卒業をしてはいけない中二病
昨夜振った雨は、道路をしっとりと濡らし、靴に張り付く落ち葉の感触が、少し気持ち悪かった。
空は秋晴れとまではいかず、今にも降り出しそうな雲が頭上を覆っている。
「ああ、嫌だな」
俺は呟いた。学校指定のリュックを背負いながら、誰にともなく。
「嫌な空気だ……悪い予感がする。アウレリュスの聖戦が、終わった日のようだ」
アウレリュスの聖戦とは、俺が前世で勇者として戦っていた時に起こった聖戦だ。
各国の勇者五名が揃って、周辺各国の人間を食い散らかす魔物を退治した戦いの名称だが、その結末は、なんとも苦いものだった。
その日もこんな曇り空で、俺以外の勇者は死に、そして、魔物だったはずの死体は、小さな女の子の死体に変わっていた。
後から知ったが、あの少女は、偶然拾った魔石によって、姿が変貌してしまったらしい。
俺は立ち止まって、空を見上げた。ぽつ、ぽつと雨が降ってくる。頬に当たっていた雫は、やがて、痛いくらいに強く振り始める。
「そうだ、前世の罪ごと、俺を洗い流してくれーー」
「おい何やってんだ江並、風邪引くぞ」
目を閉じ、思いを馳せていた俺は、袖を引っ張られて目を開けた。目の前には、傘を差したクラスメイトの石井が立っている。
「ていうか、傘ないのか? 帰りは雨降るって母さんが言ってたけど」
「ふ、傘ならあるさ」
俺は徐ろに、リュックから折り畳み傘を取り出した。前世の罪を洗い流そうとしていたのさ。
まあそれはそうと、風邪ひいたら困るから傘は差すけど。
「それならよかった。じゃ、学校でな! お前も急いだほうがいいぜ、遅刻すっから!」
「……やれやれ、今世はままならないな」
俺はため息を吐いて、走り出した。運動部の石井の背中は、どんどん小さくなっていく。
やれやれ。じゃあ、俺も、本気出すとする……
ずべっ、どしゃぁっ。
「……ふっ」
どうやら、教室よりも、保健室に行かなければならないようだな。
「すみませーん、制服汚れちゃって、代わりの着替えありません、か……」
俺が対現世用の声を出しながら保健室に入ると、生憎、保険医はどこかに行っているらしかった。というか、こんな朝からどこかに行くか、普通。
「それで、どうかな、考えてくれた?」
俺の声が小さかったからか、入室に気が付かなかったらしい。もしくは、俺のことを無視しているのか。カーテンの向こうで、何やらいかがわしい雰囲気がする。
どうやら二名いるようで、片方は男で、片方は女だ。
「や、やめてください。何回言われても、私」
「困ったな、そんなことを言われたら、俺も本気を出さざるを得ない」
やばい、何か知らないがまずい。
ちょうど今チャイムが鳴ったから、廊下には誰もいないだろう。俺のようなうっかりさんを除いて。
「ということは、俺が何とかしなきゃならないはずだ」
先ほどは滑って転んで泥まみれになってしまったが、俺の前世は勇者だ。困っている人間を見捨ててはおけない。
まあそれはそうと、今世は、いきなり殴るよりも、穏便に行った方が良い。
「あの〜」
カーテンをしゃっと開けると、男子生徒が、女子生徒を押し倒しているところだった。事案。
「学校で、そういうことしない方が良いですよ……ほら、すぐに保健室の先生が帰ってくるだろうし」
女子生徒に跨ったままの男子生徒が、俺の方をうざったそうに見る。
「は? 邪魔すんな一般人。先生は帰ってこねえよ、人払いの結界を張ってあるからな」
「?」
「鈍い奴だな。この保健室には、結界が張ってあるから、誰も近づけね……なのにどうしてお前はここに入れてるんだ?」
男子生徒の目が、見開かれる。怖い、言ってることが。
「ーー今更気付いたんですか、先輩」
すると、男子生徒の下にいる女子生徒が、不敵な笑みを漏らした。
「決まっているじゃないですか。この方こそ、貴方の騙った存在ーー本物の魔王様なのですから」
一瞬だった。
女子生徒は、男子生徒の腕を取って、投げ技の要領で、床に落とした。それを気にせず、俺の前になぜか跪く。
「お待ちしておりました、我が君。一度ならず二度までも、私も救っていただいたこと、嬉しく思います。さあ魔王軍最高幹部、盤上のキュレスであるこの私と」
女子生徒は、俺のことをきらきらした瞳で見上げてきた。
「世界を、再び混沌に陥れようではありませんか!」
「いや、俺は勇者って設定ですね」
しゃっ。
カーテンを閉めて、俺は保健室を出て歩き出した。前方から、白衣の先生が歩いてくる。
「あれ、君、どうしたの? 泥だらけじゃない!」
「先生、今は保健室に近づかない方が良いですよ」
「え、なんで?」
「中二病患者がいるからです」
はじめて同類を見た。なにが結界だ、普通に先生が帰ってきてるじゃねえか。
「中二病っていうのは、用法用量を守って、人に迷惑をかけずに嗜むものなんだよ」
「すみません、遅れました」
そう、俺の前世は決して勇者ではない。たぶん、占い師に占ってもらったら、江戸時代の農民的な何かになるだろう。
「ど、どうしたんだ江並、泥だらけだぞ……」
教室に入って席に座ると、石井がおろおろしている。見た目が派手なのに、こいつは誰に対しても優しい。まるで勇者のようだ。
「保健室に行けなくてな。気にするな」
「えっ、あ、もしかして……」
石井は申し訳なさそうに何かぶつぶつ言っていたが、俺は「大したことじゃない」と首を横に振った。
「重篤な先客がいたんだ。中二病の」
「中二病の……ていうか、江並、保健室の中に入れたんだな……」
「ああ、俺も身の振り方を考えようと思ったよ」
次の休み時間に保健室に行くと、例の二人はいなかった。
「ごめんね、私が保健室を空けてたばっかりに」
「いや、先生のせいじゃないですよ」
代わりの制服を貸してもらって、俺は笑った。
そろそろ俺も、中二病を卒業しなきゃな。人に迷惑をかける前に。




