第25話 晩餐会
夜明け前、屋敷の窓辺に淡い光が差し込む頃。
リリベットは、ほとんど眠れないまま朝を迎えていた。
胸の奥に残るのは、指先の温度と、額に落とされた口づけ。
――逃げない。離さない。
あの低い声が、何度も脈打つ。
◇
晩餐会の夜。
華やかな広間。
視線が交錯し、囁きが渦を巻く中で、スティーブは最初から最後まで、ただ一人を見ていた。
逃げ場は、ない。
けれど――不思議と、怖くなかった。
彼が、近づく。
「リリベット嬢。」
差し出される手は、迷いがない。
その手を取った瞬間、彼は小さく息を吸い、まるで確かめるように強く握った。
「待たせたね。」
「いいえ。」
リリベットは、はっきりと微笑んだ。
「待ってよかった、と思っています。」
彼の瞳が、揺れる。
◇
音楽が変わり、ダンスが始まる。
二人の距離は、今度こそ触れている。
腰に添えられた手。
逃げ道を塞ぐのではない、守るための位置。
「俺は――」
スティーブが、踊りながら低く告げる。
「選択肢を与えたつもりでいた。でも本当は、きみがいない未来を想像できなくなってた。」
胸が、いっぱいになる。
「遊びだと言われても、軽いと言われてもいい。」
彼の額が、そっと彼女の額に触れる。
「それでも、俺はきみを手放せない。」
「ずるいですわ。」
「知ってる。」
あの、苦笑。
「だから一生かけて、償う。」
◇
音楽が終わる。
拍手が起こる中、彼は彼女の手を離さない。
皆の前で、静かに、けれど確かに宣言する。
「リリベット。俺の人生を、全部渡したい。」
息を呑む音。
ざわめき。
「逃げ道も、余白も、覚悟も、全部含めてきみに選んでほしい。」
沈黙の中で、リリベットは答えた。
「最初から、選ばれていたのは、わたくしの方ですわ。」
彼の顔が、完全に崩れる。
◇
夜が更け、二人きりの回廊。
スティーブは、リリベットを抱き寄せた。
今度は、迷わず。
けれど、乱暴ではなく。
「なあ、リリベット。」
耳元で囁く声は、もう飾らない。
「俺はきみに恋するまで、ちゃんとした触れ方を知らなかった。」
「では、これから覚えればいいのですわ。」
彼女の言葉に、彼は小さく笑って、額に、頬に、髪に、何度も口づける。
唇には、まだ触れない。
「大事にしすぎて、壊れそうで怖い。」
「壊れませんわよ。」
彼女は、彼の胸に手を当てる。
「あなたが、こうしている限り。」
長い沈黙のあと、彼はついに、そっと唇を重ねた。
◇
その夜、リリベットは確信する。
この人は、もう遊び方を忘れた。
代わりに覚えたのは――
一人の女性を、生涯かけて愛する方法。
期限は終わり待つ時間も、終わった。
これからは選ばれ続ける毎日が始まる。




