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第二話 日常は続き、夢は続く。

 まぶたの裏が、やけに明るい。

 微睡みの中で、僕はゆっくりと目を開けた。

 枕元に置いたスマホに手を伸ばし、画面を確認する。

 スマホの画面に表示された時刻を見て、頭が一気に覚醒した。

 七時二十分。

 ……やばい。

 布団を跳ね飛ばして立ち上がる。

 ハンガーに掛けてあった制服を掴み、ほとんど反射的に袖を通した。細かいことを気にしている余裕はない。

 洗面所で歯を磨き、顔を洗う。冷たい水が頬に当たって、ようやく現実に引き戻される。

 そのまま階段を駆け下りた。

「お弁当ここにあるわよー」

 台所から母さんののんびりとした声が飛んでくる。

「ありがとっ」

 差し出された弁当を受け取り、そのままリュックに突っ込む。

 靴を履こうとして、ふと、玄関の端に置かれているものが視界に入った。

 部活の合宿で使うような、大きめのバッグ。

 ……誰のだろうか。

 そばを通ったとき、ほのかにいい匂いがした。

(……まあいいか)

 考えるより先に、靴ひもを結ぶ。

「母さん、行ってきます!」

「いってらっしゃい。気をつけてね」

 返事を背中で受け取り、僕は玄関を飛び出した。



「ふう……間に合った」

 電車を降り、改札を抜ける。

 駅前には、ちらほらとうちの学校の生徒が歩いていた。

 さっきまでの慌ただしさが嘘みたいに、足を緩めて息を整える。

 制服の波に混じって歩き始めたとき、前方に一組のカップルが見えた。

 楽しそうに話しながら、肩が触れる距離で歩いている。

(……カップルか)

 羨ましいとは思わなかった。

 でも、素直に微笑ましいとも思えない。

 どうせ、いつか終わる。

 そんな考えが浮かんで、すぐに首を振った。

(無粋だな)

 今が楽しいなら、それでいい。

 頭では、ちゃんとわかっている。

 それでも、どこか距離を置いて眺めてしまう自分がいた。

 信号が変わり、人の流れが動き出す。

 その中で紛れながら、ふと思い出す。

(……転校生、来るんだっけ)

 どんな子なのかは気になる。可愛い子だとクラスのみんなも大騒ぎだろう。

 そんなことを考えていたら、校舎が近づいてくる。

 それ以上、何かを考える前に、足早に教室に向かった。



 教室に入った瞬間、空気がいつもと違うことに気づいた。

 ざわついている。いや、浮ついている、と言った方が近い。

 席に向かうと、達也と澪が身を乗り出して話していた。

「おはよう、千尋!今日は遅かったな」

「もうね、転校生の話で持ちきりだよ」

「ふーん」

 生返事をしながら、教室を見渡す。

 クラス全体が、妙に落ち着きがない。特に男子は分かりやすく浮き足立っていた。

 その熱に巻き込まれそうになって、窓の外に視線を逃がす。

「お前ら、席に着けー」

 担任の声と同時に、教室の扉が開いた。

 橘浩一。生徒からの信頼がやたら厚い、うちの担任だ。

「たちばなっち! 待ってました!」

 達也が意味不明な音頭を取る。

「はいはい、静かに静かに」

 橘先生は苦笑しながら教壇に立ち、手を叩いて教室を宥めた。

「もう知ってると思うが、今日から転校生が来る。初日だ、変なことはするなよ」

 そう言ってから、廊下の方へ視線を向ける。

「じゃあ、おいで」


 ――かつ、かつ。


 ローファーの音が近づいてくる。

 それだけで、教室の温度が一段上がった気がした。

 どこかから、押し殺した歓声が漏れる。

 僕は気になって、ほんの一瞬だけ教壇を見る。


 その瞬間──


(……っ)

 視線が、ぶつかった。

 考えるより先に、目を逸らしていた。

 心臓が、遅れて強く跳ねた。

 教壇に立った女子生徒。

 一瞬見ただけで、分かってしまった。

「では、自己紹介をお願いします」

 橘先生に促され、彼女は一度だけ、小さく息を吸った。


「はい。本日からこの学校に転校してきました――」


 一拍。


「──白石紗莉と申します」


 その瞬間、教室が爆発した。


「うおおお!」

「よろしくー!」

「可愛い!」


 好き勝手な声が飛び交う中、紗莉は困ったように苦笑していた。

「こらこら、静かにしろ。席を決めるぞ」

 橘先生の声で、ようやく騒ぎが収まる。

「はいはい! 俺が面倒見ます!」

 達也が、何度も手を挙げてアピールする。

 即座に、男子全員からブーイングが飛んだ。

「はーい、すみませんでしたー」

 達也は渋々席に座る。

「ちひろ〜、みんながいじめて──って、どうした?」

「えっ、あっいや、別に」

 自分でもわかるくらい、声がうわずっていた。


 なんで。

 どうして。


 頭の中で言葉にならない感情が絡まって、整理がつかない。

「はい! 私が面倒を見ます!」

 手を挙げたのは澪だった。

「学級委員だし、桜庭に任せるか」

「やったー!」

 どうやら、席は澪の隣になるらしい。

 ……正直、この空気についていけない。

「机と椅子がまだだな。達也、取りに行け」

「なんで俺!?」

「かっこいいところ見せるチャンスだぞ」

「じゃあやるしかないっすね!」

 なんてちょろいやつだ。

 教室が笑いに包まれる。

 達也は、こういう時いつも中心にいる。

 バカで、分かりやすくて、だからこそ好かれる。

 その輪の外に、自分がいる気がした。

「じゃあ、HRの間だけ俺の席使ってください! 俺、後ろ立ってるんで!」

(……は?)

 なんでそうなるんだ。

 お人好しというより本当のバカじゃないか。

「まあ、転校生を立たせるわけにもいかないか。ありがとう、すまんな」

 橘先生が苦笑しながら頷く。


 紗莉が、こちらへ歩いてくる。


 僕は、顔を上げることができなかった。


「お嬢様、どうそ」

 達也が英国紳士っぽいポーズをとりながら椅子を引く。

「……ありがとうございます」

 紗莉は戸惑いながら静かに腰を下ろした。


(……大丈夫だ)


 関係ない。

 関わるつもりもない。

 それでいい。


 僕はそう言い聞かせながら視線を机に落とす。

 それでも、意識しないようにしても、そこにいることだけはわかってしまう。

「じゃあ、HRはここまで。今日も一日頑張ろう」

 そう言って、HRは締め括られた。

 教室は息を吹き返したように、動き始める。

 そんな中で、僕だけが、顔を上げられずにいた。

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