第24話
晩餐会の喧騒は、遠い。
音楽も、笑い声も、すべてが膜一枚向こう側の出来事のようだった。
スティーブの言葉だけが、胸の奥に残り続けている。
――待っててくれ。
リリベットは、そっと胸元に手を当てた。
鼓動が、早い。
そんなふうに言われたのは、初めてだった。
連れていくでもなく、縛るでもなくただ「待ってほしい」と願われることが。
◇
晩餐会が終わり、夜気が廊下を満たし始めた頃。
「リリベット嬢。」
その声に振り向くと、スティーブが立っていた。
先ほどまでの緊張はそのままに、しかしどこか決意を帯びた表情。
「お約束通り、馬車を。」
差し出された手袋越しの手。
一瞬の迷いのあと、リリベットはその手に指先を重ねた。
触れた瞬間、彼の指がわずかに震えたのを見逃さなかった。
◇
馬車の扉が閉まる。
外界の音が遮断され、小さな空間に二人きり。
向かい合って座る距離が、やけに近い。
「……緊張してる?」
スティーブが、苦笑混じりに尋ねる。
「ええ。あなたが、こんなに黙る方だとは思いませんでした。」
「俺もだ。」
彼は、ゆっくりと息を吐いた。
「きみと二人きりになると、軽口を叩く余裕がなくなる。」
馬車が揺れるたび、肩が触れそうになる。
触れない、その距離。
「触れないんですの?」
思わず、口にしてしまった。
スティーブの視線が、強くなる。
「触れたら、止まれなくなる。」
正直すぎる答えに、頬が熱くなる。
「でも。」
彼は、そっと手を伸ばし、
リリベットの指先に、指先だけを重ねた。
絡めない。
握らない。
ただ、確かめるように。
「これなら、許してくれる?」
胸が、きゅっと締めつけられる。
「……ずるいですわ。」
「知ってる。」
そう言って、彼は微笑んだ。
令嬢殺しの笑みではない。
誰かを大切に思う男の、それだった。
「俺は、きみを急がせない。」
指先が、そっと温度を伝える。
「答えは、晩餐会でいい。でもそれまでは――」
少しだけ距離を詰めて、低く囁く。
「俺の視線も、時間も、全部きみに向ける。」
心臓が、音を立てる。
「他の誰にも、同じ顔は見せない。」
それは、
遊び人が初めて差し出す、独占欲だった。
額に、そっと口づけが落ちる。
唇ではないけれど、確かに「選ばれている」感触。
「晩餐会まで、覚悟しておいて。俺はもう、逃げないし、離さない。」
馬車は、静かに屋敷へ向かう。
夜は、まだ長い。
期限は迫っている。
けれど――
その夜、リリベットは確信していた。
この男は、遊び方を忘れた。
そして。
自分はもう、逃げられない。




