20_某日、病室、訪ね人(1)
一通り再会の喜びを分かち合った後、モナはルチアから自分が1週間も昏睡状態だったことを聞いて驚いた。けれどそれ以上にモナが驚いたのは、常に物腰柔らかなバルナバに酷く叱られたことだった。普段は誰に対しても敬語を話し、患者の我儘にも言葉を選んでは和やかに対応する彼に田舎訛りの強い言葉で叱責されたのは、モナにとって言葉通り正しく脳天を突き抜けるようなショックだった。
とはいえ、それは裏を返せばそれだけ心配してくれたことの証左でもあることに、モナはすぐ気が付いた。事実バルナバは最初こそ語気は強く勢いもあったが、最後にはルチア同様涙を流して生存を喜んでくれた。あの涙と嗚咽は1人の医者としてではなく、姪の友人を心配する大人としての顔だったのではないかと、モナはなんとなく思うのだ。
無論、根拠などというものはない。ルチア風に言ってしまえばただの勘だ。第六感だ。ただし確かめる術があるという点では、彼女の語る持論からは少々逸脱していた。
しかしながらそんなことを無遠慮に聞いてしまえば最後、今度はどんな喝が飛んでくるかわかったものではないことを、モナはよく理解していた。何しろ普段大人しく温厚な人間ほど怒らせたら怖いというのが世のセオリーだ。モナは学校に通っていた頃、家庭魔法学の先生なんかはまさにこのタイプだったなあと思い出してはしみじみと思い出に浸る。
――しかしながら、モナがそうやづて現実逃避をしているのには明確な理由があるのだ。何しろこうして関係ないことで頭をいっぱいにしなければ、モナはとてもじゃないけれど毎日大量に処方される薬とバルナバの手荒い診察(最も、バルナバ曰く至って普通の診察とのこと。腹部を中心に全身の骨という骨が折れている上に、臓器の損傷が激しいからそう感じるだけ……だとか)に、到底耐えられなかったのである。
1日に3回、下手をしなくとも食事よりも多い量の薬をさあ飲めやれ飲めと言われては囚人よりも厳しく監視されるのだから、モナが思わず遠い目をしながら思い出に浸るのも致し方がなかったのだ。必要なことだったのだ。それに加えて日に数度、痛いと叫んでも決して止めて貰えない診察まで付いてくるのだ。頭の中だけでも全く関係のないことを考えて気を逸らさなければ、モナはとてもじゃないけれど正気では居られなかった。
「ねえねえモナちゃん、つぎはこのほんよんでー?」
「あっ、ズルいぞニーナ。モナは次はユミルどうくつでのぼうけんの話をしながら、おれとチェスするってヤクソクしたんだぞ!」
「ふんだ。どーせレックス、カッコつけてチェスなんていっちゃってるくせに。せいぜいオセロが『せきのやま』のくせに。ニーナわかってるんだからね?」
「んだよ……。ニーナだってそれ、イミわかって言ってんのかよ!?」
「ま、まあまあ……。」
……とはいえ、この多大な苦痛を伴う入院生活がモナに齎したものもあった。その最たる例がニーナとレックスだった。
著しい過疎化にある田舎町故に他に同世代の子供が居ない2人は、常に暇を持て余していた。何しろ大人たちはこぞって仕事、次に歳の近いルチアやイサークにも大人たちほどではないものの仕事がある。となると他に遊び相手らしい遊び相手の居ない2人が仕方なしにつるむようになるのは、自然の摂理だった。そしてその『仕方なくつるんでいる』というところに、大きな問題があったのだった。
まだ5歳とはいえ女の子、寧ろ5歳という年齢だからこそおままごとや人形遊びといった、所謂女の子らしい大人しい遊びをしたがるニーナ。
対するはとにかく身体を動かす激しい遊び、もしくは冒険やそれに準ずる危険行為すらもしてみたくて堪らないレックス、8歳。
――噛み合う筈がないのだ。おまけに元々歳が近いからだとか、他に遊び相手らしい遊び相手が居ないだとか、かなりマイナスな理由で仕方なく一緒にいるだけの2人なのだ。常にお互いに対して不満を抱えていたのは、町の人間ならば誰もがなんとなく察していることだった。
そんな状況の中に、少なくとも1ヶ月は絶対安静を言いつけられたモナ――それもニーナの求める女子の遊びに精通している上に、レックスの『冒険がしてみたい!』という需要を満たせるだけの経験を有している存在が、ぽんと放り込まれたわけなのだ。それは蟻地獄の中に蟻を落とすようなものだった。
そういうわけで、兎にも角にも子供とはいえ……否、子供だからこそ自己主張の激しい2人がようやく見つけた格好の遊び相手を巡って熾烈な戦いが繰り広げられるのは、ある意味当然といえば当然だったのだ。
「だいたい、レックスにはニコのおにいちゃんがいるでしょ?モナちゃんとじゃなくて、きょうだいでなかむつまじくあそべばいいのよ!」
「あー……、確かに……?」
「しょーがねーじゃん!おれだってできることならそうしてーけどさあ、兄ちゃん、寝るか釣りするかしかしねーんだもん!!」
「確かに……!」
モナは自分を挟んで左右から飛び交う主張に、確かにどちらの言い分も子供ながらに相応に筋が通っているなと感じると相槌を打った。というもののレックスはあのニコラスの弟、つまりは歳が離れているとはいえ一応は同性の兄弟がいるのだ。対してニーナはひとりっ子、頭数だけで言えば彼女の主張に分があった。
とはいえレックスの主張も理解出来るものだった。何しろ相手はあのニコラスなのだ。常に大工仕事の修行を怠け、店番をサボり、モナの牧場に無断で侵入してきては小川に釣り糸を垂らしつつ四六時中ぼうっとしているような男なのだ。そんな男が常に力を持て余している遊びたい盛りのレックスに付き合って日が暮れるまでかけっこをしたり、はたまた森に冒険ごっこをしに行くとは考えられない。つまりはレックスにとってニーナとつるむのも入院中のモナを訪ねてくるのも、苦肉の策だったわけだ。
モナは自分の兄のどうしようもなさに無性にガッカリしたのか、それともどうにか邪魔者を追い出そうと力いっぱい腕を引っ張ってくるニーナの冷たさに心が痛んでいるのだろうか。涙目で踏ん張るレックスに少なくとも15くらいになれば多少は他人の意見を汲むか、あるいは意見の擦り合わせというものを覚えるだろうにと苦笑する。
しかしながら現実として、2人はまだまだ子供だ。それも甘えたい盛りの、遊ぶことが仕事の年頃の子供なのだ。どちらも同じくらいに優先されなければいけないし、どちらか一方を贔屓してはいけない。モナはそう考えると、まずはレックスを追い出そうと躍起になるニーナの肩に手を置いてゆっくりと首を横に振った。
「ニーナ。」
「……やだ。ニーナはモナちゃんとふたりきりであそびたいの……。」
「でも、レックスだって大事な友達でしょう?少なくともわたしは、ニーナもレックスも同じくらい好きだよ。仲良くしたいよ。……ニーナは、レックスとは仲良くしたくないの?」
「…………だって……。」
「そーだぞ、ニーナ!だってもクソもあるか!」
「……レックス。」
モナがニーナを優しく窘める。その傍らではようやく腕を引っ張られなくなったレックスが、どうやらモナは自分に味方してくれるらしいと思い込んで野次を飛ばす。が、モナはそれを少しばかり厳しい声で諌めると、レックスは咄嗟に目を逸らした。流石に子供心なりに悪いことをしてしまった自覚があるようだった。モナはこういうところは兄弟揃って鋭いんだから、とやれやれと肩を竦める。
それからモナは改めて何か言いたげなニーナがその場限りではない、腹の奥の底に潜んでいる本音をきちんと言えるようにと優しく背中を撫でて促した。その行為に、実は根拠なんてものはなかった。勘だった。けれどモナの知るニーナという少女は、本来はもっと朗らかで可愛らしい子の筈なのだ。幾ら気心が知れているとはいえ、なんだかんだで生まれた時からつるんでいる相手をモナを独占したいという一心だけで邪険に扱う子には思えなかったのだ。
とはいえ、全てはモナの感じる何となくの違和感に基づく考察でしかない。もしこれで本当に自分を独占したいだけだったらかなり恥ずかしいなと、モナは早くも穴があったら入りたいと思ってしまう。その場合はリカバリーとして、まずはきちんと自分の気持ちを言えたことを褒めてから妥協案を提示しなくちゃな……と、モナは動けない代わりに頭を存分に働かせた。
「だってニーナ、レックスとけっこんなんてしたくないもん!!」
「…………はい?」
その結果、ルチア式の野生の勘というやつは見事ビンゴした。けれど幼い少女の口から飛び出すにはあまりにも突拍子のない言葉に、モナは一気に毒気を抜かれると素っ頓狂な声を漏らした。
しかしそんなモナとは反対に、とうとう自分の胸の内をさらけ出したニーナは止まらない。呆気に取られ、呆然とするモナを尻目にレックスを指差すと声高らかに宣言した。
「ニーナはね、モナちゃんみたいにあたまがよくてきてんがきいて、しりょぶかいおとなのひととけっこんしたいの!レックスみたいな、おもったことすぐにいったり、かおにだしたりしちゃうこどもはいやなの!!」
「……ええと、ニーナ?」
「なのにみーんな、『ニーナはおとなになったらレックスとけっこんするの?』って、いやになっちゃう!!ニーナはレックスのことなんてぜーんぜんすきじゃないのに!!なんでいっしょにいるだけでそんなこといわれないといけないの!?」
「あのなあ……、それはこっちのセリフだっつーの。おれだってぶりっ子してるガキとけっこんなんて死んでもイヤだよ!男なら、やっぱりセクシーでグラマーなおねえさんとけっこんしたいにきまってるだろ!!」
「…………あのー、レックスくん……?」
「ニーナ、レックスのそーゆーところがほんとうにばかでいやなのよね!!」
意味が分かって言っているのかいないのかはさておき、示し合わせたようにそれぞれの理想論を展開する子供2人に、妙齢のはずのモナの方が置いていかれてしまう。モナはぽかんとしつつ、最近の子供は大人びているんだなあとこれまた現実逃避と洒落込む。
が、どうやら子供らしく感情のままに反論しては火に油を注ぐレックスはともかく、彼に比べればまだ冷静というか理路整然なニーナの主張から推察するに、どうやら彼女は仕方なく一緒に遊んでいるだけの相手との将来を勝手に想像しては揶揄ってくる大人たちが嫌なようだった。モナは歳の割には随分と落ち着いているニーナに、流石は彼女を妊娠中に離婚して新天地を目指した女性の子供なだけあるなあと思った。血は争えないとはよく言うものだなと、関心さえしてしまった。
とはいえ、ニーナが頑なにレックスを嫌がる理由は判明した。ニーナはそういえば自分も昔はただ幼なじみというだけで遊んでいる男の子が居たこと、その子の親や両親に似たようなことを言われて子供心なりに嫌というか、決して嬉しくはないというか、とにかく複雑な気持ちになったことを思い出すとまずは2人の間に物理的な仲裁を下す。具体的にはサイドテーブルに溢れんばかりに置かれた見舞いの品の中から、恐らくはロレンシオが置いていったであろう分厚い本を手に取るとそれを2人の間に差し込んで物理的に距離を持たせた。
それからお互いの顔が見えなくなり、興奮が落ち着いたのを見計らってからモナは本を取り払うと、続けて2人の眼前に素早くトランプを差し出した。そして見せつけるように箱を開けると、中のカードをジョーカー1枚除いて取り出す。そして慣れない手つきでシャッフルしながら、それぞれに話し掛けた。
「ニーナはさ、みんなに将来はレックスと結婚するのかって聞かれるのが嫌なだけで、レックス自体は嫌いじゃないんだよね?じゃなきゃ幾ら遊び相手が居ないとはいえ、一緒にいないもんね?」
「…………うん。」
「レックスも、その……ニーナとは正反対の女の子がタイプなだけで、ニーナそのものが嫌いなわけじゃないんだよね?ただ、レックスの思う『冒険』をしてきたわたしからじっくり話を聞いたり遊んだりしたいだけなんだよね。」
「…………まあ、うん。そういうことにしておいても、いいよ。」
「…………むう……。」
モナはニーナの手前か、はたまた自分の手前かは定かではないものの、言葉を濁して尊大な態度を取ろうとするレックスの子供らしさに思わず微笑む。続けてレックスの言葉を聞くなり、自分は素直に答えたにも関わらず最低限のプライドを守ろうとする小賢しい彼に対して唇を尖らせるニーナのなんとも可愛らしい所作に今度は小さく声を上げて笑ってしまった。そんなモナにニーナは「モナちゃんまでニーナをばかにして!」とそっぽを向く。反対にレックスはモナをじいっと、どこか夢でも見ているような表情で見つめていた。
モナはこちらを見つめてくるレックスはともかく、ニーナに関しては性格が色濃く出ているなあと再びくすくすと声を出して笑う。笑いながらも、なんとかカードをシャッフルし終えると1枚ずつ分け始めた。
「わたしはね。2人のこと、好きだよ。だから2人がお互いのことを本当に嫌いじゃないんなら、難しいかもしれないけど、好き勝手言う大人の言葉なんて気にしないでこれからも仲良く遊んで欲しいなあ。――勿論、時々はこうやって、わたし込みで。」
「…………なにするの?」
「オールド・メイド。これならみんなで遊びつつ、レックスの聞きたい冒険の話も出来るでしょう?」
「モナ……!!」
レックスが目を輝かせながらモナを見つめてきた。その瞳の輝きようときたら捨てられた子犬が拾われた瞬間か、もしくは皿いっぱいに盛られた餌を差し出された瞬間だなとモナは思った。と同時に、小さな男の子というのはなんとも単純というか。大人に片足を突っ込んでいる自分からしてみれば可愛らしくて仕方がないが、小さい頃から大人びている女の子――それもニーナのような自分を持っているタイプの子にとっては、確かに少し物足りない相手かもしれないなと苦笑した。現にニーナは意地を張っているのか、変わらずそっぽを向いたままだった。
とはいえ、子供は子供なのだ。いい意味でも悪い意味でも通った道なのだ。モナは過去の経験則からこういう時の最善の解決策を素早く導き出すと、そうっとニーナの耳元で囁いた。
「ねえニーナ。せっかくオールド・メイドするなら、特別ルール――明日は1日中、今日勝った人のしたい遊びをする……なんていうのは、どうかな?」
「………………する!」
「ようし、決まりだね!誰から引く?」
「おれ!おれから引きたい!!」
「じゃあ、レックスからどうぞ。」
少々汚い手だった気もしなくはないが、取り敢えずはこの場が円満に収まったことにモナはほっと胸を撫で下ろす。それから自分の分のカードを手に取ると、同じ数字のペアを抜き取ってからレックスに差し出した。
するとモナはまだ始まったばかりだというのに、早くも真剣な目つきで自身の顔色を伺いながらどのカードを取るか悩むレックスにああ、本当に可愛い子だなと微笑んだ。あのニコラスの弟とは思えないくらいだと頷きすらした。その上でニーナの大人びた可愛さとは違う、等身大の可愛らしさもまた良いものだと目を細めた。
――その瞬間、レックスは顔を赤くしながらモナの手から端のカードを抜き取った。微かに触れた指は小さくて、それもまたモナにとっては可愛らしくて可愛らしくて仕方がなかった。モナは思わず溢れては止まらない笑みを隠すことなく、今度は自身の手札をニーナに差し出すレックスを見つめる。レックスの顔は、まだ仄かに赤かった。
「…………ふーん?」
「な、なんだよニーナ。早く引けよ。」
ニヤリ。そんな擬音が良く似合う笑みを浮かべたニーナの顔は、面白いものを見つけたと言っていた。そしてその顔に添えられた2つのエメラルドグリーンの瞳は、これは是非とも弄らなくてはと語っていた。使命感と好奇心とに、爛々と輝いていた。正しく『目は口ほどに物を言う』を体現していた。
「レックスってシュミはいいんだね。ニーナ、てっきりアクシュミかとおもってた!」
「は?!ちげーし、そんなんじゃねーし!!」
「ぇ、何が?」
「んふふ、なんだろうねえ?……はい、モナちゃん、どーぞ。」
「???はい、どうも……?」
ニーナはレックスを揶揄いつつ、素早く手札からカードを引くとあっさりと1ペア揃えて場に捨てる。ニーナの意図に全く気が付いていないモナは、それを年長者らしく穏やかな気持ちで見つめながらひとまずは2人が仲直り出来たことに安堵する。
それからニーナとレックスの間だけに通じる話と空気に首を傾げると、置いてけぼりを食らったことに寂しさを感じつつもニーナの手札から適当に1枚引いた。ジョーカーだった。




