第1話 ノブレス・オブリージュ
スティーブ・グランフォードは、人生が大体うまくいっている男だった。
名門グランフォード公爵家の嫡男。
王家とも深い縁を持ち、本人の能力も申し分ない。顔もいい。財力もある。将来も約束されている。
――だからこそ。
「結婚?ああ、いい制度だな。人の自由を合法的に奪える実に立派な制度だ。」
「本気で言っているのなら、お前は一度痛い目を見た方がいい。」
王都の高級クラブの個室で、アレクセイ王太子がこめかみを押さえた。
「ほら見ろ、また始まった。 結婚した途端に説教が増えたな、エドワード。」
侯爵家のエドワードは、幸せそうに苦笑いする。
「俺は忠告してるだけだ。スティーブ、お前もそろそろ洒落にならない。」
スティーブは肩をすくめた。
「俺は正直なだけだ。好きな女性と後腐れなく楽しく過ごす。それの何が悪い?」
「楽しく過ごした後を、全部切り捨ててるのが問題なんだ。」
アレクセイの言葉を、スティーブはワインで流し込んだ。
「後腐れがない方が、お互いのためだろ?」
「……本気で言ってるのが怖いな。」
この時のスティーブは、本当に理解していなかった。
自分が、恋愛の後始末を一度もしたことがない男だということを。
三日後。
スティーブは、父・ジョージ公爵の執務室に呼び出されていた。
分厚い書類の山、無駄のない調度品、そして無駄のない視線。
「座れ。」
腰を下ろすと、父は一枚の書類を差し出した。
「後継者試験を行う。」
予感はしていた。
最近、父の目がやけに冷静すぎたのだ。
「お前が次期公爵に相応しいかどうかを判断する。」
「今さら?」
「今だからだ。」
公爵は、淡々と告げた。
「指定した令嬢を口説き。」
「うん。」
「一夜を共にし。」
「……うん?」
「その後、次期公爵として相応しい対応を取れ。」
「は?」
スティーブは手を上げた。
「対応って?」
「考えろ。」
「試験じゃなくて論文?」
父は眉一つ動かさない。
「その一部始終を、報告書として提出せよ。」
「……。」
「失敗すれば、後継は義弟のウィリアムとし、全財産は後妻とウィリアムに譲渡する。」
しん、と空気が冷えた。
「……父上?」
「お前は、女性を口説くことしかできない。」
初めて、父の声に感情が滲んだ。
「だが、公爵に必要なのはその後に責任を取れる男かどうかだ。」
スティーブは、数秒黙った後――笑った。
「なるほど。つまり。」
「?」
「私なら難なく爵位を継ぐことになる、と。」
父は、ゆっくりと目を細めた。
「そう思っているうちは、危うい。」
スティーブは、その意味を深く考えなかった。
――指定された令嬢の名を見るまでは。
「……ノーランド男爵令嬢?」
「表向きは、そうだ。」
父の言い方が、ほんの一瞬だけ引っかかった。
(表向き?)
だが、スティーブは深く追及しない。
(まあいい。どうせ同じだ。)
女性を口説き、夜を共にし、そして次期公爵らしい対応を示す。
(簡単だ。今までだって、うまくやってきた。)
――彼はまだ知らない。
その試験が自分の人生を根こそぎひっくり返す罠だということを。




