはい」


「お前たち……」


「…どっちかの組が死ねばそれで終わる、簡単な話だと思ってたけどさ。やっぱ俺も甘いわ。お前が悲しむのも辛いし、こんないいコが死んじまうのも辛いし、何よりサラちゃんに泣かれたり死なれたりするのが、一番辛いんだよな。命令? そんなもんクソ食らえって、初めて心の底から思ったよ」


 ふたりの助力を得て、セレスティナの傷は少しずつ、だが確実に、先刻までとは段違いの速度で塞がりつつある。あとは、失った血液次第だが……型さえ適合すれば、いくらだとてみずからのそれを分け与える覚悟はできている。


「…………」


「ティナ! 気が付いた!?」


 先刻よりはわずかに血色がよくなったような顔色をしたセレスティナが、ゆっくりと目を開けた。その瞳の色は、いまだぼんやりとしているように見えたが、とりあえず先刻までは濃厚に浮かんでいた死の影がなりを潜めたような気がして、ギィサリオンはほんの少しだけホッとする。


「セレスティナ…俺が、わかるか……?」


「…ギィ…?」


 まだ名のすべてを呼べるほど回復をしていないのだろうが、自分のことを認識してくれただけでも、ギィサリオンには十分だった。力なく、ゆっくりと伸ばされてきた手を両手で包み込み、再び治癒の力を発動させる。


「俺はもう、自分の心を隠さない……誰の前でも誓ってみせる。この世の誰よりも愛している。他の誰からも何からも護ってみせる。だから…俺のそばから、消えてしまわないでくれ──────」


 それは、嘘偽りのないギィサリオンの本心。ずっと、心の奥底に封じ込めていた、けれど誰よりも彼女に伝えたかった想いのすべて。それを表に出すことに、もう、何の躊躇いも恐怖も感じない。セレスティナを喪うことに較べたら、他の何も、誰ももう怖くはないから。


「ギィ、サ……」


 セレスティナの青い瞳から、涙が一筋こぼれ落ちた。それは他のどんな時に見たそれより美しく、彼女の心を雄弁に語っているように、ギィサリオンには思えた。


「……こっちはこっちでまとまったところで。なあ、サラちゃん」


 力の発動を継続したまま、ジィレインがギィサリオンを挟んだサラスティアに声をかける。


「何よ」


 ジィレインのほうを見ることもせずに、鼻をすすりながらサラスティアが答える。


「てな訳でさ、従兄弟同様、俺も覚悟決めたからさ。俺と一緒に逃げてくんねえ?」


「はあ!?」


「いや、ティナちゃんの身体のこともあるしさ、最初は四人一緒でいいよ。けど、ティナちゃんが心配なくなったらさ。彼女のことは俺の従兄弟にまかせて、俺とふたりで逃避行っての。どうよ?」


「…ちょっと。それ、本気で言ってんの?」


「本気も本気。俺も自覚しちったよ。最初に逢った時から、サラちゃんにマジで惚れちまってるみてえ」


「何言ってんのよ、バッカじゃないの!?」


 顔は見えないが、声から察するに、サラスティアの顔は真っ赤になっているのではないかと思えるほどの慌てようだった。そういう話は、自分を挟んでしないでほしいなあとギィサリオンはこっそり思ったりしたのだが、口には出さない。


「あ、もしかしてサラちゃん照れてんの? 見えないのが惜しいなあ」


「ばばば、ホントばっかじゃないの!?」


 問題は、まだまだ山積み状態だけれど。この四人が揃っていれば、もう何も怖くないのではないかと思えるほど、強い絆で結ばれているような気がした。状況も忘れ、ギィサリオンは思わず高らかに笑い出してしまっていた………………。

完っ全に開き直ってしまった男連中です。それに対する女性陣の答えは?

そして、恐らくは憤怒に燃えているであろう王との決着は……!?

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