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24_夜海、凪、耀光(1)



 イルクオーレの夜は早い。人々はそれこそ日が暮れ始めると同時にさっさと店を締めてしまうくらいには、あまり商売というものに熱心ではなかった。何しろ生活の殆どを自給自足しているこの町において、通貨というものは都市ほど意味を持たないのだ。故にイルクオーレに住む人々は日が昇れば起床し、逆に日が沈めば就寝するというなんともシンプルかつある意味原始的な生活を送っていた。

 とはいえ、勿論例外は存在する。例えば商才溢れるイサーク青年が切り盛りする雑貨屋は他の店に比べれば遅くまで営業していたし、閉店後も暫くは明かりが付いているのが常だ。他にもニーナの母親のアンナが切り盛りする食堂は、夜は酒場として遅くまで町の人々の憩いの場になっている。

 特に大工のコンスタンティーノと鍛冶屋のスミスは相当な酒好きで、酒場の常連だった。しかしながら平時は仲の良い2人は、酔うと必ずと言っていいほど「どちらの腕っ節が強いか」という至極どうしようもない言い合いを始めてしまう。ただの口喧嘩で済むなら微笑ましいものだが、最後には決まって勝敗を巡って軽くとはいえ流血沙汰になることも少なくなかった。アンナ曰く、なんともまあ困ったおじいちゃん2人組なのだ。

 そのためバルナバも一応は開院時間というものを設けてはいるものの、万が一の事故や緊急事態に備えて常に医院の扉は解放している。無論金庫や重要書類のある部屋は施錠しているとはいえ、都市部ならば泥棒に「どうぞいらしてください」と言っているようなものだ。しかしながら良くも悪くも閉じた世界であるイルクオーレにおいては、何ら不思議なことではなかった。寧ろ当然のことだった。


「それにしても、町長さんが持って来てくれたフルーツ、めちゃくちゃ美味しかったね!」

「はい、本当に。……洞窟調査のお礼とはいえ、今度何かお返ししないと悪いですね。」


 ――要するに、何が言いたいのかと言うと。モナとルチアは、一部を除いてすっかり活気のなくなった夜の町を肩を並べてゆっくりと歩いていた。ガス灯がぼんやりと照らす石畳の上に、ブーツのヒールに使われているブナの木の小気味よい音を響かせながら、たわいのない話に花を咲かせていた。

 普段から感情の赴くままに生きているルチアはともかく、真面目で規律に厳しいモナまでもが夜の町を闊歩しているのは、決してこの町にやってきて良くも悪くも他者の影響を受けて不良になったわけではない。単に耳を澄ませば森でフクロウがホウホウと鳴いているのが聞こえてくるくらいに静寂に包まれている町の中でも、常に老若男女問わずに活気に包まれている場所――銭湯からの帰り道が故だった。


「モナはホントに真面目だねえ。」


 幾ら夏がそこまで来ているとはいえ、まだまだ朝晩や天気の悪い日には相応に冷え込むことを考慮してしっかりと拭いたはずの髪は、案外濡れていた。モナは夜風が音もなく吹き込む度に冷える頭部に、もう少し乾かしてくるべきだったかなと少々遅すぎる後悔をした。

 けれどそんなモナとは反対に、ルチアはそんなこと少しも気にならない様子で軽やかな足取りでステップを踏むと夜と踊る。その拍子に普段は邪魔にならないようにと、やや乱雑ながらも後頭部でそれなりに纏められているルチアの髪が、夜のしっとりとした風にオーロラのようにはためいた。

 モナはガス灯のどこか温もりのある明かりと、田舎特有の澄んだ空気が如実に伝えてくる月と星とが放つ本来の光が照らすルチアの髪の眩しさに、目を奪われた。加えてこちらを見上げては子供のようにニカッと笑うその表情には、言葉を奪われた。

 

 ――宛らガス灯の明かりに導かれた羽虫のようだ、と。何もかもが空っぽの頭の中で、モナはふとそんなことを考える。それくらいモナにとってルチアというのは、暗がりの中でも唯一見失うことのない光だった。

 一番星、灯台の灯火、川底の砂金……どんな言葉を並べ立てようとも砂漠が際限なく水を呑むように、モナにとっては少しも足りなかった。


「……そんなこと。わたしはただ、何か特別なことをしたわけじゃないのに、あんな豪華なものを頂くのは少し違うなと思っただけで……。」

「だから。そーゆーところが真面目なんだって。」


 モナがなんとか絞り出した言葉を嘲笑うかのように、ルチアは即座に言葉を被せる。そのうえで両手をヒラヒラと振って見せては、やれ「流石はモナ様」だの「あんたこそ英雄の器だよ」だの、モナにとってはなんとも不本意かつ歯がゆい言葉を次々と投げ掛ける。

 モナはこうなると何を言ってもルチアの耳に届かなくなることをイルクオーレに定住して早々に学んだが故に、その場しのぎの愛想笑いを浮かべると暫くは好きにさせておくしかないと、なんとか引力に逆らって彼女から視線を逸らした。代わりに確かに同じ物体のはずなのに、都会に住んでいた頃よりもずうっとずうっと鮮明に見える星々に標準を合わせると、そのあまりの存在感に今一度圧倒されるがままにほぅ…と吐息を吐いた。


(…………そんなことはないんだけどなあ……。)


 ――ルチアに告げた言葉に、嘘偽りはない。何しろモナは自身の行いについて誇張でもなければ謙虚に見せかけた自己主張でもなく、本当に特別なことではないと考えているのだから、あるはずがないのだ。

 何しろ彼女は既にある意味一度死んだ身、故にいまさら改めて死を恐れる気持ちこそあれど、それは他人に比べて明らかに希薄だった。加えてあの時は無我夢中と表現する他ない状況だったと、モナは何度あの時のことを振り返ったところで何度でもそう思うのだ。何しろ命の恩人の生命に危機が降りかかろうとしていたのだから、どうにかして助けなければと思うのが普通の人間だし、立ち向かうのが当たり前の行為だとすら、未だに思っている。

 

 ……と表現するとモナ・シャーリーという少女が生粋の聖人のような気がしてくるのは、本当にただの気のせいなんだよなあ、とモナは静かに苦笑する。

 誰がなんと言おうが、モナにとっては一度拾われた命をルチアに返そうとしただけの話なのだ。落し物を拾った人間に、褒美としてその何割かが報酬として与えられるのと同じことなのだ。無論、1から100までがそうではないことはモナとて自覚している。ルチアが拾い主であること、加えて彼女という存在がとても善い人間だったから、自分はいわば社会的なシステムに則った上で助けようとしただけなのだ。

 ――なのだが、何度それを説明しても町の人にはどうにも伝わない。寧ろなんたる自己犠牲精神なんだ!だとか、はたまた美しい友情だ!だとか、過分なほどの言葉で装飾されては悪戯に消費されていくことに対して、モナはなんだかなあ、とさえ思っていた。

 とはいえそれを表立って表情や態度、あるいは言葉の節々に添付しない程度にはモナは大人だった。故に彼女は似たような言葉を自分に向けて吐くルチアに、だからそういうのじゃないんだってばと口の中で呟く。続けて心の中で気晴らし程度にボヤいては、肺臓にほんのり冷たい夜風を思い切り取り込んでから一気に吐き出した。


「だってさ、次はプラーナ洞窟に行くんでしょう?あたしからしてみればもう真面目っていうか、お人好しレベルだよ。もしくは死にたがり?……もしかして、モナって実は痛い思いをするのが好きだったりする?」

「……あの。憶測で人をアブノーマルな趣味にしないで下さいね……?」

「あはは!冗談だってば、冗談!!」


 モナは相変わらず噂が出回るスピードが異常なことに苦笑しつつ、ほんの少しだけとはいえ自分の本心を掠めたルチアの言葉に一瞬どきりとする。しかしルチアのお気楽な性質と、すぐに他人を茶化しては遊びたがる子供らしい部分に助けられると、バクバクと五月蝿く拍動する心臓に素知らぬ振りをしながら、呆れた様子と共にそれとなく話を逸らす。

 すると案の定、軽口が好きなルチアはノリノリでモナが提示した話に乗ってきた。それどころか退院の通告が出たとはいえ、一応はまだ病人扱いのモナの背中をバシバシと遠慮なく連続で叩いては口を大きく開けて豪快に笑う。モナは少しも悩みがなさそうに見えるルチアを心底羨ましく思ってしまうと、いや、それは流石に傲慢すぎるとすぐさま思考を整えた。


「でも、プラーナ洞窟を調査するのはまだ先の話ですよ。まずはやっぱり、生活を安定させないといけませんから。」

「……と言うと?」

「牧場、もう少し整えたいと思ってるんです。――前に住んでた方に、きちんと顔向け出来るように。」


 モナのその言葉にルチアは思わず彼女の背中を叩く手を止めた。代わりに少しばかり息を呑むと、ルチアにしては珍しく澄み渡った水面のような静けさを以てモナの顔をじっと見つめた。その瞳はいつになく真剣で、まっすぐで、それでいてもう戻らない過去に置いてきた寂しさが混じり合っていた。

 そんなルチアに、モナは無論気づいてはいた。何しろ常に騒がしいルチアが急に静かになったのだから、どんなに彼女が鈍い人間でも多少の違和感は抱いていた。けれど良くも悪くも鈍感なモナはあまり気にしていないというか、普段のルチアの生活態度にも問題があるというか。どうせまたいつものように夕食を食べ過ぎてお腹が痛くなったんだろうだとか、もしくはようやく夜風で身体が冷えてきたことを自覚して来たんだろうなあ、くらいにしか思っていなかったのだ。

 故にモナはこちらを見つめてくるルチアには気が付いてこそいたものの、敢えて見つめ返すということはしなかった。友達である以前に命の恩人であるルチアをまじまじと見つめるのは少し気恥しかったし、何より照れくさかった。神様を直視するなんて、という無意識の畏れもあった。だからこそモナはルチアの瞳の奥で同居しているどうしようもない寂しさと、つい不用意に抱いてしまった希望とに気が付かなかった。


「……それは、どうして?」


 ルチアはつい震えそうになる声で、モナに尋ねた。事実、声は少し震えていた。胸の奥に隠していた感情に揺れていた。けれど幸いなことにモナ自身もルチアに付き合って何分もダラダラと喋りながら夜道を歩いていたお陰で、少々身体が冷えていたのだ。とどのつまり、ルチアもモナも発する声は等しく多少の震えを含んでいた。

 加えてモナの視線は、都会とは似て非なる美しい星空に向いていた。それはつい先程、この煌びやかな夜空の下で目にしたルチアにありとあらゆる五感を奪われそうになったが故だった。

 ――恋ではない。情愛でもない。ただただ、事の大小に関わらず軽口を叩いては笑い話にしてしまえる彼女の性格とその器とを、心から尊敬しているからだった。それでいて心の美しい、他の何にも代替の出来ない奇特な人だと思っているからだった。


「前に住んでいた方がどんな方たちなのか、わたしは知りません。どんな経緯で土地を手放したかも、知りません。

 ――でも、こんなに大きな土地で牧場をやっていたくらいだから、きっとこの町のことが本当に好きな方たちだったと思うんです。宝物だったんだと、思うんです。

 だって牧場って、自然相手の仕事じゃないですか。大変じゃないですか。絶対に他の仕事の方が、まだ幾らか楽じゃないですか。

 ……あっ。他の仕事を軽んじてるわけじゃありませんからね?!」

「はいはい、…………わかってるって。」


 モナがそう思うに値する理由を口にする最中、不意に零れ落ちた言葉に他意がないことを律儀に伝えてくる彼女に、ルチアはぎこちなくも呆れたように笑いながら頷く。こういうところが真面目と評するいちばんの理由なんだけどな、とルチアは普段とは逆の立場にそこはかとないむず痒さを覚えながら、そんなことを考える。

 

 ――不意に。町の東から吹いてくる凪いだ海風が、そんな2人を揶揄うように互いの濡れた前髪を遊ばせながら過ぎ去って行った。


「ええと、要するにですね。自分の大好きだった物が、誰かの手に渡った後も大切にされていたら嬉しいじゃないですか。だからわたしは、その方と同じくらいあの牧場を大切にしたいんです。大切にすることで、その方に感謝を示したいんです。『あなたのおかげで、わたしはこの町に住めています』って。」

「――――――そっか。」


 ルチアはモナの答えを、ただ黙って聞く。その心は最初は一体何を言い出すのかと密かに荒れてこそいたものの、モナの嘘偽りのない言葉が紡がれていく度に、徐々に凪いでいった。そして最後にはやはり真面目と表現する他ない彼女の心に、ルチアはたったひとこと相槌を打った後にふとその足を止め、目を伏せると暫し感傷に浸った。

 ほんの数秒、過ぎ去って行った海風のようにもう戻らない過去を思い出しては自分を窘めるように大きく深呼吸を繰り返した。


「……モナ。」

「はい?」

 

 時間にして僅か数秒。けれどその数秒の間にルチアは脳内を埋めつくしていた過去を嘆くのではなく、寧ろ懐かしみさえするとゆっくりと伏せていた目を上げた。次いで徐にモナと視線を合わせると、普段通りの眩しい笑顔でにこりと笑った。そこにはもうルチアらしからぬ一縷の寂寥は宿っていなかった。

 代わりに過去の悲しみも苦しみも、嘆きさえもがきっと彼女のために存在したのだろうと。逃避ではなく心の底からそう思えてしまうくらいに運命的で奇跡的な善き出会いに、今一度神に深く感謝したのだった。


「話、しようよ。モナの牧場に住んでいた人のこと。……ちょっと寄り道してさ。」

「……はい。」


 モナを誘うルチアの声は、もう震えてはいなかった。彼女を見据える瞳にも、もう過ぎ去った過去は存在しなかった。ルチアの全ては海のように凪いでいた。

 それでも彼女の目にはルチアがどうにも寂しさと心細さに震える子供のように見えたものだから、モナはその提案を断れなかった。

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