21_某日、病室、訪ね人(2)
養生のあってか、はたまたバルナバの医師としての腕が優秀だったからか。あるいはそのどちらもが良い方向に作用したかどうかはさておき。因果関係はともかく、モナは1週間もしないうちにすっかり元通り、とまではいかないもののひとまずは身体を動かした際に全身に激痛が走る、という状況は脱していた。
それどころか軽くならばリハビリも兼ねて動いた方が良いという診断結果すら出たのだから、バルナバは酷く驚いた。何度も自分の目を疑った。何かの間違いでは、と何度か再検査を行いもした。けれど何度再検査したところで結果が覆ることはなかったものだから、バルナバは暫し頭を抱えた。
しかしながら、彼にはモナがここまで驚異的な回復力を見せつけるに相応する理由をなんとなく察してもいた。ひとつはあまりにも損傷の酷かった臓器をなんとか持ちこたえさせるために、自身の医院で施した出来うる最新の治療。もうひとつは、なによりもモナ自身の「生きたい」願う気持ち――人間の生命力というものだった。
とはいえ前者はともかく、後者に関しては帝国は言わずもがな。自然を重んじるヴェルデ王国においてすらも、時に気のせいだと鼻で笑われるような論だった。長年「研究者がそう思い込みたいもの」であるとして、馬鹿にされてきた可能性だった。バルナバ自身も都会に出てからというものの、どこか懐疑的な眼差しを向けていたものだった。
けれど現にモナは驚異的な回復力を以て、危機的状況を脱したのだ。一見容態は落ち着いて見えはするものの、万が一を考えて姪に明るい言葉を掛けられなかったバルナバを嘲笑うかのように、モナは人間の生命力というものをまざまざと見せつけたのだ。故に彼の驚愕は、想像を絶するものだった。
だがそれは同時に、バルナバが長らく都会で日夜勉学に励むうちに忘れてしまっていた感覚――人間もまた自然の一部であるということを、しかと思い出させてもくれた。
「……ああ、そうか。」
バルナバは思い出す。小さな頃、兄と共に面倒を見ていたニワトリが野犬に襲われたことを。あまりの出血と怪我にもう死ぬしかないと思い込み、泣きじゃくった自分たち兄弟に反してそのニワトリは何日経とうが死ななかったことを。それどころか逞しく生き抜き、天寿を全うしたことを。
(――君も、同じなのだな。)
バルナバは何度も執拗に繰り返した再検査の結果が記された紙をじいっと見つめながら、心の奥でそんなことを考えては小さく笑った。人間がどんなに賢くなったつもりで最もらしい理屈を並べ立てようが、世界には説明のつかない大きな力がある。そしてそれを人は古来から奇跡と呼び、崇め奉り、一縷の望みにしてきたのだ。
だというのに、ほんの少し他人よりも知識に秀でていたというだけでイルクオーレの人々ならば誰もが信じているそれを、自分は信じられなくなっていた。それも知らず知らずのうちに、自分が変わっていたことすら自覚するまでもなく無意識に心の中で軽んじていたのだ。
バルナバは少々都会に被れすぎたなとふっとため息を吐くと、意を決して病室の扉の前に立った。扉の向こうからは、モナと彼女によく懐いている子供たちの声がした。故にバルナバは一瞬この和やかな空気を壊すことを躊躇ったが、何、一瞬の気まずさよりも大事なものがあるだろうと意を決して扉を叩く。
――扉の向こうからの返事は、やんちゃ盛りの子供たちの声に掻き消されてよく聞こえなかった。。
「やあ、モナさん。今少しいいかな。」
「――あ、は、はい!……ごめんね、2人とも。ちょっといいかな?」
「えぇ〜?今いいところだったのに!」
返事が聞こえないのならば仕方があるまい。改めて是非を問う前に入室してきたバルナバに、モナはともかくニーナとレックスは酷く不満そうな顔をした。
それもそのはず、モナが2人のリクエストに応えて読み聞かせていた絵本はクライマックスもクライマックス、いちばん盛り上がっている箇所だったのだ。その盛り上がりようときたら凄まじいもので、ニーナとレックスはモナが少しも動けないのではと思わず危惧してしまうほどに彼女の脇にピッタリとくっついては絵本を覗き込んでいたのだ。
一見微笑ましい光景ではあるものの、明らかに患者が休めるような状況ではないことに、バルナバはわざとらしく咳払いをひとつ。幾ら子供と言えども医師として、そして1人の大人として、ルールを破ろうとするものには厳しくというのが彼の信条だった。
けれど少しばかり遠回しな警告というのもあって、少しも気にしていない子供たちにバルナバはさらにもう一度咳払いをした。すると流石というべきか、それとも子供でも女は女というべきか。勘と察しの良いニーナはバルナバが何か物言いたげ改め、そこはかとなく怒っていることを鋭敏に察すると少し慌てた様子でモナから離れた。そして彼女とは反対側からモナにぴったりくっついているレックスの腕を引くと、最もらしい理由をつけて離そうとした。
「でもレックス、もうすぐおやつのじかんだよ?」
「え?……あ、ほんとだ。……いや、でもなぁ…。」
「いらないの?なら、ニーナがもらっちゃおうっと!」
「おいコラ。いらないとは言ってねーだろ!!」
バルナバもモナも、レックスの性格を本人以上によく理解しているニーナの巧妙な話術に思わず苦笑してしまう。加えてよく女の子はませているとは言うものの、ニーナはその中でも特別ませているような気がしてしまうと、現時点でこのレベルならば大人になった時、彼女は一体どんな女性になってしまうのだろう……とふと想像しては恐ろしくなってしまって、止めた。
それから病院の廊下をバタバタと忙しなく走っては去っていく背中に、モナは「また明日ね」と。一方でバルナバは「こら、走らない」と、それぞれ真逆の温度の言葉を投げ掛ける。けれど不思議と、大人2人の顔はどちらも自然と綻んでいた。
「……ええと。何の御用でしょう?」
「いえ。たいした用事ではありませんよ。」
そうやって見送った小さな背中が、病室の窓から再び見えるようになった頃。バルナバは改めて咳払いをひとつしてからそう答えると、モナに黙って検査結果の書かれた紙を手渡した。モナは首を傾げつつも差し出された紙を受け取ると、最初は真剣に視線を落としてはひたすらに黙読した。
……が、幾らモナが同世代と比べて賢い少女とはいえ、専門用語が並べ立てられたその紙を理解するのは少々難儀だった。つまりはモナは紙に書かれた内容の半分も理解出来ないまま、頭上に疑問符を浮かべるとバルナバをじいっも見つめた。困惑の色が滲んだ、ただの少女の顔だった。
バルナバはその顔に、姪の語る勇敢な魔法使いの要素が少しもないことを改めて認識すると、モナがいかに勇気を振り絞ってルチアの前に立ってくれたかを悟った。どれほどの恐怖だっただろうかと、想像してはもう一度ため息をついた。
「1週間後、ひとまず退院と伝えに来ただけですので。」
「……え、本当ですか?!」
昏睡状態から目覚めた直後はバルナバからきつく絶対安静、なんならトイレにも立つなと言われていたモナは想像すらしていなかった言葉に思わず真偽を疑う。そんなモナにバルナバは彼女の手元の紙の一部を次々と指さしては、あくまでも片田舎の医院の設備で出来る簡易的な検査の結果であるものの、経過観察のために行ったあらゆる検査において一定以上の基準を満たしていること。数値だけ見れば健康体であるために、必ずしも入院の継続は必要ないことを告げる。
とはいえ、長らく昏睡状態で生死の境を彷徨ったことに違いはない。そのため1週間後の退院はあくまでも一時帰宅に過ぎないこと、念の為数日間いつも通りの生活を送って貰った後に改めて検査入院をすること、その結果によってはまた暫く入院生活になることを、なるべく期待を持たせないようにと淡々と口にした。
「ええっと……つまりは、仕事に戻ってもいいってことですか?」
「ええ。但し無理をしない程度に、という約束込みですが。……守れますか?」
「……はっ、はい!勿論です!!」
……が、幾らモナが同世代に比べて賢く冷静沈着とはいえ、きちんと感情の機敏がある人間なのだ。モナはバルナバから一通りの説明を受けた後に、どうやらこの退屈な入院生活からおさらば出来るらしいことをなんとなく悟ると、年相応に表情を明るくしては喜んだ。
それもそのはずで、モナの入院中はルチアを中心に町の人々が合間を縫って、彼女の畑の面倒を見てくれていたのだ。生来の性格として他人に優しく自分に厳しく、なモナがそれを気に病まないはずがなかった。加えてそろそろルチアから貰った種が実をつける頃だったのだ。なんとしてでも自分の手で収穫したいという思いが、モナにはあった。
「いいですか、モナさん。次に身に余る無茶をしたら、検査結果に関係なく即入院して貰いますからね?」
「わ、分かりました、はい。無理しないように、なるべく頑張ります……!」
「なるべく、ではなく努めて下さいね。――貴女まで居なくなってしまったら、あの子はまた塞ぎ込んでしまうでしょうから。」
「……『あの子』…?」
「――――ああ、いえ。失敬。」
バルナバはなんとも気になる言葉を吐いたのも早々にモナに背を向けると、病室の扉に手をかける。そして扉を中ほど開け放ったところで徐に振り返ると、「退院までのこの1週間は、体力回復に使いましょうね」とにこやかな笑みと共にモナに語り掛けた。モナは触れて良いのか、あるいは触れない方が良いのか全く以て検討もつかない、なんとも曖昧なバルナバの言葉と笑みに困惑を隠せないまま頷く。
本音を言ってしまえば、モナはバルナバの放った意味深な言葉を深掘りしたかった。そしてバルナバもまた、モナに深掘りして欲しかった。モナという特異点がこの町と自分たち家族に齎した変化を、知って欲しかった。
けれど、賢いということはある種生物としての本能的な生存戦略を捨てることでもあることでもあった。そしてこの2人は方向や知識量にこそ差があれど、間違いなく賢い部類の人間だった。故に互いにその一線を踏み越えることが出来ない。賢いからこそ、躊躇ってしまう。もし選択肢を誤ったらと想像してしまって、踏ん切りがつかない。
そうやって互いに言葉ときっかけを探して、一体どれくらいの時間が経っただろうか。もしかしたらたった数秒かもしれないし、数分間はそのままだったかもしれない。とにかく、妙に緊張感のある空気を破ったのはバルナバだった。彼は年長者として、そしてルチアの叔父としてモナに感謝すると共に、再び『残される者』になりかねなかった彼女の気持ちを理解して欲しいと、敢えて沈黙を破ったのだった。
「モナさん。――もし貴女さえ良ければ、ルチアの話を聞いてやって下さい。貴女の牧場が、元は誰の物だったのか。貴女自身、少なからず気にはなっているでしょう?」
「え?……あ、はい……。」
「それでは、私はこれで。……くれぐれも無理や無茶は慎んでくださいね?」
「は、はい……。」
そうやって静かに閉じられた扉の向こうを、モナは暫し無言で見つめる。なんだか好き勝手に言われたような気がするのは、少なからず図星なところがあるからだろうとモナ自身分かっていた。
――分かってはいたものの、なんだか踊らされているような気がして少し気に食わなかったモナは、思わず手元の検査結果の紙をくしゃりと握り締めた。退院の喜びとなんとも言い難い気持ちとが、コーヒー牛乳のように混ざり合っていた。




