第23話 遊び人が本気になる時
静かな回廊に、二人の鼓動だけが残る。
抱擁は、長くは続かなかった。
スティーブは名残惜しそうに腕をほどき、しかし一歩も離れなかった。
「今すぐにでも、連れ去りたい顔をしてるな、俺。」
自嘲気味に笑うその声に、リリベットは思わず顔を上げる。
「そんなこと――」
「ある。」
即答だった。
彼は、わずかに困ったように眉を下げる。
「昔の俺なら、今夜で終わらせていた。甘い言葉を囁いて、抱き寄せて、朝には何も残さない。」
令嬢殺し、噂の遊び人。
その言葉を、彼自身が否定もせず口にする。
「でも今は――それが、怖い。」
リリベットの指先が、彼の袖を掴んだ。
「……何がなの?」
「きみが、俺を信じてくれなくなること。」
その一言が、胸を射抜いた。
「触れたいし抱きたいし、欲しい。」
低く、正直な声。
「でも、それをした瞬間あなたの中で俺がいつもの男になるのならば、俺は何もしない。」
リリベットは、しばらく俯いていたが――
やがて、そっと顔を上げた。
「やはり、ずるい方ですわね。」
「よく言われる。」
「そんなふうに言われたら信じてしまいますわ。」
スティーブの喉が、かすかに鳴った。
「本当に?」
「ええ。」
リリベットは、小さく微笑む。
「あなたが、何も奪わずに欲しがる人だということ。」
その瞬間だった。
彼の片手が、リリベットの腰に添えられる。
さっきよりも、少しだけ強く。
だが、触れる以上のことはしない。
「覚悟してくれ。俺はもう、遊び方を忘れた。」
リリベットの頬が、熱を帯びる。
「これからは、逃げないし誤魔化さない。きみが嫌だと言えば、立ち止まる。」
額と額が、そっと触れ合う。
「それでも――本気で、きみを選ぶ。」
呼吸が、重なった。
キスは、まだない。
けれど、この距離は、それ以上に親密だった。
「スティーブ様。」
名前を呼べば彼の表情が一瞬崩れる。
「反則だ、それ。」
笑いながら、でも腕は離さない。
「晩餐会が終わったら、馬車で送る。誰にも邪魔させない。だから、待っててくれ。」
囁きは、ほとんど約束だった。
「その時、もう一度聞かせてほしい。俺を、信じていいかどうかを。」
リリベットは、静かに頷いた。
――期限は迫っている。
――爵位の行方も、未来も、まだ決まっていない。
けれど、令嬢殺しと呼ばれた男は本当の恋に落ちていた。




